第四話 弟子が出来ました
次の日、昨日早めに寝てしまった所為でまだ陽が昇らない前に起きてしまった。
上半身を起こし欠伸とともに伸びをし、目を擦る。
窓の外を見ると、昨日あれほど賑わっていた大通りが静まり返っている様子が目に入ってくる。
「朝か⋯⋯」
ボーっとしていた頭が漸くクリアになってきて、完全に目が覚めてからベッドから出る。
そしてもう一度背伸びをしてから部屋を出て、階段を降りる。
「あ、おはよ~オルフェウス君。朝早いんだね」
「おはよう、たまたま早く起きたんだよ。えぇっと⋯⋯オリビア」
「⋯⋯私の名前覚えてなかったらお仕置きしてたところだけど、まあ言えたから許す!」
「それは良かった」
階段を降りると、そこにはこの宿屋の看板娘のオリビアが、テーブルを拭きながら出迎えてくれた。
一階は食堂を経営しているそうなので、その準備をしている最中だったのだろう。
「そうだ、今日もウチに泊まっていくの?」
話の内容を理解していない第三者がこの場に居たならば、確実に誤解されているような話の切り出し方だろう。
俺も僅かに動揺してしまったが、それを顔に出すことはなかった。少し考えてから、返事をする。
「ああ、うん、暫く泊まる事になると思う」
「そっか、じゃあ部屋の鍵はまだ返さなくて良いからね。朝ごはんはどうする?」
「いただこうかな」
「分かった⋯⋯と言ってもまだ準備が出来てないから、少し時間掛かっちゃうけど」
「いいよ」
印象は元気な子だ。
ハキハキしてるし、笑顔も可愛い。宿屋の娘という環境がそうさせたのか、それとも彼女そのものがよく出来た人格なのか。
「どうしたの、じっとこっち見て」
「あ、いや、朝から偉いなと思って」
「でしょー。私、とっても偉いんだから。もっと誉めてくれてもいいんだよ?」
得意気に鼻を鳴らしたオリビアが、おかわりを注文してきた。
ふむ、何て言うべきか。ここはビシッと決めたいところ。
「──元気で可愛くて働き者で家庭的で、オリビアはきっといいお嫁さんになるね」
「あははっ。ありがとうオルフェウス君」
⋯⋯ありきたりな褒め言葉すぎたかな。
「じゃあ準備が出来るまでの間ちょっと散歩してくるよ」
そう言って宿屋の扉に手を掛けた。
押し開くと、扉に付いていた鈴がチリンチリンと鳴り、2人しかいない部屋の中に響き渡る。
オリビアは「うん、行ってらっしゃい!」と笑顔を向けて送り出してくれ、そんな少女に此方も笑顔を向けてから宿屋から出た。
大通りを少しぶらつき、何となく角を曲がったりして、町の景色を呆然と見渡しながら歩き続ける。
昨日、この町の名前がネルバだということを冒険者ギルドで入手した。それと、近くに2つのダンジョンも存在しているらしい。
難易度はそれほど高くないらしく、レベル上げにおすすめとのことだ。
まあ、俺は既に最大レベルに達してしまっているので意味無いのだが、Fランクに昇格できたら行ってみようと考えている。
宛もなく気ままに町を散策していると、不意に何かを振っている音が聞こえてきた。
気になったのと、暇潰しも兼ねて音のした方へと足を向ける。すると直ぐに視界に人の姿を捉えることができた。
何の音かと思えば、剣を振った時に出る風切り音だった。
朝早くから鍛練とは精が出るな、俺もそんな時期を過ごしたことがあるから懐かしい……って、あいつどっかで見たことある顔だと思えば、グリーンオーガに襲われてた新人冒険者じゃないか!
