第三話 頼み事 ①
「はあっ……」
つい溜め息が出てしまう。
これだけ部屋を悲惨な状態にしてしまって、いったい誰が処理をすると思っているんだか。
「はははっ、父上からはかなり腕の立つ奴と聞いていたが、この程度かっ!?」
うーむ、あの王様が俺をどんな風にこいつに話したのかは知らないが、それよりも今は目の前の問題を何とかしないといけないよな。この部屋の惨状を誰かが見たらどんな風に受けとるかも分からないし、相手がこの国の次期国王だというだけで問題にでっち上げられる事だって考えられる。
と、いう事でまずはこの残念王子様を静かにさせるか。
……この程度? はっ。笑わせんなよ。
「──ッ!?」
瞬間、俺は王子様の目の前から姿を消し、その時にはもう王子様の意識は刈り取られていた。
どうやって移動したのかは、単純に時空魔法による『テレポート』だ。といってもこんな方法を取らなくともどうとでもなったんだけどな。
魔力の供給源である王子様の意識が飛んだ事で僅かに発光していた剣からは光が無くなり、吹き荒れていた風が糸が切れたように止んでいった。
同様に意識という糸が切れた王子様も、力なくその場に崩れ落ちていく。
「全く……」
取り敢えずこれで王子様は大人しくなったし、次はこの部屋の惨状を何とかしないとな。
俺は魔力を集中させ、ある魔法を行使する。
すると然程の時間を労することなく、部屋中に転がっていた瓦礫やら何ならが独りでに浮き上がり、元の場所へとまるで時間を巻き戻しているかのように積み上がっていき、直っていく。
というか文字通り、巻き戻してるんだけどな。
「こんなもんかな」
ほんの数秒。その数秒の内に部屋は元通りになっていた。勿論それは俺のローブや服、切り傷も例外ではなく、何もかもがすっかり元通りだ。
多分もうすぐ誰かがこの部屋にやって来るだろうし、あの状態で王子様を放置しておくのは流石にいけないと、取り敢えずソファーの上まで運んでおく。変な誤解の仕方をされて面倒事にでも発展したら堪ったものじゃないからな。
そりゃあ一国の王子様、それも次期国王に向かって手を挙げたのは間違いではないけれど、あの状況ではそうしたのもやむを得なかった。
ガチャリ
と、何もかもが終わった所で、部屋の扉が開かれる音が聞こえた。
振り返るとそこには一人の男性が立っており、これまた華やかな服を身に纏っている。如何にも私は偉いですよ、とでも幻聴が聞こえてきそうな中年の男性に対し、俺はおもむろに立ち上がって出迎える。
「済まない。お待たせ……し……た」
始めにっこりとした笑顔で待たせた事を謝罪してきたのだが、その途中で俺の反対側のソファーに誰かが寝かされているのに気付くなり最後をくぐもらせてしまう。
そしてたっぷり三秒ほどの時間を費やしてソファーに寝かされている王子様に目をやり、再び此方を見る。
「どうして第一王子が此処で寝ているんだね?」
中年の男性が、やはりそう訊いてきた。
まあこの状況は見ただけでは判断に困るだろうしな。
「これには事情がありまして──」
「はっ! 此処は?」
……何という事だ。事情を説明しようとした所で最悪な状況──王子様が眠りから覚めてしまった。いやもうこれ嫌な予感しかしないのは俺だけだろうか?
こんな事ならもう少し強めに意識を刈り取っておけば良かったと、心の中で後悔する。
「あ、貴様! ……思い出した。おい貴様、さっきはよくもやってくれたな!?」
王子様は俺を見付けるとソファーから立ち上がり、俺の他にもう一人部屋にいる事に全く気付いた様子もなく腰にさした剣を抜き放った。
「……これには深い事情がありまして」
俺はそんな王子様には一切視線を向けることなく完全にスルーし、中年の男性の方へ身体を向けて張り付けたような、僅かに強張った笑顔を作りながら事情を説明しようと試みる。
しかし、意識が戻った王子様が前ではそれも無意味に終わってしまう。
「おい貴様。何処を向いて……む、そこにいるのはネオル殿ではないか。どうして此処に?」
そこで漸く俺以外の第三者の存在に気が付いた王子様は、俺に突き付けた魔剣は下ろすことなく中年の男性──ネオル殿と呼ばれた者に視線を向ける。
俺もつられるようにしてネオルと呼ばれた男性の方へと視線を向ける。するとそこには先程のような柔らかい笑みは無くなっていた。見た感じ普通に笑っている筈なのに、どうしてか目だけが笑っていない少し怖い感じになっていた。
……えーと、どうやら俺はお呼ばれでは無いらしいのだけども、何をしていたら良いんだ? 帰っても良いかな……?
