第十六話 王都防衛戦 ⑤
しかも、剣を手に持ち魔物へと斬り掛かっているではないか。
⋯⋯って、えええ!? 何それどうなってんのっ!?
いやちょっと待て、しっかりしろ落ち着け俺。冷静になって考えれば、こんな戦場に王女様がいるわけ無いと直ぐに分かるじゃないか。
それに、護衛も無しに単身で魔物と戦っているのは流石に考えられない。
つまり、あの人はただ王女様に似ているというだけの冒険者だろう。それに遠目からだからちらりと見えただけだし、近付いてみれば全然違う人だったりするかもしれない。
しかしどういう訳か、頭に王冠にしか見えない王冠を乗せているおっさんもいるんだが⋯⋯それに、こっちはばりばり騎士達によって厳重に護衛されてたりしてるんですが。
「⋯⋯⋯⋯まじ?」
え⋯⋯本当に? でもあれを見てしまうとその可能性を考えなくてはいけなくなるというものだが、あれって本物の王様?
見たこと無いから判別のしようもないが、明らかにそれっぽいよな⋯⋯。
あれが王様というのであれば、あの少女も本物の王女様という可能性が出てくる。
──と一人であれこれと考えていた時、王女様が魔物が振るった一撃によって吹き飛ばされる姿が目に映った。
「────っ」
その突然の出来事に俺の身体は石のように固まってしまった。
声にならない声を上げて、ただ突っ立って見ていることしか出来なかった。
先程までの浮かれたような気持ちは驚くほどあっという間に消え失せて、冷静になり、頭からすぅと血の気が引いていく感覚に襲われた。
俺の瞳は、あたかも時の流れが緩やかになったかの様に世界を映す。
宙を舞った小さな身体が地に叩きつけられ、手から剣を手放し地に這いつくばる少女の姿を鮮明に映していた。
美しい衣装は土まみれになって汚れ、端々が綻び千切れかけている。
そこから覗かせている真っ白な手足や顔には無数の掠り傷、擦り傷がそこかしこにあり、血が滲んでいる箇所もある。
防御魔法を使っていたのか、幸い大きな傷が見られない事が何よりの救いだが、それでももう戦う事が出来る状態ではないことは一目瞭然だった。
──だがそれでも、少女は震えた足で立ち上がる。
吹き飛ばされた時に肩を痛めてしまったのか、右手で左肩を押さえながら、震えた足で強く地を踏みしめている。
周囲の騎士が兜の外からでも分かるほど必死な様子でそちらに目を向けるが、助けに行こうとも魔物という壁に行く手を阻まれてしまう。
その間にも、魔物は容赦なく少女──フィリア王女に襲い掛かり。
「────ッッ!」
瞬間、守らないと──という気持ちが溢れた。
その気持ちはあの少女が王女様だからという訳ではない。
守りたい、そう想った人がたまたま王女様だったというだけであり、きっと俺は、誰であろうと手を伸ばしていただろう。
──オルフェウス、お前はさっきまで何をしていた?
か弱い女の子があんなに傷付いてまで戦っているにも拘わらず、こそこそと隠れて覗き見しているだけだなんて最低だ。
──オルフェウス、此処は何処だ?
