第十五話 動き出す者達
薄暗い部屋の中、三人の人間が深くフードをかぶりながら向かい合っていた。
その一人は薄暗い部屋には不似合いな豪華な椅子に深く腰掛けており、唯一露になっているその手には大きな宝石が埋め込まれた指輪をいくつもはめている。それは僅かな明るさしかない部屋の中でもキラキラと光を反射して輝いていて、この場に魔力を感じ取れる者がいればどれもがかなりの魔力を有した魔道具だと気付くだろう。
その者の後ろには長剣を腰にさげている者が微動だにする事もなく直立している。恐らく椅子に座っている者が自身の身を守る為の護衛として付けた者だろう。ローブを身に付けている所為で体格はよく分からないが、それでも只者ではない事だけは理解できる。
そして二人の前には最後の一人である者が跪いている。状況から考えるとこの者が一番下の存在であるのは一目瞭然だろう。そしてこの者も腰に剣をさしている。
この部屋には窓というものは存在しておらず、その所為で外の様子が分からないので今が昼なのか、それとも夜なのかさえもその場では判別がつけられない。そんな外と隔離された部屋を照らしているのは机の上の一本の蝋燭と、天井から垂れている弱い光を産み出している魔道具のみだ。
それ故、何とか周囲を見渡せるくらいの明るさしかい上に、この場にいる者達は三人ともフードで顔を隠しているので男性か女性かといった性別さえも分からない。
「……準備は進んでいるか」
そんなただ一つの音ですら存在していなかった室内に響いた声は男性のもので、その言葉は椅子に腰掛けている者が自身の目の前に跪いている者へと投げ掛けたもののようだ。
「は。問題なく進んでおります」
跪いた者の声もどうやら男性のもののようで、目の前に腰掛けている男性の質問に落ち着いた様子で短くそう答える。その様子を見るといったい何の準備なのかを口にするつもりは無いようだ。
そしてその言葉を聞いた男性は「そうか」とただ一言だけ答える。自分で訊いた割には随分と素っ気ない返しだったが、僅かに持ち上げられたフードによって顔が半分ほど露になる。そのフードの下から覗かせている口許が緩んでいる事から跪いている男性の報告には満足いくものだったのだろう。
「しかし……」
だがその笑みは跪いた男性の一言によってすぐに無くなる。
それをずっと下を向いていた頭を持ち上げる事によって目にした男性は、やはり機嫌を損ねてしまわれたか──と声に出すことなく呟く。沸き上がる恐怖によって急に震えだした身体を何とか静まらせようと手を堅く握り、自身の考えを伝えようと口を開く。
「今この王都には手練れの冒険者が多く滞在しています。SSランク冒険者の剣聖を始め、高ランクの冒険をが……」
「──知っている。それが、何だ?」
跪いている男性の声は最後まで言い切ることなく遮られてしまう。その酷く冷えきった低い声は男性をより一層恐怖へと誘っていき、それによって身体の震えを抑えることが出来なくなっていく。
それでも「何だ?」と訊かれている以上、ここで話を止める訳にはいかない。
「その者達が介入してこないとも限りません」
「ほう」
感心したようにそう溢した男性の表情にはつい先程までの何処か恐ろしいものが消え失せていた。
それを見て跪いた男性は、どうやら話に興味を持ってもらえたようだ──と安心しながら続ける。
「まず間違いなく依頼が出されるでしょう。そうすれば正面から対立するのは免れないかと」
言い終わると、室内には再び静寂が訪れる。椅子に腰掛けている男性は跪いている者の危惧している事に一理あると思ったのか、考え込むように目を閉じている。まるで時間が止まったかのような室内の中で唯一そこに時が流れている事を証明している蝋燭は、長時間に渡って使われていた所為かう蝋がゆっくりと滴り落ちている。
もしこの場に何も知らない他人がいれば、この二人がいったい何の事について話しているのかさっぱり分からないだろう。しかし、話の内容が理解できないとしても、良くない事を企んでいるということくらいは理解できる筈だ。
「しかし御安心ください。我々が負けることは決してありません。何故なら我々にはこれがありますから」
そう言って腰に手を当てる男性に、椅子に腰掛けた男性はニヤリと不気味な笑みを浮かべる。
「当たり前だ。例え相手がどれ程の手練れであろうと、な」
その言葉を聞いてたちまち上機嫌となった男性はワインの注がれたグラスを片手で持ち上げて口許に運ぶと、半分ほどあったその中身を一気に飲み干す。
「勿論です。それで……」
「分かっている。その時は約束通りお前達を解放してやる」
「……ありがとうございます」
これで報告が終わったので跪いていた男性は立ち上がり、その場で深々と一礼をしてから踵を返してドアへと向かっていく。──と、ドアの取っ手に手を掛けた所で男性はまだ己が危惧している存在を一人、伝え忘れている事にはたと気付いて立ち止まる。
これは言うべきかどうか、そんな風に悩んでいると……。
「どうした?」
「……いえ、何でもありません」
椅子に腰掛けている者に後ろから声を掛けられた。
男性はそこで振り返って伝え忘れている最後の一人を言おうかと考えるが、今の行動事態が不審な状況にある以上あらぬ疑いを抱かれないようにとそうと言葉を返す。そしてこれ以上ここに留まっている方が自分が危惧しているものよりも危険だと判断して部屋を出る。
部屋を後にして廊下を真っ直ぐ歩いていく男性は伝えていない者について少し思考を巡らせる。
(『蒼炎の剣士』……。もしそんな者が出てきたら、私は勝てるだろうか)
今やリーアスト王国で一番有名な存在と言っても過言ではないだろう者は、いったいどれ程の実力を有しているのだろうか。
古い文献によれば勇者が倒した魔王よりも遥かな高みに存在していると記されている毒竜ファフニールを、たった一人で倒してしまったという謎に包まれた人物。王族が独自にその者と接触してファフニールの素材を全て引き渡したと聞いているが、どうやって接触に成功したのかまでは流石に頼んだ所で教えてはくれないだろう。ファフニールを屠れるような圧倒的な者との繋がりを独占したいと考えるのは至って当然の事だ。
だが、そんな者が本当に実在しているのか? ファフニールが倒された事実に関しては調べがついているので嘘では無いと断言できるが、それを本当に一人で倒してしまったのかどうかは確証が持てない。リーアスト王国が誇る騎士団長と魔法師団長の二人がかりですらも手も足も出なかったという相手に、たった一人で──?
馬鹿げた話のように聞こえてしまうが、情報がない現状では実在しているかしていないかさえも判断しかねる。
(もし負けるような事があれば……)
塵ほども考えたくないが、嫌でもその可能性について意識してしまう。例え相手が未だに尻尾すら掴めていない『蒼炎の剣士』でなくとも、もし自分が負けた所為でここまで積み上げてきたものが崩れ去ってしまったら──。そんな最悪の事態に陥ってしまったら自分は、大切な仲間達は一体どうなってしまうのだろうか。
考えたくない。しかしそう強く思うと逆に意識してしまう。
(……それでも私は……やるしかないんだ)
感情を断ち切り、自信に付けられた首輪にそっと触れて男は少しだけ歩く速度を早めた。




