第八話 建国祭(一日目) ①
「とうとう始まりますね」
目の前をまるでスキップでもするかのように小走りしていたセトが噴水の前まで行くとふと振り返って、とても嬉しそうに笑顔を作りながらそう言ってきた。
その笑顔を見ていると自然と此方も口許が緩んでしまう。
「そうだな」
その笑顔と共に、俺は短く言葉を返した。
表情にはあまり出していないが、実は内心でとても待ち望んでいた日だ。
──建国祭。今年でちょうど建国して三百年という節目であり記念の年である、ここリーアスト王国で最大のお祭り行事だ。
十日間に渡って開催される建国祭で一体どれだけの美味い食い物が出揃い、食えるのか。この祭の存在を知ってから一日も忘れることなく胸を膨らませ、とても楽しみにしている。フィリアの護衛依頼を引き受けてしまったのでそれはしないといけないが、それでも時間はたっぷりとあるので思う存分に祭を楽しみたいと考えている。
「師匠はいつから仕事なんですか?」
「パレードが始まる頃からだから……、昼からだな」
本当なら夕方から王城で始まるパーティーまでは時間があった筈なのだが、うっかりネオルさんの口車に乗せられてパレードの護衛もさせられる事になってしまった。
もちろん最初はそんなの聞いていないと抗議したが、此方が文句を言うと取り敢えずフィリアを引き合いに出して言葉巧みに誘導してきて、結局はそれに押されてやるということになってしまった。
騎士団や魔法師団が目を光らせているのに襲撃しようとする者などまずいないと思うのだが、それでも警備は万全にしておきたい──という事にしておこう。貸し一ってことで今度なにかあったら返してもらおうかな?
等と思いながらそう返すと、セトはぱあっと嬉しそうな表情になった。
「なら、昼まででも僕達と一緒に行きませんか?」
言いながら期待した眼差しで俺の顔を覗き込んでくるセト。
全く……この前ちゃんとその事に関しては断ったつもりでいたんだが、どうやらそれは俺だけだったようでセトの方はまだ諦めていなかったようだ。
そんなに俺に対して好意を持って一緒が行きたいと言ってくれるのは素直に嬉しいけど、少しは自分のパーティーメンバーの気持ちを察して欲しいものだな。本当に、こんな鈍感に引っ掛かってしまうなんてあいつらも苦労が絶えないだろう。
「だから、三人で行ってくれば良いだろう。あいつらもそっちの方が気が楽だろうし、祭は十日もあるんだぞ? 今日は無理だが一日くらいは都合をつけてやるからさ」
「本当ですか!?」
俺の出した妥協案に早くも食い付き、身を乗り出して確認を取ってきた。
まあ一日くらいは弟子の我が儘に付き合ってやっても良いしそれに、そのくらいならあいつらも文句の一つは言うかもしれないが拒否するような事はないと思うし。
付け加えるなら、俺もセト達と一緒に祭を楽しみたいと思っているしな。
「嗚呼」
「約束ですよ!」
セトはそう言って、俺の目の前に手を差し出してきた。
しかしそれは握手をしようとしている訳ではないらしく、その手は拳を作ってはいるものの何故か小指だけがピンと伸ばされた状態で突き出されている。
……この手はいったい何だろうか。始めてみるものだが、セトが期待の眼差しを向けていることを考えると、俺に何かを求めているという事は確かだろう。だが何をすればセトが満足する答えになるのかなど、俺にはさっぱり分からない。
「……? 師匠、もしかして指切り知らないんですか?」
そんな俺を見たセトが、キョトンとしながらそう訊いてきた。
ゆびきり……。これは指切り……と言うのか? 初めて聞く言葉だが、いったい俺は何をしたら正解なのかが、その名前を聞いただけだといまいちピンとこないな。
その名の通りに受け取るならば、俺はセトの指を切らなくてはいけないのだが……、セトの笑顔を見るあたり絶対にそんな恐ろしい言葉では無いと思うんだけど、それならこの言葉はどういった意味を持ったものなんだろうか。
「指切り……って何だ?」
態度から察するにこれは誰もが知っている事だというのは分かる。
けど俺には三百年前の知識しか持ち合わせていないので、何が何だかさっぱりだ。
「指切りっていうのはですね」
「ちょっ、おい……」
そんな俺に対してセトは何処か上機嫌になりながら手を取ってきた。
いったい何をしようとしているのかと考えていると、セトは俺の手を不思議な形にしている自分の手に近付けて、ピンと伸ばした小指を俺の小指に絡ませた。
「こうやって、約束することですよ」
そう言ってセトは俺の手を引くようにしてそれを目の辺りまで持ち上げて見せてくる。
成る程、小指と小指を絡ませて約束することを指切りというのか……。
「へぇ、そうなのか」
よく分からないけど、確かに言葉だけで約束をするよりもこっちの方が約束をしたという実感が涌いてくるのは確かだな。
最近はこういう方法でやる約束の仕方もあるのか……。
「はい、三百年前に召喚された勇者様が伝えたものらしいですよ」
「──また勇者様かよっ!」
本当に何でもやっていたんだな勇者は!
