第九話 剣聖
駆け付けた衛兵に問答無用で拘束されて引き摺られる様にして関所まで連れていかれた後、俺はそこで色々と取り調べを受けた。
しかし、幸運な事に俺は完全なる無罪を認められた。
始めは俺も自分の耳を疑ってしまった。どうせ此方がいくら誤解だと、冤罪だと無実をこれでもかというほど主張した所で全く相手にされないと思っていたからだ。だってこういう場合は「はいはい、分かったから」って軽くあしらわれてから俺の場合だと「でも多くの目撃者がいるんだよ?」ってくると思ったのだ。確かに俺はあの幼女の頭を鷲掴みしていた所を沢山の人が目にしている。つまり弁明の出来ない事であり、認めざるを得ないと覚悟していた。
そんな事になったら王様にでも助けてもらおうと漠然と考えていたのだが、それがどうした事だろう? 俺の弁明は素直に信じてもらう事が出来た上に、お茶まで出してくれたのだ。
その理由の一つに嘘を見抜く魔道具を使用した事が挙げられる。だが最初は三百年以上前にはそんな便利なものは無かったので、それこそ嘘だろうと衛兵さんの前で笑い飛ばしたらとても怒られてしまった。その魔道具は一見したら唯の水晶玉のようにしか見えなかったが、確かにその前で嘘をついたら光り輝いたのだ。ま、そのお陰で無罪を許されたんだから感謝しないといけないんだけどさ。
後はあの幼女がなんと吃驚、冒険者だったという事もある。つまり冒険者と冒険者とのいざこざっていう訳だから大目に見てくれるらしい。
「はあっ……」
関所から出て真っ先に溜め息を吐く。
「はー」
「……」
すると同じように開放されて関所を出た幼女も真似をするかの様に、それでいて態とらしく俺に聞こえる様に大きく溜め息を吐いた。その行動にちょっとではなく心の底からイラッとくるが、何とか平常を保って見向きもせずにすたすたとギルドへ向かう。
思わぬ時間の浪費をしてしまった所為で辺りはもう暗くなりつつある。
これはギルドに向かう前に宿を取っておいて良かったな──と、思いながら大通りを歩く。
「ねえ、おなかすいた」
「……」
関所を出てからしっかりと幼女が着いてきているが無視だ。
何故なら〝何で俺に着いてくるのか〟とか〝それを俺に言ってどうする〟とか言ってしまえば俺の敗けのように感じたからだ。まあこいつも冒険者のようだから同じくギルドに向かっているのかもしれない。それに実力を多少なりとも隠している様で、見た目も相まって弱そうに見てるがこの幼女はかなり強い方に分類されるだろう。例えるならグラデュースやアランといったくらいだろうか?
「ねーおなかすいた」
裾を掴んで引っ張ってくるが、無視だ。
無視しなかった所為でさっきは散々な目に逢ったんだからな。
それに腹が減ったんなら自分で何か食べ物でも買って食っていれば良いのに。というかそうやって俺の周囲から居なくなれば良いのに。……あ、何なら少しだけ小遣いでもやれば喜んでどっかに行ってくれるんしゃないか? 人の食い物を食った癖にその目の前で腹が減った何て馬鹿なことを口にする奴だし、そうすれば解決するのかも……?