此処は俺の生まれた世界だ。間違っても俺が育った【魔界】ではない。
そうだ。此処はいつ死ぬかも分からない殺伐とした世界ではない。
視るべき世界を間違えるな。
「此処は【魔界】じゃない」
気付けば、少女の目の前に立ち魔物が振り下ろした巨大な棍棒を片手で掴んでいた。
振り下ろされた棍棒に恐怖し、堅く目を瞑った少女は何時まで経っても想像していた痛みが来ないことに気付き、ゆっくりとその目を開ける。
「ぁ⋯⋯」
その声は弱々しく、いとも簡単に周囲の雑音に掻き消されてしまう。
だがそこに、あまりにも多くの感情が宿っている事を俺は知っている。
そのか弱い声を聞き届けた俺だけが知っている。
──いや、俺如きでは計り知れない程の感情が宿っている事だろう。
国のために、民のためにと己を奮い立たせ魔物へと立ち向かう勇気。
自ら振り抜いた剣が魔物の肉を断ち、絶命していくそれを見て沸き起こる嫌悪感。
時間が経過するに連れて徐々に精神を磨り減らしていく疲労と虚脱感。
斬っても斬っても勢いを衰えさせることなく押し寄せてくる魔物に対する絶望。
仲間が負傷し一人、また一人と撤退し、若しくは戦死により戦線を退いていく度に膨らんでいく恐怖────。
どれだけのものを背負いながら、彼女が今、此処に立っているのか。
俺は知っている様でまるで理解できていなかった。
だがそれでも、もう悲しませる事だけは、絶対にさせない。
「失せろ」
掴んでいた棍棒を半ばから握り潰し、すかさず魔物に接近して殴り飛ばす。
そして直ぐに少女の方へと振り向き歩み寄る。
未だに現状を把握しきれていないのか、近付いても唯呆然と此方を見上げている少女に、何も言わずに魔法を掛ける。
少女は淡い幻想的な光に包まれ、光が消えた時には白い肌に傷などひとつも見受けられず、その上、戦闘によりぼろぼろになっていた衣装も元通りの美しいものとなっていた。
「わあ⋯⋯っ」
その現象に思わずといった風に口から漏れた声を聞いて、俺は仮面の下で満足そうに口許をほころばせる。
「もう大丈夫だ」
「──っ」
安心させるように手を少女の頭の上に置き、軽く撫でる。
それをされた少女はというと見る間に顔を真っ赤に染め上げて恥ずかしそうに俯きそれを隠す。
その姿が何とも可愛らしく、安心した顔にこちらも安堵する。
このままずっと頭を撫でていたい衝動に駆られてしまうが、現状は何一つとして解決していない。
ここからは、俺の番だ。
「──『マキシマム・フレイムエンチャント』」
先ずは一閃。鞘から引き抜いたその勢いのまま思いっきり剣を横凪ぎに払う。
その一閃は虚空を切り裂くが、描かれた弧からは見た者を惹き付ける鮮やかな蒼い炎が飛び出した。
本来それは原形をとどめない炎であるにも拘わらず、まるで刃の形を成して揺らめきながら、真っ直ぐ魔物へと空気を焼焦がし、切り裂き突き進んでいく。
その刃は放射状に大きく広がっていき、それが魔物と接触する頃には数十メートルにも及ぶ凶器へと化していた。
だが、数十体の魔物を纏めて一刀両断すると思われたそれは、まるで実体が無いかの様に透過していく。
その不思議な現象を見ていた者達にとっては、俺が何をしたのか分からない上に、結局それがどういったものだったかも分からなかっただろう。
──直後、魔物が一斉に崩れ落ちた。
「何が、起こったんだ⋯⋯!?」
「まさか、あいつがやったのか?」
「一体どうなってる⋯⋯」
「あれだけの魔物を一瞬で⋯⋯!」
本当に突然の事で、何がどうなったのか全く理解することが出来ないでいる人々が戦闘の手を止めてざわめき出す。
それがどれだけ危険な事か分かってない者達ではない筈だが、この状況では誰もがそうせざるを得なかった。
俺が使ったのは、別に特別な技術とかそんな類のものではない。
剣に火属性を付与させる付与と、斬撃を飛ばす事が出来る付与を行い放った一閃だ。
飛ばした斬撃──〝飛刃〟と呼んでいるそれで魔物を斬り裂き、その傷口を付与した炎で焼き繋ぐ。
切断面を強引に溶接し、後は心臓から送り出される血液が行き場を失い絶命する。
辺り所が悪ければ即死だろう。
しかし、何故だか知らないが昔は赤かった炎が何時の間にか蒼い炎になっていて、威力も洒落にならない程に上がっていたため、この世界に戻って来てからは使ってこなかった。
だが、やはり纏めて始末するには持ってこいの技だ。
この技の欠点を挙げるとするならば食える肉が焼かれてしまうという所と、魔法を解かない限り剣がずっと燃え続けるということか。
なので現在持っている剣には今も蒼い炎が纏わりつくようにゆらゆらと燃えている。
「よし、行くか」
呟いて、目の前に生まれた幅が広すぎる道を走り抜ける。
両端に群れている魔物達は俺を警戒して⋯⋯というよりも純粋に怯えているので襲ってくることはなく、ただ通り過ぎるのを呆然と眺めているだけだった。
まだかなり魔物がいるが、大半はこれで減っただろうし、残りは任せてしまっても大丈夫だろう。
それよりも今は、この先にいる強大な魔物の元へ向かうのが最善だと判断した。
誰だか知らないがあれを抑えるのは容易ではないだろうし、加勢しないと本当に危険だ。
まだ間に合うと良いのだが──。




