第五話 モナ
実はオルフェウス、ギルゼルドの次につくった登場人物なんですよモナさんは。
──聖国との戦いは始めの強襲以降、戦局だけを見れば概ね此方の優勢のまま終結した。
リーアスト王国の魔法師団長と騎士団長、帝国の【賢者】などの活躍。極め付きは今の今まで謎の英雄と噂され存在すらも疑われた『蒼炎の剣士』の大立ち回りにより、物的被害も人的被害も最小限に抑えられたと言える。
しかしそれでも、戦争で死人が出るのは当たり前のことだ。
獣人、帝国の冒険者、王国軍、総じて死者は一万を超える。特に冒険者の被害はあまりにも甚大なものだった。
そして何より、聖騎士二万人は例外なく死んだ。あの強大な魔物を喚び出す大岩を【魔界】から召喚するためだけに、殺されたのだ。
無論、戦争だ。誰もが死ぬ覚悟を以て当然のことで、敵に討たれて命を落とすのは当然の結果。しかし、国の為を思って散っていったその命は、敵味方など関係なく尊ばれなければならない筈なのだ。
それを聖国──教皇ハイドルト=フォルネア=ラントリエは、使い捨ての駒にした。
隷属の鎧で操られ、逃げることなど許されず戦うことを強要され、魂すら弄ばれた。戦の結果など関係なく彼等は等しく教皇に殺される運命にあったのだ。死ぬ運命しか与えられていなかったのだ。
殺されずに生き残ったとしても、例え敗走し逃げ延びたとしても、魂に掛けられた魔法が発動して異世界召喚の糧とされる。
頭のいかれた実験台の、その前準備に使われたのだ。
敵だったとは言え憐れみの想いが溢れた、嘆きが零れた、怒りが芽生えた。
どんな気持ちで戦っていたのか、何を想って死んでいったのか、今となっては全てが後の祭。
戦いを強要され決して逃げることも出来ず、最後は死ぬ未来が確定された中で────。
「⋯⋯獣人は、存在するだけで罪なのでしょうか」
建てられた大きな墓の前。
溢れんばかりの花が手向けられているのを眺めながらドルクは呟いた。
「どうしたの、急に」
「聖騎士の命を散らしてまで、教皇は我々を殺そうとしました。三百年前、魔王を倒した勇者様が我々に人としての権利を与えてくれましたが、それは正しい行いだったのでしょうか」
「⋯⋯?」
この世界の知識に疎いモナは小首を傾げる。
「理由もなく蔑まれ、見た目が違うというだけで蔑視され、村を焼き払われ、私達だけでなく関係ない村の人達まで殺され、両親を目の前で虐殺されて、奴隷にされ殺人を強要されて──。漸く地獄から救われたかと思えば、今度は祖国が滅ぼされそうになった」
ドルクは元々、冒険者として活動していた両親と共に人間の村で暮らしていた。
村の人は皆優しく元冒険者である両親を歓迎し、彼もまた可愛がられた。見た目の違いなど気にする者は誰一人として居らず、畑仕事などを手伝って幸せな日々を送る──平穏。
三百年前から約束された獣人族の権利。
しかしそれでも、村は襲われた。
武装した者達が村を焼き払い、村人を皆殺しにして、ドルクの両親は彼の目の前で殺された。当時まだ十四才だった彼にはあまりにも耐え難い苦しみだったであろう。
唯一殺されることなく奴隷として売り物にされた彼がどの様な想いで日々を過ごしてきたのか、理解できる筈もない。それが分かるのは、同じ境遇である貴族にその身を買われた同胞達だけ。
「あとどれだけ苦しめば、私達は救われるのですか。あとどれだけ仲間が殺されれば終わるのですか。それとも私達がこの世に存在し続ける限り──」
「やめて」
静かに聞いていたモナが声を上げ、ドルクの言葉を遮った。
「死んでいった皆の前で泣くものじゃない」
「っ、す、すみません⋯⋯」
「あと、そうやって物事を後ろ向きに考えるものじゃない。何処かの誰かさんみたいに⋯⋯とまではいかずとも、正しいと信じたものを貫けばいいの。足掻いて足掻いて足掻き続けて、──それが例え実を結ばなかったとしても」
「────っ!」
彼女の横顔、そのとても悲しそうな表情を見て、ドルクは大きく瞳を開いた。
それが、知っている顔だったから。まだ奴隷だった頃、全てに絶望し、全てを諦めて、全てを憎んで、それでも仲間達を元気付けようと無理矢理に偽って、自分さえもペテンに掛けて絞り出した表情。
そんな笑顔を、ドルクは痛いほどよく知っていた。
(モナ様、貴女も⋯⋯)
胸が痛んだ。彼女はもしかしたら自分よりも辛い人生を歩んできたのかもしれない──と。
そうだとしたら自分はなんて身勝手で最低なんだ。そう思わずにはいられなかった。
「だから君も諦めないで。何度絶望しても立ち上がって。そうして未来を切り開いて。君は、君達は、私達の希望なんだから」
「き、ぼう⋯⋯?」
「そう、希望」
いつの間にか、彼女の手には一輪の花が握られていた。道端に咲いていても気が付けないくらいの小さな、小さな、それでも力強く咲き誇っている花だ。
それを持ってゆっくりと墓の前へでしゃがみ込むと、そっと手向ける。
彼女の美しい髪と同じ深い青色をした花が鮮やかに彩る。
「三百年前、獣人は人としての権利を得た。居場所を手に入れた。それがどれだけ凄いことなのか、素晴らしいことなのか、分かる?」