あれ、俺ってば頭良い。
「ほら、これやるから何か食ってこい」
「ん、ありがと」
懐から銀貨を一枚だけ取り出してそれを幼女にくれてやる。
それをさぞ当たり前の様に受け取る幼女に驚いて、足を止めて幼女を見下ろしてしまう。
しかしあっという間に人混みの中へと姿を消してしまった幼女。それに対してやるせない複雑な気持ちになるが、もう走って行ってしまったのでまあいっかと諦めて再び溜め息を吐く。見た目からしてまだ十歳かそこらの幼女を一人にするのは褒められた事じゃないが、あれでも冒険者というのだからまあ大丈夫だろう。俺のパンを盗み食いしていた時を思い出せば常人という枠組みに収まりきらないのは一目瞭然だし、実力があるのは確かな様だからな。
それにしてもあの年頃だとまだ遠慮というものを知らないのだろうか。それとも実は貴族とかの生まれでそういったものに無縁の生活を送っていたとか。まあどちらにせよ過ぎた事だ。
やっと一人になれた俺はギルドに到着し、朝に来たときよりも一層に酒の臭いが立ち込めている中を通って受付まで行く。
「あ、オルフェウス君、お帰り~」
暇そうに頬杖をついていた受付嬢のリーシャさんが俺に気付き、明るく声を掛けてくれたのでその受付へと足を向ける。
取り調べで時間を奪われてしまったので今は夕方に差し掛かっており、殆どの冒険者は冒険から帰り酒場へと足を運んでいる時間帯なので暇なんだろう。リーシャさんだけでなく他の受付嬢も同じような状態なので、此所だけは静かな雰囲気が漂っている。と言っても奥には兼営している酒場があるのでそこから漏れてくる声は騒がしいものではあるが。
「依頼の報告かな?」
「いや、違う。報告という点では合っているが依頼は関係ない」
リーシャさんの質問にそう答え、冒険者である事を証明するギルドカードを提出する。
「何か含みのある言い方だね~」
「今日、テンペストウルフの群れとブラッドスパイダーを討伐した。それも比較的浅い場所で、だ」
リーシャさんはギルドカードを受け取り、俺の話を聞きながら専用の魔道具を使用してギルドカードから情報を抜き出す。するとゆっくりと魔道具から一枚の紙が独りでに出てきて、それを摘まみ上げたリーシャさんの顔は険しいものに変わる。
恐らくその紙にはギルドカードに備わっている〝討伐した魔物の記録〟が記されているのだろう。
「……本当に?」
それにざっと目を通したリーシャさんは顔を上げ、まるで此方を見透かすかの様に静かにそう訊いてきた。
まあギルド職員としてそれが本当なのかを詮索するのは当たり前だろうし、職業柄そう簡単に冒険者の報告を鵜呑みにするのは出来ないのだろう。初めて見るリーシャさんの真剣な表情に珍しいものを見れたなと思いつつ、俺は無言で首を縦に振って肯定の意を示す。
「……そっか」
「信じるかはそっち次第だが、何なら嘘を見抜く魔道具とやらを使っても良いぞ? 丁度それにお世話になったばかりだからな」
何やら心配したような暗い顔をしているので、ついさっき仕入れてきたネタを使って気を紛らわせてやろうと思って言ってみた。
するとそれが効いたのかは分からないが、俺を見て少し吹き出したリーシャさんは気が付けば元のリーシャさんへと戻っていた。
「その話は是非とも聞いてみたい所だけど……。……ねえ、これから時間空いてる? 今回の件にも多少関わっている事なんだけど」
「嗚呼、良いぞ」
「なら二階の応接室に行こうか──」
そうして俺はリーシャさんに連れられて、二階にある応接室へと案内された。
部屋に入るとソファーに座るように促されたので座ると、直ぐに紅茶を淹れてちょっとしたお茶請けと一緒に出してくれた。
「じゃあちょっと待っててね~。直ぐ戻ってくるから」
その後すぐにそう言い残して部屋から出ていってしまい、部屋の中が静寂に包まれる。
返事を返すタイミングを取り逃がしてしまった俺は暫くの間ぼーっと呆けていたが、用意されたお茶請けに手を伸ばして……。
「……おい」
お茶請けが何時の間にか全滅している事に気付いて伸ばしていた手を途中で止める。
そしてお茶請けを全滅させた犯人であろう何処ぞの幼女に声を掛けてみたのだが、どうやらその声掛けには応じないつもりのようだ。
「……むぐむぐごっくん」
俺の隣に堂々と座っている幼女はやはり俺に気付いていないかのように黙々と両手でお茶請けを頬彫り、自身の腹に収めてしまった。