いや、多分俺の方が新人なんだろうけどっ。
彼は一振り一振りを全力で振っている。かなり集中しているようで、額に流れている汗を拭わずに一心不乱に剣を振り続けている。
それをみて俺は少し感心してしまう。
基本、冒険者は魔物を狩って効率良くレベルを上げる。剣術などは二の次で、兎に角レベルを上げる事だけに全力を注ぐ者が殆どだ。
だからこそレベルを上げて高ランク冒険者に成った途端に己に慢心してしまう。更に、その力を間違った方向に向けてしまう冒険者も少なくない。
だからこそ世間一般の冒険者のイメージがあまり良くないのだ。
それに比べて、この少年は剣術を磨いている。
レベルは簡単に上げることが出来ても、技を磨くのにはかなりの努力と時間を労する。一概にはいえないが、レベルを上げてから技を磨くのでは既に遅いと俺は考えている。
途中で〝もういいや〟という気持ちになってしまうからだ。技など磨かなくとも、自分にはレベルを上げて手に入れた魔力、筋力、敏捷がある──そう考えてしまうのだ。
勿論、本当に上を目指している者ならばそうなることはないが。
──ゴーン──ゴーン──ゴーン──⋯⋯。
そんな時、町中に朝を知らせる鐘が鳴り響く。
その鐘の音を聞いて少年は剣を振るのを止め、それを腰にさした鞘に戻す。その後で額に流れている汗を腕で拭い取り、最後に少年は此方に振り向く。
「あ」
少年が俺の存在に気付き、声を上げた。
暫く、その場は静寂に支配される。
「あの⋯⋯っ」
その静寂を断ち切って、少年が口を開いた。
しかし少年が言葉を続けるよりも早く、俺は言った。
「剣」
「⋯⋯え?」
俺の言った短い一言に、頭に疑問符を浮かべる少年。
それを無視して俺は続ける。
「お前は、何のために振っているんだ?」
「⋯⋯っ」
俺の言葉に少年はハッとしたように息を飲み、暗い顔で下を向く。
その表情を見て少年の聞いてはいけない事を聞いてしまったと、俺は悟った。それでも俺は撤回する事なく少年を鋭い目で見つめ続ける。
──何のために剣を振るか。
核心を突く質問。加えて聞き手によっては受け取り方が大きく変わってくる、そういう風な質問をした。
何故剣士であるのか、誰のために剣を振るのか、何を守るために剣を振るのか、その剣先を何に向けるのか、何を乗せて剣を振るのか──、捉え方は様々だ。
さあ、お前はどう答える?
「僕の両親は、僕の目の前で魔物に殺されたんだ。その時僕は⋯⋯怖くて、恐ろしくて、唯それを見ているだけしか出来なかった⋯⋯っ!」
少年は自分の過去の出来事を口にする。
やっとの事で絞り出した声は震えており、どれだけこれを言うのに勇気を絞り出したかがひしひしと伝わってくる。
しかし、少年が顔を上げた時には既に握っていた拳の震えは無くなっていた。真っ直ぐに此方を見つめてくる少年の顔には、何かを決心したような、そんな顔になっていた。
「だからこそ、もう自分の大切な人たちを、絶対に無くしたくないんです」
それを聞いて、思わず笑みが溢れてしまう。
どんな者でも力を振るう理由なんて大抵そんなものだ。
何の複雑さも、難しいものも必要無い。必要なのはその力を何のために使うかではなく、それを使う意思の強さだと、少なくとも俺はそう信じている。
「すみません⋯⋯昨日会ったばかりの人なのに、こんな話して」
「いや、俺こそ悪かった。でも、そうか」
俺も、幼い頃に家族を失っている。
理由もこの少年と同じ。そして強くなろうと剣を握った理由も──。
「なら、俺が教えてやろうか?」
突然の言葉に少年は大きく目を見開く。
「君が?」
「こう見えてなかなかやるんだぞ? 飯食ったら町の門に来い。嫌なら来なくていい」
「え、あのっ」
少年の呼び止めを無視して自分の宿屋へと俺は歩き出す。
全く、どうしてあんなことを言ってしまったのか。
境遇が似ていただけで、家族でもないのに、友達でもないのに、知り合いですらないのに、昨日出会ったばかりなのに。
──でも何故か、応援したくなってしまう。唯の自己満足でしかないのだろうが。
──あの日、あの時、あの世界で、弱い俺に手を差し伸べてくれた一人の悪魔のように、俺も誰かの力になりたかったのかもしれない。
あいつがあの時、どんな気持ちで俺に手を差し伸べたのかは分からない。
それでも、俺はこの世で最も尊敬する悪魔のように、誰かの支えに──。
「なんて、な」
──宿に戻ると、そこにはオリビアが茶を飲みながら一息ついている最中だった。
「あ、オルフェウス君、お帰り。ご飯準備できたけど食べる?」
「嗚呼、頼むよ」
「じゃあちょっと待っててね~」
それだけ言い残して厨房へと消えていくオリビアを目で追いながら、適当に近くのテーブルの椅子に腰を下ろす。
暫くするとオリビアが一人分の朝食を持って厨房から戻ってきた。「はいどうぞ!」と言って俺の目の前に朝食を置いた看板娘に礼を言って早速食べ始める。
「美味いな」
「でしょー? ウチのご飯は評判なんだから!」
自然と口に出た言葉に得意そうに胸を張る看板娘。
その後たわいの無い話の相手をしながら、食事を楽しむ。
十数分後、美味しかったとオリビアに告げて宿屋を後にした。
ちらほらと人の姿が見え始める大通りに沿って真っ直ぐに進み、町の門へと向かう。
──来るだろうか?
