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67話 執着の理由

 

「あれは、約十一年前のことだよ」


 当時、十歳だったユランは、毎日が苦痛で仕方がなかった。

 父が連れてきた再婚相手とその連れ子に、数ヶ月前から嫌がらせを受けていたからだ。


『お母様、お義兄様が意地悪ばっかりするんだ……』

『ユラン! どうしてもっと(この子)に優しくできないの! そんな子には食事はあげませんよ!』

『でも僕は……! いえ……ごめん、なさい……』


 食事を抜かれることはよくあった。読んでいた本を破られたり、お気に入りのものを弟に譲るよう半ば奪われたり、時にはしつけだとお腹や背中を鞭で叩かれたこともある。


 意地悪なんてしていなかったけれど、否定を信じてもらえたことはなかったから、ユランは足掻くのは諦めた。


 ここミーティア王国では、基本的に長男が爵位を継承することになっている。

 継母はどうやら、再婚してからそのことを知り、その事実が大層気に食わなかったらしい。ほんの些細なことを理由に、または敢えて嘘の理由を作り、しつけと称してユランを虐めた。また連れ子である弟も、母の真似をして兄に意地悪をされているなど嘘を吐き、ユランの立場が悪くなるよう動いた。


 そして、ユランがそんな目に遭っていることに、父や執事、メイドたちは気付いていなかった。

 ことが明らかになったら自分たちの立場が危うくなることを察していた継母は、ユランへの仕打ちを徹底的に隠していたのだ。


(もう、こんな毎日は嫌だ……。でも、お父様に言って信じてもらえるかどうか……)


 父は仕事で忙しく、家のことは継母と使用人たちに任せきりだ。味方がいない状態で打ち明けたところで、父に絶対信じてもらえるという保証はなかった。どころか、告げ口したことがバレたら継母からの嫌がらせが悪化するのではないかと思うと、怖くて言えなかった。


 そんな日々が続いたある日。

 ユランに転機が訪れたのは、従兄のリズリーがフロイデンタール家に遊びに来た時だった。


『ねぇ、ユラン大丈夫? お腹が痛いの……?』


 テーブルにはところ狭しとおやつが並べられているのに、ユランは全く手を付けない。

 ユランは、昨日継母にお腹をムチで叩かれた痛みのせいで、食事どころではなかったのだ。


『ううん、大丈夫。あまりお腹が空いていないだけだから』

『本当に……? でも顔色も悪いし、最近ずっと元気がないように見えるわ』

『……!』


 ユランは昔から、感情を隠すのが得意だった。継母たちからの嫌がらせが公になっていない理由の一つには、彼のそういう性格も関係していた。


『そう? そんなことないけど。リズリーは心配性だね』


 だから、リズリーに指摘されたことには心底驚いた。

 けれど、リズリーは大切ないとこだ。妹みたいな存在だ。心配をかけたくないし、変にバレて嫌がらせが悪化するのも避けたかったユランは、いつもと同じ穏やかな笑顔を浮かべたというのに。


『やっぱり嘘。ユラン、私に何を隠してるの……?』

『え……』

『だって、ユラン無理して笑ってるでしょ……!』

『……っ、そんなことは──くっ』


 否定しようとソファから立ち上がった瞬間、ユランは腹に激しい痛みを覚えて顔を歪めた。咄嗟に腰を丸め、腹を手で押さえる。

 リズリーは『やっぱり痛いのね……!?』と心配そうに眉尻を下げて、ユランに手を伸ばした。


『ユラン、勝手なことしてごめんね。私の勘違いだったら、後でちゃんと謝るから……!』


 リズリーはそう言って、ユランの服を少し捲り上げた。

 そして、そこに見える赤黒くなった鞭の跡を見て、リズリーは空いている方の手で口元を手で押さえた。


『ひ、酷い……こんなこと誰に、って……まさか、伯爵夫人に……?』

『違うんだ、これは……』

『だって、そうとしか考えられない……! 初めは新しい家族に慣れないだけなのかと思ってたけど、伯爵様が再婚なさってから、ユランはどんどん元気がなくなったもの! 今思えば伯爵夫人がユランを見る目はいつも……』


