53話 願望と現実
◇◇◇
「わぁ、綺麗……!」
パーティー会場の扉から出た先に広がる庭園。
ユランの言う通り、そこは夜でも花が楽しめるよう明かりが灯されている。神秘的なその美しさにリズリーは目を奪われた。
「でしょう? 絶対リズリーは喜んでくれると思ったんだ。それに、パーティー参加者のほとんどは会場内にいるはずだから、ここならリズリーが嫌な思いをせずに済むと思ってね」
「……ありがとう、ユラン」
「当たり前のことしただけだよ。リズリーは僕にとって大切な人だから」
にこりと微笑むユランに、リズリーも微笑み返す。
しかし、今日のパーティーは、以前行われた竜の討伐任務の成功を祝うためのものだ。
第一魔術師団の副団長であるユランが会場を抜け出していいものなのか。
不安に駆られたリズリーが問いかければ、彼は団長さえいれば問題ないと答えてくれた。
「そっか。それなら良いんだけど」
「うん。だから、もう少し歩かない? 庭園の奥に、ガゼボがあるみたいなんだ」
「ええ、大丈夫」
会場から、徒歩で十分ほどは離れた距離にあるガゼボ。
あれが何の花だとか、今日のドレスが似合っているだとか、そんな当たり障りのない会話をしていれば、目的地に思いのほか早く到着した。
ガゼボは六つの柱を軸に作られたもので、中心には丸テーブル、その周りを囲むように四つの椅子がある。
「さあ、どうぞ」
「ありがとう、ユラン」
ユランに手を引かれ、リズリーは椅子へと腰掛ける。
リズリーの右隣の椅子に腰を落としたユランは、やや低いトーンで「……それで」と話を切り出した。
「どうしてアウグスト公爵と婚約したの? それに手紙には呪いを解くために協力をしてもらえると書いてあったけれど、そもそも呪いをかけられた君に、そんなふうに手を差し伸べてくれたのは何故なんだ?」
「それは……」
「何より、相手はあのアウグスト公爵だよ? あまりこんなことは言いたくないが、彼に纏わる悪い噂は一つや二つじゃない。私利私欲のために呪いの研究をしているという噂もあるし……。ごめんね、リズリー。僕は、君が心配なんだ」
「…………」
ルカのことをよく知らない人物からすれば、その心配は尤もだった。
リズリーだって、ルカの噂を全て真に受けていたわけではないにせよ、やはり目にした時は恐怖心を抱いてしまったものだ。
(けれど、今は違う。ルカ様と共に暮らすことで、彼が呪いの研究をしていた理由も、不器用だけれどとても優しいことも知ってしまった)
だから、ユランにもそのことを分かってほしい。全てを話して、安心させてあげたいと思う。
しかし、ルカが魔力の流れが見える目を有していることや、彼に呪いが効かないことは話せない。
屋敷の周りに対呪いの結界が張られていることや、ミリアムが過去に呪いを受けていたこと、ミリアムの呪いを解くためにルカがこれまで研究に勤しんできたことも、ルカが公にしていないことを勝手に話すわけにはいかなかった。
「ごめんなさい、ユラン。詳しいことは話せないんだけど、その、自然の流れでルカ様とは婚約して……。ルカ様を含め、屋敷の皆さんは本当に私に良くしてくれているから、安心してほしい」
「…………」
「それにね、ルカ様が呪いの研究をしているのも私利私欲のためなんかじゃないわ。あのお方はとても優しい人で──」
「ねぇ」
ユランがリズリーの言葉を掻き消した瞬間、ひゅるりと冷たい風が吹いた。
「話せないなりの事情があるんだろうけど、それじゃ納得できないよ。さっきも言ったけど、僕はリズリーが心配なんだ」
風のせいでリズリーの髪は乱れ、右頬から唇にかけて横髪がくっついた。
けれど、リズリーは乱れた髪を直さなかった。いや、直そうなんて思考になるほどの、余裕がなかった。
(こ、わい)
ユランの言葉は今まで通りとても優しいものだったのに、一切温かさを感じられないような、冷たい声だったから。
眉尻は心配を表すかのように下がっているのに、眼差しには嫌悪や苛立ちが滲んでいたから。
「……っ」
リズリーが息を呑むと同時に、頬に伸びてくる、ユランの左手。
きっと乱れた髪を直そうとしてくれているのだろう。
頭ではそう分かっている。
けれど、言葉と声色や表情がちぐはぐなユランに、先程リズリーが感じた恐怖心が膨れ上がった。
更に、その恐怖心はパーティー会場でユランと再会する前までリズリーが抱えていた疑念も増幅させていった。
(私が知っている優しいユランは、本当の彼なの……? やはりルカ様が言うように、ユランが本当に犯人なの……?)
