38話 我慢はもう、しなくていい
その日の夜、リズリーは緊張で中々眠る事ができなかった。
毎年誕生日は家族やユラン、使用人たちが盛大に祝ってくれていて、明日がその誕生日だったからだ。
(ふふっ、楽しみだなぁ)
大きな誕生日ケーキに、テーブルには並びきらない程のご馳走。皆から生まれたことを祝福され、またリズリーが皆に感謝をする日でもある明日に、どれだけ胸踊らせていただろう。
そんな明日が来ると、何一つ疑いもせずに、ベッドの中で眠りに就こうとした、そんなとき。
『リズリー、入るわよ』
『クリスティアお姉様……? うん、どうぞ』
少し低いクリスティアの声に少しだけ違和感を持ちながらも、リズリーは上半身を起こす。
クリスティアは朝食後直ぐどこかに出かけていて、夕食のときにも顔を合わせていなかったので、半日ぶりになるだろうか。
『どうされたのですか? お姉様』
『あんたに、用があってね』
『……?』
クリスティアから、あんたなんて呼ばれ方をしたリズリーは戸惑いを持ちながらも、その人物が大好きな姉──クリスティアだったために、そう深く考えることはなく。
むしろ、明日の自身の誕生日会への何かしらの布石として、少し低い声だったり、無骨な呼び方をしているのではと考えていたくらいだった。
しかし、そうではないのだと悟ったのは、クリスティアがベッドの横にまで歩いてきたとき。クリスティアの手に持ったランプのぼんやりとした明るさが、彼女の表情を照らしたときだった。
『……っ? クリスティアお姉様……? あの、どうされたのですか……? 顔が少し、その、怖い、です』
まるでそれは、嫌悪や憎悪を体現したような表情だった。クリスティアに──いや、誰かにこんな表情を向けられたことが人生で一度もなかったリズリーの心臓はドクドクと嫌な音を立てた。
『おねえ、さま……?』
問いかけても何も答えてくれず、かと言って表情を明るくしてくれるわけでもないクリスティアに、リズリーの中には困惑だけでなく、得体のしれない恐怖のような感情が渦巻く。
(おかしい……何だかお姉様がおかしい……!)
本能的にそう感じたリズリーは、クリスティアの様子がおかしいことを両親に伝えなければと思って立ち上がろうとした。
しかしその瞬間、クリスティアがランプを持つ手と反対の手に持っていた魔法紙を取り出した。リズリーからは術式が描かれた側は見ることは叶わなかったけれど、気を取られて立ち上がるのを一旦停止した。
それが、地獄の始まりだと知りもしないで。
『リズリー、あんたに呪いをかけてあげる。誰からも愛されず、関わった人物全員に嫌われる、そんな素敵な呪いをね?』
『……えっ?』
──貴方は本当に、私が知っているお姉様なの?
そう、リズリーが思ったのと同時に、クリスティアは手に持った魔法紙に魔力を流し込んだ。
すると、その魔法紙からは禍々しいオーラのようなものが湧き出したと思ったら、それは突然リズリーに襲いかかるように絡みついたのだった。
『きゃあっ……! 何これ……っ、お姉様助けてぇ……!!』
形を成していない黒いオーラのようなものに纏わりつかれ、リズリーは恐怖に満ちた声を吐き出す。
しかし、部屋に響いたのは、そんなリズリーの声だけではなかった。
『……うっ、ああああぁ……!!』
『……っ、おねえ、さま……?』
纏わりついてくる黒いオーラの隙間から見えるのは、両膝をついて悶え苦しむクリスティアの姿。
頭が痛いのか、両手で頭を抱えるようにして呻き声を上げている様子は、尋常ではなかった。
『お姉様……! どこか痛いのですか、お姉様……っ!!』
『ぐぁぁぁあ……!!』
(一体何が起こっているの……!?)
