第四話 天使を使役する者達 ②
十数歩ほど歩いたら目的地、確かに近いといって差し支えないだろう。
「いや、近すぎるでしょ……」
「こんな近くに……、全然気付きませんでした」
ナディアは再度この目的地の近さに突っ込みを入れ、アリシアはこれだけ近くにあったにも拘わらずその存在に気付けなかった事に、小さくない疑問を抱く。
そしてそれは、村長達も例外ではない。
「でっかい教会だな。ネルバんとこのやつより大きいんじゃねえか?」
「魔力の隠蔽に認識阻害……、かなり高度な結界魔法だな」
流石というべきか、村長とホシェルは既に落ち着きを取り戻し始めていた。
セト達よりも冒険者生活が長く、そして立派な大人だけあって、驚きには慣れているのだろう。
「気を付けろよ、結界を破壊したのは向こうにバレてる。すぐこっちに来るぞ」
落ち着かないセト達へと視線を向けながら、俺はそう言葉を掛ける。
すると三人の肩はピクリと跳ね、ぎこちなく各々の獲物を持つ手に力を込める。
──本来、この場にセト達が居るのは間違っている。
恐らく、村長から聞いた天使というのは、知能の低い下級天使だろう。
それだけならば、少し強い魔物と殆ど大差ない。
三人で協力し合って戦略的な戦闘に持ち込むことができれば、十分に勝ち目があるだろう。
しかし、相手にするのはそれだけではない。
その天使を【天界】から召喚した者達──人間との戦闘も考慮しなくてはならないのだ。
もし戦闘にでもなれば……いや、間違いなく戦闘になるだろう。
そうなれば、人を〝殺す〟ということも視野に入れなければならなくなってくる。
「危なくなったら、すぐに逃げるんだぞ」
これが守れなければ、今からでも村に戻さなければならない。
肝心な時に躊躇してしまえば、それが自分自身の首を絞めることに繋がって、命取りになることだって十分にあり得る。
「わかりました、危険だと思ったらすぐに逃げます」
セトの言葉とともにナディアとアリシアが静かに頷く。
此処まで来るまででも何度も確認を取ったが、やはりこいつらの意思は変わらない。
その事実に俺は、何故か頼もしいと感じてしまった。
それに一瞬遅れるようにして、聳え建つ教会らしき建物の門がギギギ……という鈍い音を立てながら左右に開いた。
振り返り、開かれた門を視界に捉える。
そこには、二十近くの真っ白な鎧を装備した騎士達が立っていた。
汚れ一つない鎧は、降り注がれる太陽の光によってより一層に存在を主張し、それが二十近くともなれば、かなりの迫力となる。
大きな教会といい白い騎士達といい、周囲を見渡すとどうしても違和感を覚えてしまう。
それに──。
「あの真っ白な鎧……」
どうしてか、見覚えがあった。
どこで見たか……そうだ、聖国へ帰るというルナを迎えに来た騎士達。
その者達が身に付けていた鎧と、目の前の者達が身に付けている鎧は、色もそうだが作りもとても良く似ている。
(まさか……)
だが、そんな事があり得るのか?
(此処は王国領土だぞ……)
それが確かであるのは、視界の奥に見える高さ十五メートルほどの壁が証明している。
あれは国と国との国境として造られているもので、その壁を越えた記憶がないということは、まだ此処はリーアスト王国の領土という証明だ。
だがしかし、あれはどう見ても……。
「何で此処に……、聖国の聖騎士が……!?」
「意味がわかんねえぞ……」
村長とホシェルもこれは予想外だったらしく、その場に立ち尽くしてしまう。
そして、やはりあの騎士達は聖国の騎士だったようだ。
セト達はというと、あまりよく分かっていないようだが……。
「取り敢えず、倒せば良いのよね!」
「早く妹さんを助けましょう!」
……まあ、やる気があるのは良いことだ。
難しい話をしている暇なんて取れないし、取り敢えずこいつらは放置という方向でいこう。
そんな時、不意に白い騎士達の隊列が左右に割れた。
そしてそこから、一人の老人が姿を見せた。
此方も同じように白を基調としたローブを羽織っており、手には立派な魔法杖が握られている。
「──何者ですか、あなた達は」
老人は、此方を一通り見回した後で、年相応のゆったりとした口調でそう問い掛けてきた。
「この教会には強力な結界を張ってあった筈ですが……、いったい誰がこれを?」
暫く、その場は静寂によって支配される。
「俺だ」
静寂を断ち切ってそう言うと、老人は俺に射抜くような目を向けた。
「……そうですか。では、あなた以外は殺しましょうか。さあ、此方に来なさい、あなたには利用価値があります」
「いきなり何を言うのかと思えば、俺に裏切れと言っているのか?」
俺だけを生かして、それ以外は皆殺し?
