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58話 代償契約の破棄

 

 ◇◇◇



「おそらくだが、クリスティア嬢に呪いの記憶が残っているのは、洗脳魔法のせいだろう」

「……!」


 クリスティアが落ち着きを取り戻したのは、彼女が涙を見せてからしばらくした頃だった。

 リズリーはクリスティアを支え、彼女とともにソファへ腰へ下ろす。

 そして、向かいのソファに座ったルカがおもむろに言った言葉に、リズリーは目を見開いた。


「確かに、考えられますね……」

「ああ。呪いと洗脳魔法を同時に使用した前例はないはずだから、詳しく調べてみないことには分からないが、その可能性は十分ある」


 ルカはそう言うと、悲しげな表情でクリスティアを見つめた。

 クリスティアの涙は止まり、先程よりも幾分か落ち着いたように見えても、真っ赤になった目や涙の跡が痛々しい。


「クリスティア嬢、なんと声をかければ良いか分からないが……その、大丈夫か。……リズリーを嫌っていた頃の記憶が残っているなんて、きついだろう」

「……いえ。泣いたら、少しスッキリしました。リズリーを傷付けてしまった過去の自分のことは一生許せないし、憎い。……でも、一番辛い思いをしたのは、リズリーですから」


 クリスティアはくしゃりと顔を歪めると、リズリーに再び謝罪した。深く頭を下げ、震える声で「ごめんなさい」と口にする彼女に、リズリーはすぐさま口を開いた。


「クリスティアお姉様、本当にもう謝らないで……! 悪いのはユランよ……!お姉様は何一つ悪くないの! だから、ご自分のことを、許してあげて……」

「リズリー……。でも、私は……」


 リズリーは、クリスティアの性格をよく知っている。

 どれだけ自分のことを大切にしてくれていたか、よく分かっている。

 だからこそ、クリスティアの心の傷が、それこそ彼女の言うように一生癒えない可能性があることも、分かっている。けれど……。


「きっと大丈夫。時間が経てば、少しずつ自分を許せるようになるから。もしも一生、お姉様が自分のことを許せなくても、私がお姉様を許すから……」

「うっ、ううっ……」


 また涙が溢れそうなクリスティアの目元に、リズリーはそっとハンカチを当てた。


「もう、綺麗な顔が台無しよ?」

「リズリーの方が私の何百倍も可愛いわよ……! それに優しくて、真面目で、とっても良い子で、貴女が描く術式が世界で一番素敵なんだから! リズリー……大好きよぉ……。貴女は、世界で一番大切な、私の妹なんだから……」

「お姉様……」


 愛する姉、クリスティア。

 彼女の口からそんなふうに言ってもらえる未来が来るなんて、少し前までは夢にも思っていなかった。


(これも全て、ルカ様や第二魔術師団の皆さんのおかげね)


 ルカやジグルド、シルビアたちにも改めて礼を伝えなきゃと思っていると、ルカが微笑ましい目でこちらを見つめながらも、いつ口を開こうかタイミングを計っている様子が見えた。


「ルカ様、どうかしましたか?」

「……すまない。話の腰を折って悪いんだが、まずはクリスティア嬢自身に代償契約を破棄してもらうのはどうかと思ってな」

「た、確かにその通りです!」


 クリスティアの涙を見たら、すっかりそのことを忘れてしまっていた。

 リズリーは反省しつつ、クリスティアにこれからユランと結んだ代償契約を破棄してほしい旨を伝えた。


「驚いた……。私がユランに代償契約を持ちかけられたことも知っていたのね」

「うん。これまで確証はなかったんだけど、昨夜、お姉様が気を失っている間にユランが自分のしたことを自白したの」

「……そうだったの。でも、代償契約を破棄するにしても、ここにはその術式が……」


 クリスティアの言葉を遮るように、ルカは懐から紙を取り出して口を開いた。


「それなら大丈夫だ。ここに代償契約を破棄するために必要な術式が書かれた魔法紙がある。これはリズリーが描いたもの。念の為に俺が預かったんだ」


 クリスティアはルカの手から魔法紙を受け取ると、深く頭を下げた。


「ありがとうございます。頂戴いたします。……リズリーも、ありがとう」

「ううん、私がしたくてやっていることだから。洗脳魔法から目覚めたばかりでいろいろ整理できてないこともあると思うけど、早速試してほしいの。代償契約を結んだままじゃあ、今後私にかけられた呪いが解けても、呪い返しの代償がお姉様に向かってしまうから」

