第三話 セトの故郷 ⑤
(あの昔話って、もしかして……)
ある部屋の前までやってきたセトは、昨晩の話の事を考えていた。
しかしすぐに考えるのを止め、ゆっくりと部屋のドアに手を掛けた──。
椅子に座りながら、俺はあることをしていた。
人の手で易々と握り込めてしまえる程の大きさの魔石の一つ一つに、内包できるギリギリのラインまで魔力を込めて、それを同じように魔力を込めた魔石の置かれている場所へゆっくりと置く。
この一連の作業を、既に三十以上も繰り返している。
そして魔力を込めていない魔石が残り二つになった時、不意にドアが開けられる音がした。
「師匠、おはようございます。ご飯ができましたよ」
ドアの向こうから現れたのは、この部屋を貸し与えてくれた、エプロンを身に付けた見慣れない姿のセトがそう言った。
どうやらご飯というのは、セトが自らの手を動かして作ったらしい。
この状況、俺がセトに養われてるっぽくて自分がみっともなく思えてくるな。
「……部屋に入る時はノックしてからにしてくれよ」
「何をしていたんですか師匠? 魔石から凄い魔力を感じるんですけど……」
俺の訴えは聞き流して、セトはテーブルに置かれている魔石のことを訊いてきた。
「ちょっとした準備をな。よし、行こう」
此方もセトの質問には答えずに、それらの魔石を袋に詰め込んで亜空間の中に放り込んだ。
別にこれといって秘密にする理由も無いのだが、折角こうして時間を割き用意したものなので、ちょっとしたお楽しみとして取っておこうと思ったのだ。
それに、今からブーイングをされるのは勘弁してほしいからな。
「どうした?」
セトの前を通り抜けて部屋から出た俺は、何故かセトが着いてこないことに気付き、不思議に思って声を掛けた。
振り向くと、その場に立ち尽くして何か考え事をしているような、心ここにあらずといった様子のセトがいた。
「……あ、すみません。行きましょう」
「珍しいな、セトが考え事なんて」
いつもとは少し様子が違うセトに、俺は前を歩きながら言った。
まあ、妹のことが気掛かりでいつもの調子になれないのは仕方無いと割り切るしかないが、そうだとわかっていても心配してしまうものだ。
昨日は無事だと言ったが、それも絶対とは限らないからな。
朝食をとっている時も、セトの調子が戻ることは無かった──。
◆◆◆
朝食を終えた後、俺達は再び村長の家に訪れていた。
俺が座っている方にはセト達三人が、そしてテーブルを挟んで目の前には村長とホシェルが座っている。
「……で、どうするつもりなんだ?」
一番最初に口を開いたのはホシェルだった。
どうするつもりなのか、というのは恐らく俺に向けて投げ掛けた言葉だろう。
「取り敢えず、会いに行ってみようと思う」
「「「……え?」」」
えっ……?
何故かセト達が〝こいつなに考えてんだ?〟みたいな表情で俺のことを見てくるのだが……。
「会いに行くって、正気か?」
どうやらホシェルも会いに行くという意見には賛同できないようだ。
「勿論正気だぞ。向こうは天使なんだろ?」
「まあ、見た目はそうとしか思えなかったが……」
相手が天使だから大丈夫、という俺の言葉に疑問符を浮かばせながら答えるホシェル。
だが確かに、これだけでは俺の意見と天使との関係性を理解するにはまだ情報が足りないだろう。
「天使って、何処にいると思う?」
「何処って……、そりゃあ【天界】じゃないのか」
何を当たり前のことを聞いているんだとでもいうように、ホシェルは迷うことなくそう答えた。
「そうだ。じゃあ【天界】は何処にあるんだ?」
今度はセトへと視線を向けながら、俺は訊いた。
まさか話が自分に振られるとは思っていなかったのか、驚きながらも思考を巡らせるセトは、数秒ほど経過してから漸く口を開く。
「えと……、神様のいる所、かな……?」
「神様が本当にいるかは知らないが、この世界に【天界】というものが存在していないのは確かだ」
「……つまり、私たちが住まうこの世界とは別の、異なる世界ということか」
理解の早い村長の言葉に俺は頷く。
俺の知る限りでは、少なくとも【魔界】はそれそのものが一つの世界として確立していた。
要するに、悪魔の住まう【魔界】と対を成すといわれている天使の住まう【天界】もまた、一つの世界として確立していると考えるのが合理的だろう。
「でもそれっておかしくない? なんでこっちの世界に天使がいるの?」
横からナディアが、当然の疑問をぶつけてくる。
「確かに【天界】にいる天使がこの世界にいるのは不自然だが、別におかしい事はない」
「何が何だかさっぱりです……」
セトを含め、この場にいる俺を除いた者達は、あまりよく理解できていないらしい。
確かに、別の世界に存在しているものがこちらの世界に存在している──と、そう聞けば、誰もがこの言葉に矛盾が生じているというのはわかるだろう。
「結論を言ってしまえば」
これ以上セト達に難しい話をしても意味がないので、話を一気に結論に持っていくことにする。
「世界を越える方法は二つある。向こうから自分の意思でこっちの世界に渡る方法と、こっちの世界から喚ぶという方法」
「世界を、渡る……?」
「そんな事ができるんですか?」
まあ、世界を渡るなんてのは物語の中でしか聞かないのが普通か。
「相当な力がないと無理だけどな。でも、こっちの世界から喚ぶってのは一度くらい聞いたことあるんじゃないのか? 例えば、三百年前とか」
「「「「「────ッ!」」」」」
漸く理解できたようだ。
三百年前、世界を滅ぼそうとした魔王を討つために、聖国で行われた勇者召喚は見事に成功し、異世界から勇者の素質を持った者を喚んだ。
過去に存在した勇者様は、世界を渡ってこちらの世界に来たということだ。
つまり、過去に一度成功しているのだから、世界を渡るのは不可能ではないことの証明。
三百年前に成功しているものが、今はできないということの方が矛盾している。
その答えに行き着いた五人は、やっと俺の言葉を完全に理解できたようだ。
「勇者召喚……」
「確かに、勇者様はこの世界の人間ではないな」
「やっと理解できたわ……」
そして当然、理解できたからこその疑問も浮上してくる。
「──だが、そう簡単に天使を召喚できるものなのか?」
疑問を口にしたのは、村長だった。
俺はそのような疑問が出てくるであろうと予想していたが、そうではない者達は新たに発生した疑問に一斉に村長へと視線を向けた。
そしてすぐに、その視線は俺へと集中する。
「世界の位置関係にもよるが、個人でやれるようなものではないな。人生の全てを費やすつもりでやればもしかしたらいけるかもしれないけど、現実的じゃないしな」
「という事は、かなり大きな組織の可能性があるって事か」
ホシェルの言葉に俺は頷く。
「でも、どうしてこんなとこで……?」
「なんでメルを連れていったんだ……っ!」
俺はアリシアの疑問にも、セトの怒りの籠った疑問にも、答えられなかった。
今の段階では、こうして話したこと全てが憶測の域を出るものではないから。
だから──。
「──それを今から聞きに行くんだろ?」
不適な笑みを浮かべながら、全てを解決させられるとても魅力的な提案を、改めて口にした。