全く、冗談をつくならもっとましな、それでいて面白い冗談にしてもらいたいものだ。
「利用価値があるものは、それを使いこなせる者が利用する。……当然でしょう?」
「……何が当然だ。人をもの扱いしやがって……!」
ホシェルの言葉に、老人は全く耳を傾けようとはしない。
それが当然だと、本気で考えているからだ。
「さあ、此方に来なさい。そうすれば、あなたにも神の御加護が与えられることでしょう」
何が神の御加護が与えられる、だ。
それだと、信者じゃない者は神から見捨てられていると言っているようなものじゃないか。
控えめにいって、腐っている。
「そんな胡散臭い勧誘を、俺が受け入れるとでも思っているのか?」
「ならば、あなたも殺す他ありません」
そう言うと、老人は手に握られていた魔法杖を高々と掲げた。
会話という時間稼ぎがあったので、既に魔法杖には十分な魔力が込められており、それによって魔法はすぐに発動される。
「『ホーリージャベリン』」
老人が魔法名を口にすると、その周囲に十数もの輝く槍が生成される。
(聖魔法……!)
やはり、使えるのか。
「あれだけの数の魔法を、一回で……!?」
「早く防御魔法を!」
ナディアとアリシアは、これから繰り出されるであろう攻撃に備え、防御魔法を使おうと魔法杖に魔力を込め始める。
……だが、それをするには一足遅かったようだ。
二人の魔法が完成するよりも遥かに早く、輝く槍は此方に向かって打ち放たれたのだ。
「師匠!」
セトの声に答えるように、俺は右手をすっと前に突き出す。
……が、どうやらその必要は無かったようだ。
「──『アースウォール』ッ!」
瞬間、俺達の視界は地面から隆起した土の壁によって覆い尽くされた。
間を開けることなく土壁の向こうからは爆発音が聞こえ、次第に土壁に亀裂が入っていく。
後少しで土壁が破壊されてしまう──そこで漸く、相手の魔法が玉切れになったのか、土壁の向こうから聞こえてくる破壊音が収まった。
「ギリギリだったな」
そんな村長の声がしたかと思うと、制御を失った土壁はいとも簡単に崩れ落ちていった。
かなり無理をして魔法を発動させたのだろう。
「すまない、必要なかったか?」
「いや、助かった」
本音をいえば、必要なかった。
だが、今回に限っては大いに助かった。
今回はあまり一人での行動は控えようと思っていたからな。
俺の力なら誰とも協力せずとも、目の前の敵を蹴散らすのは造作もない。
しかし、俺は図らずも師匠という立場にある。
師匠というものは弟子を育てるにあたり、模範とならなければならない。
折角かけがえのない仲間達がいるんだから、仲間の存在を大切にせず、自分だけで解決するといった行動はこの場に相応しくない。
「村長とナディア、アリシアは騎士の足止めをしろ!」
「はい!」
「任せなさい!」
「了解した」
魔法使いにとって一番気を付けなければならないのが相手との距離だ。
これを詰められてしまえば、圧倒的不利になって泥沼になる、
「そんじゃあ俺達は肉弾戦ってことだな!」
「嗚呼、そうだ」
パシンと拳を打ち合わせたホシェルの言葉に、俺は頷く。
魔法使い、つまり後衛が足止めをして敵の隊列が崩れた隙に、一人ずつ仕留めていく。
「セト、いけるか?」
「……はい、大丈夫です」
顔に一瞬、恐怖が見えたが、それを振り払ってセトは言った。
少し遅れて、白いローブを着た老人がスッと此方に手を向けた。
それに答えるかのように、騎士達はザッと揃って踏み出した。
