第十六話 日常 ①
「『ウォーターカッター』! 行ったよアリシア!」
「うん。『ファイヤーウォール』」
広大な広さを誇るセディル大森林に二人の少女の声が響き渡る。
そしてその近くからは少女達の声とはまた別に、何かが蠢き多くの木々を薙ぎ倒しながら進む音も聞こえてくる。ソレは一見ただの木のようにも見えなくもない外見をしているが、普通の木とは違って身体を支える根っこが地面の外に出ており、それがまるで鞭のように不気味に動きながらかなりの速度で移動している。否、逃げているのだ。──ソレを追い掛けてきた少女達に。
最初に放った水魔法によってその不気味に動く木は逆方向に逃げていくのだが、そこで待ち受けていたもう一人の少女の火魔法によって周囲に炎の壁が生まれる。炎の壁は五メートルをも超えそうなソレを軽々と覆い尽くしてしまう程に燃え上がる。だがその魔法はそれを包囲するようにして展開されただけであって、一時的に行動を阻害したにすぎない。
しかし少女達にはその一瞬だけ動きを止める事が出来れば十分だった。
「今です。セト君!」
「任せて!」
瞬間、今まで木の上で身を潜めていた少年が勢いを付けるようにして幹を蹴って飛び降りる。その予測できる落下地点には未だに炎の壁に包まれている動く木があり、このままいけばこの少年は間違いなく炎に焼かれてしまうだろう。
しかし、タイミング良く火魔法を使った少女が魔法を解いた。すると周囲に若干の火の粉を飛ばしながら炎の壁は消え失せて、行動を阻害されていたソレが僅かに動き出す。どうやらソレは自身に迫ってきている者がいる事に気付いていないようで、その場からあまり動こうとはしない。
一秒もせずに接触する事になるだろう少年の手にはつい先程までは何も持っていなかったが、何時の間にか一本の剣が握られていてその剣からは幻想的な光の粒子が放たれている。それだけで唯の剣ではない事が分かる剣は、いったい何処から現れたのか。
「はあっ!」
すれ違い様の一閃は存在に気付けずに何かしらの回避行動を起こさなかったソレに見事に決まり、僅かな時間差を生じながらその身体がずれて丁度半分に両断された。
「やったねセト!」
「セト君、格好良かったよ!」
戦闘が終わると直ぐに二人の少女がセトと呼ばれた少年へと駆け寄り、勝利の嬉しさを共有する。
「ありがとうナディア、アリシア。……どうでしたか? 師匠」
そしてまたしても何時の間にか少年の握っていた剣は無くなっていて、その手は空になっている。そこへ二人の少年が一人の少年を両側から挟み込むように近寄り、それに少し恥ずかしそうにしながらも少女達の名前を口にして笑顔を溢す。
だがその笑顔を僅かに崩して真剣な表情になった少年は、先程の戦闘を介入することなくずっと様子を見続けていた少年に声を掛ける。
すると木の陰に姿を身を隠して戦闘の様子を窺っていた少年がズタズタと三人の前に現れる。
「ま、良いんじゃねえの。でもまあ、次からはもっと時間掛からないようにな」
セト達のハイトレント討伐の一部始終を目にしていた俺は弟子であるセトに短いながらも思った事をそのまま言葉にして伝える。
相手の行動をナディアが水魔法を使って上手く操り誘導し、標的を思い通りの場所まで連れてきたら今度はアリシアにバトンタッチして火魔法による行動阻害、そして最後に最小限の時間だけ聖剣を召喚したセトが殆ど無駄のない一撃で止めを刺す。この断片的な結果だけを見れば俺が口出しする所など一つもないと言っても良いだろう。
しかし最初から最後までを見届けていた俺から言わせてもらえば、レベルも上がって身体能力や魔力量も増え、それに伴ってスキルのレベルもそれなりに上がったであろう三人がかりで挑んだにしては討伐に掛かった時間が長過ぎる。特にアリシアの場所までハイトレントを誘導する時間が長過ぎる。