「どうして此処に? それは私が伺いたい所なのだが……、端的に言えばそこにいる少年に用があって来たのだ」
おおう。……うん、何か怖いし、俺は静かに縮こまっていることにしとこう。それが一番だ。
「成る程、奇遇ですな。私もそうなんですよ。ネオル殿はその後で宜しいかな? 何、すぐ終わります」
だが王子様にはあまり効果が無いようで、何でもないように返事を返す。だけどネオル殿と呼ばれた男性の笑顔と比べて、王子様の純粋な良い笑顔でしかない表情を見ていると、何故かホッとしてくるのはどうしてだろうか?
王子様の笑顔もネオルと呼ばれた男性の笑顔も、どちらも同じ笑顔だというのに、何でこうも違って見えてしまうのか……。
「はて、ルシウス殿の用とは一体?」
「いや、私の不在を狙って妹に言い寄ってきた害虫を駆除しようと思いましてね。ははは」
王子様は態々〝害虫〟の部分だけ無駄に強調して言う。この王子様はとことんぶれないな。
というか言い寄ってきた害虫ってどういう意味だよ。
いや待て。……もしかして俺って無自覚の内にそう誤解されても可笑しくないような事をしていたのか? まあ、それは無いか。この王子様が勝手にそう言っているだけで、俺が心配するような事でも無いよな。……無いよな?
「害虫……ですか。それは国王様が公認しているという事実を知っての言動ですか?」
「──ッ! …………今、何て……?」
ネオルが口にした事に、半分くらい暴走状態になっていた王子様の身体がピクリと跳ねてから、動きが完全に停止する。
それはまるで先程まで激しく燃えていたものにいきなり水を被せられ、燃えカスだけが残ったような虚しい状態のようにも見てとれる。
……何だ、これ。さっきまで元気に騒いでいた王子様が急に静かになったんだけど、ネオルという人が言った言葉に原因がある……んだよな? 何か可笑しな事を言っていたか?
あり得るすれば恐らく……〝国王様が公認している〟とかだろうか。でもこれ、どういう意味なのか俺にもよく分からないぞ。王様が何を公認しているんだ?
「そんな、馬鹿な……っ」
王子様は絶望したような表情になる。
……え、待ってその反応どゆ事?
ちょっとこの状況を理解できない者が此処に若干一名いるんですが、一人だけ蚊帳の外に置き去りにして二人だけで話を進めないで欲しいんですが。
「くっ……!」
息苦しい静寂が部屋を包み込んだ後、絶望を味わったような酷い顔をした王子様はネオルを押しやって部屋の外へと出ていってしまった。
うう……む。はてさてこの微妙な空気を一体どうしたものか。
何となくだけど二人が口論してたのは分かるんだけど、肝心の何に対して言い合っていたのかが塵ほどもしれない現状で、俺に言えることはあるのだろうか。もしあったとしても、話の内容を理解していなかった俺には意味ないのかもしれんが……、
「さて、お騒がせしてしまったね。申し訳無い」
不意に、声を掛けられてしまった。
「あ……いえ、そんな」
つい先刻までの不安にしかなれない笑顔とは一変して、柔らかな笑みを向けてくるネオルという男に気後れしながらも、ぎこちなく言葉を返す。
開け放たれた部屋の扉をパタンと閉め、俺から見て目の前のソファーに腰を下ろす。それから言葉には出さなかったけど座るようにと促された。
俺は力が抜けたようにソファーに座る。
「先ずは自己紹介からかな。もう知っているとは思うが私の名前はネオル。ネオル==リーブルグ=イレイタルだ。国王様からは侯爵の地位を頂いているが、あまり気にしなくていい」
「は、はあ……」
もう直接的に貴族と接触するのはそれなりに経験している。……王族とは特にそうだが、この国の貴族って揃って温厚な人達が多いというイメージが既に根付いてしまっている。それだけ王様が良い人だという事だろう。
……まあ、さっきの王子様を除いて、だけど。
兎に角、口調を気にしないで良いのは素直に有難い。
「えっと、オルフェウスって言います」
といっても、直ぐに馴れ馴れしく出来るほど神経は図太くは無いんだがな。
そうすると王様の時は何だったんだと言われてしまうかもしれないけど……。というか、王様にはタメ口で貴族には敬語っていうのもちょっと可笑しい。今度からは王様にもなるべく敬語でも使ってみるか……?
