第十三話 自称神
──悪魔。
それは、人ならば誰もが持つどうしようもない側面に取り入り、求めに応じ望みを叶え、それに見合った代価を貰い受ける存在。
悪魔はこの世界に在らず、【魔界】に住まう邪悪。
世界と世界を繋げる【ゲート】を生み出し魔界からやって来ては、心の弱い人を騙し、欺き、崩壊へと導く滅びの象徴。
そんな世界の侵略者を、ラントリエ王国は許容しなかった。
勇者が魔王を倒し世界を救った古の大戦が終わり、世界が緩やかに平和へと近づいていく中、唯一、人類最後の砦となった【聖域】を領土としていたことから国力を残したその国は、前触れもなく〝悪魔狩り〟を始めた。
勇者と共に魔王を討ち倒した仲間のひとり──【聖人】と呼ばれた者に王位が継承され、聖国となった国が世界の復興を後回しにしてまで行った最初の事柄。
そうして世界に極少数存在していた悪魔達は瞬く間に狩り尽くされた。
当然、抵抗はあった。しかし聖人──教皇は、己の持つスキル『付与魔法』によって作り出した魔道具を駆使して徹底的に悪魔を追い詰め、そして。
──正義という剣を大衆の前で振り翳し、魔王にとって換えられた悪の象徴を断罪するように、民衆の前で残酷に殺して見せた。
一方、並行して行われていた生き残りの魔族の掃討は、聖人が想像していた以上に難航した。
元々圧倒的な数の差をものともしない戦闘能力を有していたことも然る事ながら、魔族はこの世界で唯一、魔法を必要としない飛翔を可能とする翼を持っていたからだ。
それに加えて、自らの体を霧へと変える特殊な魔法を使い討伐隊から逃れていた。
だが、教皇に与えられた魔道具により状況は一変することとなる。
それは子どもでも振るえるような、小さな短剣。
見た目はミスリルで作られた唯の短剣だったが、それで斬り付けられた魔族はたちまち魔法が使えなくなった。
魔法が使えないダンジョンや魔法が効かない魔物などを元に作り出された魔道具の効果は『分解』。魔法を分解し、魔力を分解し、最終的に魔素へと還元させる魔法使い殺しの短剣。
これにより形勢が一気に傾き、多くの魔族の血が流れた。
捕らえられた魔族の長は更に強力な、オリハルコンで作られた十字架の形をした封印魔道具により拘束され、公開処刑が執行されたという。
『我が名はアドラ。魔王様に仕え、魔族を導く者。吸血鬼の王アドラだ』
その時、その者が最後に残した言葉。
魔族の名前に因んで十字架の魔道具は『アドラクロス』と名付けられ、その後、魔を打ち払い繁栄がもたらされるようにと、ラントリエ聖国がフレイド帝国に対する友好の印として贈られた。
平和を取り戻しつつあったその時代、これ以上にふさわしいものは無かったことだろう。
そんな歴史も時の流れとともに風化し、今ではもう殆ど知られていない過去の遺物。
時代という埃が降り積もり、未来永劫、その埃が払われる日など訪れることはない。
「──その筈だったのだがな」
歴史は繰り返すとはよく言ったものだ。
その出来事を切っ掛けに⋯⋯いや、もうとっくの昔から、世界は少しずつ動き始めている。
始まりは、たったひとりの少年。世界全体で見れば取るに足らない存在だ。
けれど彼の起こした波紋は留まることなく広がり続け、世界にその名を轟かせた。
三百年振りに竜王バハムートが人の前に姿を現し、三百年前に忽然と姿を消したエルフ族が現れ、三百年もの間観測されてこなかった悪魔が魔界からやって来た。
帝国に勇者を名乗る者まで現れる始末。
まるで、止まっていた秒針が再び時を刻み始めたような。
降り積もった埃が瞬く間に振り払われ、この先、世界はどう動いて行くのか。
きっと神でさえも判らないその行く末に待つのは希望か、破滅か、それとも────。
「──オルフェウス。昔聞いた名前だと思っていたが、まさか、彼がその人間の友達だったか」
沈んだ太陽に背を向けて、這い寄る宵闇を眺めながら、竜王バハムートは呟いた。
