68話 私は好きにならない
◇◇◇
「あの事件がきっかけで、僕にとってリズリーは特別になった。誰にも渡したくない唯一無二の存在になったんだ」
「……っ」
当時のことは、リズリーも覚えている。
幼かったためところどころ記憶が薄れていたが、ユランの話を聞いて、鮮明に思い出すことができた。
(そんなに、昔から……)
──あの後、リズリーは伯爵邸に一緒に来ていた母に事の顛末を伝えた。母はリズリーの必死の訴えかけやユランの腹にある鞭の跡から、事態を理解したのだろう。ユランの父にも急ぎ掛け合ってくれた。
結果、継母とその連れ子は家を追い出されることになり、ユランの悲しい日々は終わりを迎えたのだ。
(確かに、あの頃からユランが私を見る目が少し変わった気がする……でも……)
「だったら、どうして」
「何がだい?」
「ユランが私を好きでいてくれてることは分かったわ。けど、それなら何故、私に呪いなんて……」
リズリーは、ルカに恋をした。
恋を自覚してから切なくて苦しい気持ちになったこともある。けれど、一度だって彼に呪いをかけようなんて思ったことはなかったから、ユランの行動の理由が全くもってりかいできなかった。
「言ってるだろう? 僕にとってリズリーは特別で、誰にも渡したくないくらい唯一無二の存在なんだって」
「だから、どうしてそんな相手に呪いなんてかけるのかを聞いているの……!」
「…………。リズリーだって知ってるよね? この国の、婚約に関する決まりごと」
「知っているけれど……」
ここミーティア王国において、婚約に関する決まりといえば二つだ。
まず一つ、婚約するには両者が十八歳以上でなければならない。
そして二つ目、男女問わず、家格が同等か上の者からしか婚約の申し入れができない。
「でも、それが一体なんだというの?」
「僕だってね、初めはその決まりに乗っ取ろうと思ったんだ。君が十八歳になった時に、自らの意思で僕に婚約の申し入れをしたくなるよう、アプローチをしよう、ってね」
「それじゃあ、なんで」
「けど、それじゃあだめだって気付いたんだ。リズリー……君が、僕が想像するよりも美しく、魅力的な女性になったから」
「! どういう……」
いまいち話がつかめない。
リズリーの顔が疑問に染まる一方で、ユランの笑顔には陰りが帯びた。
「ラグナム侯爵家の次女で、日に日に美しくなっていく容姿、そして……誰もが絶賛するほどの、術式絵師としての才能。リズリー本人が気付いていたかは知らないけど、君に恋焦がれる男たちの数は決して少なくなかった」
「!」
「その中には、侯爵家以上の家の者もいた。そいつらがラグナム侯爵家に縁談の話を持ちかけたら、十八歳になった途端に縁談は成立し、僕以外の男に君を奪われてしまうかもしれない。そんなの、許せなかった。……だって、そうだろう?」
ユランはリズリーの前髪に触れていた手を、下へ下へとおろし、彼女の唇を親指で優しく撫でた。
「リズリーは、僕のものなのに」
「っ」
ユランの手つきは優しいのに、あまりに恐ろしい。
リズリーは一瞬、息が詰まった。
「だから、僕は呪いをかけたんだよ。誰一人、君に好意を持たないように、僕の愛する人が誰にも奪われないように。そして、絶望的な状況で僕だけが君の味方だったら……愛するのが僕しかいなかったら、リズリーも僕のことを愛してくれるかもしれない。リズリーから、僕を求めてくれるかもしれないだろう?」
まるで、子どもが親に構ってほしくて悪戯をした時のような笑顔だった。それくらい純粋で、同時に……これまで見たことがないくらい、歪んでいる。
「さて、説明はこれくらいで良いかな? 呪いの効かないルカ・アウグストがいつ邪魔をしにくるかも分からないから、さっさとリズリーに洗脳魔法をかけたいんだよね」
ユランはそう言うと、片手でリズリーの両手を彼女の頭上の辺りに纏め上げた。
赤子を捻るように、いとも簡単に。
「っ、やめて……!」
「やめないよ。本当はリズリー自ら僕のことを求めてほしかったけれど、洗脳魔法を使って強制的に僕のことを好きになってもらう。婚姻の手続きだけ済ませたら、一生……ここで僕と二人で暮らそうね」
「いやっ、いや……!」
そして、ユランは懐から洗脳魔法の術式が描かれた魔法紙を手に取った。
