第三話 セトの故郷 ④
「済まないなセト、部屋を貸してもらって」
「気にしないでください師匠、両親はもうこの世には居ませんし、メルも村長の家で預かってもらっていましたから。どうせ今まで使われていなかった家ですから」
少し悲しそうな表情で、しかし悟られないとうにと作り笑いを浮かべながらセトはそう言った。
何も考えずに言ってしまった所為で、過去の嫌な記憶を思い出させてしまったようだ。
「すまん、悪気は無かったんだ」
「わかってますよ」
辛いのを無理に誤魔化しているセトを見ていられなくて、俺は差し出されたカップを受け取るとすぐに目を逸らしてしまった。
開け放たれた窓からは夜の冷えた風が吹き込んできていて、それが風呂上がりで火照った身体を優しく冷やしてくれる。
残念ながら空には厚い雲に覆われているので星は見えなかった。
「……師匠は、どうしてそんなに強いんですか?」
ベッドに腰を下ろしたセトが、すがるよすな目で訊いてきた。
実際には俺はセトの方へ視線を向けていないのですがるよすな目かは定かではないけど、それでも何故かそんな目をしているとわかってしまう。
「強くなきゃ、明日まで生きているかどうかもわからなかったからだな」
「……!」
あの時、悪魔の開けたこの世界と【魔界】とを繋ぐゲートを潜らなかったなら、俺はこの力を持つことは無かっただろう。
今ではこの選択は決して間違っていなかったと確信しているが、過去の俺は取るべき選択を間違えたと絶望していた。
今だから、こんな出鱈目なことを思っていられる。
しかしセトはまだ、自分で、自分自身にこれ程の選択を突き付けたことは無いだろう。
「冗談だ。……そうだな、少し昔話をしてやろう」
セトの返事も待たずに、俺は昔話を始めた。
「昔々、あるちっぽけな村に一人のガキが住んでいました。そのガキはとても馬鹿で、それでいて愚かなことに冒険者を目指していました」
勝手に語りだした俺を、セトは止めようとはしなかった。
興味があるのか、それとも無いのか、どうでも良いと考えているのかはわからない。……だが、セトはこの昔話を止めようとしない。
「その子供の父親が冒険者で、魔物によって殺されたというのに。母親が、村を襲った魔物に食い殺されたというのに、子供は冒険者になる夢を諦めませんでした」
魔物に、自分の両親が殺されたというのに、あろうことか冒険者になりたいだなんて、本当に愚かなことこの上ない。
常に死と隣り合わせの危険な冒険者になりたいだなんて、命というものを馬鹿にしている。
「ならば最低限の力を……と、子供を見兼ねた一人の冒険者を引退した者が、剣の扱い方を教えてくれるようになりました」
そのガキは村の皆の言葉も聞かずに自分勝手な野郎だった。
次第に村の皆は反対するのを諦めて、その中の一人が身を守る術として剣術を教授してくれた。
「皮肉なことに子供には多少の才能があって、成人する頃にはそれなりの剣士に成長していました。そんな下らない才能さえ無ければ、冒険者なんてものを諦めたかもしれないのに」
そんな下らない才能さえ無ければ、冒険者になることを反対してくれた村の皆の想いが、少しは理解できたかもしれないのに。
両親のことをもっと早く嘆き悲しむことができた筈だというのに。
「成人し、子供から少年に成長した彼は、村をでて念願の冒険者になりました。そして少年はひたすらに剣を磨き、そして魔法も身に付け始めました。冒険者となって2年が過ぎる頃には、少年はCランクまで上り詰め、その町では期待の星として注目されるようになっていました」
自分は強い。そんな確証の無いことを思い込んで、疑おうとはしなかった。
上には上がいて、その者達からすれば虫けら同然だということも知らずに。
「少年は剣も魔法もつかえるあまり、仲間というものを必要としませんでした。仲間とすることが、自分一人でもできてしまったから。向こうからパーティーに入らないかと誘われても、迷わず必要ないと断ってしまいました」
一人ではすぐに限界を迎えるということも知らずに。
仲間という存在が、戦闘以外であっても必要不可欠な存在がだということも知らずに。
「そして少年は、慢心による選択によって遂に突き当たってしまったのです。一人では決して乗り越えることのできない壁というものに」
例え一対一では強いとしても、冒険をする者ならば近い未来で一対多という状況に陥る事がある。
そのような状況に直面した時、数の暴力の前には個の力など何の意味も持たなくなってしまう。
加えて敵が一体だけでも自分を圧倒してしまうような化け物だったならば、それは正しく悪夢以外の何でもない。絶望しすぎて逆に笑ってしまうほどだ。
「少年は覚悟を決めました。これまで何でも一人でやってきた所為で、仲間と呼べるような存在が居ませんでした。だから少年は、そこを自分の死に場所と悟り、これまで自分がどれほど愚かなことをしてきたか、漸く知りました」
自分が死ぬって状況になって漸くそれに気付くなど、どこまでも傲慢で、怠惰だ。
これまで自分で自分の首を絞めてきたとも知らずに勝手な行動をしてきたつけが、大きな絶望とともに回ってきた瞬間だった。
今ではその選択が、間違ってないと信じている。信じているが、はたしてそれが最善の選択だったのかと訊かれた時、胸を張って「そうだ」と答えられるだろうか?
きっと無理だろう。
一番最初の選択さえ間違っていなければ……いや、どれか一つの選択でも良いから正解を選んでいれば、自分に絶望することなんて無かった筈だ。
民主的に答えを決めるとするなら、俺の取った行動は文句なしのゼロ点を叩き出すだろう。
「……師匠?」
「っ!」
セトの声を聞いて、俺は現実に引き戻された。
「どうかしたんですか?」
「悪い、ちょっと考え事をな。昔話は終わりだ、夜も遅いんだしもう寝ろ」
昔話は途中で終わりにしてしまったが、セトが聞いてもどうしようもない。
そう思いながら、俺はセトを部屋から追い出した。
「……はぁ」
バタンとドアが閉まるのを確認した後で、俺は息を吐き出した。
俺は今、どんな顔をしているだろうか。この部屋には鏡川取り付けられていないので、実際に確認することはできない。
──悲しい顔をしているだろうか、無表情だろうか、情けない顔だろうか。
もしかしたら全部当てはまっているかもしれない、全部外れているかもしれない。
少なくともご機嫌でないことは確かだ。
俺は少し頭を冷やそうと再び窓の側まで歩み寄り、一層冷え込んだ夜の空気を肌で感じる。
(結局、セトの質問には答えられなかったな……)
カップに口を付けると、中身は既に冷めてしまっていた。
今度、【魔界】での20年も書いてみようかな……?




