第九話 ──『悪魔の証明』──
「──面を上げよ」
フレイド帝国国王──シドラス=グライアル=フレイドが告げる。
跪き頭を下げた状態からゆっくり顔を上げると、威厳ある面持ちのシドラス王と目が合う。
「急な参上に応えてくださり、感謝致します」
「良い、大事な話と聞く。ペルセウス、お前のことは信用している」
「有り難き幸せ」
「それで、その者が?」
「左様で御座います」
ペルセウスが目配せしてきた。
それを合図に予め指示されていた通りに俺は自己紹介を始める。
「オルフェウスと申します、シドラス王。以前古代遺跡の調査で一度お会いしたことがあるかと思います。先ずは、城の前に無断で転移したこと、御詫びさせてください。申し訳ありませんでした」
「うむ、貴殿には獣人大陸を救ってくれたこと、感謝している。気にすることはない」
「有り難き幸せ。俺⋯⋯私はリーアスト王国を中心に活動を行っておりますが⋯⋯⋯⋯」
さっとペルセウスの用意してくれた文言の書かれたメモ用紙を確認。
「帝国とも友好的でありたいと願っております。その意思表示と、今回の非礼に対する御詫びも兼ねた品を御用意しましたので、どうかお受け取りください」
どうにか書かれた文章を読み切り、ほっと息を吐く。
そして亜空間から柱状の魔道具を取り出す。謁見の間は広く天井も高い、取り出すには十分な空間があった。
「なっ! 貴様──」
待機していた騎士達は突如何もない空間から現れたそれにざわめくが、国王様がそれを手で制する。
「それは?」
「大規模転移の魔道具です」
「世迷い言を! やはり貴様も狂人の仲間だったか!」
「国王様、御気を付け下さい! 何を企んでいるか分かりません!」
「え?」
突然、騎士達が動き出した。
謁見の間で抜剣し、国王様を守ろうと俺の前に立ちはだかる。
「お、落ち着いて下さい、何の話をしているのですか」
「黒い髪に黒い瞳、あの狂人と同じではないか!」
「我々は騙されぬぞ!」
まるで聞く耳を持ってくれない。
狂人。もしかしてレオの言っていた帝都に現れた道化と同一人物だろうか。
「止めんか貴様等! そこにいる者はリーアスト王国の外交官としてこの場に居るのだぞ! 貴様等の行いはリーアストとの関係に溝を作る行為と知れ! それにその魔道具は──」
「だからこそです! あの狂人もリーアスト王国の間者に違いありません!」
「拷問に掛けて狙いを吐かせてやる!」
「帝都に潜伏する貴様の仲間もすぐに捕らえられるだろう! 大人しくしろ!」
何だ、何なんだこれは。
帝都に現れた道化と俺が仲間? レオが道化はオルフェウスという名前の奴を探していると言っていたが、まさか本当に俺のことなのか?