「……っ、お願い、待って!」
「……なーに? リズリーの話ならずっと聞いてあげたいけど、さすがに今は邪魔しないでほしいかな」
「まだ質問は終わってない! どうして、お姉様だったの……!?」
「ん?」
「どうして呪いの発動や代表契約の相手に、クリスティアお姉様を選んだの……!? ユランが呪いの術式を手にしているところをお姉様が見てしまったから……!?」
クリスティアから聞いた話をもとに、ユランに問い質す。
ユランは「なんだ、そんなこと?」とあっけらかんと答えた。
「別に目撃されてなくても、クリスティアにあの役目を負わせるつもりだったよ。だって、あいつ邪魔だったんだもん」
「!? ユランは、クリスティアお姉様とも仲が良かったじゃない!」
ユランは呆れたように、ハァと溜め息を零した。
「あれは演技だよ、演技。……本当はずっと、リズリーの一番傍にいるあの女が気に食わなかった。姉妹ってだけでリズリーの特別になれて、無条件に君に愛されるあの女が憎くて憎くてたまらなかった。……だから、リズリーとクリスティアの絆を引き裂くために、あの女を選んだ」
ただ、それだけだよ、とユランは淡々と話す一方で、リズリーの目からは涙が溢れた。
(全部、全部、本気で言ってるのね……)
ユランが呪いという歪んだ方法を選んだせいで、この三年間、リズリーは耐え難いほどに苦しい思いをした。
尊敬してやまない両親から誹りを受け、大切な仲間である術式絵師課の皆には泥棒扱いをされ、暴言を吐かれ、使用人や、すれ違う全ての人たちに、嫌悪の目を向けられた。
どうして私だけこんな目に?
誰か助けて……そう思ったのは、一度や二度じゃない。
それでも、ルカと出会えた。ルカや、第に魔術師団の皆、アウグスト公爵家の皆に出会えて、リズリーの日常は一変した。
誰かに認めてもらえることはこんなにも幸せで、皆の輪に入れなかったこの三年間が改めて地獄だったと思い知らされた。
それでも、ユランが犯人の可能性が高いと分かった時、リズリーはユランを犯人じゃないと信じた。
だって、大切な人だったから。優しくて、穏やかで……これまで、支えてくれた唯一の人だったから。
でも、そんなユランの姿は全てまやかしで……彼が犯人であるということだけが、事実だった。
──執着、独占欲、歪んだ愛情。
それらに捕らわれたユランにとって、呪いは自分の望みを叶えるために必要だったという。
「ねぇ……ユラン」
リズリーは、恋とか愛とか、そういうものを深く語れるほどの経験はない。ルカのことは好きだけれど、人生で初めての恋だから、この想いが皆の言う恋や愛と必ず一緒かと問われると、答えられない。
それでも……。
「好きなら、何をしても良いの?」
リズリーは、ルカから彼の家族も、仲間も、奪いたくない。ルカの笑顔も、彼のやり甲斐も、彼の幸せの全てを、守ってあげたい。
リズリーにとっては、それが恋で、愛だった。
その思いだけは曲げられなくて、だからこそ好きな相手を傷付けてでも手に入れようとするユランの歪んだ思いは許せなかった。
「呪いのせいで……私はこの三年間、貴方が想像するよりも何倍も、何十倍も、辛かった。苦しくて、毎日泣きたかったのに」
リズリーは唇を噛み締める。ピリッと薄い皮がめくれ、僅かに血の味がした。
「それに……」
けれど、自分が傷付くだけなら、まだ耐えられた。
ユランの歪んだ愛情の被害者が自分だけなら、まだ良かったのに。
「お姉様……この三年間の出来事を全て覚えてるの……いっぱい、泣いてた……ごめんって、何回も、私に謝ってた……」
クリスティアの傷は、時間を追うことに徐々に薄くなるのかもしれない。現に、最近ようやく前のような笑顔を見せてくれることが増えた。
でも、その傷が完全に癒えることは、一生ないかもしれない。
一生……死ぬまで、クリスティアは心のどこかにリズリーへの罪悪感を背負うかもしれないのだ。
「リズリー、泣かないで……僕が君を幸せにするから、だから……」
「触らないで……!」
ユランの拘束が緩んだ瞬間、リズリーは自分の頬に触れようとする彼の手を払い除けた。
そして、自らで乱雑に涙を拭うと、鋭い瞳をユランにぶつけた。
「私は絶対に、ユランを好きになんてならない。絶対、ならない……!」




