第十話 悪魔
オルフェウスの時空魔法により王城の前に転移したグラデュースとアラン、そして、モナ。
突如として眼前に現れた三人に、城門を警護している騎士達が驚きの声を上げるが、それも僅かな間のことだった。
現れたのが騎士団長と魔法師団長であることを知るや否や、剣の柄を握っていた手を放し、揃って敬礼する。
その中のひとりの騎士が三人の前まで進み出ると、その場に跪く。
「これは、グラデュース様とアラン様、大変失礼な真似を」
「よい。それより儂等が戻ってきたことを国王様に。それと、すぐに話したいことがあると伝えてくれぬか」
「は、了解しました」
「アラン、この魔道具はどうするんだ?」
後ろからグラデュースが尋ねた。
三人の後ろで一際存在感を放っている柱の形状をしたそれは、陽に照らされて息を飲んでしまうほど美しく輝いている。最早、本来の用途が美術品として飾られるものだと言われても納得してしまいそうな出来映えだった。
魔道具としての性能も申し分無く、見るにも飽きない。製作者の魔道具への留まることを知らない追求の果てに生まれた逸品だ。
「まあ、それを設置しに帰って来たようなものじゃが⋯⋯」
リーアスト王国に帰国した目的である、先の戦争で破壊された大規模転移の魔道具の代替品に目を向け、次にモナへと向ける。
「先に悪魔の件を片付けてからでも問題ないじゃろう」
「私は後でも構わない」
「そう強がらんでもよい。同胞を一刻も早く解放したいのは分かっておる」
まるで心の内を見透かされているようで、面白くなさそうにモナが顔を背ける。
そんな彼女へと、騎士が控えめに視線を向けた。
「⋯⋯やはり、その者が悪魔⋯⋯なのですね」
モナの頭には角が存在する。それだけで彼女が悪魔だということは一目瞭然だが、それでもにわかには信じられないとばかりに確認をとる。
するとモナは騎士を見上げ、顔色ひとつ変えることなく言い放つ。
「いま、ただの子どもにしか見えないって思ったでしょ」
「え!? い、いえ、そのようなことは⋯⋯っ」
なぞるように思っていたことを指摘それ、ハッとした騎士が慌てて否定する。
だが、その狼狽えようが何よりの証拠となり、離れた場所からはひそひそと同意を示す声が風に運ばれてきた。
「モナ殿は心まで読めるのか」
「まあ、人の記憶を弄れるくらいじゃからのう」
「え、そうなのか?」
「うむ、オルフェウス殿か言っておった」
騎士の困惑を余所に、アランとグラデュースは驚く様子もなく話している。
ふたりにとってモナという存在は既に、何が出来たとしても不思議ではない存在へと格上げされていた。
連合軍が手も足も魔法も出なかった魔物の軍勢の中で、あろうことか寝ていたと言うのだから、そんな相手に自分達の常識など通用する筈もない。
そうふたりは諦めをつけている。
「⋯⋯それより、どうして私を怖がらないの?」
不意に、先程までとは打って変わって弱々しい声を発したモナに、その場にいた者達が反応する。
「悪魔だよ、私」
その声は僅かに震えていて、その目は地面に向いている。
一見すると彼女の容姿はあどけない少女のそれだが、その頭には小さくも確かな人との違いがありありと見てとれる。
三百年前からつい最近まで悪魔が人目につくことは無く、魔界へと繋がる【ゲート】の観測もされていない。今の時代では最早、その存在は御伽の中でしか語られていない。
それでも、悪魔は悪だと、根強くこの世界に定着している。それが今まさに目の前に現れたというのに恐怖するどころか、物珍しそうな目を向けているではないか。
獣人大陸とは違い、モナは自分という存在を悪ではないとこの者達の認識を改変していない。つまり、本心から悪魔を危険な存在だと認識していない表れだ。
モナにはそれがどうしても理解できなかった。
「この国を救った英雄の御友人だから、という答えを求めている訳ではないのですね」
騎士の言葉にモナは無言を以て肯定する。
