66話 引き千切られたモノ
◇◇◇
「ん……きもち、わる……い……」
ふっと意識が浮上した際、いの一番に襲ってきたのは気持ち悪さだった。幼い頃、馬車に酔った時の感覚に似ている。
リズリーは上半身を起こし、目覚めたばかりのぼんやりとした思考の中で、この気持ち悪さの原因を思い出した。
「そうだ……私、ユランに魔法をかけられて……」
突然バルコニーに現れたユランは、魔法紙を手に取っていた。ちらりと見えた術式と、今の症状から察するに、催眠系の魔法に間違いない。
催眠系の魔法にかけられた者が目覚めた際に気持ち悪さを覚えることは、術式絵師ならば誰でも知っていることだ。
「私を眠らせたのは、ここに連れてくるため……? それにしても、この場所って……」
今リズリーは、ふかふかのベッドの上にいる。
天蓋のカーテンは開いており、部屋の至る所には光魔法を使ったライトのおかげで、白い生地のピンクのレースをあしらった、とても可愛らしいベッドがよく見えた。
(なんだか、このベッドに見覚えが……)
リズリー自分が座るベッドに既視感を覚えながらも、そこから下り、部屋を見渡した。
ところどころに彫刻が施された白いテーブル、汚れ一つない真っ白なソファに、その上に置かれたピンクや水色、淡いベージュのクッション、その隣にはクマのぬいぐるみ。花の柄が織り込まれた絨毯に、薄ピンクのドレッサー。
その他、生活に必要なものは全て取り揃えてられており、全てリズリーの好みのものだ。……いや、厳密に言うと、幼かった頃のリズリーの好みのもの。
「そうだわ、思い出した……! ここは、フロイデンタール家の別荘の一つ……!」
まだ幼かった頃、リズリーとクリスティアはフロイデンタール家が所有するこの別荘に時折遊びに来ていた。寝泊まりもしていたから、フロイデンタール夫妻がリズリーたちに部屋も与えてくれていたのだ。
そして、リズリーの部屋がここだ。確か、この隣の部屋がクリスティアに与えられた部屋だったはず。
「うん、やっぱり間違いない……」
リズリーはソファの上に置かれたクマのぬいぐるみを手に取る。大きさ、手触り、表情、首元にあるピンクのリボン、全てが記憶通りだ。
「でも、どうしてユランは私をここに……?」
なぜ、わざわざこの別荘地に運ばれたのだろう。考えてみるものも、すぐに答えは出なかった。
(いや、待って。それよりも……)
リズリーはもう一度部屋を見渡し、覚えた違和感に表情を歪めた。
(どうして、こんなに綺麗なの?)
この別荘はここ数年使われていなかったはずだ。数年前にフロイデンタール家が手放し、それから買い手がついていないと、以前ユランから聞いたことがある。
けれど、この部屋には清掃が行き届いているのだ。埃一つ見当たらない。……いや、それだけじゃない。
経年劣化しているはずの家具も、よく見れば新品のように美しいのだ。
全く違う家具になっていれば、誰かがこの屋敷を買い取って新たに生活していると考えられるが、この部屋のどこを切り取ってもあの頃のまま。
「……でも、今は何よりもルカ様たちのもとに帰ることを考えないと」
違和感は一旦胸にしまい込み、リズリーはこの場からいち早く離れなくてはと思考を切り替えた。
自らに安全を確保したいというのはもちろんだが、何よりルカやクリスティア、仲間たちに心配をかけたくなかったから。
出口は二つ。廊下に続く扉と、中庭に出られる窓。
どちらから逃げようかと考えていると、不意に扉が開いた。
「ああ、もう起きていたんだね。おはよう、リズリー」
「ユラン……!」
無意識に、クマのぬいぐるみを持つ手に力が入る。
美しい笑みを浮かべて近付いてくるユランに対し、リズリーは表情を強張らせながら後退った。
「ふふ、怯えちゃって可愛いなぁ」
「っ、どうして、私をここに……!? ここは昔、フロイデンタール家が所有していた別荘でしょう!?」
問いかけると、ユランは花が咲いたように笑った。
「そうだよ。やっぱり覚えていてくれたんだね。嬉しいな。一年くらい前に僕がここを買い取って、僕と君が一生、一緒にここで快適に暮らせるように手直しを入れたんだ。ああ、大丈夫だよ。見ての通り、家具なんかはあの頃と同じものを揃えたから、リズリーの好みになっているだろう? 廊下や他の部屋もね、リズリーの好みになるよう改装してあるんだ。良かったら案内するよ」
「ま、待って……!」
一人で話を進めるユランを、リズリーは慌てて制した。
(一生? 一緒に? 暮らす?)