「折角そんな大層な武器持ってんだから、少しは頭使え」
溜め息混じりにそう言うと、ナディアが反論してくる。
「でも、勝てたんだから良いじゃない」
……はあ、これだから。
「良いか? 勝ったから良いなんて甘いこと考えてんじゃない。此処は魔物の領域だぞ。連戦になる事だって考えられるんだから、魔力消費くらい考えろって事だ」
「うっ」
俺が駄目なところを指摘すると、ナディアが痛い所を突かれたといった表情になる。どうやらその事は自分でも薄々分かっていたのかもしれない。
「それに」
「ま、まだあるんですか?」
更に付け加えようとするとアリシアが言葉を遮ってそう訊いてくる。
いや、〝まだ〟ってどういう事だよ? まだ一つしか指摘してないだろうに、何を言っているんだこいつは。というかダメ出しする所は現状で一番改善が必要な二つに絞ってやろうってんだからもう一つくらい口を挟まずに静かに聞いててもらいたい。
「これで最後だ。──お前ら、武器に頼りすぎなんだよ」
そう、これが一番こいつらに言ってやりたかった事だ。
こいつらが短期間で一気に強くなったのも、レベルが上がったのも、有名になってあっという間にCランクになったのも元を辿れば全てが武器へと行き着く。武器の性能が凄かったからこそ簡単に魔物を討伐する事ができるようになって、それによって今までよりもレベルの上がりがぐんと伸び、周りから最近こいつらスゲーってなって名前が売れて、実力もあるからランクアップも早まった。
まあ簡単にいうと女の子にモテてるから……じゃなくて、急に力を手に入れたからといって調子に乗ってんじゃねーよって事だ。……別に羨ましいなんてこれっぽっちも思ってない。そう、これっぽっちも思ってなんか…………!
「じゃあ、どうすれば良いんですか?」
それに対して俺は乱れた心を落ち着かせながら口を開く。
「簡単だ。それを使わなければ良い」
「「「…………え」」」
◆◆◆
あれから数分、俺達はハイトレントを討伐した場所からそれなりに強くて尚且つ近い距離にいる魔物の元へと向かった。その移動の時には既に三人の剣や魔法杖を取り上げて、それよりも一段も二段も性能の低い武器を渡してある。
因みに何の魔物を追っているのかというと、体長が三メートルにも及ぶ体躯を持ち、全身を茶色の毛並みに包まれている危険度がCランクに指定されているアースウルフという魔物だ。しかも幸運な事に一体で行動している。
最近やっと何時も通りのセディル大森林に戻ったばかりで縄張りも確立していない少し不安定な状況な現在、普段は何体かの群れで行動している場合が多い魔物も単体で行動している事が多い。要するに比較的安全な状態だけど纏めて一気に狩ることが出来ないので、喜ぶか残念がるかの二つに割れるような状態だ。
「はあっ、はあっ……っ!」
「ま、魔力が持たない……」
「私も……っ」
そんな一体のアースウルフにセト、ナディア、アリシアはまるで相手にもされていなかった。
聖剣を使用禁止にされたセトは慣れない剣という事もあって使いにくいのかもしれないが、それ以上に扱いが荒いので攻撃しても大したダメージを与えられないでいる。
ナディアとアリシアは魔法杖に魔力消費を抑えてもらったり魔法の威力を底上げしてもらったりしていた所為で、細かい魔力操作が疎かになって無駄に魔力を消費してしまっている。
「ウォォォォオン!」
そんな体力も魔力も底を尽きそうな三人に向けてアースウルフは嘲笑うかのように土魔法を使う。
それは直接的な攻撃ではなく、足元の地面をまるで水面になったように不規則にぐらつかせる。
「わわっ!?」
「「きゃぁっ!」」