「確かに、悪魔と聞いて良い印象を受ける者は少ないでしょう。私も以前まではそうでした」
ゆっくりと、騎士が語り始めた。
「聖国の侵略を受けた獣人が昔、どの様な扱いを受けてきたか知っていますか? 見た目が人とは異なっているというだけで、酷い迫害を受けていたのです。勇者様が獣人の権利を確立したことで今のような関係を築けていますが、それが無ければ、おそらく今でもそれは続いていたかもしれません」
世界に突如として現れ、世界を滅ぼそうとした最悪の存在──魔王を倒した歴史上最も有名な英雄。その影響力は絶大で、鶴の一声が如く、瞬く間に獣人に対する迫害は解消されていった。
そして今日に至るまで延々と友好関係が築かれていて、きっとそれはこれからも続いていくだろう。
「お互いが分かり合おうと歩み寄らなければ、いつまでも命を奪い合うだけです。人の話を鵜呑みにするだけで知ったつもりでいては、何も変わりません」
「⋯⋯私は、別の世界の存在だよ」
「この世界を救った勇者様も、異世界から召喚された勇者様ですよ?」
騎士は微笑んで、一本とった、と言いたげな得意顔をして見せた。
確かに、産まれ育った世界が違えど、この世界を救ったのは異世界から召喚された勇者だという事実に変わりはない。
「言葉を交わせるなら、分かり合うことも出来る筈です」
「⋯⋯っ」
──例え別の世界の住人だとしても、きっと仲良く出来ますよ。
モナの脳裏に、昔、ひとりの悪魔が言った言葉が再生される。
思わず息を詰まらせてその場に立ち尽くしてしまった。
それでもその者の幻影にすがるように、時間とともに少しずつ剥がれ落ちて、色褪せてしまった記憶の中から、想い出を手繰り寄せる。
──だって、私達とオルフェウスが仲良くなれたのですから、間違いありません。
その言葉を最後に、魔界から姿を消したひとりの悪魔のことを。
誰よりも気が回って優しくて、人の気持ちを理解するのが上手くて、行動力に長けていたひとりの悪魔を。
その悪魔が魔界から去った後どうなったか、残された者達がどんな選択を取ったのか、それだけは胸が苦しくなるほど覚えていて。
それがいま、唐突に、繰り返すように、残酷にも彼女に襲い掛かった。
「⋯⋯私⋯⋯は⋯⋯っ」
傍から見れば何てことのない会話に過ぎない。
けれど、いつまでも引き摺ってきた枷が満を持して牙を剥き、重くのし掛かって、やっと変わることができて前に進み始めたその足を止めてしまう。
──もしどれかひとつでも、違った選択をしていれば。
──現実から目を背け、すべてを包み隠さずに彼に話していれば。
そうしたら、あの日から続く長く重く苦しい大罪という名の枷が、少しは軽かったのかもしれない。
そんなどうしようもない過去に今を重ねてしまって、モナは、騎士の微笑みから逃げるように目を伏せてしまった。
「あ、あの、どうかされましたか⋯⋯?」
安心させようとした行動に何か失礼があったのかと心配になった騎士が、俯くモナへ声を掛けた。
けれどいつまで待っても返事は返ってくることはなく、助けを求めるようにグラデュースとアランへと視線を向ける。
だが、ふたりとしてもモナの反応は予想外のものだったらしく、取り繕うことは出来なかった。
出来るのは、この話を打ち切ることだけ。
「⋯⋯話はこれくらいにして、そろそろお主の同胞を助けに行くとしよう。竜王が直々に監視をしているという話じゃったし、きっと無事に同胞を助けることが出来るじゃろうて」
そう言って、アランはモナを追い越して門を潜って王城の中へと入っていった。
グラデュースが無言でそれに続くと、ようやく歩き始めたモナが騎士の横を通り過ぎ、力ない足取りでふたりの後を追った。
騎士がモナの動きを目で追うが、光を失った目は下を向いたまま、その瞳が騎士の姿を映すことはなかった。
◆◆◆
しばらくして、三人は王城に設けられた地下牢へと到着した。
その際奥にある重々しい扉を開くと、その隙間から光が飛び出し、地下牢とは思えない光に思わず目を細めてしまう。
