40話 直ぐに迎えに行くからね
──同時刻、フロイデンタール伯爵邸のユランの部屋には、バタン! という大きな音が響いた。
「……扉の開け方が雑だなぁ」
次期伯爵として領地に携わる書類を処理していたユランは、筆を一旦置くとゆっくりと立ち上がる。
そして、扉の前でふーふーと鼻息を荒くする女の側まで歩いて行くと、静かに扉を締めて、鍵をかけた。そして、冷ややかな瞳でその女を見つめた。
「何の用で来たの? クリスティア」
「うう……っ、リズリー……リズリーの……っ、のろ、い解いて、といて、よぉ……っ」
どこか目は虚ろで、呼吸が浅くて早い。
そんな中で、リズリーの呪いを解いてくれと懇願するクリスティアに、ユランは呆れたように笑みを浮かべた。
「……。驚いた。洗脳魔法が解けかかってるね。凄い精神力。でも外で変なこと言わないほうが良いよ? 君が変人扱いされるだけだから」
ユランが淡々としそう伝えれば、クリスティアは悔しそうに顔を浮かべる。
「ほんと、無駄に精神力が強いよね、クリスティアって。君はリズリーの呪いの影響を普通に受けているはずだし、僕の洗脳魔法でより一層リズリーを嫌うはずなのに。……ふふ、微笑ましい姉妹愛だね」
ユランがそう言うと、クリスティアは一瞬鋭い目つきでユランを睨みつけてから、頭を抱えるようにして両膝を床につけた。
ユランは小さく口角を上げて、くつくつと喉を震わせる。
「あ……っ、頭が、いだぃィィ……っ」
「あはは。精神力だけで僕の洗脳魔法に抗うからだよ。やめておいたら?」
「ぐぁぁぁぁぁあ……っ」
「ほらあ。抗うから痛いんだよ? 言葉通じないの?」
「ゔぁぁっ!!」
「………………。ハァ」
痛みから解放される方法を教えても、未だに苦痛に顔を歪めるクリスティアに、ユランは大きな溜め息をこぼした。
呆れたというよりは、不快だというような感情を露わにして。
「……ムカつくなぁ」
ユランはポツリと呟くと、近くにあった魔法紙と魔法ペンを取ってすらすらと術式を描いていく。
それが出来上がると、未だしゃがみこんでいるクリスティアにそれを向け、低い声で言い放った。
「仕方がないから、洗脳魔法を重ね掛けしてあげるよ。今度は精神力なんかじゃ抗えないくらい、しっかりとね」
「いやっ……いやぁっ!! リズリー……っ、リズリー──……」
最後に、もう一度だけ妹の名前を口にしたクリスティアは、洗脳魔法の影響で一時的に意識を失い、床に倒れた。
この状態のクリスティアを強制的にラグナム家に送り返せば、何かしらの噂を立てられてしまう可能性があるだろうか。そう考えたユランはクリスティアをその場に放置すると、先程まで座っていた席に腰を下ろす。
クリスティアをソファに寝かしてあげたり、風邪を引かないよう何かを掛けてあげるという選択肢は、毛ほどもなかった。
「ハァ……それにしても、色々と思い通りに行かないな。クリスティアの洗脳は解けかけるし、あの男──ルカ・アウグストは、未だにリズリーの側にいるようだし……」
背もたれに体重をかけたためか、ギシ……という軋む音を部屋に響く中、ユランはテーブルの上を人差し指でとんとんと繰り返し叩く。
その時、カーテンが開いた窓を見つめるユランの琥珀色の瞳は、青白く光る月明かりに塗り潰されるみたいに、鈍い輝きを見せた。
「わざわざ洗脳魔法をかけて部下の一人に討伐対象だった竜をルカが召喚したという噂を流させたのに、上手く躱されてしまったし……殺し屋に襲わせたのに返り討ちに遭うし……使えない奴らばかり。……まあ、相手は筆頭魔術師だから、それほど過度には期待していなかったけどさ」
だから、殺し屋たちにはルカを殺しそこねた場合には自害するよう洗脳魔法をかけておいたのだ。万が一捕まって拷問され、口を割られてはたまったものではないから。
「それにしても──……」
ルカは夜空を見つめながら、ポツリとその名を呼んだ。
「リズリー、どうして君は、未だにあの男の所にいるんだ? 呪いはきちんと発動し、家族にも、使用人たちにも、職場の人間にも、順調に嫌われて孤立していたはずなのに──」
もしかしたら、自分が考えている以上に第二魔術師団の呪いの研究は進んでいるのだろうか。そのせいで、ルカはリズリーの呪いの影響を受けていないのではないか。
そう考えると、リズリーが未だにルカのもとにいること、彼女の紙に書かれていた丁重な扱いを受けているということにも納得がいく。
ユランは、テーブルに置いてあったペンを、手の甲に血管が浮かび上がるほどに力を込めて握りしめた。
「……まあ、全部予想に過ぎないけどね。……とはいえ、それが本当なら──」
──ガンッ!!
持っていたペンをテーブルに突き刺すように振り下ろすと、今度はそれを壁にめがけて投げ付ける。
カツンと、音を立てて床に落ちたペン。ユランはそれを何の感情も籠もっていないような瞳で見つめてから、もう一度彼女の名を呼んだ。
「リズリー……」
そのとき、ユランは笑みを浮かべる。
薄っすらと目を細め、厭らしく口角を上げたその表情は見たものを恐々とさせるような、おぞましいもので、リズリーには決して見せないようにしてきたものだ。
「そろそろ君を、返してもらわないとね」
表情とは裏腹に、ユランは優しい手付きで、テーブルに置かれている写真立てを手に取る。
そこに映るのは、幼き自身と満面の笑みを浮かべているリズリーだ。
「……ふふ。必ず迎えに行ってあげるから、待っていて。僕のリズリー」
確実に狂気をも孕んだ声色でそう呟いたユランは、その写真立てに映るリズリーにそっと口付けを落とした。




