54話 所有物
「うそ、よね? 何か、事情があるのよね……?」
覚悟は、していたつもりだった。ユランが犯人じゃないと信じていながらも、それが覆される可能性が高いことはしっかりと理解しているつもりだった。
「どうして、ユランが……っ」
けれど、実際にユランの口から真実を聞くと、覚悟も理解も、ガラガラと音を立てて瓦解した。
彼の言葉が嘘だと思いたいという、愚かな感情が胸を支配する。
「嘘なんかじゃないよ、リズリー。君だって、僕が犯人なんじゃないかって疑っていたから、あんな話をしたんだろう?」
「それも、あるけど……っ、私は、ユランに否定してほしかったの! ユランの口から、僕は犯人じゃないって、無関係だって聞きたくて……貴方を、信じたくて──!」
まるで、駄々をこねる子どものように思いの丈をぶつけるリズリーと、全てを悟って見守る親のように落ち着いた笑みを浮かべるユラン。二人の間には、交わることのない温度差があった。
リズリーを呪っておきながら、これまでずっと平然とした態度でいたように、ユランにとっては己が犯人であると明らかになったこの状況も、冷静さを崩さずにいられるようなたわいのないことなのか。
(どうして……どうして……!)
リズリーはガラリと音を立てて椅子から立ち上がると、ぎゅっとドレスの布を握り締め、ユランに睨み付けた。
「なんで私を呪ったの!? 今まで優しかったユランは、全て嘘だったの……?」
「…………」
「ねぇ、答えてよ! ずっと、ずっと、貴方のこと信じてたのに……っ」
気を抜けば、泣いてしまいそうだった。
呪われてからの三年間、唯一の光だと思っていた相手が、自らを地獄へ突き落とした犯人だと自白したのだから、当然と言えば当然だろう。
(……でも、だめ。しっかりしなさい、リズリー)
けれど、今泣いても、何も解決しない。
気を強く持ちなさいと自分に言い聞かせ、リズリーは深い笑みを浮かべたままのユランに問いかけ続ける。
「呪いをかけたいと思うほど、ユランは私のことが嫌いだった……? そんなに、私のことが憎かったの……?」
「……ふふ」
「笑わないで……! それに、どうしてクリスティアお姉様に洗脳魔法をかけたの!? 解呪された際の呪い返しを想定して代償契約を結ばせなければいけなかったとしても、なぜお姉様を選んだの……!?」
呪いの術式を発動するには、確かにかなりの魔力量が必要になる。
しかし、第一魔術師団副団長のユランならば、呪いの術式を発動させることができる魔力量を有した人間を何人も知っているだろう。部下にも当てはまる人はいるはずだ。
たとえその人物がリズリーと関わりがなかったとしても、ユランが仲介すればどうとでもなったはず。
それなのに、ユランは敢えてクリスティアに洗脳魔法をかけ、代償契約を結ぶ相手に選んだ。
(私が知る限り、ユランとクリスティアお姉様は仲が良かったはずなのに──)
とはいえ、リズリーはたった今、信頼していた従兄に裏切られたところだ。
自分がこれまで見てきたユランとクリスティアの関係性は当てにならないのかもしれないと考え、返答を待つ。
対して、ユランは顎に手をやってクスクスと小さな笑い声を漏らしてから、立ち上がった。
「簡単なことだよ。クリスティアを使ったのは、あいつが邪魔だったから」
「……!」
頭一つ分ほど低いリズリーを見下ろし、ユランは淡々と話す。
「邪魔って、どういう……」
ユランがクリスティアに対して良い感情を抱いていないことくらいは分かるが、いかんせん、その返答では細かい部分が全く分からない。
訝しげな表情を浮かべていたリズリーだったが、突然伸びてきたユランの手が自身の手首を捕らえたことに、目を見開いた。
「なっ、何っ……いたっ」
ユランに思い切り掴まれた手首に、キシキシと骨が軋む音が聞こえるほどの力が込められる。
リズリーは痛みで顔が歪んだ。けれど、決して心は屈しない。
「やめて! 離して、ユラン」
自分の力では振りほどけないと察したリズリーは、ユランをキッと睨み付けた。
「はは、リズリーにそんな目を向けられたのは初めてだ。怒っていても、君は美しいんだね」
「ユラン……! 今は冗談を言ってる場合じゃ──」
「酷いなぁ。これまでも、全部……全部、本気なのに」
「え……」
ユランはニタァと口角を上げ、恍惚とした眼差しでリズリーを見つめる。
