60話 それでも貴方は、掬ってくれる
◇◇◇
「お姉様……ゆっくり休んでね。また後で」
パタン、と扉が閉まる音が響く。
ひとしきりクリスティアからユランの話を聞いた後、ルカと共に彼女の部屋を出たリズリーは、ただただ廊下を歩いていた。
「「…………」」
互いに無言のまま、歩き続ける。
ルカは何か話題を……と隣に歩くリズリーを見るが、彼女の顔を見たら、何も言えなかった。
(ユランが、憎い……。ずっと、味方だと思っていたのに……!)
自分だけでなく、愛する姉──クリスティアのことも傷付け、更にルカまで殺そうとしたユラン。
彼は、味方のフリをしてずっと側にいた。
ルカとクリスティアの推測が正しければ、信じがたい言動の全てがリズリーへの恋心からきているという。
自分がルカを思う“恋”とかけ離れたそれを、リズリーは信じることはできなかった。
ただ、理由は何であれ、ユランがやったことは許されるものではない。
少なくとも、クリスティアを傷付けたことや、ルカを殺そうとしたことは絶対に許せなくて……。
(……いっそ、あの術式の開発なんて、やめてしまえば──)
奥歯をギリ……と噛み締める。
やや俯いて歩き続けていると、「待て」とルカに声をかけられた。
「そのまま歩くと、扉にぶつかるぞ」
「あ……」
そう言われて前を向けば、自室の扉があった。
どうやら考え事をしながらでも、足は勝手に自室に向かっていたらしい。
この屋敷で世話になってから半年にも満たないが、すでに自分の脳内に戻る場所として刷り込まれているようだ。
「申し訳ありません、ルカ様。危うくぶつかってしまうところでした」
「いや」
「一旦部屋に戻っても良いでしょうか? 少し頭がぐちゃぐちゃで」
「それはもちろんだが……」
今、うまく笑えているだろうか。そう自身に問いかけて、ルカの心配そうな顔が答えなのだろうとリズリーは思った。
あんな話を聞いたばかりなのだ。優しいルカを騙せるほどの笑みを浮かべられるわけがなかったのだ。
「……では、失礼します。少し休んだら、研究室に顔を出しますね」
ルカにこれ以上余計な心配をかけたくないし、少しひとりになりたい。
リズリーが逃げるように部屋に入ると、扉が閉まる直前、閉まらないように彼の手が扉に伸ばされていた。
「リズリー、少し待ってくれ」
「え……」
「お前はさっき、何を考えていた」
ルカも部屋に入ると、静かに扉が閉まった。
切なげな声で問いかけてくるルカに、リズリーは胸が詰まる感覚を覚えた。
「ユランが、憎いなって……」
「ああ、それは当然だな」
「それで……その……」
リズリーは僅かに言い淀んだが、隠すことではないと口にすることにした。
「術者に呪い返しが起こらない、解呪の術式を考案するのをやめようかと、考えていました……」
それは、ユランがリズリーを呪った犯人なのかもしれないと疑いが浮上した時だった。
リズリーはユランへの様々な感情やクリスティアのこと、今後しなければならないことを考えながら、同時に呪い返しが起こらない術式を考案したいと思っていたのだ。
たとえクリスティアの代償契約を解いても、その状態でリズリーの呪いを解けば、術者のユランに呪い返しが起こるのは間違いない。呪い返し──つまり、ユランに待っているのが、死だったからだ。
ユランが何故呪いを使うに至ったのか。何故クリスティアを利用したのか。
憎しみよりも先にそれらの疑問が先にあった当時のリズリーは、ユランに死んでほしくなかった。
当時は、そう……思っていた。
(……けれど、今は違う)
直に彼と対峙し、狂気的な言動を目の当たりにし、涙するクリスティアを目にしたら、ユランが憎くてたまらなくなった。
何故、あんな人のために未だに自分は呪われているのだろう。
もう、解呪の術式は完成しているというのに。ユランに呪い返しが跳ね返るのは、当然の報いではないか、と。
「お前がそう思う気持ちは分かるつもりだ。必要なら、今すぐにでも解呪の術式を発動させよう。……だが」
「…………」
ルカはリズリーの顔にそっと手を伸ばし、彼女の目元に優しく指を這わせた。
「本当に、それで良いのか」
「……っ」
それなのに、何故、こんなに涙が溢れるのだろう。
「ユランが、憎い、んです。それは、本当で」
「ああ、分かっている」
「許せ、ないし、ユランが呪い返しのせいで、どうなっても、自業自得で」
「……ああ」
「けど……」
何故こんなにも、笑顔のユランばかりが、優しかった彼ばかりが頭に浮かんでくるのだろう。
あんなに酷いことをされたのに。自分も、自分の大切な人たちも、傷つけられたのに。
「ユランに、死んでほしくない……っ」
──それでもなお、そう願ってしまうのだ。
「リズリー」
悔いるように言葉を吐き出したリズリーに、ルカは凪いだ声で名前を呼んだ。
彼はこちらをジッと見つめ、目元に寄せた手で、やや雑に涙を拭った。
「自分の気持ちを否定する必要はない。いくら憎んでも、リズリーがこれまでの思い出の全てを捨てられるような女じゃないことは分かっている」
「ルカ様……」
「……俺もできることは手伝うから、呪い返しが起こらない解呪の術式の考案を続けよう。な?」
「……っ、でも」
リズリーは眉尻を下げる。
ルカはリズリーの目元からゆっくりと手を下ろし、彼女の鼻先を優しく指先で弾いた。
「いたっ」
驚いて自分の鼻先を守るように両手で覆えば、ルカは少し高い位置から優しく微笑んでいた。
「俺はもちろん、お前のことを愛してやまないクリスティア嬢も、リズリーが決めたことならきっと理解してくれる。だからほら、さっさと泣きやめ」
「〜〜っ、は、はい」
甘ったれたことを言うなと叱責するでもなく、好きにすればいいと突き放すでもなく、ルカはいつも寄り添ってくれる。
言葉だけでは言い表せれない感情を、掬ってくれる。
(私……やっぱり、この人のことが好きだ……)
想いを閉じ込めたはずの蓋が、僅かに開いた瞬間だった。