「来るぞ!」
同時に、騎士達は剣を抜き放ち、襲い掛かってきた。
しかしその進行は、一人の少女の魔法によって妨害される。
「『ファイアーボール』」
アリシアの放った十個のファイアーボールが騎士達の足元に炸裂し、爆発音とともに地面が抉られ、副産物として周囲に砂塵が立ち込める。
騎士に直接攻撃しなかったのは、自分がサポート役だということを意識しているからだろう。
「行きます!」
一番に飛び出したのは──セトだった。
視界が奪われて混乱している騎士達の中に、聖剣を構えて突っ込んでいったのだ。
単騎で飛び込んできたセトを、かっこうの餌とばかりに三人の騎士が剣を突き出す……が、セトはそれを身を屈めることによってあっさりと躱して見せた。
そして起き上がる勢いを利用して真正面にいた騎士を接近し、すれ違い様に聖剣を振り抜いた。
「なっ……ぐはぁ!?」
騎士は鎧を身に付けていたが、聖剣の攻撃を受けるには防御力が足りなかった。
いとも容易く鎧は斬られて、鮮血が飛び散る。
正直にいおう、俺はとても驚いている。
恐らく顔にも出ているだろう。
(……本当に、強くなったな)
騎士達の集団を抜けたセトは一旦立ち止まるが、目の前にいるローブを着た老人を視界に捉えると、再び剣を構えて駆け出した。
「その剣、まさか……くっ!」
「はあっ!」
上段から振り下ろされた聖剣を、老人は手を突き出して防ぐ。
といっても、素手で聖剣の攻撃を防げる筈がなく、老人の手からは魔力障壁が展開されていた。
「司教様!」
漸く砂塵が晴れて視界を取り戻した騎士達が、老人を守ろうとセトに接近する。
しかし騎士達の間合いに入る前にセトは宙に高く飛び上がった。
「「「飛んだ!?」」」
騎士達の声に紛れて、ホシェルと村長の驚く声が聞こえてくる。
まあ、確かに風魔法の使えない者が空を飛んだら驚くよな。
「お帰りセト」
「はい!」
「ちょっと待て! セトお前、風魔法使えるようになったのか!?」
◇◇こいつ、いま戦闘中だってこと忘れてやしないだろうな?
向こうが空からの攻撃を警戒して迂闊に近寄ってこないから良いものの、脳筋肉といってもしは考えてほしいものだ。
「師匠から貰った魔道具のお陰てす」
「空を飛べる魔道具なんて聞いたことないぞ……!?」
何だろう、先程までの緊張感が失われた感じがするのは、俺の気の所為だろうか。
「おい、話は後に……」
しろよな、と言い終わるよりも早く、セトとホシェルの頭にゴンッと拳ほどの礫が直撃した。
犯人は村長だ。
「何するんですか村長!」
「そうだ、いてえじゃねえ か!」
「黙れっ、前を見ろ!」
見ると、今度は老人の護衛と前衛に騎士達が二分され、攻撃部隊が此方に接近してきていた。
だが攻守で戦力を二分されているので、人数は十数人ほどしかいない。
「よし、左半分はホシェル、右半分はセトの担当な」
「はい!」
「おう!」
元気よく返事をして真正面から突っ込んでいくセトとホシェル。
セト達の実力を考えると、五人以上の騎士達を纏めて相手にするのは少し荷が重い。
だが、それは一人でやればの話だ。
「おい、お前たちは二人のアシストをしてくれ。俺はあっちを叩いてくるから」
「ま、あなたには必要ないものね」
「オルフェウスさん、油断はしないでくださいね」
俺は軽く手を振りながら、迫り来る騎士達の方へと足を進めた。
アリシアには油断するなと言われたが、刀を抜くつもりはない。
仲間と協力するって決めたからな、早速それを破るようなことはしたくないし。
