第三話 頼み事 ③
「──お兄様! そんな所で何をしているんですか!」
ネオルが二つめの依頼を口にしようとした時、部屋の外からそんな声が聞こえてきて、図らずして俺達は同時に部屋の扉へと視線を向けてしまった。
しかし当たり前だが俺とネオルはその声の主を視界に捉えることは出来ず、そうだと分かっているのにも拘わらずそのまま会話を中断して唯の扉を凝視してしまう。
何故ならこの声には俺もネオルも覚えがあり、更に付け足すならば、つい先程までの会話にもがっつり出てきていた人物だからだ。だからだろうか。その人の声を聞いた瞬間、こうも過剰に反応してしまったのは。
「フィリアたん!? どどどうして此処に!」
そしてその声を聞いて驚いたのは俺達だけではなく、ずっと扉の前で耳をそばだてていた王子様も同じだった。
「その呼び方止めてくださいって何時も言ってるじゃないですか!」
「ははは。そう照れているフィリアたんも可愛いよ!」
「照れてません! いくらお兄様でも怒りますよ!」
「うんうん分かるよ。久し振りに帰って来たお兄ちゃんに構って欲しいんだろう? まったくもう、可愛いなあフィリアたんは!」
「そんなんじゃありません! あと近寄らないでください。そして早く質問に答えてください!」
「またまた~~…………ぎゃああああああああッ!?」
少しの間、言い合いをしていた。……が、突然、そんな悲鳴と共にドガンッ、とかバキッ、という非常に物々しい音が聞こえてきた。
更にボゥッと何かが燃えるような音まで聞こえてくるのだけれど、いったい扉一枚挟んだ向こうにはどんな光景が広がっているのだろうか。
気になって仕方の無い俺は思わず立ち上がって閉められた扉を開け放ちたい衝動に駆られるが、この先に広がっている光景を脳内で漠然と思い浮かべて、止めようと心の内でそう決める。
ここで扉を開けてしまえば見てはいけないものを見てしまいそうで、どうしてか急に恐ろしくなってしまったのは多分……きっと、気の所為だろう。気の所為だと信じたい。
「「………………」」
暫くそのままの状態で耳を澄ましていると、あれだけ騒がしかった扉の向こう側が静まり返った。
俺とネオルは、気付くとゆっくりと首を動かして互いを見やっていた。どうやら俺も、そしてネオルも何があったのかは薄々勘づいているけど、だからといって何をすれば良いのか分からない。なので互いに相手に視線を戻して〝どうする?〟と声には出さずに話し合おうとしているのだろう。
その状態のまま暫くの間だけ微動だにせずに向き合っていたのだが、それは部屋の扉がバーンっと開かれる大きな音によって強制的に終了させられた。
向くと、そこには一人の可愛らしい美少女が僅かに息を切らしながら立っている。
その時の俺とネオルは美少女に釘付けとなっていた所為もあって、何者かによってボロボロにされて通路に転がっていた何処かの王子様が、ズズ……と、誰かに引き摺られていくのに気が付けなかった。……いや、気が付いているという事実を脳が頑なに拒否していたのかもしれない。
「おはようございます。ネオルさん。……オ、オルフェウス……」
その美少女は、ネオルに対して挨拶をする時には最後に会釈をするほど余裕があるように思われたが、俺に挨拶をする時には既にそのような余裕は何処かへと消え失せていて、頬を赤く染めながら俯き加減にそう言った。更に加えるならば、『さん』を付かずに呼び捨てで呼んでいる。
そんな美少女の恥じるような仕草を見て、ドキッとしてしまったのは不可抗力というものだろう。
出来るのならこのままずっと目の前の美少女のそんな様子を眺めていたいが、それ以前に挨拶をされたら此方も挨拶で応えるのが常識というものだ。
「っ、ああ。おはよう……フィリア」
しかしいざ挨拶を交わそうとすると、何故か急に恥ずかしいという感情が沸き上がってきて、美少女──フィリアの名を呼ぶのに一瞬の間を作ってしまった。
そんな俺達は互いに相手の恥じた様子を見ていると、自然と口許が緩んでしまうのが感じられる。そして俺達は遂に相手と視線を合わせていられなくなり、そっと下を向いてしまう。
……可笑しい。これは唯の挨拶じゃないか。だというのに、どうしてこんなにそれを言葉にするのに僅かな躊躇いがあって、顔を向けられないくらいに恥ずかしいのだろう。こんなもやもやした気持ちって、いったい何なんだ? ──フィリアも、もしかしてこんな気持ちでいるのか……?
「「…………っ!」」
恐る恐る下を向いていた顔を持ち上げ控えめにフィリアを見ると、どうやら相手も全く同じことをしていたようで視線がぶつかる。
……可笑しい。これは、こんなの何時もの俺じゃない。いったい何がどうしたというのか。自分の胸に問い掛けても、返ってくるのは〝分からない〟という答えだけ。
再び視線を下に向けてしまった俺の視界には、フィリアの髪の同じ色の可愛らしくも何処か美しさをを兼ね備えたドレスがあって、前に組まれたフィリアの手がもじもじと動いているくらいだった。
恥ずかしい。でもそれ以上に、彼女の顔をもっとしっかりと見たい──。
「私が居るの、忘れてないかい?」
「「──っっ!」」
不意に耳が拾った音によって、俺は急速に落ち着きを取り戻していった。
すると入れ違い様に先ほど感じていたものとは別の系統の恥ずかしさが込み上げてきて、パッと俺とフィリアは視線を逸らす。
「わっ、忘れる訳ないだろっ」
「そそそうですよネオルさんっ」
そう慌てた様子で否定する俺達を見て、ネオルは面白いものを見たかのようにフッと笑った。
「分かった。分かったから落ち着くんだ二人とも」
「「…………はい」」