彼は、何を言っているのだろう。リズリーは、恐怖からゾクリと背筋が粟立つのを感じた。ギュッと、抱え込むようにクマのぬいぐるみを抱き締めた。
顔を真っ青にするリズリーを見つめながら、ユランはゆっくりとした歩調で彼女と距離を詰めていく。
「ごめんごめん、先走っちゃって説明が分かりづらかったよね」
「説明、って」
「だからね? これからは、この屋敷に僕とリズリーは暮らすんだよ。一生、二人で、一緒にね。とっても素敵だと思わない?」
ぽとりと、手からクマのぬいぐるみが滑り落ちた。
ユランの穏やかな笑顔が、綿菓子のような甘い声が、この現状が、ユランが冗談を言っているわけではないのだと打ちのめしてくる。
ユランは、本気だ──。
「いや……っ」
再び後退れば、背中にはひんやりとした壁を感じた。
これ以上、後ろにはいけない。横に避けて窓から中庭へ逃げようか、ユランをうまく避けて、廊下へと続く扉まで走ろうか。
とにかく、どうにかして逃げないと、もう二度とこのままここから出られない気がする。
「あはは、その顔……どうやってここから抜け出そうか考えてるのかい?」
「……!」
しかし、甘かった。
リズリーが思考に意識を捕らわれている間に、ユランは目の前まで距離を詰めてきていた。
そして、リズリーの両側にユランの両腕が伸ばされ、退路を断たれてしまっていた。
「っ」
「相変わらず、リズリーは甘いなぁ」
「離れて……ユラン!」
リズリーはユランの胸板を押すが、彼はびくともしない。
力の差を圧倒的なほどに感じ、絶望した。
「リズリー、無駄な抵抗はやめなよ。僕だってあんまり無理強いはしたくないんだ」
「やめて……!」
「ふふ、そういう反抗的な君も愛しているけれど、そろそろ良い子になってほし──あ?」
「……?」
優しかったユランの声が、急に低くドロドロとしたものに変わった。
ユランの視線はリズリーの胸元に向けられており、彼の変化のきっかけが何なのか、気付くのは簡単だった。
「……このネックレス、まだ着けてたの?」
「だ、だってこれは、ルカ様からいただいた大切なものだもの」
「……はは。あいつもこれも、ほんとに忌々しいな」
ユランはリズリーの胸元に手を伸ばす。
リズリーは咄嗟にネックレスを庇おうと手を出したがそれは簡単に跳ね除けられ、ユランはネックレスのユニコーン部分を思い切り掴んだ。
「こんなもの、君にふさわしくない……!」
「やめて……!」
ブチブチと、チェーンの部分が切れる音がした。
リズリーの声は彼に届かず、ネックレスは引き千切られ、ユランによってベッドの直ぐ側の床に投げつけられていた。
「……っ」
リズリーはすぐさまネックレスを拾いにその場に行くと、床に膝をつけて座り込んだ。
まずはユニコーン、その後に千切れたチェーンも一つ残さず手に取り、大事そうにぎゅっと握り締める。
「申し訳ありません……ルカ様……」
「……ほんと、ムカつくなぁ」
ユランはゆっくりとリズリーのそばに近寄ると、彼女の二の腕を掴んで無理矢理立ち上がらせた。
「リズリーは、僕だけを見ていれば良いのに」
「きゃっ……!」
そして、ユランは近くにあるベッドへとリズリーを投げつけ、彼女の上に跨った。
リズリーは驚きと恐怖から、体がカタカタと震えた。
「やめて……! どうして、こんなことを……」
「ん……? まだ分かんない? 何度も好きって伝えてるのに?」
「だから、ユランが本当に私のことを好きなんだとしたら、なんでこんなことをするのかって聞きたいの……!」
リズリーの問いかけに、ユランはふふっと笑う。
「……リズリーは真っ直ぐな子だから、そりゃあ僕みたいな歪んだ人間のことは分かんないか。そもそも、僕が君のことを好きだっていうのも、今まで全然気付かなかったもんね」
「…………」
「いいよ、全部教えてあげる」
リズリーの乱れた前髪を直しながら、ユランは語り始めた。




