59話 こんなに人を憎んだことはない
「約三年前……あれは、リズリーが呪われた日の、前日のことです」
その日、クリスティアは早めに仕事を終わらせ、ユランが暮らすフロイデンタール伯爵家へ赴いていた。
明日、十五歳を迎えるリズリーの誕生日パーティーを開くため、ユランとその打ち合わせをするつもりだったのだ。
顔見知った使用人たちに歓迎されたクリスティアは、ユランの部屋へと向かった。幼い頃からリズリーとよくこの屋敷には遊びに来ていたので、慣れたものだ。
『ユランは……と、いたいた』
ユランの部屋をノックしようとした時、彼の部屋の扉が開いていることに気付いた。覗き込めば、机に向かい、なにやら微笑んでいるユランの姿が見える。
──屋敷内とはいえ、まったく、不用心ね。
クスクスと笑みを零し、クリスティアはユランに声をかけようと息を吸い込んだ、その時だった。
『……ようやく完成した。ふふ、明日だ……。ついに明日、この呪いの術式を発動させることができる』
『!?』
クリスティアも、呪いについて噂程度には聞いたことはあった。けれど、呪いなんて過去の産物だったはず……。
しかし、ユランが独りでに冗談を言うような人間ではないことをクリスティアは知っていた。
それに、ユランの歪んだ笑みが、冗談を言っているようには思えなかった。
『“対象が周囲に己への憎しみの感情を与える”呪い……。まさか、第二魔術師団の書庫にこんな素晴らしい呪いの術式が眠っているだなんて……』
『……!』
『これで、彼女の周りにいる鬱陶しい人間どもを全て排除することができる』
ユランは魔法紙をうっとりとした眼差しで見つめている。
(憎しみ……? え……? つまり、呪われた人は周りから嫌われてしまうってこと……? 彼女って誰……?)
いや、今はそれを考えている場合じゃない。
ユランが本当に呪いを発動しようとしているならば、絶対に阻止しなければ。
(まずは、ユランのご両親にこのことを伝えて……それから──)
クリスティアは相当な実力を持っているが、ユランに敵わないことは分かっていた。それに、できるだけ手荒な真似ではなく、説得でどうにかしたい。
だからこそ、クリスティアは一旦この場を離れて、ユランの両親を呼びに行かなければと思っていた。
『リズリー……』
『え……』
そう、思っていた、のに──。
『これで君が十八歳になるまで誰にも奪わせない。リズリーは、僕のものだ』
『……っ、ユラン!!』
ユランが呪いたい相手が愛する妹だと知ったクリスティアに、冷静さなんてなかった。
勢いよく部屋に入ってユランのもとに駆け寄れば、彼は一瞬驚いただけで、すぐさま余裕げな笑みを浮かべた。
『貴方……っ、リズリーを呪うつもりなの……!?』
『盗み聞きなんて、品がないよ、クリスティア』
『はぐらかさないで……! さっきまでの話は本当なの!?』
怒りで頭がおかしくなりそうになるのと同時に、クリスティアは願わずにはいられなかった。
(ユラン、冗談だと言ってちょうだい──)
けれど、現実はクリスティアに無慈悲だった。
『ああ、そうだよ。この呪いの術式をね、リズリーに使うつもりなんだ』
『……っ、本当、なの……? なん、で……』
嘆くクリスティアに対して、立ち上がったユランは悪びれる様子なく彼女を見下ろした。
『あーあ。クリスティアが盗み聞きなんてしなければ、明日の誕生日パーティーの後までは呪わないでいてあげようと思ったのに。君のせいで計画を少し早めなきゃいけなくなったじゃないか』
『……!』
『さて、早速今からリズリーのところへ行って、この術式を発動してもらわないとね』
『……っ、そんなことはさせないわ! ユラン! 貴方を絶対にリズリーのもとには行かせない!』
クリスティアは術式を描かれた魔法紙を手に取り、戦闘態勢に入った……はずだった。
『カハッ……!』
気付いた時には、ユランの手がクリスティアの首に伸ばされていた。
クリスティアが持っていた魔法紙は地面に落ち、離してくれとユランの掴むが、それ以上の力で首を絞められてしまう。