そして汚れてしまった己の両手を暫く眺めると、何を思ったのかその手を俺のローブで拭きだしたではないか。まるでそうするのが当たり前のようにやってのけた幼女は、無言のまま表情をピクリとも変えずに手についた汚れを拭き取っている。静かに見下ろしている俺の視線には気付いている筈なのに全く見向きもしない。
どうやら本当に無視を貫くおつもりのようだ。
暫く何もしないで座っていた幼女だったが、今度は俺に用意された紅茶のカップを手に取って……。
「ずずー、……はあー」
一気にカップのの中身を飲み干した幼女は満足そうに一息吐く。
すると幼女はずっと視線を送り続けている俺の前で行動を起こした。……と言ってもやはり此方には見向きもしていないのだが。
すっと立ち上がった幼女は俺の目の前を通って部屋のドアの方へと向かっていく。目の前を通る時にはしっかりと俺の足を踏みつけて行くのも忘れない。別に踏まれたくらいでは痛くも痒くも無いのだが、イラッとするのは間違いない。
俺が見守る中、ドアまで辿り着いた幼女はそのドアノブに手を掛けて──。
──部屋を立ち去ろうとする幼女の頭にポンと手が置かれた。
「あれ、おにいちゃんだ。いたの?」
漸く此方に振り向いた幼女はキョトンとした顔で俺を覗き込んでくる。
それに俺は笑顔で手に力を込める事で応える。
「いたいよお、てーはなしてー」
さも痛そうに俺の手を両手で抑えてくるが、止めてやる訳がないだろう。
そのまま頭を鷲掴みにした幼女を引き摺るようにしてソファーへと向かっている途中、ガチャリと部屋のドアが開けられる音がした。恐らく……いや確実に、席を外していた受付嬢のリーシャさんが戻ってきたのだろう。それともう一人、誰かが一緒にやって来たようだ。もしかしてリーシャさんはこの人を呼びに行っていたのだろうか。
何時もならば焦りまくる筈なのだが、どうした事が今回はとても冷静を保っていられるな? どうしてだろうか。
兎にも角にも、最悪なのか、はたまた丁度良いのか分かりかねるタイミングで来られたものだ。
「おっ待たせ~! ギルマス呼んでき……って!」
勢い良くドアを開け放ったリーシャさんは何時ものように明るく俺に声を掛けようとするが、その途中で俺と俺が鷲掴みにしている幼女を発見して動きを止める。その眩しい程の笑顔だったものが崩れ去り、驚きのあまりか震える手で俺を指差してくる。
それに俺は溜め息を吐いて背中を向けていた状態から向き直る。
「な、ななな、何してるの!? 私が居ない隙に幼い子を連れ込んで!」
そう口にしながら一歩、また一歩と後退りする受付嬢に何か弁明をしようかと考え込むが、今の状況では逆効果だと判断して大人しくしている事にする。
「はっ! ま、まさか、オルフェウス君ってもしかして……そういう……?」
「ちげーよ!」
……大人しくしているつもりだったのだが、これは流石に否定しないと今後の人間関係に大きな支障が出ると思ったので口を挟ませてもらった。
大事な事なので何度も説明するが、俺はそういう趣味は持ち合わせていないからな!
「じゃあ何で女の子を部屋に連れ込んでるの!」
「連れ込んでねーから! お前と入れ違いで入ってきただろ!」
そう、この幼女はリーシャさんが部屋から出ていく時に入れ違いで入ってきたのだ。とは言っても常軌を逸脱した身体能力によって、普通の人には視認できない速度で部屋に入ってきた……いや、侵入してきたので見ていないのは無理もないが。
しかしだからと言って俺がやったと決めつけるのは無視できたい。
「嘘だ! それより何したの、その子泣いてるじゃん!」
「嘘じゃねーから! それに俺は何もしてないから!」
こいつ、人の話を信じる事が出来ないのか? まあ状況が状況だから仕方無いのかもしれないが、せめて落ち着いて話を聞いてもらいたい。それに嘘を見抜く魔道具さえあれば俺の完全なる無罪を証明できるのに……!
そこ、また泣き真似をしようとするんじゃない!
「でもでも……あたっ!」
「リーシャ、落ち着け」
暴走しているリーシャさんがまた何かを言おうとした時、今までそれを静観していた男がリーシャさんの頭をチョップした。
「うちの者が失礼した。許してやって欲しい。それと随分とお早い到着ですね──剣聖殿?」
「……ん」
目の前の男が言った事に、俺は驚きで固まってしまった。
「剣聖……?」
──誰が、とは言うまでもなかった。