ここまでの道のりに見られた牢とは造りが違っていて、見張りの騎士は居らず、光に馴れた目に映ったのは──。
「やはり、お前だったか」
椅子に腰掛け古びた本を読んでいた男──竜王バハムートが顔を上げた。
その奥には、手足を鎖に繋がれた六人の聖騎士の姿があって、いまは竜王の魔法により眠らされている状態にあった。
そんな光景を一通り見回した後で、ゆっくりとモナが口を開く。
「⋯⋯ん。十⋯⋯二年ぶり、くらい?」
「我にとっては三百年ぶりだがな」
「どっちもそんなに変わらない。⋯⋯それで」
再び拘束されている聖騎士へと視線をやると、竜王は頷いた。
「一応、我のほうで洗脳は解いたが、悪魔を引き剥がすまでには至らなかった。すまない」
「充分、ありがとう」
モナの感謝に、竜王が手に持っていた本を閉じて、目を伏せながら言った。
「⋯⋯我にその様な言葉を掛けないでくれ」
ずしりとした声色で発せられた言葉に、後ろで静かに見守っていたアランとグラデュースが眉を潜める。
モナはただ静かに竜王を見据えて、感情の読み取れない顔をしたままだ。
(三百年ぶり⋯⋯ということは、まさか)
息が詰まりそうな空気のなか、アランは竜王の言葉に引っ掛かりを覚えた。
何故なら、三百年前と言えば誰もが知る英雄がこの世界にやって来た年で、英雄が世界を救った年だったから。寧ろ、これで何か関係があると思わない方が難しい。
人族、ドワーフ族、エルフ族、獣人族の四種族と魔族との間に起こった戦い。既にグラデュースから、語られている英雄譚が真実ではないと知らされていたが、まさか、そこに悪魔も関係しているとは思いもしなかった。
もし本当に悪魔が古の戦争に関与しているのだとしたら、それはつまり、教皇が所有する大聖典にも記されていない真実が隠されているということになる。
そこまで至った後、アランは首を振って思考を中断した、その時。
「ねえ、バハムート。次は、どっちにつくの」
何十秒という長い静寂を断ち切って、モナが竜王に問い掛けた。
その言葉は竜王だけが理解できたもので、アランとグラデュースは首を傾げる。しかし、何か重大な意味を持っていることは理解できたらしく、竜王の次の言葉に耳を澄ました。
「⋯⋯我に、お主等の隣に立つ資格などない。言い訳をするつもりもない」
「そんな話しはしていない。全てを知ったいまの気持ちを訊いているの。そもそも、それを言うなら私達だってそう」
「そんな訳あるか!!」
跳ねるように椅子から立ち上がると同時に苦しそうに吐き出された言葉は、密閉された空間によく響いた。
それはいままでの取り繕った言葉ではなく、心の底からの叫び。
獣人大陸で出逢った四人のエルフの姿が重なって、いつまでも立ち止まっていた自分にも重ねて、──そして、三百年前と同じ、夢物語を紡ごうとするひとりの少年を思い出して。
「バハムート、過去を戒めるのはもう終わり」
過去の因縁をバッサリと断ち切るように、竜王の前に進み出た。
コツコツと乾いた足音が地下牢に響き渡り、
「貴方に資格がないのだと言うのなら、私がそれを与えてあげる。──私を、オルフェウスを助けて欲しい。ダメ?」
「⋯⋯ッ!」
思わぬ言葉が飛び出してきて、竜王がはっと息を飲み瞳を大きく見開いた。
モナが口にした少年の名前もそうだが、何より、自分に頼み事をしたことに驚きを隠せなかった。
竜王は悪魔と協力関係など到底築けないと、確信していたから。
憎むべき相手に、いったい誰が頭を下げると予想できただろうか。
「⋯⋯やはりお前は、優しすぎる」
だから竜王は、呆れと感謝の入り雑じった溜め息を吐き出してしまう。
全てを知っていて尚も手を差し伸べようとするどうしようもないお人好しに、竜王は救われた気持ちになってしまった。
そんな感情を持つなど許される筈もないと、これまでの竜王なら思っていたことだろう。
(だから、今度こそ、報われるべきだ。三百年、彼等も我も、ずっと待ってきたのだから)