 リズリーの目には涙が、声には悲しみと罪悪感が滲む。

 彼女を悲しませることは本望ではない。更に言い訳が立たない程の鞭の跡(証拠)を見られてしまったのだ。


『隠していてごめんね、リズリー。実は……』


 ユランは父が再婚してから今に至るまでに起こった悲しい出来事を、ゆっくりリズリーに話していった。


 リズリーは『もっと早く気付いていたら……』と涙ぐんでいる。


 リズリーを傷付いてしまったことは悲しかったけれど、悲しみが共有できる相手ができたことは、嬉しくもあった。

 小さな変化に気づいてくれて、我事のように泣いてくれて……。そんな相手に出会えた自分の人生は、捨てたものではないなと思えた。


 だというのに、リズリーはユランの想像を超えていったのだ。


『こんなの、だめ……。ユランがこのままずっと傷つけられるなんて、私、嫌だ……!』

『リズリー! どこに……!』


 リズリーはそう言って部屋を飛び出すと、自らの母とユランの継母がお茶をしているテラスへと向かった。


『あの! お話があるのですが!』

『あら、リズリーちゃん、どうされたの? ユランと遊んでいたんじゃ?』


 ちょうどリズリーの母は席を外しており、そこには継母と数人の使用人の姿しかなかった。

 ユランがリズリーにようやく追いついたというところで、彼女は真っ直ぐな瞳で継母を見つめた。


『ユランのお腹の怪我を見ました』

『なっ』

『それに、他にもユランに酷いことしてるのも知っています。貴方が認めなくても、私のお母様や、ユランのお父様(伯父様)には全部話しますから……! 少しでも悪いと思っているなら、ユランに謝ってください……!」

『……っ、リズリー』


 バカ正直なリズリーの言動に。悲しそうで、それでいて怒りを表すリズリーの声に、ユランは無性に泣きたくなった。

 それと同時に、初めて芽生えた感情。目の前で必死に継母に立ち向かう少女に、ユランは急速に惹かれていくのを感じた。


『急に何を言い出すのよ! このガキ……!』

『きゃあっ……!』


 そんなリズリーを、事が明らかになるのを恐れた継母が殴るものだから──。


『は……? リズリーに、何してるの?』


 これまでの人生で一度も感じたことがないような感覚──腹の底から怒りが溢れ出すような感覚を、ユランは覚えた。

 これが、魔力なのだと……自身の秘めたる魔力が、怒りによって暴走しているのだと理解するのは、割と簡単だった。


『リズリーを傷つける奴は、許さない』

『きゃあっ!』


 暴走した魔力は継母の頬を掠め、彼女は恐怖から床に倒れ込んだ。その際頭を打ったからなのか、意識も失っていた。

 これで、もうリズリーが傷付くことはない。そう思い、ユランは安堵した。


『ユラン……!』


 けれど、その感情は束の間だった。

 背後からリズリーに名前を呼ばれたユランは、彼女の顔見ることができなかった。


(どうしよう……)


 自分のことだ。魔力暴走を起こさない程度にはコントロールできていると、感覚的に分かる。

 リズリーを傷付けたりなんてしないと、断言できる。


 けれど、リズリーに怖がられてしまったら?

 唯一悲しみに気付いてくれた彼女が、苦しみから解放しようとしてくれた彼女が、自分から離れていってしまったら?


『リズリー……僕……』


 そう思うと、情けないほどに声が震えた。手足の先が、氷のように冷たくなっていくのを感じた。

 けれど……。


『ユラン……! ありがとう……!』

『!』


 リズリーのその言葉が、笑顔が、ぎゅっと握り締められた際に伝わった温かな体温が、そんなユランの不安を簡単に拭い去ってくれたのだ。


 リズリーは当時、まだ七歳だった。ユランが魔力暴走を起こしたことも、それがリズリーに危険が及ぶかもしれないことも、彼女は分かっていなかったのだろう。


 けれど、その時のユランには、そんなことはどうでも良かった。


『でも、リズリーは頬に怪我を……』


 ただ、彼女に否定されないことが──。


『こんなの平気!』


 ただ、彼女の笑顔の先に自分がいることが──。


『わたしこそ、無茶をしてごめんなさい。それと、助けてくれてありがとう、ユラン』


 ただ、彼女が自分の傍にいてくれることが──。


『いいんだ。……これからリズリーのことは、僕が一生守るからね』


 たまらなく嬉しくて、愛おしさが込み上げた。

 愛する人を──リズリーを、自分だけのものにしたいと思った。

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