いや、それも関係無いか。
俺という存在が怪しいというだけで警戒するのは当たり前、か。
しかしそれも今はどうでも良い。俺の所為でフレイド帝国とリーアスト王国の間に対立が生まれるのは不味い。
「⋯⋯分かりました。俺がリーアスト王国からの外交官だと、両国に迷惑を掛けてしまうということですね」
跪いていた体勢から起き上がる。
今は情報が不足している。今の俺がどう動いたとしてもこの状況が好転するとは思えない。
ならば取れる方法は一つ。
「オルフェウス殿は私が連れて来たのです! 捕らえるのなら──」
「ペルセウス」
俺を庇おうとすれば彼にも危害が加えられるかもしれない。
それは駄目だ。俺の〝夢〟を実現させるには衝突を生むのは最小限でなければならない、ここを俺一人の力で何とかしなければならない。つまりは──。
「──今からは、ただのAランク冒険者、オルフェウスとしてこの場に立ちます。この件にリーアスト王国は一切関係しません。俺個人の問題です」
そう宣言して、グラデュースから預かった徽章を床に落とし、踏み砕いた。
そして、能力を制限する魔道具『コフィンリング』を指にはめる。
けれどそれで一度揺らいだ信用など取り戻せない。
「やはり狂人か、ふざけてる」
「その行動こそがリーアスト王国と内通している確たる証拠だ」
「国王様、謁見は中止です。お下がり下さい!」
今思えば、リーアスト王国で俺が何の問題もなく無事に暮らせていたのは、全部、奇跡のようなものだったのかもしれない。
得体の知れない人間を信用するほど世の中は馬鹿ではない。それが強い力を持っていたとしたら尚更。
きっと王様がそういうしがらみからも俺を守ってくれていたのだろう。
──でも、頼りきりでは一歩として前に進めない。こんな所で立ち止まっていては何も叶えられない、何も救えない。
「ペルセウス、手を出さないでくれ」
「⋯⋯貴方がそう望むのであれば」
「ありがとう」
二歩、三歩と前に進む。
これは、俺がやらなければならない事だ。
「賢者様の弱味でも握ったのだろう、外道め」
「やはり悪魔を従えているだけはある」
「どこまでいっても救えないな」
何とでも言えばいい。彼等は己の知り得る知識から客観的な判断を下しているに過ぎない。間違っていない、これが正義なのだ。
その常識を変える為には、行動で示さなければならない。言葉なんていくらでも取り繕えるものではなく、確固たる意志を示せ。
「相手は腐っても英雄級の力の持ち主、油断するな」
「何か動きを見せたら直ぐに斬れ──は?」
「な、コイツ、何を⋯⋯!?」
俺は何もしていない。
ただ、両手を差し出しただけ。
「捕らえたいのなら、そうすればいい。お前達は己の信じる正義を貫けばいい。俺も俺が信じるものを貫くだけだ。拷問でも何でも受ける。必要なら────奴隷にだって喜んでなってやる」
これが俺の出来る精一杯の意志の証明。
戦わず、傷付けず、信じてもらえるまで。
それしか出来ない不器用な俺が掴んだ、たったひとつの答え。
だからこそ俺は信じる。
獣人も、悪魔も、シドラス王も、目の前の騎士達も、ペルセウスも、多くの人々を──信じる。
信じてもらう為に、俺は全てを信頼する。どんなに疑われようと、蔑まれようと、嗤われようと、その先の未来が俺の望む未来だと、希う世界だと信じる。
いつかきっとこの人達とも分かり合えると信じる。
──悪魔的なほどの絶無な望み。それを絶対的な必然へと昇華させる為の証明。
俺は空っぽだ。何も無い、何もかも足りない。この世界での俺は全てが不完全で、不安定。
何者でも無い、何も持っていない俺には、こんな事しか出来ない。
だから俺は決めたんだ。
この世界で何者でもない俺が、獣人大陸とこの大陸を繋いだ大橋のように悪魔と人々を繋げる架け橋になる。
何も無い空の手で望むものを掴んで、集めて、満たしていって、両手いっぱいの幸せを、みんなに与えていくんだ。
「──シドラス王、俺は貴方を信じる」
次の瞬間、俺は騎士の二人に胸を斬り裂かれた。
