第八話 久し振りの冒険 ③
更新できて良かった……。
ブラッドスパイダーから三人の冒険者を救出してからもう既に一時間は経過しているが、俺……俺達は未だにその場から移動していなかった。
ではその一時間という少なくない時間を一体何に使っていたのか?
それは──。
「うへー、もう疲れたよー」
「文句を言わないの! こっちは助けてもらってるんだから」
「でもまあ、疲れたと言うのは同感だよ……」
ありとあらゆる自然の音が支配する静かな森林に、ふと別の音が三つほど混じって聞こえてくる。その音の発生元は二人の少年と、一人の少女の声だろうか。
彼等は互いに自分の意思を以て少し距離を取っているようだが、等間隔に離れた三人が行っていた会話をもし誰か、第三者が聞いたならば別に仲が悪いという訳ではないと思う筈だ。それはそうだろう。何故なら実際に彼等の関係は至って良好そのものなのだから。
「おいそこ、サボんなよー」
するとまたしても長閑な森林に一人の人の声が混じる。
その声は先程の三人とはどうやら別の人が発したものらしく、彼等とは離れた場所から聞こえてくる。その声の主である少年は声を掛けている最中も何か作業をしている様子で、手に持ったナイフを使っててきぱきと一連の作業を繰り返している。
「「「……はーい」」」
それを見て三人も渋々といった様子で返事をし、同じように作業を再開する。
(……よし、出来た)
それを見届け、俺も自分の作業に専念する。
俺達は今、ブラッドスパイダーの素材を回収している途中だ。といってもブラッドスパイダーの本体はもう既に亜空間の中に仕舞い込んでいるのだが……。
では俺達は此処に残って何をしているのか、それはまあ素材を回収しているんだが。具体的に説明するとブラッドスパイダーがいくつも産み出した〝蜘蛛の巣〟を一つ一つ回収しているのだ。蜘蛛の巣と聞くとそんなものなんて役に立たないと思ってしまうかもしれないが、それは普通の蜘蛛の場合であってこの場合はそれに当てはまらない。この蜘蛛の糸からは良い絹が作られるから意外と高価で買い取ってくれるだろう。
「……」
自身の手の指よりも太い蜘蛛の糸を一本、また一本と丁寧に手に持ったナイフで木から切り離していき、その全てを切り離したらそのまま亜空間へと放り込む。そしてまた蜘蛛の巣が残っている別の場所へと移動してこの工程を何回も繰り返していく。
正直に言うと、俺もこの繰り返しには飽きた。
更に一時間を費やして漸く全ての蜘蛛の巣を取り終えた時には、昼と夕方の丁度真ん中といった時間帯になっていた。
そこから少しの休憩を取ってから王都へと足を向ける。
「そう言えばオルフェウスさんは依頼とか大丈夫なんですか?」
帰りの道中、ふと剣士の少年がそんな事を訊いてきた。
「嗚呼、そっちこそ大丈夫なのか?」
「いやーははは……はあ」
俺の質問に誤魔化すように笑って見せるが、それも長くは持たずに口から溜め息が溢れる。
大丈夫じゃないのかよ……。
「因みに何の依頼を受けてるんだ?」
「受けているっていうのは正しくないかもしれませんが……。常駐依頼です。なので違約金は無いんですけど……」
「今日の収入はゼロだからなぁ」
補うようにして魔法使いの少年がそう言って天を仰ぐ。
「って事は……」
「Fランクです。もう少しでEランクになれると思うんですけど」
「ま、コツコツとレベル上げるしかねえよなー」
やはり、駆け出しから一歩だけ抜け出せたくらいの新人だったか。
そのくらいの時は俺も色々と苦労した経験があるな。勿論【魔界】に行く前の頃の事なんだけど、あの時は本当に大変だった覚えがある。Fランクに上がったら受けられる依頼の数も増えるから始めは浮かれていたんだが、Gランクに比べて魔物の討伐依頼がかなり多くなるのだ。なので失敗すると違約金というものが発生するというペナルティに慎重になり、結局は違約金の発生しない常駐依頼に逃げてしまうんだよな~。
でもそれだとランクを上げられないから悔しいし、ならやろうって思って依頼を受けると失敗して帰ってくる事がしょっちゅうだった。それで装備はボロボロになるし金は無いしで……。
「大変だな」
「「「……はい」」」
気持ちは良く分かるので、どうにかして助けてはやりたいが……あっ。
「そうだ、これを受け取れ」
「わわっ!? ……これは?」
俺が亜空間から取り出して放った大銀貨を、突然の事で驚きながらも無事にキャッチした剣士の少年がおずおずと訊いてきた。
「さっき手伝ってもらった礼だ。貰っておけ」
俺にはこれくらいしか出来ないからな。
そこら辺の依頼の達成報酬よりかは高い筈だし、しっかり有効活用してもらいたい。
「え、良いんですか!? ありがとうございます!」
「おう……っと、やっと森から出たな」
会話をしている内に森を抜けて辺りが草原に変わった。
