第二話 スタンピードの恩恵
次の朝、俺はまた何時もと変わらず大通りを歩き、冒険者ギルドへと向かっていた。今日は何時もの服装ではなくローブを着ていないがそれでも冒険者風の服装だ。まだ朝方に近いので太陽は斜めに出ており、それが王都を照らしている。
今日の王都は何時もとは少し……いや、かなり違っている。普段のこの時間帯となると漸く人がちらほらと出てくるくらいだが、今日はまるで昼間のように大通りだけでなく王都中に人が溢れ返っている。そしてそこかしこから賑やかな声が風に乗って流れてくる。お祭り騒ぎ、という言葉が一番しっくりとくるこの光景を見ていると自然と心が高揚していく。
何故このような状況になっているのかというと、まあ俺にも心当たりはある訳で……。
「こうズバーンってよお、剣を一振りしただけで何万っていう魔物を倒しちまったんだよ!」
「ええ、本当かい?」
「本当だって! なら他の冒険者にも訊いてみろよ、凄かったんだぞ!」
「へえ──」
ちょうど、近くの屋台からそんな話し声が聞こえてきた。
冒険者、騎士、魔法師など力のある者達を筆頭に数十万という馬鹿げた魔物の大群と死闘を繰り広げたスタンピードから二日。その勝利を称え、平和が戻ってきた事を喜び、このようなお祭り騒ぎが昨日から行われているらしい。
スタンピードは恐ろしいものだが、それを乗り越えた後に得られるものは大きい。それは魔物の素材や肉が市場にこれでもかというほど出回るからだ。そのお陰で物価が下がり、保存の効く素材の方は何年分という量をここぞとばかりに買い占める者が結構いるらしい。肉の方も干し肉にしたりと色々と加工して長持ちさせられるがそれだけで収拾などつく筈もなく、早く消化してしまおうと破格の値段で売られている。それにより貧しい人々にも行き渡り、お腹を膨れさせる事ができる。
しかし、スタンピードは確かにその爪痕を残していった。立ち向かっていった者達の何割かは二度と帰らぬ人となり、大多数が身体、もしくは心に一生残る傷を作ってしまった。もちろん生き残れた者達だって大勢いる。寧ろあれだけの規模で死者が二割で留まったのが奇跡といってもいい。だがそれらをきっかけに戦線を離脱していく者も少なくないだろう。
それを民は知らない。だから結果だけを見て歓喜し、こんなお祭り騒ぎをするのだろう。……いや、知っている人もいるのだろうが、決してそれを表に出さず、口に出すことは無いだろう。もし言ってしまえば──崩れてしまうかもしれないから。だから言わない。知らないふりをしていくのだ。
だがそれでも、彼等は忘れる事は無いだろう。
「あ、オルフェウス君!」
「おはよう」
冒険者ギルドに到着し中に入ると、シエラとイリアが此方に向かって手を振ってきた。
そして俺も、そんな最高に格好良い先人達を忘れる事は無いだろう。先人達が命を懸けてまで守り抜いたこの場所を、人々を、家族を、仲間を、笑顔を、──平和を。
──守りたい。
◆◆◆
此処はとある行き付けの酒場。
まだ日中だと言うのに既にほぼ満席状態の酒場では男達が酒を飲み交わし、運ばれてくる料理の数々を酒と一緒に喉に流していく。もうかなり酔っているようで、呂律が回っていない者も多い。しかしそれでも男達は何でもない話に花を咲かせながら上機嫌に酒を飲み続ける。
「お待たせしました」
「おう、サンキューな」
混雑している店内をするすると移動して料理を届けた少年は会釈と共に一礼して厨房へと戻っていく。
しかし直ぐに厨房から出てきたと思えば手に料理を持って別のテーブルへとその料理を運んでいく。そして再び軽く会釈をした後で器用にテーブルとテーブルの間を縫うようにして厨房へと戻っていく。
「はぁ~」
厨房に戻ってきた俺は大きく溜め息を吐きながら近くの椅子へと崩れ落ちるように座る。
俺は現在ある依頼を受けている最中だ。それは酒場の人員補充。過去最大最悪と噂されているスタンピードにより発生したお祭り騒ぎ。しかも物価が下がった事により更に拍車が掛かって本当に収拾がつかない盛り上がりとなってしまったそれに、あらゆる場所で人手が足りなくなっている。頼みの綱であった肝心の冒険者はというと受け取った報酬があるので依頼など受けず、スタンピードにより森林の魔物が殆ど居なくなってしまったので狩りにも行けない。つまりはその冒険者達までもが客として来てしまい、大忙しということだ。
「お疲れオルフェウス君。はいこれ、四番テーブルね」
「了解」
イリアが出来上がったばかりの料理をカウンターに置く。イリアとシエラは厨房で料理を作るのを手伝い、俺が出来た料理をお客に運ぶ役割だ。
俺は椅子から立ち上がりるとそれを受け取りさっさと運んでしまおうと歩き出す。
「お待たせしました」
──おおおっ!