「「罪人が国王様に気安く話し掛けるな」」
それを皮切りに次々と騎士達は動き出し、俺を容赦なく斬りつける。
最早、シドラス王の制止の声など誰にも届かない。俺にすら。
ただ霞んだ視界の先でシドラス王が叫んでいるように見えるだけ。しかし一人の騎士が振り下ろした剣に片目を斬りつけられてからは、もう殆ど何も見えなくなった。
そして最後に、腹を貫かれた。
「望み通り、貴様を奴隷にしてやる」
魔道具で能力を制限した今では与えられた傷は紛れもなく致命傷。
そのまま剣を押し込まれて、串刺しにされた俺の体は壁に激しく叩き付けられた。
壁、ではなかった。言うなれば────十字架。
「その昔、吸血鬼の王アドラを捕らえるために使われたとされるアーティファクトだ。最上位の封印魔道具──『アドラクロス』」
魔道具が起動し、伸びてきた鎖に手足を拘束される。
同時に体から魔力が吸い取られていく。
それだけではない。溢れる血液が十字架に吸い込まれるように消えていった。
「これで仕上げだ」
────ガチャン。
首に、見覚えのあるそれが嵌められた。
見紛うことなき『隷属の首輪』が、そこにはあった。
意識は、そこで途切れた。
謁見の間は暫く静寂に包まれる。が、すぐに騎士達からは鬨が上がる。
「っは、ははは、あははははははははは! 英雄と言えどこの程度か! 拍子抜けも良いところだ!」
意識を手放したオルフェウスを見て、堪えきれずに笑い声を上げる。
それにつられて他の騎士達も弾けたように嗤い出した。
「見ましたか国王様、『蒼炎の剣士』とて我々の脅威ではありません! 我々は間違いなく世界最強の騎士団です!」
「これでコイツは、国王様の奴隷だ」
「全く、最初から最後まで道化だったな」
「ああ、今なら金貨だって投げてもいい」
嗤い声がその場を支配する。
わらっていないのは、たった二人。
一人は彼の望み通り見届けた者、一人は信じると言われ全てを託された者。
オルフェウスが自ら選択し、誰もを信じて託したこれからの未来。信頼、その中には当然騎士達だって含まれている。
「獣人達も憐れだな、こんな大罪人に騙されたなんて」
「我々なら獣人を解放できる。聖国からだって守ってやれる」
「悪魔だって我々が力を合わせれば問題なく殺せるだろう」
「リーアスト王国は何を考えているのやら」
彼等は己の知り得る知識から客観的な判断を下し、オルフェウスを捕らえた。
だからこそ彼等は間違っていない、これこそが正義。
────例えそれで世界を敵に回すことになったとしても。
ペルセウスの脳裏に、あの時の光景が映し出される。
そう、オルフェウスが立ち向かっているのは世界だ。世界に根強く浸透した変え難き常識。
その常識を変える為に彼は、あの瞬間から、自らの行動を以て世界に示している。
取り繕うことなど出来ない歴史として、確固たる意志を刻み付けている。
「────あれが、英雄か」
己の力で止められなかった結末に、シドラスから重たい声が零れる。
空っぽで何も無い、何もかも足りない。全てが不完全で、不安定。
何者でも無い、何も持っていない彼だけにしか出来ない、彼だからこその証明。
(彼ならば必ず、架け橋となれる。彼にしか出来ない)
だから確信した。
この世界で何者でもない彼が、悪魔と人々を繋げる架け橋になる存在に。
何も無い空の手で彼が初めて掴んだのは、シドラスが抱いた未来への希望。
「────何を、何をしているのですか」
気付けば、謁見の間の扉は開かれていて、そこには怒りの感情を露にした四人の冒険者がいた。
まるで悪魔でも見ているかのような、仇に相対したかのような──殺気。
「それはまさか『アドラクロス』⋯⋯!」
「⋯⋯彼を、アドラ様を殺した武器。どうして、どうしてなんだ、彼に何の恨みがあるというのだ⋯⋯っ」
「その武器でこの方を封印し、その上奴隷にするだと? これが、こんな悲しいことが運命だと、その一欠片だと言うのですか、モナ様」
彼等は泣いた。運命を嘆いた。