その攻撃にセトは何とか倒れないようにバランスを取るも、ナディアとアリシアの二人は魔法使いとあって運動神経があまりない所為でいとも簡単にその場に倒れてしまう。
「ウォォン!」
身動きの取れない三人を前に、再び吼えたアースウルフの周囲にいくつもの礫が生み出される。
もし何かしらの行動を起こさなければ、後数秒もしないでその礫が放たれた攻撃によって容赦なく礫が三人に降り掛かる事だろう。しかし剣も届かず、魔力も無い少年少女にはそれを回避できるような手段を持ち合わせていない。ましてや足元に全神経を集中させている者には尚更だ。
これはもう駄目だな──と、そう判断した俺はアースウルフと三人の間に割って入る。
「これで分かったろ。自分がどれだけものに頼っていたか」
既に礫が放たれて此方に迫ってきているというのにも拘わらず、俺はそれを何でもないかのようにセト達の方へと身体を向けている。つまり、アースウルフには背を向けている事になる。普通に考えればそんなに死にたいのかこいつ、と思われても可笑しくない奇行だが……。
「あ、危ない!」
あまりにも無防備すぎる俺を見てセトも心配してくれたのか、迫り来る礫に血相を変えて咄嗟に危険が迫ってきている事を俺に知らせてくれるが、その心配は無用だったと直ぐに気付く事だろう。
手を顔の辺りにまで持ち上げ指をパチンと鳴らす。それだけで、今にも背中に激突しそうになっていた礫が消滅した。そして俺は態と一つだけ残した礫を片手でキャッチする。
「よっ!」
キャッチした少し持ちづらい礫を、そんな軽い掛け声と共にアースウルフへと返してやる。
だがそれは常人では視認する事すら不可能なスピードでアースウルフへ一直線に突き進んでいき、空気を切り裂く風切り音を生じさせながら──アースウルフを射抜いた。
「ぃっ、一撃で……!」
「……ランク詐欺ってるでしょ」
「凄いです……」
アースウルフが死んだ事により土魔法が解けて地面が元に戻ると、よろよろとふらつきながらも漸く立ち上った三人が呟く。まあ石を投げつけて倒したんだから驚くのは仕方無いのかもしれないが。
「じゃあ帰る……ん?」
帰るか──と、言い終わる前に俺は言葉を途切れさせてしまう。
「どうしたんですか師匠」
「ちょっと知り合いが魔物に襲われてるだけだ。気にするな」
どうしたのかと訊いてきたセトに、何でもないかのように俺はそう答える。
「いや気にしますよ! 助けに行かなくて良いんですか?」
「まあ、助けるけど」
真剣な表情で詰め寄ってきたセトに近いなおいと思いながらもそう言葉を返すと、流石は師匠です──なんて調子の良い事を言って俺を持ち上げてくる。
そんな馴れ馴れしく未だにくっ付いてくるセトを強引に押し退け、地面にいくつも転がっている小石を一つだけ拾い上げる。ちょっと小さい気もするけど、大丈夫だろう。
「あんた、そんな石ころ拾って何するつもりなの?」
「……まさか」
アリシアの方はこれから俺のやろうとしている事に早くも気付いたようだが、ナディアの方はさっぱり分かっていない様子だ。これで自分も危ない所を助けられているというのに、さっきの出来事をもう忘れてしまったのかと問いたくなる。
それは兎も角、早くしないと危ないので直ぐに投げる方向に身体を向ける。
「──っふ!」
大きく振りかぶり、思いっきり小石を投げる。
すると小石は音速をも超えて一気に加速し、あっという間に見えなくなってしまう。その一連の行動の副産物である突風が周囲を駆け巡ると木々を揺らし、落ち葉を巻き上げ、砂埃を起こしていく。それに思わずセト達は顔を腕で隠したりして風が止むのを待つ。
「よし、帰るか」
「「「いやいやいや、可笑しいでしょっ!」」」
……うわっ、なに三人して全く同じ事を口にしているんだよ。やっぱり仲良いなお前ら。