これからまた暫くは歩き続けなければならないが、まあ適当に時間を潰しながら歩いていれば意外とあっという間だろう。
王都に到着し、三人とは別れて俺は今夜泊まる宿を探しに繰り出した。
それが終わるとギルドに向かって足を進める。
(ちょっと腹が減ったな……)
やる事を粗方終わらせた後でそう言えば昼飯を食っていなかったな、と今更ながら気付いて大通りを見渡す。
夕飯にはまだ少し早いが取り敢えず軽いものでも食べておこうと、何か美味しそうなものはないか歩きながら物色する。何時も食っている串焼き肉は……駄目だな。ついつい沢山買ってしまう。果物は気分じゃないし、からあげも今はいいな。他に何か……お、あのパン美味そうだな。
「すいません、一つください」
「はいよ! 銅貨三枚だ」
代金を支払って紙袋に入れられたパンを両手で受け取り、ありがとうと言ってから再びギルドへ向けて歩き出す。
そして買ったばかりのパンを早速だが食べてみる。
「美味いな」
出来立てなのかまだ温かいパンを一口食べると、自然と口からそう溢れる。
しかしこれ、普通のパンとは違うな。普通のパンは何て言うか……もっとパンしているのだが、これはそういうものとは違っている。生地はしっとりしていて簡単に噛み千切れるのは今時のものじゃいたって普通のようだが、これはそれに加えて甘い。もしかしてパンに砂糖でも使っているのだろうか。
想像すると何故か美味しくないと思えてしまうのだが、実際に俺が食べているのには確かに使われている。そして美味しい。
「……はむ」
俺が悪魔の開けたゲートを通って【魔界】に渡ってから二十年……じゃなくて、そういや三百年以上って分かったんだっけか。いや待て、【魔界】にいた時間は確かに二十年で合っている筈だから間違ってはいないのか……? まあ今はそんな事などどうでも良い。
きつい言い方かもしれないが、三百年以上も前のこの世界では今に比べてまだまだ文明レベルが低すぎて話にすらならない。まあその時代を生きていた頃はそれが普通で、当たり前だと俺を含めて誰もが思っていた訳なのだが……。
その時のパンなんて固すぎてそのままなんて食えたもんじゃなかった。シチューやスープなどに暫く浸けるか、最低でも水と一緒に食べなければ喉に通す事すら出来なかった。物覚えが悪くなってきた年寄りに至ってはそれを忘れて歯を何本も折ってしまったという話も良く耳にしていたくらいだ。
「……はむ」
それに比べたらいまの時代のパンのなんて素晴らしい事か。
昔のとは逆に年寄りに食わせるのにぴったりの柔らかさだし、食感がガリガリぼそぼそという悲しいものでも無くなったし、何よりそのままでも味がある。それに今食べたパンは更に砂糖を使っているときた。砂糖や塩などの調味料なんて昔じゃ庶民には高額すぎて手が出ないような代物だったからな……。何かがあった日くらいしか使ったりしなかったし、それでもほんのちょっとだけだった。
食べ物の事だけに拘わらず大体の事には勇者様が関係しているっていう事だし、その人には感謝しないといけないな。良く分からないけど魔王という世界を滅ぼうとした奴も倒したらしいし、流石は勇者様だな。
何でも出来るなんてズルすぎではないですかね? さぞ異性にもモテた事でしょうねッ!
「……は」
「……おい」
と、そんな話は置いといて、俺は今しがた捕まえた幼女に声を掛ける。
ここで誤解してほしくないのが俺はそういう趣味の持ち主では無いという事だ。この幼女を捕まえたのにはちゃんとした理由があるという事を理解して頂きたい。
「……なあに、おにいちゃん」
此方に全く目を向けようとはせず、とある一点だけをじぃーと見詰めている幼女はむすっと不機嫌そうな顔でそう言ってきた。
ふむ、どうやらこの俺にしらを切るつもりのようだ。
「お前、さっきから俺のパン食ってるだろ」
「…………たべて、ないよ?」
「ほう」
成る程、成る程。これはやはりお仕置きが必要なようだ。
俺は幼女の頭を鷲掴みしていた右手に力を込める。
「……いたい、よお」
すると如何にも痛そうに顔を歪ませる幼女に、俺は思わず力を込めた手を緩めてしまう。
……こいつ嘘泣き上手いな。良くこういう事でもしているのか?
だがしかし甘かったな。相手が俺でなければそれで騙せたかもしれんが、残念ながらそんなちゃっちな泣き真似では俺を欺く事なんて不可能だ。
だが現実は悲しくも俺に微笑んではくれない。
だってそんな事をしてしまったら……。
「お、おいあれ」
「嗚呼、可哀想に……」
「小さい子を虐めるなんて」
「最低な奴だな」
「冒険者か?」
「誰かあの子を助けてあげて!」
「俺、衛兵呼んでくる」
ほーら、言わんこっちゃない。
「べっ」
──イラッ。
「い、いたいっ、いたいよお」
そして俺は、駆け付けた衛兵さんとちょっとO・HA・NA・SHIする羽目になったとさっ。