そんな彼等に騎士達は嗤うのを止める。
「何だ、冒険者?」
「どうして城に。護衛はどうした」
「まさか、この道化の仲間か?」
「あの狂人の他にも帝都に潜んでいたとは」
故に、彼等は正義を執行する。
血塗られた剣を構え、四人と相対する。
「⋯⋯ペルセウス様」
「彼が望んだことです。彼は、信じたのです」
「貴方は何も知らないからそう言えるのだ。何もかも偽られた世界で、真実を知らないから」
「いいえ知っています。彼は世界を変える方だと」
どうして獣人大陸にいた冒険者が此処にいるのかなど、最早どうでも良いことだった
既にペルセウスからは後悔の念は無くなっていた。
そして四人もペルセウスの予言が真実であると、知っている。
何故なら、自分達がそう導いていくと決めたから。
「⋯⋯覚悟があるのなら、獣人大陸へ戻り獣王を訪ねろ」
「ペルセウス様の洗脳を解け!」
「お前等も拷問送りにして────ぐぁぁぁぁああ!?」
騎士達は迷わず四人に斬り掛かった。
──が、騎士達は四人に届くことなく突如吹き荒れた暴風により吹き飛ばされた。
「分かりました」
それを成したペルセウスが返す。
「ぐっ⋯⋯!」
「ペル⋯⋯セウス様を⋯⋯よくも」
「ただで、済むと⋯⋯っ」
壁に飛ばされた騎士達に恨みはない。
これを望んだのはオルフェウス、彼等を恨むのは間違っている。
「シドラス様。今まで、罪深き我等に良くしてくださり有り難う御座いました」
そうして、四人は自らに掛けていた魔法を解いた。
黄金のように輝く美しい髪に特徴的な尖った耳をした我等は、静かにシドラス王に頭を下げた。
「⋯⋯貴⋯⋯様等、は」
「その姿⋯⋯まさか、エルフ⋯⋯だと、言うのか」
「どう、して、三百年前から一度も、姿を見せなかった種族が⋯⋯っ!?」
他種族との交流を全く行わず森の奥深くで暮らしているとされた、四種族の中で最も長命な種族。
「聖剣を持ち出された。その者はこの帝都にいるのは確認している」
「ええ、聖霊王様から聞きました」
シドラス王は彼等の素性を知っていた。
勇者が隠した聖剣エクスカリバーと聖霊王の居場所も、何もかも知っていた。
そして聖霊王に支え続けたエルフ達を密かに支援していたのだ。
聖国に【聖剣エクスカリバー】の在処を知られた時も、奴隷商から魔物を買い占め魔石を大量に与えることで凶暴化させ、それを古代遺跡に放つことで依頼を失敗に追い込んだ。
「彼にはまだオルフェウス様と会わせる訳にはいきません。世界をその目で見てもらわないと」
「ああ、それは私に任せてくれ」
「⋯⋯御迷惑を御掛けします」
ふと、彼等の背後から複数の足音が聞こえてきた。
「国王様、御無事ですか!」
「我々が来たからにはもう御安心を、直ぐに侵入者を取り押さえますので」
先程と比べ物になら無い数の騎士が謁見の間に駆け付け、四人のエルフとオルフェウスを取り囲む。
「彼は、そのままで良いのだろう?」
「はい」
しかし何も気にする様子もなくシドラス王とエルフは言葉を交わす。
「ならば直ぐに解放しろ。こんな薄汚れた空気の届かない場所まで。次会う時には、もう少しマシになっていよう」
「では」
──直後、強い光が放たれた。
謁見の間を光で満たすほどの強い輝き。
それが収まった頃には既に四人のエルフとオルフェウスの姿は何処にも見当たらず、その場には彼が残したひとつの魔道具だけが残された。
それは必ず獣人との繋がりを一層強めるであろう。
「──変わったな、お前達」
世界は少しずつ変わり始めている。
次変わるのは、はたして何だろうか。
分からない、分からないが──知っている。今後、何もかも変化していく常識、変わる環境、変わる思い。不変なものなんて存在しない。
そんな一つ一つが全て、彼の望む世界を実現させるための希望であると知っている。
そうやって集めて、満たしていって、彼の両手いっぱいに抱えさせたそれを、世界に振り撒かせる未来。
いつか必ず来ると知っているその世界を紡ぐ為に、彼等は自らの正しさを貫くのだ。