もう意味が分からない。クリスティアの態度も、言葉も、この状況全てが分からなくて、リズリーの頭の中はパンク寸前になりそうになって俯いて目をぎゅっと瞑る。──けれど。
『リズ、リー……っ』
痛みがあるのか、やや掠れてはいるけれど、先程までの冷たくて低い声色とは違うクリスティアの声に、リズリーはハッとして、クリスティアへと視線を向けた。
『お姉様……?』
そして、そのときのクリスティアの表情に、リズリーは目を見開いた。
『ごめん、ごめんね……っ』
そう、謝罪を口にしながら、クリスティアはポロポロと涙を流していたから。
『どう、して──』
いつもと違う様子だったのは何故なのか。どうして呪いをかけたのか。
──何で最後に、泣いたのか。
(ああ、意識が薄れる──……)
疑問は何一つ解けていないというのに、呪いの影響なのか、そこでリズリーは意識を失った。
そして次の日、リズリーは誕生日を祝われることはなかった。
◇◇◇
「──私は、実の姉に呪われたんです。でも、あの涙を……謝罪を……思い出すと、お姉様が自分の意思で私を呪ったなんて信じられなくて……っ、私たちは昔から、本当に仲が良かったから……」
「…………それは、辛かったな。よく話してくれた。ありがとう」
あの日の出来事を打ち明けると、覚悟はしていたはずなのに、心の奥底にしまい込んであった悲しみや切なさが溢れ出てきてしまいそうになる。
けれど、リズリーは目頭をギュッと指で掴むことで込み上げてくる熱いものを必死に我慢しながら、言葉を続けた。
「それに、お姉様は術式が描けません……っ、そんな人が、一人で呪いの術式を準備することなんて出来ないんです……っ! だから、もしかしたら誰かに脅されて、とか、何か深い事情があって呪いをかけざるを得なかったんだって、思って……っ」
当時、唯一呪いの効果がないユランにもこのときの事情と自身の考えを説明したけれど、あまり同意は得られなかった。
むしろ、クリスティアが誰かを脅して呪いの術式を描かせた可能性があるのではないかと指摘されたくらいだ。
「分かっているんです……この考えに、私の希望的観測が入っていることは……っ、お姉様に嫌われていたことを認めたくない気持ちが、そうさせていることも……けれど、私は……っ!」
確かに、ユランが言う可能性だって無いわけじゃないことは分かっている。
けれど、どうしてもそうだとは考えられなくて、考えたくなくて、感情のままにルカに話した、のだけれど。
「──ああ、分かった」
「……っ」
「俺はクリスティア嬢と話したことがないから彼女の本心は分からないが、お前たち姉妹の仲が良かったことも、クリスティアが望んでリズリーに呪いをかけたのではない可能性があることも、ちゃんと伝わったから、大丈夫だ」
「……うっ、……っ」
そのとき、リズリーの手に重ねられていたルカの手に僅かに力が込められ、優しく握り締められる。
リズリーの言葉をそのまま素直に受け取ってくれたルカの優しさと、その手から伝わってくる温もりにまた涙が出そうになるのを必死に堪えていると、ルカがポツリと呟いた。
「──ずっと思っていた。どうしてリズリーは、そんなに泣くのを我慢するんだ」
「えっ……」
「今だけじゃない。この屋敷に来てから、お前が何度も泣きそうになっているのを見てきた。その度に、目頭を指で摘んで必死に堪えているのも気付いていた」
「…………そ、れは……」
リズリーは言おうか言うまいか一瞬悩みながらも、真摯に向き合っているルカに隠すようなことではないからと、唇を震わせた。
「私……呪われて直ぐの頃……お姉様や両親の前で泣いてしまった事があるんです。お願いだから元に戻ってよって、言いながら」
「……ああ」
「けど、泣いても何も変わらなくて……いえ、むしろ、泣く姿が鬱陶しいとか、余計にイライラすると言われてしまって……っ」
リズリーは天を仰いで、また目頭を摘む。気を抜けば、泣いてしまいそうだった。
「だから、泣くのを我慢するようになったのか」
「っ、はい。少しでも、嫌われたく、なくて……っ」
「…………っ」
気持ちを吐露すると、余計に目に涙が浮かんだ。
視界が歪んで、瞬き一つで涙が零れ落ちそうになる。
(だめ、泣いちゃ……だめなの。我慢しなきゃ……っ)
呪いで嫌われているのだから仕方がないと割り切れるほど、リズリーは強くなかった。
家族の心無い言葉を直ぐに忘れられるほど、切り替えが上手くもなかった。
だから、その代わりに自身がこれ以上傷つかなくて済むように──大好きな人達から、これ以上嫌われなくて済むように、絶対に泣かないと、誓ったはずなのに。
ルカは、リズリーが目頭を摘んでいる手をそっと掴むと、その手も優しく包み込んだ。
「……俺は、これから何があってもリズリーを嫌いになんてならない。たとえ大声で泣き叫ばれても、鼻水でぐちゃぐちゃになった姿を見ても、絶対に嫌いになんてならない」
「…………っ、だめ……で、す」
もう、何も言わないでくださいと伝えるつもりだった。だというのに、リズリーが言葉を飲み込んだのは。
「もう我慢しなくて良い。……大丈夫だから、泣け」
繋がれた手を解かれたと思ったら、次の瞬間、ルカに力強く抱き締められていたから。
「……っ、う、あ……っ、うああああああっ……!!!!」
それからリズリーの涙はしばらく止まることはなかった。
ルカの服に涙が付いてしまうとか、泣き顔を見られて恥ずかしいとか、迷惑をかけてしまうだとか、そんな考えは全て忘れて。
──ルカの腕の中で、まるで子供みたいに泣きじゃくった。
あれからルカは、頭を撫でたり、背中を擦ったりしながら、泣き止むまでずっと抱き締めてくれていた。