テーブルの間を移動して四番テーブルに辿り着き決まり文句を口にしながら料理を置くと、離れた場所から声が上がった。何事かと気になってそちらを振り向くと二人の酔っ払いが互いに向かい合っており、今にも殴り掛かりそうな形相で睨み合っている。
(またか……)
その光景を見てもう何度目か分からない溜め息を吐く。
此処は酒場であり、訪れる者達の殆どは必ず酒を飲む。その所為で酒場内はかなり酒臭い空気が充満しており、その空気を吸っただけで酒に弱い人ならば酔ってしまうくらいだ。呂律が回らなくなったり言い合いをするだけならまだ良いが、この様にそれがヒートアップして喧嘩になるのは最悪だ。しかも周囲の人達は全員が例外なく酔っ払いときた。つまり止める者が誰一人としていないのだ。寧ろ面白がって野次を飛ばしている。
「良いぞー!」
「やれやれー!」
「がっはっはっは」
全く、勘弁して欲しいものだ。
「ふ、二人とも落ち着いて、ね?」
と、その間に割って入る者がいた。
この酒場を切り盛りしている女将だ。
「うるせえ! 邪魔すんじゃねえ!」
「きゃっ」
一人の男の前に立って何とかして宥めようと試みる女将だったが、もう完全に酔いが回っている男にその言葉は無意味だったようだ。横に強く押されて体勢を崩した女将が地面に倒れ、その内に酔っ払い同士の喧嘩が始まってしまった。
二人の酔っ払いが同時に拳を突き出す。
「「っ!?」」
しかしそれはどちらの身体にも届くことは無く、いつの間にか二人の間に立っていた少年によっていとも簡単に掴まれてしまった。周囲の人だかりも遅れてその少年の存在に気が付き、何だ何だと先程とは違う騒がしさに移り変わった。拳を捕まれた男達は何とかしてその拘束を振りほどこうと必死になって腕を引っ張るが、まるでびくともしない。
「お客様、喧嘩をするなら他所でお願いします」
その見た目とは反して鋭い視線と共に放たれた言葉は、喧嘩をしていた二人だけでなく周囲の人だかりの酔いまで覚まし、あれほど騒がしかった酒場がしんと静まり返った。
「あ、嗚呼」
「す、済まない」
それを聞き、満足そうに会釈をして掴んでいた拳を離して、後退るように左右に分かれた人だかりの間を通って厨房へと戻っていく。
少年が戻っていくと静まり返っていた酒場に再び賑やかな声が戻り、酒を飲み交わし始める。まるでついさっきの出来事が無かったかのように、酔っ払い達はその事を酒と共に流してしまった。それに女将さんも満足そうに笑顔を作り厨房へと戻っていく。
「いや~オルフェウス君、本当に助かったよ~」
「依頼ですからね、当然です」
「素直じゃないな~、このこのっ!」
そう言って上機嫌に俺の頭をわしゃわしゃと撫でてくる女将。
このやり取りも今日で何度目だろうか。さっきのような酔っ払いのいざこざを収める度にしてくるのでもう慣れてしまった。
「っと、君達もう手伝いは良いよ。今日はありがとね」
不意に頭を撫でるのを止めて女将が言ったことに、少しポカンとしてしまう。
「え、もう良いんですか?」
「うん、そろそろ夜番の子達が来るからね。はい、依頼の達成用紙」
「ありがとうございます」
依頼の達成を証明する達成用紙を受け取り、酒場の制服から私服に着替えて酒場を出る。
辺りは暗くなり始めているがまだ街灯が灯る程の暗さではない、微妙な時間帯だった。
「オルフェウス君、お疲れ様~」
「大変だったでしょ……?」
「まあなー、でもあのくらいなら大した事ねえよ」
ギルドへと向かう途中、シエラとイリアは俺の心中を察してかそんな事を言ってきた。
だがまああれくらいで事が済むんなら全然なんでも無いんだけどな。それに比べて【魔界】にいた頃は……っと、危ない。うっかり思い出したくない昔の出来事を思い出してしまうところだった。
「それにしても、本当に祭りだな」
「まあねー。今だったら高級肉だって安く食べられるもんね!」
「もう、太っちゃうよ」
そうこうしている内に冒険者ギルドへと到着し、受付で依頼の達成用紙を渡して報酬を受け取る。因みに受付嬢は何時もの如くリーシャさんだ。
「もう、今度は無くしちゃダメだからね!」
「分かってるよ」
「宜しい」
依頼の報酬を受け取った後で俺は少しリーシャさんにお説教を食らっていた。というのも、冒険者であることを証明するギルドカードを無くしてしまったという事にして新しく再発行してもらったのだ。含みのある言い方だが、まあ色々と訳はある。
俺は邪竜ファフニールを討伐した。これだけでもう分かるだろうが、つまりその時のギルドカードをそのまま使ってしまうと俺がやったことがバレてしまうのだ。シエラとイリアと俺の三人で初めて行ったウルフ狩りの時に教わった通り、今のギルドカードには自分が討伐した魔物の詳細を記録するというものが存在する。更に言えばこの機能は異世界から召喚された勇者様が特殊な方法で付けたもので、記録される魔物の種類は勇者様が討伐した事のあるものだけらしい。……めっちゃ頑張ってるよな勇者様って。
だが、勇者様と言えど限界がある。勇者様が討伐出来なかった魔物に関しては名前が表示されないらしい。その一つにファフニールがあるという事で、バレたくなければと王様が教えてくれたのだ。いやまじ王様に感謝っすわ。
「じゃあ帰るか」
「え、ご飯食べに行かないの?」
シエラが頭に疑問符を浮かべてそう訊いてくる。
「嗚呼、済まない。それと一週間くらいギルドに顔出さないと思うけど心配しなくて良いからな」
「どうして?」
むう、イリアめやはり訊いてくるか。これはあまり人には言いたくないから適当にでっち上げて回避できれば良いんだが……。
「ええっと……な、ちょっとやりたい事があって……」
「ふーん? まあ、分かった」
「じゃあ暫く会えないね」
ちょっとだけ寂しそうに言ってくる二人に少し申し訳無い気持ちになってしまうが、もう会えないという事では無いから我慢してほしい。
短く済まないとだけ言って賑やかな大通りをゆっくりと歩く。
「じゃ、俺は行くよ。またな!」
「うん」
「またねー!」
行き付けの……というよりさっきまで人員補充として依頼を受けていた酒場が近付いてきたので二人と別れ、俺は大通りを走り抜けた。