クリスティアは必死に酸素を求めながら声にならない声を上げた。
『ハァ……まったく、騒ぎを大きくしないでよ。……クリスティアって本当に昔から邪魔だよね』
『……っ……ハッ……』
『僕ね、お前が大嫌いなんだ。何の苦労もなく、ずっとあの子のそばにいるなんて……。まあ、でもいいや。どうせ、それも今日までだし』
ユランはそう言うと、クリスティアの首から手を離し、彼女の腹部を思い切り蹴り飛ばした。
『うっ……!』
うめき声を上げ、床に横たわるクリスティアにユランは近付いていく。
彼は、呪いとは別の術式が描かれた魔法紙を持っていた。
クリスティアは痛みで顔を歪めながらも、ユランをキッと睨み付けた。
『ふはっ、無様だねぇ、クリスティア。……そんな様子じゃあ僕を止められないね? ……でも、その姿に免じて一つ勘違いを教えてあげる』
『……っ?』
『リズリーに呪いをかけるのは僕じゃない。お前だよ、クリスティア』
『!?』
その瞬間、クリスティアは先程のユランの言葉を思い返した。
──『さて、早速今からリズリーのところへ行って、この術式を発動してもらわないとね』
クリスティアの顔がさあっと青ざめる。
ユランはくくっと厭らしく笑い、術式に魔力を注ぎ始めた。
(ま、て……待って……!)
『クリスティア、今日だけはお前がいてくれて良かったと思うよ。愛する妹──リズリーに、世界で一番恨まれてくれ』
『や、め……っ』
語り終わったクリスティアは、怯えながら自身の首を擦った。
「それから私は、洗脳魔法をかけられて、その後に代償契約を結ばされた。そして、帰宅した後、ユランに渡されていた術式を使って、リズリーに呪いをかけたの」
「……っ、なんてことを……!」
リズリーは全身震えた。
ユランがクリスティアにしたことは分かっていたつもりだったけれど、首を絞めていた上、そんな残酷な言葉までかけていたなんて──。
「酷い……酷すぎる……っ」
リズリーはドレスをの布を力強く握り締めた。
クリスティアがそんなリズリーの手にそっと自身の手を重ねる。
黙って聞いていたルカは、クリスティアにこう尋ねた。
「これまでの推測、ユラン・フロイデンタールの言動、クリスティア嬢の話から察するに、あの男がクリスティア嬢を相当憎んでいたことは間違いない。一応聞くが、そこまで恨まれるようなことをした覚えは?」
「いえ、ありません。ただ、ユランの言葉からして、リズリーと仲の良い私に嫉妬以上の感情を抱いていたんたんだと思います。だから、私に洗脳魔法をかけてリズリーを呪わせ、私が憎まれるよう仕組んだ。……おそらくユランは──」
クリスティアは一瞬間を開けてから、再び口を開いた。
「リズリーを、愛しているんじゃないかと思います」
「お姉様、そんな、わけ……っ」
「……昔から、ユランは私よりもリズリーに会えるほうが格段に嬉しそうでしたし、“誰にも奪わせない”“リズリーは、僕のものだ”という言葉。そして、“十八歳になるまで”というのは、婚約者になれる年齢を指しているんじゃないかって。……リズリーにも思い当たるところがあるんじゃない?」
クリスティアに指摘され、リズリーは体をぴくりと震わせた。
「た、確かに……私が呪われてから、ユランは何度も僕の家に来たら良いって言ってくれた……昨夜なんて、結婚、しようって……。でも、おかしいよ……! こんなの、普通じゃない……!!」
「「…………」」
(私を好きだから、クリスティアお姉様を嫌った? だから、洗脳魔法や代償契約で、お姉様を苦しめた? そのせいで、お姉様はあんなに泣いて、悔やんで、一生消えないかもしれない傷を心に負ったのに? 好きだから……? 好き、なのに……?)
全ての人の愛が、純愛じゃないことくらいリズリーは知っている。愛が人を醜くすることがあることくらい、我が身をもって分かっている。
けれど、それでも──。
「私は、ユランが憎い……っ、私の人生をめちゃくちゃにするだけじゃなくて、クリスティアお姉様を傷付けたユランが、憎い……!」
人生で、初めてだった。
こんなにも、誰かを憎いと思ったのは。