(な、に、その顔……)
まるで湯悦に浸っているような、そんな顔だ。
逆上されるより、嫌悪の目を向けられるより、得体のしれないユランのそれに、リズリーは背筋が粟立った。
「いやっ……いや……!」
彼の側から、離れなきゃ──。
本能的に感じ取ったリズリーは、ユランに掴まれている手首への圧迫が少しばかり緩んだ瞬間、ガゼボの外に走り出そうとした。
「こーら、だめじゃないか」
しかし、再び手首が捕らわれてしまう。更にガゼボを支える柱に背中を押し付けられ、追い込まれてしまった。
「っ、離して……!」
「はは、怒りながら怯えてるの?」
カタカタと身体を震わせるリズリーに笑みを零したユランは、掴んでいたリズリーの手を彼女の頭上へ運んだ。
空いている方の手でもう片方のリズリーの手も彼女の頭上へと誘い、ユランは片手で彼女の白くて細い手首を纏め上げた。
「やめてったら、ユラン!」
「リズリー、あんまり暴れないで。君の弱い力じゃあ、腕一本の俺の力にさえ敵わないって分かるだろう?」
「っ」
背中にはガゼボの柱。目の前にはユラン。両手は頭上で拘束され、ほとんど身動きが取れない。
どうにか逃げなければと足を動かそうとしたのだが、ユランの足がドレス越しにリズリーの膝を割って身動きを防いだせいで、それさえも叶わなかった。
「ねぇ、リズリー」
ユランの空いている方の手が、リズリーの顎へと伸びてくる。
力強い力で手首を拘束してくる人間とは思えないほどに、その手つきは壊れ物を扱うかのように優しかった。
「僕たち、結婚しよう?」
「!? な、何を、言ってるの……?」
呪いをかけるような相手に求婚するなんて、どうかしている。何か裏があるのかもしれない。
探るような目でユランを見つめ返すが、彼の恍惚とした眼差しが崩れることはなかった。
「昔、約束したでしょう? リズリーのことは僕が守るって。だから結婚しようよ、ね?」
「意味が分からないわ……っ、何を、言って……」
「あはは、いきなりのことで混乱しているんだね。お人好しで、愚かな僕のリズリー。呪いのせいで、皆から嫌われて、可哀想にね」
「……っ、それも全部、ユランが仕組んだことなんでしょう!?」
──ユランが、おかしい。彼が何を考えているのか、全く分からない。
抵抗しなければと、リズリーはできる限り身動いだが、ユランは薄く笑うだけだった。
「ああ、そうだよ。けど、安心して? 僕だけはずっと、リズリーを愛してあげるか……は?」
しかし、次の瞬間だった。
不意にユランから零れた、氷のような冷たく、それでいて乾いた声。眉間には皺が寄せられ、愉悦に溺れたように細められていた瞳には、静かな怒りが滲んでいた。
「……なんで、リズリーがそんなものを着けてるの?」
「え?」
ユランの視線の先は、リズリーの胸元だった。
真珠のネックレスの下に重ねられた、銀色のチェーン。抵抗した際にドレスの胸元から出てしまったのか、チェーンの先端についているユニコーンのモチーフが見えてしまっていた。
「それって、筆頭魔術師だけがもらえるものだよね? 確か、ブローチと対になってるんだっけ」
「う、うん……。ルカ様がくださって、それで……」
「……へぇ」
ユランはそう言うやいなや、リズリーの顎にやっていた手を下ろし、彼女の胸元を人差し指でトン、と叩いた。
「あの男ムカつくなぁ。リズリーは、僕のものなのに」
「……!?」
「本当はここまでするつもりなかったんだけど、仕方がないよね?」
ユランは、まるで恋人を見つめるかのような甘い笑みを浮かべる。
その笑みに、リズリーはゾクリと身の毛がよだつ思いがした。
「結婚は後にして、先に既成事実を作っちゃおうか?」
「っ、離して……!」
リズリーの首筋に唇を寄せたユランは、ドレスの胸元の布に手をかける。
「やめて……っ、お願い、ユラン……!」
リズリーのありったけの拒絶や抵抗も、ユランにとっては意味をなさない。
恐怖から喉がキュッと詰まるのを感じながらも、リズリーは今自分が出せる一番大きな声で叫んだ。
「いやぁぁ……!」
「──ズリー……!」
聞こえたのは、ザザッと誰かが近づいてくる足早な音と、聞き慣れた声。いつもは少し無愛想な低いその声は、今は激しく動揺していた。
「リズリー! 大丈夫か……!」
「ルカ様……っ」