「食らえっ!」
「はああっ!」
刀を抜かず無防備な状態の俺に対し、騎士達は容赦なく剣を振り下ろしてくる。
しかし残念ながら、こいつらは俺の担当ではない。
「「──ッ!?」」
騎士達が振り下ろした剣は俺を斬ることなく、唯の虚空を斬った。
その時には既に、時空魔法の『テレポート』を使った俺は、その者達の遥か後方を歩いていた。
そして、司教と呼ばれた老人の護衛をしていた者達は、忽然と現れた俺に混乱しつつも剣を向けてくる。
「かっ、かかれっ!」
騎士の誰かが言うと、弾かれたように此方に向けて駆け出してきた。
……が、俺が得体の知れない奴と認識している所為か動きが鈍い。
──突き出してくる剣尖を避け、すれ違い様に胴に強烈な一撃を見舞わせる。
──横から振るわれた剣をしゃがむことで躱し、足を払って転倒させる。
──しゃがんだ状態から空中へ飛び上がり、包囲を抜け出して一歩踏み出す。
──騎士の一人を背負い投げ、更に一人を回し蹴りによって意識を刈り取る。
──振り下ろされた二本の剣をそれぞれ指で掴み、そのまま引き込む事によって虚を突き、二人の騎士の顔面を同時に殴り飛ばす。
ここまで、僅か十秒と少し。
その刹那の時間に、五人の騎士を無力化させることに成功した。
魔法剣士という本来の職業に囚われず、剣や魔法を使わない純粋な体術だけでこの結果なら、良くできた方だろう。
「ばっ、化け物」
「早すぎる……!」
「あんなの勝てねえよ……っ」
……うん、化け物は言い過ぎだな、普通に傷付くぞ俺。
俺が【魔界】を生き抜く為に身に付けた努力の賜物をそんな風に言うのは酷すぎるっ。
「あいつの職業やっぱ武闘家じゃねえの? あれで魔法剣士とか何の冗談だ? 職業詐欺ってるだろ、あんなの唯の化けもんじゃねえか」
「そうです! 師匠は凄いんです!」
……おい、やめろセト、何て良い笑顔で俺の化け物認定に同意してんだ。
しかし残念ながら、そのことに文句をいっている暇はない。
後でしっかりお話ししよう。
「聖騎士どもを凌駕するその力、教会に楯突いたあなたは、此処で始末しなくてはなりませんね」
セト達の自分勝手な言動とは真逆に、恐ろしく真剣な顔でそう言って白いローブを着た老人は、魔法杖を高々と掲げた。
すると、杖から視認できるほどの高密度の魔力の塊が飛び出し、見上げるほどの高さに到達した時、魔力の球体に変化が生じた。
まるで何かの上を流れる水のように魔力は全方位に広がり、数秒もするとそれは綺麗なドーム状へと変化を遂げた。
「先程の結界よりも、より強力な結界を張りました。これであなた方は、我々から逃げられなくなりました」
「こんなもん張らなくても俺達は逃げたりしないぞ?」
少なくとも、セトの妹を助けるまではな。
だが向こうにとってその言葉はあまりに可笑しかったのか、声を上げて笑いだした。
「これを見てなお、そんな戯れ言が言えますか?」
──瞬間、俺達に大きな影が落ちた。
それは上空に何かが現れたということを意味していて、反射的に見上げていた俺は、既にその姿を視界に捉えていた。
俺達の方からは驚きの声が上がり、騎士達の方からは歓声が上がった。
人よりも大きな体躯の背には一対の翼が存在し、しかしその翼を使うことなくその場にピタリと静止している、人の形をした何か。
肌も、原始的な服も白で統一されていて、ただ二つの瞳だけが黄金に輝いている。
その姿は、正しく──。
「あれが──天使」




