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26話 貴方の悲しみを少しでも減らしたいと願う


 ──ああ、何て優しいのだろう。


 他人のことを思って心を痛めるルカの姿に、リズリーはまるでお日様のような暖かな愛おしさが込み上げてくる。


「……ルカ様が謝る必要はありません」


 やっと言葉を紡いだリズリーは、そう言って穏やかに笑ってみせた。

 ただでさえミリアムのことで呪いを嫌悪し、苦しんでいるルカの心を、少しだけでも軽くしたくて、感謝の気持を、伝えたくて。


「むしろ、私のことを考えてくださって、ありがとうございます。話してくださって、ありがとうございます。ルカ様がどうしてここまで呪いを憎んでいるのか、ようやく知ることができました」

「…………リズリー」

「ミリアム様のことで辛いのに、呪いが憎いのに、私のことも助けようとしてくださって、ありがとうございます。私、ルカ様に対して、感謝の言葉しか出てきません。……ルカ様は何一つ、謝る必要なんてないんです」

「……っ」


 そのとき、ルカが表情を歪める。それは不快だからではなく、込み上げてくるものを堪らえようとしているのだと察するのは容易だった。


(この方は、どれだけ苦しんで来たんだろう)


 リズリーだって呪われて辛い思いはしてきたけれど、ルカの苦しみはまた違うのだろう。


 妹が眠り続けている悲しみ、呪いを解いてあげられないもどかしさ、実母が病んでいくことを見る切なさ。

 そこに公爵として、そして筆頭魔術師としての重圧。悪逆公爵だなんて言われて、何も思わなかったはずはない。


 ──そんなルカの苦しみを少しでも減らしてあげたい。


 リズリーは膝の上で拳を力強く握り締めてから、意を決したように問いかけた。


「……あの、ルカ様、ミリアム様の呪いの術式を、私に見せていただくことは可能でしょうか? 研究室にあった術式の中には、眠り続けるような呪いのものはなかったように思うのですが……」

「あれは俺の部屋に保管してある。見せるのはもちろん構わないが」

「ありがとうございます! 拝見させてください。それと重ね重ね申し訳ありませんが、後で研究室の鍵を魔法で開けてもらっても構いませんか? 魔力がないと開かない仕組みなので」


 まだ研究室に残っていたジグルドたち数名の魔術師は、今は公爵邸の片付けを魔法を駆使して手伝っているらしいから、おそらく研究室には誰もいないだろう。

 そのため解錠を頼むと、ルカはコクリと頷いてくれたが、その表情は切なさそうなものだった。


「リズリー、お前のことだからミリアムの呪いを解こうとしているのかもしれないが、あれは無理だ。数を撃つしか方法はない」


 どこか諦めがちに淡々と話すルカに、リズリーはコクリと頷いて「分かっています」と呟く。


 何もリズリーだって、自分なら簡単に呪いを解けるなんて思っている訳じゃなかった。

 そもそも、筆頭魔術師であるルカが試行錯誤を重ねても中々解けていないのだ。簡単に解けるはずがないことは重々承知している、けれど。


「一つ、考えがあります」

「…………!」

「ですから少しだけ、私に任せてもらえませんか……?」


 ルカは無言で考える素振りをしてから、「お前には関係ないだろう」とぼそりと告げる。


 一見冷たい言葉に聞こえるけれど、本当は他人のことよりも、自身の呪いを解くことを優先してくれと言っているのだろう。ルカは、そういう人だ。


 けれど、ここで退くことなんて出来なかった。絶望の日々に手を差し出してくれた、いつも気遣って優しくしてくれた、術式絵師として認めてくれた、そんなルカの悲しさ、苦しさを、放っておくことなんて出来なかった。


 リズリーは、「それでも……!」と声を荒らげ、勢いよく立ち上がった。


「可能性がゼロじゃないのなら、試したいです。もしもミリアム様を救えるのなら、手を尽くしたいです。もしもルカ様の悲しみを減らせるなら、私、じっとなんてしていられません……!」