文字も、食文化も、文明も、野菜の名前も、どんだけ手を出せば気が済むんだよ。もうここまでくると呆れを通り越して逆に尊敬してしまうぞ。
「どうしたんですか師匠?」
「……何でもない」
しまった、つい思ったことをそのまま口にしていたみたいだ。
「じゃあそろそろ俺は行くよ」
「え、もうですか?」
噴水から背を向けて立ち去ろうとすると、名残惜しそうにセトがそう言った。
別にやる事は殆ど無いのでまだ一緒にいても構わないんだが、どうやらこそこそと噴水の裏に隠れて此方の様子を窺っている者達がいるようなので、そろっと交代してやろうと思った訳だ。
まあ俺は空気の読める人間だし? 「あっれれぇー? 奇遇だな~?」なんて言ってからかうような無粋な真似はしない。
こいつは鈍いから大変だろうけど、俺は応援してるぞ!
「新しい剣も買わないといけないしな」
「……分かりました。それじゃあ」
「嗚呼、またな」
「はい!」
俺はセトと別れて路地に入っていった。
セトとは偶然ばったりと出会っただけで別に用事があったとかではないが、かといって何をするもなくぶらぶらしていただけなので少し話をしていただけだ。因みに噴水の裏に隠れていた何処ぞの少女二人については俺がセトと会うときには尾行していたので、恐らくセトが宿を出る辺りからつけていたのだろう。
何故こんな人通りの少ない路地を歩いていたかというと、大通りの付近は祭の準備のラストスパートという感じでかなり忙しそうだったので迷惑を掛けまいと思ったからだ。
チラッと路地の向こうに見える大通りの様子を窺うだけでもどれだけ準備に追われているかが分かる。
「……それに、あいつらを巻き込む訳にはいかないしな」
セト達からそれなりに離れた所で立ち止まり、ゆったりとした動きで俺は後ろを振り返る。
「出てこいよ。俺に用があるんじゃないのか?」
その言葉は周囲の建物によって僅かに反響して物静かな路地に響き渡る。
しかし俺の呼び掛けに応える者は居らず、ただ微風が落ち葉を巻き上げているだけだった。
「はぁ、仕方無いな」
俺は魔力を右手に集中させ、『武器創造』のスキルによって三本の短剣を創り出す。
その短剣の柄を指の間に挟み込みながら軽く構えて、それを流れるような手付きである方向へと寸分の狂いなく三本同時に投擲した。
ヒュンという風切り音と共に飛んでいった短剣はそのままいくと建物に衝突してしまうが、その前に三本の短剣は何もない筈の場所で不自然に……まるで何者かによって弾かれたようにして宙を舞い、カシャンと地面に落下した。
「……何時から気付いていた」
その時、不自然な現象が起こった場所から一人の男の声が響き、グニャリと空間が歪んだかと思うとその中から声の主が姿を現した。
黒一色のローブによって全身を隠し、顔も深くかぶったフードの下に隠れてしまっている。外見からは得られる情報が少なく一体どんな者なのかがよく分からないが、それでも一つだけ分かることは腰にさされた長剣が唯の剣ではないという事だけだ。
あれは……魔剣か? 少なくとも魔法剣ごときのレベルの剣でないことは分かる。しかし、なら魔剣じゃないのかといわれると、そうでもないような気がしてならない。何といえば良いのか分からないが……簡単に説明すると、不完全な状態と表現するのが一番しっくりくる。
他に分かる事といえば、男から魔力が感じられないので魔力持ちではないということくらいだ。
あの男はいったい何者なのだろうか。
「俺が宿から出る前から監視していただろ。何のつもりだ?」
態々他の誰かによって魔法で姿を消してもらった上で俺を尾行していた事を考えれば、それが真っ当な理由ではないという事くらいすぐに分かる。
