第十話 建国祭(四日目)
視点が何回か変わります。分かりずらかったらごめんなさい。
「今日から私が、お前の主となるものだ」
ふと上から声が降ってきて、私は下がっていた視線を持ち上げる。
するとそこには一人の男の人が立っていて、此方に微笑みかけていた。
──怖い。
私に笑顔を向けてくれているのに、なのに私は、どうしてかその男の人を怖いと思ってしまった。
「さあ、着いてきなさい」
気付くと首輪に繋がれていた鎖が無くなっていて、一度も開いた所を見たことが無かった鉄格子が開いていた。
それを目にしたとき、私は何か希望のようなものを感じた。
──私は、此処から出られるの?
そう思った時には、私はふらふらと立ち上がり、その男の人のもとへと足を進めていた。
もうこんな場所、嫌だったから。
変な臭いがするし、ご飯も美味しくない。着ている服はボロボロだし、水浴びも出来ない所為でよくハエが寄ってくる。寂しくて泣けば、怖い人がやって来て私をぶってくる。痛いといって泣いてしまうと、またぶってくる。何回も、何回も、何回も──。
だから、もう此処には居たくなかった。こんな生活は堪えられなかった。
「またの御越しを御待ちしております!」
そこを出るとき、いつも私をぶっていた怖い人が笑っていた。
あの人のあんな笑顔、私は初めて見た。
だからそのとき私はこれで良いんだ──と、思ってしまった。
馬車の荷台から降ろされると、目の前には大きな家があった。
なんて立派な家なんだろう。もしかして今日から私はこの家で暮らすのかな? ──そう考えると何だか心がとてもふわふわしてくる。今日から私はこの男の人と一緒に暮らすんだ、もうあんな生活しなくても良いんだ──って。
あの頃の私は、これからの人生に希望を抱いていた。
──でも違った。
私が夢見た暮らしは、やっぱり夢でしかなくて、あの場所とそう変わりはなかった。
此処に連れてこられた日、私は一本の剣を握らされた。
そして、こうも言われた。
「私は貴様等獣人が大嫌いだ」
それから、私は過酷な戦闘訓練を受けさせられた。
身のこなしから始まり、気配の消し方、気配の探り方、剣の扱い方。そして──人の、殺し方。
──出来ないのなら、お前が死ね。
──躊躇うな。一撃で殺すんだ。
……嫌だ、死にたくない。私は……生きたい……っ。
生にすがるように私の身体は突き動き、目の前の人に剣を突き刺した。
瞬間、まるで噴水かのように血が吹き出し、私の顔を汚した。目の前の人は口から血を吐き出して、痛みのあまり拘束された手足を動かして暴れ狂う。
酷い怪我……、……私が、やったんだ。私がこれを……。
目の前で怒鳴りつけてくる人より、血を吹き出して苦しむ人よりも、自分自身に耐えられない恐怖を抱き、私は吐いた。
──駄目だなぁ? ちゃんと一撃で殺してやらないと。
──じゃなきゃ可哀想だろぉ? 見ろ、苦しんでるじゃないか。
──ほら、こう殺るんだよ!
やめて、やめて、お願いだからその人をもう傷付けないで……。
私の目の前で、その人の首が宙に舞って、そこから血が──。
「きゃあああああああああっ!!」
叫んで、耳を塞いで、その場にしゃがみこんだ。
身体が震えて、まともに息も出来ない。
自分の足元を見下ろしていた私の視界の端から、何か赤黒い何かが広がってくる。
──ほら、もう一度だ。
──今度はしっかり、楽にさせてやるんだぞ?