「それは、勇者様が」
「ううん。獣人が自らの手で勝ち取ったんだよ。それを今まで守り続けてきた。だから、希望」
希望。そう言われてもドルクはあまりピンとこなかった。
獣人が人としての権利を獲得したのは異世界から召喚された勇者様のお陰。それが今まで守られてきたのも勇者様のお陰に他ならない。
しかしモナは希望と口にした。
「オルフェウスはね、この世界に居場所を作りたいんだって。心置き無く暮らせる私達の居場所を」
「────っ」
「可笑しいでしょ? だって、悪魔だよ。人の望みを叶える代わりに、命やら何やらを求めるとか言われてる悪魔を」
バカみたい。そう子供のように笑って見せる彼女は、ドルクはとても美しいと感じた。
そして胸が痛かった。どうしてなのか分からない。いろいろな感情がぐちゃぐちゃになって、それでもドルクは目を逸らさなかった。
いつの間にか、彼女の笑顔に内に溜まっていた感情がすうと引いていて──いや、違う。全てが飽和して、収まりきらずに溢れ返って、そうして自然と笑顔が零れた。
「そんな話、耳の良さが自慢の獣人の耳にも入ってきませんでしたね。本当なんですか?」
「ふふふ、あははっ、どうだろうね」
モナは笑う、笑い続ける。その場でくるくると舞い踊るように、僅かに浮かんだ涙を振り払うように、荒野の上を回り続けた。
「だからさ、私がこうして異世界召喚に巻き込まれたのも、もしかして運命? とか思っちゃったりしてさ」
「きっと運命ですよ」
「ふふっ、ありがとう」
ぴた、と動きを止めたモナが今までで一番の笑顔で言った。
「オルフェウスの夢は、私達の夢だよ」
────────だから今度こそ。
不意に、モナの体が光を纏った。
淡い水色の光の粒子が陽炎の様に立ち込めて、そのあまりにも神秘的な光景に思わず目を奪われる。
彼女を中心として光の波動が二度、三度と波紋のように広がって、気付けば周囲は見渡す限りの花畑へと変化していた。
気温も少し高くなったような気がした。
まるで太陽が暖かな日差しで祝福するかのように。
優しい花の香りが悪戯なよそ風に誘われて鼻を擽り、舞い上がった幾千万の花弁がひらりひらりと空で舞い踊る。
たった今まで荒れ果てた荒野だった平原が嘘だったかのように。
記憶だけに留まらず、事象さえもを書き換える彼女の力。
そんな光景に、不覚にも感動させられてしてしまった。
言葉も忘れてただ一時の奇跡を目に焼き付けようと立ち尽くすばかり。
「──ねえ、どう思う、私達の夢」
不適に微笑む悪魔の少女。
少女の頭にはいつの間にか小さな角が生えていた。
しかし最早、それがどうしたという話で。
「必ず叶います」
確信にも似た何かを感じながら、ドルクは断言した。
必ず叶う。叶えさせる。二度も救って貰ったこの命、果てるまで──そう強く心に決めて。
「──うおっ、な、何だよこれっ!? モナ、お前の仕業か!?」
噂をすれば何とやら。
得意の転移で帰って来たオルフェウスが異常を察知して声を上げる。
「あ、オルフェウス」
「あ、じゃねえよ! 花弁が濡れたローブに引っ付いてっ、ちょ、モナっ、早く何とかしろっ」
「そんな事より早くお墓に花を手向けて」
「分かってるっつの!」
ったく、選り取り見取りだな──等と悪態を吐きながらも一輪の花をそっと摘んで、墓の前に屈んで花を手向ける。
そうして暫く目を閉じて合唱した後。
「にしても本当に⋯⋯あーもうっ、モナ! 一旦着替えに町に帰るぞ────って、お、おおお、おおおおおお、おおおおおおおおおお、お前っ!! それっ、それえええええええええええええええええええ!!!!」
びしっとモナの頭部を指指し、信じられないとばかりに文字通り全身をくねらせながら驚きを体現するオルフェウス。
本当に驚いたのだろう、頬に花弁が付いたことにも気付かず、言葉にならない叫びを上げている。
「何、気持ち悪いんだけど」
「角ぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおお!! 角生えてんじゃんんん!! どど、どうしたんだよ一体全体っ、どういう風の吹き回しだよっ!! っていうかやっぱり角持ちだったんじゃねーかッッッ!!」
興奮冷めやらぬ様子のオルフェウスの挙動不審っぷりがあまりにも可笑しくて、ドルクは堪えきれず吹き出してしまう、
「ってかちっさ!!!! お、お前っ、そんなちっせぇ角の癖に今まで隠してたのか!?」
「何、文句あるの?」
「いやねーよある訳ねーだろ! な、なあ、ちょっと触らせてくれよ」
「何か気持ち悪いからやだ」
「つれないこと言うなよ、なっ? ちょ、ちょっとだけだからさ、ちょこーっと触るだけだから!」
そんな会話をしながら肩を並べて町へ戻っていく二人の後ろ姿を眺めながら、ドルクは一人、手を胸に当てて静かに礼をした。
(必ず。ええ、必ずや叶うでしょう)
──二人が立ち去った後、後れ馳せながら手向けの花を摘んで振り向くと、モナが手向けたすぐ隣に並べられた全く同じ一輪の青い花が目に入って、ドルクは再び口許を綻ばせた。