「…………っ」



 その後、無言だったルカが頷いたのは五分ほど経った頃だろうか。


「……済まない、頼む」


 そうポツリと呟いたルカに、リズリーは力強く首を縦に振った。



 ◇◇◇◇



「朝日が、眩しい……」


 そうポツリと呟いたリズリーの瞼は、ときおり閉じてしまいそうな危うさを孕んでいる。


 けれど、チュンチュンと小鳥のさえずりが聞こえる中、最後の術式を描き終えたリズリーは勢い良く椅子から立ち上がると、両手を天に向かって突き上げた。


「できたわー! 完成ー……っ!!」


 研究所の広いテーブルを埋め尽くすほどの魔法紙は、全てがうずたかく積まれている。


 リズリーはそれを見上げながら、穏やかに微笑んだ。


「これで、少しはお役に立てるかしら……」


 脳裏にルカの顔を思い浮かべながら、リズリーは壁に掛けてある時計を確認する。


 現在は午前七時。約六時間、ぶっ通しで術式を描いていたせいで流石に疲れたし、眠気が襲ってきている。

 術式絵師課で働いているときは度々徹夜をすることはあったが、公爵家に来てからは基本的にぐっすり朝まで眠れていたので、久しぶりの徹夜は体に堪えたようだ。


「もうルカ様は起きているかしら……バートンはもう起きているだろうし、ルカ様が起きていらっしゃるかを尋ねる? その前に私は少しくらい身なりを整えた方が良いかな……あっ、というか、ナイトドレスのままだわ!?」


 侵入者が現れてルカが対応に追われている中、部屋で待機していたリズリーは、シルビアの勧めもあってナイトドレスに着替えていたのだ。

 侵入者の件、そしてミリアムのことがあったので、自身がナイトドレス姿なことなどすっかり忘れて、ルカと話していたなんて今思い出すと恥ずかしい。


(……まあ、あの状況ではそんなことは些細なことだろうけれど)


 とはいえ、もう朝を迎えたのだ。流石にこの時間にナイトドレスを着たまま、ルカの部屋を訪ねるのは些か非常識なので、リズリーは一旦自室に戻ろうかと思っていると。


「リズリー、入るぞ」

「ルカ様……おはようございます」

「ああ、おはよう」


 研究室に入ってきたルカは、昨日とは違う格好をしている。どうやら朝の支度は済んでいるらしい。


 その一方で自身はナイトドレスのままなので恥ずかしさを覚え、リズリーは頬を赤らめた。


 そんなリズリーに、ルカはおもむろに自身のジャケットを脱ぐと、リズリーの肩に優しく羽織らせた。


「そんな薄着じゃ寒いだろう。着ていろ」

「あ、ありがとうございます……!」


(ルカ様の気遣い、今は本当にありがたいわ。寒くはなかったけれど、これで肌は大分隠せるもの)


 婚約者のナイトドレス姿にルカが頬をやや朱色に染めていることなど気付きもしないリズリーはホッと胸を撫で下ろす。


「まさか、というか……その姿を見れば歴然だが、夜通しここに居て……これを描いていたのか。ミリアムの呪いを、解くために」


 テーブル上の魔法紙に目を見開きながら尋ねてきたルカに、リズリーはコクリと頷いた。


「はい。必要だと思うものは全て書き終えることが出来ました……! あとはルカ様の魔力があれば、解呪を試せると思います……! 詳しくはミリアム様のもとに行ってから説明しますが……って、ルカ様……?」


 その儚げな淡紫色の瞳は、何を意味しているのだろう。

 こちらをじっと見つめたままのルカの姿がどうにも気になって言葉を止めたリズリーは、「あの……?」と問いかけた。


「頼むとは言ったが、こんなに術式を描くのは大変だっただろ」

「いっ、いえ! 全然ですよ! むしろ、ルカ様に頼むと言っていただいたので、描いている途中は疲れなんて一切感じませんでした……! それに──」


 リズリーは一度息を整えてから、少しだけ恥ずかしそうに再び口を開く。


「名ばかりでも、私はルカ様の婚約者ですもの。ルカ様の苦しみや悲しみは、少しでも減らしてあげたいです。私は術式を描くことしかできないけれど、それでお役に立てるなら、私──んぐっ!?」


 そのとき、ルカの手がグイと伸びてきたと思ったら、リズリーの口元を覆い隠す。


 素早く目を瞬かせたリズリーに、ルカは俯いて顔を見られないようにしてから、「もう良い」と呟いた。


「昨日もそうだが……十分伝わった。ありがとう、リズリー」

「……ふぁい」


 髪の毛から覗くルカの耳が真っ赤であったことに気付いたリズリーの頬は、ぶわりと熱を纏う。

 スッキリとした朝の空気のはずなのに、二人の纏う空気はどこか生温かかった。

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