片手には一冊の本が握られており、表紙には【伝説の勇者の物語】と綴られている。彼が人里に降りて来てから暇を見繕っては読み進めていた、誰もが知る英雄の物語だ。
「そろそろ、世界の全てを正さねばならぬという訳か。全く、この世にエクスカリバーなど残しおって。勇者殿はこれを見越していたのかね」
瞳を閉じて、軽く溜め息を吐き出したバハムートは、誰に語り掛けるでもなく続ける。
「にしても、本当にいい加減な物語だ。悪魔狩り? 人間が知恵を絞ったところで、ゲートを生み出す悪魔に敵う筈もないだろうに」
竜王の持つそれには勇者が魔王を倒した後の歴史もまた、簡単にではあるが記されていた。
この一冊は王城の図書館から借りてきたもの。その様な代物にそう綴られているのだから、疑う余地なくこれが伝えられた歴史であることは間違いない。
「────そうすることが最善だと判断したのは、他ならぬ君だった筈だけどね」
ふと、風に紛れて、竜王の背後に何者かが姿を現した。
真っ白な衣服を身に纏ったその者は、髪も驚くほど白く透き通っていて、暗くなり始めた世界でも瞳は蒼く美しい輝きを放っていた。
そんな男とも女とも見てとれる中性的な顔立ちの存在に、竜王は振り返ることなく言葉を返す。
「エクスカリバーの結界が破られたかと思えば、お前の仕業か」
竜王はその存在を知っていた。
たった一度その目に映したきりではあるが、竜王にとって忘れもしない人物だ。
「ボクは切っ掛けを与えただけで、最後は聖霊王が判断したことだよ」
「そうやってまた、別の世界から勇者を連れてきたのか。どうやらまだ魂の観察に飽きていないらしいな」
「ちゃんと死者から選んでるし、合意の下でやってるんだけどなぁ」
その者は竜王の言葉につらつらと弁明を並べる。
そこで漸く背後へと振り返った竜王とその者の目が交わり、訝しげな視線を送る竜王にその者は満面の笑みで返す。
「今回は何処の国も【勇者召喚】などしていないが」
「じゃあ野良勇者だね!」
質問に真面目に応答するつもりはないらしく、その態度に竜王の額に僅かに青筋が浮かぶが、諦めにも似た溜め息を零す。
「まあでも、今回はボクの世界も被害者なんだから、そこは多目に見てよ」
「たかがガーディアンエンジェルを幾つかくすねられた程度だろう?」
「あはははっ────面白いこと言うねぇ」
無邪気な声の裏には、凍てつくほど冷徹な感情が潜んでいる。
それは紛うことなき怒りそのもので。
「三百年前に見逃してやった恩も忘れてボクのオモチャに手を出したんだ。生かしてはおけないよ」
「物騒だな」
「安心して、ボクが直接手を出すことはないよ。ま、今回は勇者を見繕う必要も無かったかもしれないけど」
無邪気そうに笑うその者は、同意を求めるように竜王へと笑顔を向ける。
竜王にとってその者と気が合うことほど嫌なものは無かったが、その言葉には同意せざるを得なかった。勇者などいなくとも、それを成し遂げる者が他に存在する。
大きな因果の渦に奇しくも巻き込まれた、何の変化を生む筈もない小さな存在である彼が。
「これだから人の可能性って凄いよね。だから枷を付けたくなるし、観察も止められないんだ」
──そう最後に言い残して、その者は忽然と姿を消した。
その場にひとり残された竜王はまたひとつ溜め息を吐くと、宵闇に呑まれた天を仰ぎ見る。
何てことのないありふれた夜空。特別美しい星空が広がっている訳でもなく、雲に月が隠されている訳でもない。
けれど竜王にとって今日は、特別な日となってしまった。
「【天界】から態々我の前に現れに来るとは。全く、自称神とやらも大概暇らしい」
──自称神。
突然ふらりと現れたその者を竜王はその様に呼称すると、ふっと笑った。
おそらく主人公とは深く関わりを持たない。けれど少なからず物語に影響を与えている存在です。
主人公の知らないところで物語が進んでいく感じ、個人的にとても好きだったりします。