そんなはずはない。ユランは犯人なんかじゃない。
リズリーは、これまで何度もそう思おうとしてきた。……いや、今だって、そう思おうとしている。
けれど、直にユランの冷たい声を聞いてしまったら、嫌悪や苛立ちが滲んだ目を向けられてしまったら──。
「……っ、いやっ」
咄嗟のことだった。リズリーは自らの頬に伸びてくる彼の手を、パシリと払い除けた。
「あ……」
「…………」
ユランは目を見開き、信じられないと言った表情で見つめてくる。
傷付けてしまったと気付くのに、そう時間はかからなかった。
「ご、ごめんなさい、ユラン……。あ、あの……」
「……いや、大丈夫だよ。突然触れようとしたから驚いたんだよね? むしろごめんね、リズリー」
頭を下げたリズリーに聞こえてきたのは、今まで聞き慣れた、穏やかなユランの声だった。
リズリーはホッと胸を撫で下ろすと同時に、自らの愚かさに胸が痛む。
(……私、最低だ)
ユランを信じたいと思うのに、信じきれずに拒絶して。彼の穏やかな声を聞くと、やっぱり犯人じゃないのかもしれないと、手のひらを返したようにまた信じようとして。
(このままじゃ、だめだ)
核心を突くのは、どうしたって怖い。もしもユランが犯人だったらと考えただけで、心が悲しみで震えそうになる。
けれど、こんな罪悪感と疑念を持ったまま、彼とは付き合えない。それに、中途半端な気持ちのままユランと接して、これ以上彼を傷付けるわけにはいかない。
「ユラン、私からも話したいことがあるの」
顔を上げたリズリーの真剣な表情に、ユランは少し考える素振りを見せてから、「どうしたの?」と柔和な表情で答えた。
「ユラン、前に言ったよね? 自分自身に呪いや精神魔法を跳ね返すような魔法をかけてある、って」
「うん、言ったね」
「私ね、ルカ様に言われて気付いたの。呪いは、いかなる精神魔法でも対抗できないって」
「…………」
ユランは黙ったまま、穏やかな表情を一切崩さない。
(どうして、何も言ってくれないの……?)
焦ることも、言い訳をすることもしないユランに、リズリーは言いようのないざわつきを胸に覚えた。
「それとね、私は今第二魔術師団の呪いの研究に携わらせてもらっていて、文献も読ませてもらったんだけど、『対象が周囲に己への憎しみの感情を与える』という呪い──つまり、私にかけられた呪いに酷似した術式が描かれていたページが紛失していたのを見つけたの。外部の人が盗んだとしたら、可能性があるのは一人しかいないという結論にたどり着いたわ」
「…………」
これにも、ユランは何も答えない。
勘の良いユランが、これらの言葉の意味が理解できないはずはないというのに。
「あと、私に呪いをかけたと思われていたクリスティアお姉様だけど……何者かによって洗脳魔法を施されていた可能性があることが分かったわ」
ずっと笑っているユランに、彼が何を考えているのか分からないことに、不安から声が震える。
「洗脳魔法を扱える人物は、魔術師の中でもほんの一握りだけ……。お姉様に洗脳魔法を施し、私を呪わせたのは……ユラン、じゃ、ない……よね?」
早く、否定して。早く、疑うなんて酷いじゃないかと怒って。──お願い、早く。
「ねぇ、ユラン……っ」
想いが溢れて、縋るような声で彼の名を呼ぶ。
ユランは今までよりも一層笑みを深めて、子をあやすような声でこう言った。
「そうか。そこまで分かってたんだね」
「え……」
「今日会った時からリズリーの様子が変だったから、もしかしたらとは思っていたんだけど……もう潮時かな」
「ユ、ラン……?」
ひんやりとした風のせいで、嫌というほどに頭は冴えているはずなのに、彼が言っていることがいまいち頭に入ってこない。
目を丸くして唇を震わせるリズリーに、ユランはまるで愛を囁くほどに甘い声ではっきりとこう告げた。
「君の言う通りだよ。リズリーに呪いをかけた本当の犯人は、僕だ」