「ええ、分かったわ」


 コクリと頷いたクリスティアは、ルカから受け取った魔法紙に魔力を注ぎ込む。

 すると、代償契約を破棄するための術式が書かれた魔法紙は、みるみるうちに塵へと化した。


 ルカは安堵の表情で、リズリーたちを見つめた。


「代償契約の破棄は、これで完了だ。もうクリスティア嬢に被害が及ぶことはないだろう」

「良かった! お姉様、良かったね……!」

「アウグスト公爵様、リズリー……本当に、ありがとうございます」


 それから少しの間、リズリーたちの間には温かな空気が包んだ。

 久しぶりにクリスティアが笑顔を向けてくれる喜び。たくさん話ができる嬉しさ。クリスティアが洗脳魔法と代償契約から解放された安堵。

 昨夜とは打って変わって、リズリーはこれ以上ないくらいに穏やかな気持ちでいられた。


「そういえば、呪い返しが私に及んでいなかったということは、リズリーにかけられた呪いはまだ解けていないのよね?」


 悲しげに問いかけてくるクリスティアに、リズリーはできる限りの笑顔を浮かべる。


「うん。でも、この屋敷の周りには対呪いの結界が張ってあるから、ここにいれば誰も私の呪いの影響を受けないみたい」

「ああ、だから私も前みたいにリズリーに接することができるのね! ……でも、リズリーの呪いが解けていないとなると……一体どうしたら……」

「そのことなんだけど、実は解呪の術式はできているの」


 クリスティアが目を見開く。

 リズリーの肩にがっと手を置いた彼女は、興奮を隠しきれないようだった。


「それなら、今直ぐに解呪すれば……!」

「それは可能なんだけど……その……」


 言い淀むリズリーに、クリスティアは少し間を置いてからハッとした。

 二人はずっと支え合ってきた姉妹なのだ。解呪の術式があるのに、リズリーが今直ぐにそれを使わない理由くらい、手に取るように分かった。


「リズリーは優しいものね……。それに相手はユランだもの。貴女がやりたいようにやれば良いわ」

「クリスティアお姉様……」

「ただ、これだけは聞いてほしいの」


 クリスティアは真剣な表情で、リズリーを見つめた。


「私には、この三年間の記憶が全て残ってる。……つまり、呪いに関わるユランとのやりとりなんかも全て、覚えているわ」

「!」

「とはいえ彼はリズリーを呪った明確な理由は言ってなかった。……でも、ユランがなぜリズリーを呪ったのか、そのヒントくらいにはなると思う」

「……っ」


 ずっと知りたかったことだ。答えに近づけるなら、知りたいとリズリーは思う。と同時に、なぜか心は知りたくないと叫んだ。

 現実を知るのは怖くて、心のどこかで、まだ優しいユランでいてほしかったのかもしれない。


(でも、聞かなきゃ……前に進めない)


「教えて、お姉様」


 リズリーは覚悟を決めたのだと声色から察したクリスティアは、彼女からルカへと視線を移した。


「分かったわ。アウグスト公爵様も、良ければ一緒に聞いてください」

「……良いのか?」

「もちろんです。貴方様はリズリーの婚約者で、この件とは無関係ではありませんし、第三者の意見もお伺いしたいですから」

「分かった。聞こう」


 クリスティアは一度深呼吸をしてから、三年前のあの日のことを話し始めた。

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