ふと頭を過るその思考に、俺は少し考える。
あいつがもし来なかったら⋯⋯まあ、どうってことも無いか。別にああ言ったのも何となくだったのだし、考えてみればそもそも来る確率の方が低いだろう。
何せ昨日会ったばかりの奴に、剣を学ぼうなんて考える方が可笑しい。
そう頭の中で思考を巡らせながら呑気に歩いていると、視界の先に門が見えてきた。
そして、その風景に混じって見覚えのある少年を見付けてしまい、思わず目を見開いてしまった。
「⋯⋯!」
正直、驚いた。思わず笑ってしまった。
来ないだろうと想像していた奴が、まさか俺よりも早く此処に来ていたとは。
その事実にまたしても笑みが溢れてしまう。
向こうも此方に気づいたようで、俺を真っ直ぐに見つめてくる。
「本当に来たのか」
「来いって言ったのは君じゃないか。剣、教えてくれるんでしょ?」
「はははっ、そうだったな。悪魔にでも騙されたと思ってついてこい」
「⋯⋯急に不安になってきたんだけど」
「ははははっ」
そんなやり取りをしながら門の外へと向かう。
そんな自分勝手な行動に少年は悪態をつきながらも、なんだかんだ言って後ろを着いてくる。
──その二人の後ろを着いてくる二人の影に、この時少年は気づくことは出来なかった。
◆◆◆
「ねえ、何処まで行くの?」
「ん? そうだな⋯⋯もうちょいだ」
俺達は今、森の奥へと向かって足を進めている。
この森は薬草採集の依頼で来たことがあるので、地形は大体把握している。そして俺が何処を目指しているかというと少し語弊があるが、この森でそこそこ強い魔物の元へと向かっている。
ある特定の場所を目指している訳ではないので、魔物の動きを先読みしながら森の中を歩いているのだ。
それから数分して、漸くお目当ての魔物と鉢合わせすることが出来た。
「な、何ですか、あの魔物」
「ハイトレントだな」
「ハイトレント!? Cランクの魔物じゃないですかっ!」
ハイトレント。少年が言った通り危険度Cランクに位置する魔物で、木に自我を持たせたような魔物だ。
自身の何本もの枝や蔓を自在に操って攻撃してきたり、手足を絡め取って行動を邪魔してきたりする面倒臭い魔物で知られている。
それに植物っぽいとあって再生能力も高く、弱い攻撃は全く通じないので殺傷能力の高い攻撃で一気に仕留めるか、断続的に攻撃して再生するのを阻害しつつ倒すかの方法を取らなければならない。
「よく知ってるな」
「冒険者なんだから当然です! それより早く逃げましょう! 僕たちで敵う相手じゃないです──って、こっちに近づいてきてますよ!? ど、どうするんですか!?」
⋯⋯騒がしい奴だなあ。
そう思い、俺は少年の頭にチョップを食らわせて静かにさせる。
「落ち着け。まあ見てろ」
此方に気付いてゆったりとした動きで向かってくるハイトレントに、此方も歩み寄っていく。
同時に左手に魔力を集中させる。すると左手の周囲が灰色に輝きだし、徐々にそれらが収束する。
そうして出来上がったのは、以前ワイバーンのと戦ったときに使用した鈍い輝きを放つ剣とよく似た剣。
それを構えて軽く走り出すと、ハイトレントの方から攻撃を仕掛けてきた。
「せいっ」
何本もの蔓を剣一本で正確に弾き、着実にハイトレントとの距離を縮めていく。
そしてあと数歩で剣の間合いに入るという時、突然足元の地面が隆起し、木の根が地面から飛び出てきた。
それを見て俺は少し驚いた。つまり蔓での攻撃は俺を引き付けるための囮であり、本命は別にあったということだ。
それほどの知能をハイトレントが持っていることはそうそうない。
しかし、その程度でやられてしまうほど俺も弱くはないが。
「っふ!」