少なくとも二人で俺を尾行している事は確かなので、少なくとも個人的な用件がある訳ではないだろう。しかしだからといって二人だけとは限らない。
そう考えながら、俺は右手に魔力を集め始める。
「知らなくて良い」
男はそう言って腰にさした不完全な状態の魔剣を抜き放った。
どうやら此方の質問には答えてくれないようだ。
俺も何時でも『武器創造』で剣を創れるようにと意識を集中し……。
「──っ!?」
瞬間、十メートル以上も離れていたにも拘わらず、既に男は目の前まで接近していた。
完全に遅れをとってしまった俺は早く距離を取ろうと後ろへ跳ぶ。
「はっ!」
数瞬前まで俺がいた場所に魔剣が振り下ろされる。
あと一瞬でも回避行動が遅れていればもしかしたらあの魔剣に身体を斬られていたかとしれないと考えると、思わずひやっとしてしまう。
だがまだ安心するには早かった。
一度は動きを止めた男だったが、殆ど間を開けずに再び地を蹴って俺を追撃してきたのだ。
「なっ……!」
──速い。何もかもが人間のそれとは比べ物にならない程に速い。
たった一歩でこれ程までに加速し、その速度からは考えられない減速力であっという間に止まり、そこから再び地を蹴るまでの動作が尋常ではないくらいに常人を逸脱している。
漠然とだが、人間の動きではないと思ってしまった。
「くっ!」
どんどんと接近してくる襲撃者に驚きを隠せず目を見開きながら、俺は直ぐ様『武器創造』によって少し長めの短剣を創り出した。
そしてそれを使って喉元に迫ってきている魔剣の突きに割り込ませてそれ受け止める。
しかし何とか上手く受け止めることは出来たものの、その状態から直ぐには体勢を立て直せずにそのまま押されてしまう。
「こ……のっ!」
何とか体勢を立て直して両足に力を込めて踏ん張ると、建物に激突する直前に完全に後退を止めることに成功した。
しかし──強い。突進は止めることが出来たものの、差は殆ど無かったように感じられた。しかもスピードに至っては今の俺では追い付ける速度では無かった。目では追えるものの相手の動きに身体がついていけるかと訊かれたら、胸を張って出来るとはいえない。
掴みようの無い違和感を覚えた俺は襲撃者をもう一度観察する。
身長は俺よりもやや高めで、身体の輪郭はローブで隠されているため定かではないが華奢な体つきをしていると窺える。
魔力持ちではないのは分かっているので魔力による身体強化ではないだろう。なら一体その身体の何処からそれほどの力が出ているのか、謎は深まるばかりだ。
「……こんなものか」
そうやって考えていると、襲撃者の男が思わず口から溢すようにして言った。
そして堂々と此方に背を向けたと思うと見事な跳躍で建物の屋上へと飛び乗った。
「ちょっ!? おい待て!」
それをただ見ていた俺は今にも逃走を図ろうとしている襲撃者に慌てて行動を起こそうとするが時既に遅く、俺の言葉に耳を傾けることなくそのまま建物の屋根を伝って軽やかに逃げてしまった。
俺は襲撃者の方へと伸ばした手を暫くそのままにした後、諦めてゆっくりと下ろした。
「何だったんだ……?」
向こうから襲撃しておいて、俺を殺したり捕縛するもなくあっという間に逃走してしまった襲撃者の男に対し行き場のない感情が込み上げてくる。
それと同時に不安が芽吹き、俺の中で次第に大きくなっていく。
しかしそれも晴らすことが出来ないものであるのは変わりないことなので、じれったい気持ちになって、それでもこの事態にまるで理解が追い付いていない俺の脳はオーバーヒートし、何もかもが分からない。
「本当に、何だったんだ……」
勿論、俺の声に答える者は誰も居なかった。
なんか中途半端なので、3/3(日)21:00にこれに追加する形で投稿します。