そう強く願って、瞳を閉じる。
瞼の裏に映ったいつかの彼女の姿。この世界と魔界では時の流れが違うとはいえ、何ひとつ変わらないその容姿。
正真正銘、彼女は悪魔だ。
しかし見た目が変わらずとも、その内に秘めたものはもう、大分変わり始めている。それを見せられてしまっては、己もまた変わらなければならないと、そう思えてしまった。
「そんな訳ないでしょ。私は、最低な悪魔だよ」
「そういうことにしておこう」
そこでふたりの会話は終わり、モナは眠らされている聖騎士へと視線を向ける。
そしてすっと聖騎士達に右手を向けると、魔眼を発動させるとともに短く唱えた。
「『魂縛』」
すると六人の聖騎士の体が眩い光に包まれた。
魂縛。その名の通り対象の魂を束縛するためのものであり、この世界では滅多に知られていない呪いに類する魔法だ。
この魔法はもともと、対象を己の支配下に置いたり、確実に殺すために使われる危険な代物だが、いまはそれが救いを目的として使用されている。
光は六人の聖騎士からゆっくりと分離させられると、次第に人の形を成していき、ものの十秒もすれば完全に身体が復元された。
「「なっ!?」」
六人の悪魔が姿を現したとほぼ同時に、アランとグラデュースから素っ頓狂な声が出た。
その視線の先にはひとりの悪魔の姿があって。
「子ども⋯⋯っ!?」
怯えたように縮こまるその悪魔を前にして、ふたりは開いた口が塞がらなかった。
見紛うことなく、そこにいたのが幼い子どもの姿をした少年だったから。
「それに、これは⋯⋯」
ふたりとしてはもう少し禍々しいものを想像していたからか、目の前に並ぶ非力そうな者達に、自らの目を疑った。
モナという例外がいるため見た目を鵜呑みにする訳にもいかなかったが、それでも、衝撃的なことには変わりない。
「え⋯⋯モナ様⋯⋯?」
「此所はいったい⋯⋯」
現れた悪魔達は辺りを見回し、状況が把握できず疑問符を浮かべている。
そんな、困惑した様子の六人にモナが尋ねた。
「覚えてないの?」
「は、はい。すみません」
「まさか私達、モナ様に無礼を⋯⋯!?」
未だ途惑っている者達からは嘘をついている様子は見られず、モナが発動している魔眼でもその言葉に偽りは見られなかった。
それを確認した後、魔眼を解除して怯えている悪魔達に優しく微笑んだ。
「安心して、そんな事はないから」
悪魔達はモナの言葉に安堵の籠った溜め息を零した。
そんな中、堪えきれなくなったグラデュースが声を上げた。
「モナ殿、これはどういうことだ! その者達はまるで──」
──人と何ら変わらないではないか。
そう最後まで言葉は続かなかった。
モナの鋭い視線がグラデュースを貫き、それをさせなかったのだ。思わず言葉を飲み込み口を閉ざしてしまう。
そんなグラデュースから目を離すと、モナは幼い悪魔に近付き震えた体を優しく抱き留めた。
そして、小さく言い放つ。
「悪魔が、誰でも私みたいに力があるなんてことはない。当然でしょ。私達は君達と何も変わらない。寧ろ、この世界よりも過酷な環境で、みんな支え合って生きているんだよ」
「────ッ!!」
悪魔は誰でも強大な力を持っている。どんなお伽噺でも当然のようにそう書かれているのが普通で、グラデュースは今更ながらに作り話と現実の違いを叩き付けられた思いだった。
人と悪魔は変わらない。ただ住む世界が違うというだけで、本質的な部分は全く同じなのだと。
それはつまり、目の前の悪魔達は本来、守るべき民だということ。そんな者達が強制的に異世界に召喚され、子どもだとしても関係なく、無理やり従わされていたということ。
もしそれが、自分が住む世界の民だったら──そう考えると、モナよりも先に頭がどうにかなってしまいそうだった。
次回で、オルフェウスが封印されたところに追い付きます。
そういえば、フィリアはいつぞやにオルフェウスから何か貰っていましたね。その伏線がようやく⋯⋯?(遅すぎる)(二章 第七話 約束)




