第七話 約束
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あれから一週間、俺は貸し与えられた王城の一室で何不自由なく快適な生活を送ってきた。
しかし、それも遂に終わりが近付いて来ている。
あの日から一週間。俺はこの世界で使われている〝ひらがな〟と〝かたかな〟なるものを完璧に習得し、読むことは愚か、上手に書くことも出来るまでに至った。〝漢字〟はまだ完璧ではないが、それでも、ある程度は理解できている。
つまり、俺が王様に要求した褒美を余すことなく受け取ったという事になる。それは即ち、もう何でもかんでも〝店員さんのおすすめ〟等と自分の意思を封じ込めずによくなったという訳だ。もっといえば、
俺は真の意味で自由になったとも言えるだろう。
そう、俺は文字の読み書きが出来るようになったのだ!
これで、これで俺は自由に自分が受けたい依頼を選ぶことが出来るようになるし、色々と気になっていた料理も一人で注文できるし、これからがとても楽しみだ。
「よしっ!」
久しぶりの黒いローブを身に纏い、俺は住み慣れてしまった部屋から足を踏み出す。
このローブを着ている感覚が心の底から懐かしく感じられ、次第に心が高揚していくのが分かる。それと同時に冒険をしに行きたいという衝動が沸き出てくる。
「⋯⋯あ、あの、オルフェウス」
王城での充実した生活を思い出しながら階段を一段一段ゆっくりと降りていくと、下から階段を駆け上がる足音と弱々しい声が聞こえてきた。
「フィリア」
どうやら此処まで急いでやって来たらしく、少しだけ息が上がっている少女──この国の王女様であるフィリアへと声を投げ掛ける。
最初の頃はまだ身分差や恥ずかしさ、それに躊躇いの感情があったので、フィリア様と敬称で呼んでいたが、一週間の間にフィリアお呼ぶようになった。
⋯⋯といっても、俺が自主的に王女様の事を呼び捨てにした訳ではない。そんな事をした日には、どこぞのシスコン王子に命を狙われ兼ねない。
「わざわざ見送りに来てくれたのか。今まで本当にお世話になったよ。ありがとう」
「い、いえ、私がしたくて行ったことなので、気にしないでください」
あれから一週間、俺の部屋にはほぼ毎日のようにフィリアが訪れるようになった。始めは「どうされたんですか」とか「何か用があるんですか」と色々と聞いたりもしたのだが、その度にフィリアは「理由がなければ部屋に来てはいけないのですか」と上目遣いで言ってくるのだ。
そんな言い方をされては誰だって否定なんて出来なきだろう。何ていっても超可愛いんだもの、向こうからわざわざ来てくれているのに、それを断るなんて出来ないに決まってるだろう。
そして部屋にやって来るフィリアと何でもない話に花を咲かせ、話が終わると帰っていくのだが、その時に「明日は、フィリアって呼んでくださいね」と言い残して行くのだ。
そんな事を言われてしまった俺は、三日で王女様の名前を呼び捨てで呼ぶようになった。
しかし、だからと言ってフィリアと話すことに慣れたという訳ではない。何故なら──。
「その⋯⋯また遊びに来て下さいね!」
超可愛い美少女から放たれたその言葉は、容赦なく俺の心臓にクリティカルヒットする。
そう、この攻撃が毎日のように炸裂するからだ。別に嫌な訳ではない。寧ろそうやって無邪気に接してくれるのは全然構わないのだが、その度に俺の精神はごりごりと削られていく。
「わ、分かったよ。機会があったらお邪魔するよ」
思わぬ出来事⋯⋯というより、何時まで経っても慣れない出来事に直面して、心臓がばくばくと鳴っている。その緊張を誤魔化す為にも何とか平然を装い対応する。
やはりフィリアとの会話では高確率で緊張してしまう。毎日のようにいろんな事を話してきたにも拘わらず、これだけはどうしても慣れることが出来なかったな……。それってやっぱり相手が女の子だからかな? でもフランさんと話すときにはこんな事にならないんだが、……ん? それは何か違う気がする。
「約束、ですからね?」
「っはい……」
気付くと、フィリアは俺の顔を覗き込むようにして此方を見詰めてきていて、恥ずかしそうに頬を赤らめながらそんな事を言ってきた。
その仕草に不覚にも可愛いと思ってしまったのは仕方の無いことだろう。
「では、私はもう行きますね」
無意識の内に口から溢れた俺の返事に、満足そうに満面の笑顔を見せて、フィリアはくるりと此方に背を向けて立ち去ろうとした。
返事は無意識の内にしてしまったが、どのみち、同じような返事をするのは確定事項だ。
そして俺は、今にも階段を駆け降りてしまいそうなフィリアを見送って──。
「待って!」
──気付けば、声を掛けてしまっていた。
「っ、どう、しましたか?」
まさか声を掛けられるとは思っていなかったのか、とても可愛らしくキョトンとしながらフィリアは此方に振り向いた。
「えっと⋯⋯」
先ほど漸く落ち着いてきた心臓が再びドクドクと速くなっていくのを感じながら、気合いを入れる為にギュッと拳を握った。
何も考えず咄嗟に声を掛けてしまったのは失敗だったかもしれない、そんな思考が過るが、無理やり頭の片隅へと追いやる。しかし、この後どんな話をしたら良いのか、正直にいうと全然分からない。
「オルフェウス?」
「っ」
思えば、俺からフィリアに話し掛ける事は数えるほどしかない。
いつもフィリアから話し掛けてきて、俺は耳を傾け相槌を打つだけ。はたして俺が話題を持ち出したのはいくつあっただろう。
あーもうっ、考えても仕方ない。これは勢いで乗り切るしかないか!
「その⋯⋯っ!」
そんなの無理だあああああっっ!!
いやいや落ち着け俺っ。
そう、別にここは、何か話す必要はないのではないか? 別れの挨拶は済ませた後だ。以前ネルバでセト達と別れた時は────。
「⋯⋯これ、フィリアに似合うと思うんだけど、どうかな」
「わあ、綺麗」
俺はあるものを亜空間から取り出し、それをフィリアに手渡した。
それは女性がよく身に付けるアクセサリーなどの類であるネックレス。
当然だが、俺がそんなものを持っている訳がない。つまりこれは唯のアクセサリーではなく、俺が自らの手で製作したネックレスに似せた魔道具なのだ。
この魔道具は常に効果を発揮するようなものではなく、ある状態になった時に所持者の意思に拘わらず、勝手に効果が発動する仕組みになっている。要はその時以外は唯のアクセサリーでしかないのだが、これでも俺の自信作の一つだ。
「それがあれば、きっとフィリアを守ってくれる筈だから」
「⋯⋯っ、ありがとうございます。一生大切にしますね」
「えっ、いや、そこまで大切にしなくても⋯⋯」
「いいえ、大切にします」
そう言って、フィリアは早速その魔道具を首にかける。
「どう、ですか?」
オレンジ色の美しい宝石がとても良く似合っていて、めちゃめちゃ可愛いです。それに純白のドレスにも凄い合っていて見惚れてしまいそうです。⋯⋯なんてことは恥ずかしすぎて口が裂けても言えないけれど。
「とても良く似合ってるよ」
「ふふっ、ありがとうございます。⋯⋯では、今度こそ行きますね。約束、忘れないでくださいね」
そうして悪戯っぽい笑みを浮かべながらフィリアは駆け足で俺の前から去っていった。
──その笑顔に思わずドキッとしてしまった俺は、暫くの間その場に立ち尽くす事になった。