「ははは。気にしているのかな? 国王様と同じように接してくれて良いんだが……」
「え、俺のこと王様から聞いてるんですか?」
あの人、変な事とか言ってないだろうな。何か心配になってきたぞ。
「嗚呼、少しね。それとフィリア様からも色々と聞いているよ。……聞きたいかい?」
…………えっ。フィリアって俺の事を話したりするのか。意外、だな。
だけど、どうしてか沸々とそれに興味を抱いてしまうのは何故だろう。
フィリアが俺をどういう風に見ているのか、どんな風に思っているのか──。
気付いた時には既に首を縦に振っていて、沸き上がってくる興味を抑える事はできずに、静かに耳を澄ました。
「強くて、優しくて、何度も助けて貰った。それに君と会話をするのが楽しくて仕方がないとも言っていたね」
ネオルの言葉を、俺は心の中で復唱する。
──強くて、優しくて、何度も助けて貰った。
──会話をするのが楽しくて仕方がない。
フィリアは、そういう風に俺を見てくれているのか。
そう考えると、自分でもよく分からないくらいに気持ちが高揚して、僅かに頬が赤く染まっていくのがほのかに感じられる。
「料理が上手で、色んな事が出来て、何時も凄いことを簡単にやってのける。……フィリア様がそこまで仰っている君に、私も少なからず興味を持っているんだ」
むむむ……。そんなに期待されても困るんだが、まあ好印象だったから良いか。
それにしても、料理が上手で、色々出来て、何時も凄いことをしている……か。
何だろう。聞くだけだとめっちゃ完璧人間のようにしか受け取れないんですけど、誰だよそいつ。
その当人がこんなんだって知ったらどう思うだろうか。
「……俺は、そんなに凄い人間ではないですよ」
「ふふ。そう謙遜しなくても良い」
いや普通するだろうよ。めちゃめちゃ事実が捏造されているし、出来た人じゃない。
それでも、フィリアにそう思われているのなら、悪い気はしないな。
「おっと、話が逸れたな。君を呼んだ理由だが」
ネオルが、わざとらしく話を変えようとする。
「二週間後、建国祭があるのは知っているとは思う」
……ええはい。知っていますとも。つい昨日知ったばかりだけど。
「そして今年は三百年という記念の年なんだ」
「……そうなんですか」
リーアスト王国が興ってから三百年という事は、勇者様が異世界から召喚されて、魔王を打ち倒した年とちょうど重なるな。
そう呆然と思いながら、俺は話を聞いていく。そしてそれはこの部屋の扉に通路側から耳をそばだてている何処ぞの王子様も例外ではない。
「そこで何か面白い事をしたいと思っているんだが、何か良い案は無いかな?」
笑みを僅かに薄めさせたネオルが、落ち着いた口調でそう訊いてきた。
「それが俺を呼んだ理由ですか」
「勿論違うよ。でも君の意見も聞いていたいと思ってね」
……成る程。意味が分からん。
俺の意見なんて聞いても参考にならないと思うんだけど、
「ううむ……」
急に振られたので、何も考えていなかった俺は仕方無く思考を巡らせ何か良い案はないかと考える。
確か昨日セト達から聞いた話によると剣術大会と騎竜によるショーがあるのは知っている。
となるとそれ以外にやって面白そうなもの、か。
「魔法大会……とか」
そうして捻り出せたのはこれくらいだった。
剣があるなら魔法もいけるんじゃないか──という単純な考えだけど。
「それは私達の間でも出たんだがね……」
ネオルがそう言って此方に苦笑いを向けてくる。
つまり、検討したけど無理そうだったという訳か。
「ま、そう簡単に思い付いたら苦労は無いよ。──本題だが、君に依頼したい事が二つほどあるんだ」