そんな事、やりたくない。
でも、それが出来なければ今度は私があの人のように……。
そんな血生臭い日々が続いていくにつれて、私の心は汚れてしまった。人を殺す事になんの躊躇いも無くなってしまったのだ。
だって、私が嫌だといっても首輪の所為で強制的にさせられるのなら、いっそ殺すことに慣れてしまった方が楽じゃないか。
言うことを聞けば痛い思いをしなくて済むし、ご飯も貰える、水浴びだって出来る。此処にはあそこに無いものがいっぱい揃っている。
だから私は、私の主に見捨てられないようにと頑張った。
そしてそれは、私だけじゃなかった。
私の他にも私と同じような人はたくさんいて、みんな首輪を付けていた。
私たちは同じ境遇で、同じ種族ということもあってすぐに仲良くなれた。
私たちは共に助け合って、高めあって、励まし合って、互いの心の支えになって。みんながいるなら辛く苦しい日々も乗り越えていける──。
「この任務を成功させることが出来れば、貴様等を奴隷から解放してやろう」
──我が主の言葉を信じて。
「……ぅ……ん。……夢……?」
夢なんて、いつ以来だろう。
少なくとも三年は見ていなかった……ような気がする。
「此処は……?」
周囲を見回すと、そこは少し古ぼけた部屋の中だった。
かけられていた布団をどかしてカーテンが閉められていたので開けてみると、一気に光が部屋に差し込んできて、私は眩しくなって思わず手を顔の前へと持っていく。
朝……? ううん、太陽が高くまで昇っているから、昼かな?
「──お、起きてたのか」
「ッ!?」
突然、背後から声が聞こえてきて、私は自分の鼓動が速まるのを感じた。
──何故なら、そこには暗殺対象である少年が立っていたのだから。
部屋に戻ると、獣人の少女が目を覚ましていた。
窓の外を眺める少女はどことなく心ここに在らずといった感じだったが、俺の存在に気付くや否や布団から飛び出て、鋭い視線を放ってきた。
そして流れるような動きで腰に手をやるが……。
「……!?」
その手は呆気なく虚空を掴むだけだった。
恐らくあの魔剣を探しているのだろうが……。
「ああ、魔剣は没収させてもらったぞ」
そんな物騒なものを持たせておく道理などない。
会話も成立しないで戦闘になるのは避けたいからな。
「何処にやった! 返せ!」
「なあ、君」
ベッドの上で構えている少女をまるで相手にしないで、俺は一歩、また一歩と歩み寄りながらゆったりとした口調で言葉を投げ掛けた。
なるべく警戒されないように。
「あの魔剣がどういったものなのか、分かっているのか?」
最低でもこれだけは確かめておきたかった。
何も知らずに使っていたのなら仕方がないが、もしあの魔剣の危険性を十分に理解した上で使っているのならば、その理由が知りたい。
「……!」
なるほど、知っていて使っていたのか。
「危険だと知っていて、なんで……」
「煩い! 私たち奴隷に選択肢なんて無い!」
少女は相変わらず俺に対して敵意を向けながら、叫ぶようにそう言った。
確かに、奴隷には選択肢なんてものは無いのかもしれない。主の命令に対して反対の意を示すこと程度は出来るが、それでも命令を拒もうとすれば隷属の首輪によって強制される。
でも──。
「本当に、それが理由なのか?」
「………………な、なな何が言いたい」
あっ、分っっかり易い。嘘が下手なタイプの子なんだな。
まあ嘘が下手というのは逆をとれば本当のことしか言えないという事だし、そう捉えるなら良いことなのかもしれないけど、流石に嘘つくの下手すぎやしないか?
