61話 気持ちの乱れ
◇◇◇
祝勝パーティーから早一週間。
クリスティアは未だに、アウグスト邸でお世話になっていた。
「リズリーと一緒に食べる朝食は、格別に美味しいわ」
というのも、リズリーの呪いが解けていない状態で屋敷に張られている結界の外に出ると、クリスティアはまた呪いの影響を受けてしまうからだ。
二度とリズリーを嫌うのも、傷付けるのも耐えられないからと、クリスティアはルカに少しの間世話になりたいと頼み込んだのだ。
もちろんだ、とルカは快諾。
クリスティアは体調不良を理由に、文書で第一魔術師団に休暇届を出し、今に至る。
ユランに対して怒りと同時に恐怖心を抱いていたクリスティアは、彼に顔を合わせずに済むようになったことにホッと胸を撫で下ろしていた。呪い返しについても、リズリーが望まないならば好きなようにするべきだとも言ってくれた。
そんなクリスティアとリズリーは現在、姉妹水入らずで朝食をとっていた。
「私もよ、クリスティアお姉様! でも、朝食が美味しいのはシェフの腕がいいからよ?」
「それはもちろん分かっているわ。……けれど、本当に美味しいんだもの。またリズリーとこんなふうに喋りながら楽しく食事ができるなんて、夢みたいだわ」
「私も、本当に、本当に嬉しい……!」
呪いに関する記憶が残っているため、かなり沈んでいたクリスティアだったが、ここ数日でかなり明るくなった。
もちろん、リズリーに対して罪悪感を、自分に対してはどうしようもないほどの怒りを抱えているのは間違いないだろう。
けれど、ようやく、こうしてまた姉妹で仲良く話すことができる。
そのことに、クリスティアは素直に幸せを感じられるようになっていた。
「それじゃあ、お姉様、早速行きましょうか」
「そうね! でも、今さらだけれど本当に良いのかしら? 私まで研究室に入らせてもらうなんて……」
食事が終わった後、研究棟の方に向うべく渡り廊下を歩いていたところ、クリスティアが不安げに眉尻を下げる。
リズリーはクリスティアの背中を軽くぽんぽんと叩き、にこやかに笑ってみせた。
「ルカ様が許可してくださったんだから、大丈夫! それに、ジグルドさんやゼンも、ぜひって言ってたでしょう?」
少しの間、アウグスト邸でお世話になることが決まったクリスティアだったが、彼女もリズリーと同じで労働を求めた。なんせクリスティアはリズリーと違ってルカの婚約者でもないのだから、それは自然のことだった。
しかし、クリスティアは戦闘の前線に出る第一魔術師団のエースのような存在。
魔力量と戦闘センスは大したものだが、術式を描くことに関してはてんでセンスがなかった。
研究や後方支援を主な仕事としている第二魔術師団には、術式絵師のリズリーはまだしも、クリスティアのようなタイプはあまりできることがないように思えたのだが……。
「おっ、二人ともやっときたな!」
研究室に入ったリズリーたちが「おはようございます」と挨拶した直後、ものすごい勢いでこちらに走ってきたのはジグルドだった。
「「ジグルドさん、お疲れ様です」」
「おー、お疲れ様。来て早々悪いんだが、リズリーちゃんはゼンを手伝ってやってくれねぇか? んで、クリスティアちゃんはこっちな」
「え、ええ。分かりました……って、ジグルドさん! あまり引っ張らないでくださいまし!」
「いいからいいから!」
クリスティアはジグルドに手を引かれ、半ば無理矢理一旦研究室を後にする。
リズリーはそんな二人の姿に微笑んだ後、ゼンのもとへ向かった。
「ゼン、昨日話してた術式を手伝えば良いかな?」
「うん、そうだよ。それにしても、ジグルドさん、クリスティアさんに対して馴れ馴れしすぎない? 大丈夫なのかな、あれ」
ゼンが指差す方向は、研究室の窓から見える広場だ。そこで、ジグルドが次々にクリスティアに術式を渡し、魔法の効果を確認しているようだ。
あの場所は普段、魔法の訓練場として使われている。魔法を打ち消す結界が張られているので、結界の外に魔法の被害が及ぶことがない仕組みになっているのだ。
ルカはもちろん、普段はほとんど戦闘をしない第二魔術師団の面々も、ときおりあそこで訓練しているのを見かける。
「ふふ、大丈夫大丈夫。お姉様は嫌なことは嫌ってはっきり言う人だし、むしろ仕事をもらえて助かってると思う。お姉様は魔力が多いから、かなりの術式を発動してもあまり負荷はないはずだし」
「それなら良いけど」
その会話を最後にリズリーは着席し、ゼンに頼まれた術式をすらすらとつらねていく。
(これが終わったら少し手が空くから、呪い返しが起こらない術式を考えて、それから──……)
手を動かしながら、今日やることを反芻する。
そして、それが終わると目の前の術式に意識を集中しよう……とするのだけれど。
(やっぱり……好き)
美しく並ぶ文字や記号。どれか一つでも欠けると、魔法が発動しなかったり、効果が変わってしまったりする。術式は難しいけれど、奥が深いものだ。
リズリーはまるで取り憑かれているように、そんな術式が好きでたまらないけれど、今は意識が他所に向いてしまっていた。
(ルカ様……)
ユランへのままならない思いを掬い上げてくれたあの日から、リズリーは無意識にルカを目で追ってしまっていた。
それまではルカを好きな気持ちに蓋をしなければと思っていたこともあって、自分の感情をそれなりにセーブできていた。
時折、どうしようもなく思いが込み上げてくることもあったけれど、その度に胸の奥にしまい込んでいられたというのに。
(私、どんどんルカ様を好きになってる)
いつか溢れ出して、彼を困らせてしまうくらいに。
(それは、絶対に嫌だ……。そもそも私は仮初の婚約者でしかない。呪いが解けたらそのお役目さえなくなってしまう身で、ルカ様に思いを伝えるなんて、そんなの……)
絶対にあってはならない。
リズリーがそう自身を言い聞かせていると、ふと手元に影が差した。
「リズリー、今描いている術式のことなんだが──」
「きゃあっ」
「!」
突然背後から話しかけられ、リズリーは肩を大きく揺らした。
振り向かずとも分かる。背後にいるのは頭を悩ませる原因である思い人だ。
(ど、どうしよう! 今絶対顔が真っ赤だ!)
赤くなっている顔を見せるのも嫌で、リズリーは失礼は承知で机に向かった姿勢のまま、「な、何でしょう!?」と声を上げた。
「あ、ああ。今描いている術式の、水の魔法属性について──……」
「あ、ここはですね……!」
しかし、振り向かないのは悪手であった。
リズリーは自分の手元にある魔法紙に背後から手が伸びてくるとは思わず、ルカが指摘する箇所に手を動かしてしまったのだ。
「「あ……」」
ちょこん、と二人の指先が触れる。
これまで指先が触れるどころか、頭を撫でてもらったり、エスコートの際に彼の腕に手を回したり、抱き締めてもらったこともあったというのに。
「〜〜っ、ルカ様! この箇所については後ほどしっかり説明いたしますので……!」
「リズリー!?」
リズリーは背後にいるルカに椅子が当たらないようにだけ気をつけると、思い切りその場から逃げ出した。
「おー。おーおーおー。やっぱ、あの反応は絶対そういうことだな」
研究室に一人戻ってきたジグルドは、嬉しそうに独りでに呟いた。