もう既に目の前まで迫ってきていた木の根が俺を貫くより早く、空中へとジャンプした。
先ほどまで居た場所を木の根が勢い良く通過するのを一瞥して、ハイトレント本体へと焦点を合わせる。
同時に手に持った剣をすっと横に構え。
「──ッ!」
構えていた剣を解放し、横凪ぎに振るう。
音もなく放たれたそれは空気を切り裂き、ハイトレントの太い胴体をあっという間に両断した。
俺が着地したその直ぐ後に、ハイトレントの上部が地面に落ち、更に遅れて切り株と成り果てたものが力無く崩れ落ちる。
武器創造で創り出した剣が魔素となり霧散したのを確認した後で少年に振り返る。
「す、凄い⋯⋯っ! ハイトレントを、一瞬で」
すると少年の瞳は、疑いの目から尊敬へと変化していた。
「言っとくが、俺が教えるんだかららお前にもこのくらい出来るようになってもらうからな」
「ええ!? そんなの無理ですよ! 僕には」
「──出来ない?」
言葉を遮り、少年が言おうとしていた事を口にする。
するとハッと此方を向いて、黙り込んでしまう
「この程度のことをやる前から諦めてる奴が、誰かを守れる訳無いだろう」
「それは⋯⋯っ」
「それとも何か? あの言葉は嘘だったのか?」
「違うッ!」
少年の声が森林に響く。
再び顔を上げた時には、既にそこから迷いというものは消えて無くなっていた。
「──僕に剣を、教えて下さい」
「何だ、ちゃんと言えるじゃん」
少年の姿に、僅かに口元が緩んでしまうのが分かる。
それは、少し昔のことを思い出してしまった所為でもある。
俺が昔、ギルゼルドに弟子入りした時もこんな感じだったことを思い出し、昔の俺と少年を重ねてしまったのだ。
「ああ、良いぜ。じゃあ明日から毎日門の前で集合な」
「⋯⋯今日は?」
言いたいことは分かる。今日から修行をしたいのだろう。
強くなるために一日でも早く剣を学びたい気持ちは俺にも痛いほど分かる。
しかし何と言われても今日はやらない。
今日はあくまで俺が剣が扱えることを示そうと思って呼んだだけだったし、面倒……コホン、向こうにも色々と準備があるだろうしな!
それに⋯⋯。俺は此処から少し離れた場所にある草むらを指差す。
「?」
少年が指差した草むらを見たのを確認して、俺は手に持っていたスライムをその場所に放り投げる。
それは綺麗な放物線を描いて宙を舞い、カサッと音を立てて見事狙い通りに草むらへと落ちていった。
「「きゃああっ!?」」
瞬間、草むらの中から叫び声がして、2人の少女が這い出るようにして姿を表した。
この2人は少年とパーティーを組んでいる者達で、俺達が町を出た時からずっと尾行をしていたのだ。
少年は全く気付いていた様子は無かったが、俺を尾行なんて10年早い。せめて気配と魔力を完全に消すことが出来るようになってから出直してくるんだな。
何時スライムなんて捕まえたかって? それは──企業ヒミツというものだ。
「2人とも、どうして此処に?」
「宿に帰ってきたと思ったら、直ぐに「出掛けてくる」とか言って行っちゃったから⋯⋯」
「何処に行くのか気になって」
申し訳なさそうに自白する少女2人に、少年は「……ごめん」と謝罪する。
パーティーメンバーに何も話さずに出てきたのか、こいつ。そりゃあ心配して尾行の1つや2つはして当たり前かもな。
女の子2人に心配されるなんて羨ましい限りだ。
「じゃ、俺はそこらで薬草でも摘んで帰るから、そいつら連れて町に帰れ」
「え、ハイトレントは⋯⋯」
「やる」
昨日と同じようにハイトレントの処理を少年に押し付け、背を向けて歩き出す。
呼び止める声が聞こえなくもないが、おそらく⋯⋯いや確実に空耳だろう。