まあ今は関係ないので突っ込まないでおくけど。
「ま、それでも良いけど。──じゃあさ、君は今でもあの魔剣を使いたいと思うのか?」
そう言って俺は、あるものを少女に突き付けた。
「それは……っ!」
それを見た瞬間、少女の顔に驚きの感情がさした。
少女は自身の首に手を持っていき……。
「……あ、れ……、……無い」
つぅっと、少女の頬に陽光に反射して光る涙が流れた。
そう、俺がいま手にしているものは、少女が奴隷であることを証明する為のものであり、恐らく長い間ずっと苦しめられてきたであろうもの。
「どうなんだ? 奴隷でなくなった今でも、あの剣を握りたいと、君はそう思うのか?」
隷属の首輪、俺は奴隷になった経験なんて無いので分からないけど、この魔道具の力はとても強力なものらしい。
隷属の強さにもよるかもしれないが、主を傷付けるような行為は出来ないし、何かを命令されてそれを拒否したら、それが達成されるまで強制的に身体を操られる。
とはいっても〝死ね〟などの、奴隷の意思や隷属の首輪の強制力に拘わらず、身体が拒絶反応を起こすような命令は出来ない。
しかし、逆にいえばそれ以外ならば何でも強要できるという訳だ。
「私は…………私は…………っ!」
両手で頭を抱えてその場に力無く崩れ落ちる。
この様子を見ると、やはり過去に何か酷い仕打ちでもされたのではないだろうか。……と、そう思えてならなかった。
少年が手にしているものを見て、私は驚きを隠せなかった。
何故ならその手には長い間私を苦しめ続けた、私の人生の要ともいえるもの──奴隷という身分を示す隷属の首輪が、あったから。
……まさか。私は一瞬そう思った。でも、普通に考えればその答えは明白だった。
隷属の首輪とは、それを付けている者の主が奴隷から解放すると宣言しない限り、絶対に外れることの無い強力な魔道具の筈なのだから。
だから、一瞬でも淡い期待をさせた少年に少なくない苛立ちを覚えた。
でも、もしもあれが私のだったら──。
そんな馬鹿げた希望にすがるように、恐る恐る私は己の首に手を持っていった。
──あれ、無い。
何で? どうして? そんな……そんな事が有り得るの……?
そして私の頬に、何かが伝っていくのを感じた。それが何なのかなど、言わずとも分かった。
私……泣いてるんだ。
止まらない、止まらないよぉ……っ。
こんなに自然に泣いたのなんてとても久し振り。それもこんなにたくさん、こんなに澄んだ涙を流したのなんていつ振りだろうか?
ううん、こんな涙を流したのはたぶん初めての事だと思う。
──どうなんだ? 奴隷でなくなった今でも、あの剣を握りたいと、君はそう思うのか?
少年が何かを言っているけど、今の私には何も聞こえない。
でも、少年が何を言っているのか、今の私には何となく分かる。
あの恐ろしい魔剣のことを言っているんだと思う。
私は、私は──。
あんなもの、持っているだけでも恐ろしい。
もしも私が普通の人と同じ立場で、自身の人生の選択が自由に出来ていたならば、触ることすら拒絶していただろう。
それだけの恐怖を、あの魔剣は私に植え付けているんだ。
あの魔剣は、私の魔力を喰らっている。
普通の剣として使用するなら何の問題もないけど、魔力を使って魔剣の力を使おうとすると、魔剣は私に力を与えてくれるけど、その代わりに私から膨大な魔力を奪っていく。
私の意思とは関係なく、まるで魔剣に自我があるかのように。
しかもそれは、私が魔剣を鞘に収めるか投げ捨てるかしないと魔力を吸い上げることを止めてはくれない。
そして、私の魔力を全て喰らい尽くしたら次は……。
──私の命を、喰らってくる。
魔力の代わりに、生命力を私から奪っていく。
一秒でも生命力を喰らわれてしまえば、それだけで堪えられない激痛が全身を駆け巡ってくる。
その痛みの記憶を思い出しただけでも、全身に鳥肌がたって、震えが止まらなくなる。
それなら全部、投げ出してしまえば楽になれるのかな?
今の私はもう奴隷ではない。
ならばもう主の言うことに従わなくても、誰に何も言われない。
せっかく奴隷から解放されたんだから、もう無理にあの魔剣を手に取らなくて済む。もうあの痛みに恐れる必要が無くなる。
なら、良いじゃないか。もう私は十分に頑張ったじゃないか。
──本当に、それで良いの?
ふと私の脳裏に、これまで共に頑張ってきた仲間たちの姿が思い浮かんだ。
もし私が全てを投げ出してしまえば、みんなを置いて自分だけ楽になることになる。
つまりそれは、どんな時でも支え合い、励まし合い、協力し合ってやってきたみんなを、最も最低な方法で裏切る行為になるんじゃないだろうか。
それは……嫌だ。
薄れていく意識の中で、私は救いを求めるかのように手を伸ばした。




