第四話 今日も晴天
ここから第十三話まで十話かけて、一日の話になります。
終始大事な話が続きます。
晴れやかな空の下。
潮の香りを含んだ微風が頬をふわりと撫でていき、波のせせらぎが心地好い音を奏でている、そんな心落ち着く時間。
一秒すらも永遠に感じられ、しかしふと気付けばいつの間にか一時間と時が過ぎている様な、もどかしくも癖になりそうな感覚を与えてくれる海を眺める。
そんな時、穏やかだった波が僅かに荒れる。
規則的な波の一部で水飛沫が上がり、海面にキラキラと陽光を反射させる一匹の魚の魚影が映る。力強く体をうねらせ幾度となく海面を荒らすそれは、中々の大物と言えよう。
程無くして魚は海面から完全にその身を上がらせて、導かれるように一人の少年の手に捕まれる。
「おおっ、すごい! 釣れた、釣れたぞ!」
糸に吊るされた魚に興奮し騒ぎ立てる彼の姿に、冷えた心が少し溶かされていくのを感じる。
それでも完全に言えることなどありはしない。あれだけの事があった後なのだから。
「見ていたかドルク! 遂に釣り上げたぞ!」
無邪気に近寄ってきて抱えた大きな魚をこれ見よがしに突き出してくる少年は、何か誉めてもらいたそうな顔をして鼻を鳴らす。
「駆け引きも無しに力任せに釣り上げるのは釣りとは呼べません」
「固いこと言うなよ、釣れたんだから良いじゃないか。俺が駆け引きをするほどの相手でもなかったってことだろう」
「そもそも、あれだけ乱暴に扱ってよく釣竿が壊れなかったものです。普通なら糸が切れたり、竿が折れていてもおかしくはありませんでしたよ」
「いや、折れたぞ。これは二代目」
「折ったんですか⋯⋯」
どうやら私が目を離した隙にもうやらかしていたらしい。
いや、まだ一本しか壊していないという事を幸運だと思うべきか。彼の運の良さ⋯⋯いや、半日やって未だに一匹しか釣れていない絶望的なまでの彼の運の悪さが幸いしたというべきか。
「ちょ、うわっ待てっ、暴れるなって、あ、ああーーー!!」
そして折角釣り上げた獲物すらも不意を突かれて逃げられる始末。
これまでの努力が全て海に消えて行き、がくりとその場に崩れ落ちる少年──オルフェウス様を見て、何をしているのかと内心で溜め息が溢れた。
それでも諦めないのが彼の良いところ。早くも立ち直りもう次の仕掛けを──。
「⋯⋯あの、オルフェウス様。何をされているのですか」
「何って、見て分かる通り餌を付けてるんだよ。見てろよ、今度こそ腹に収めてやる」
真面目な顔をしてそう語った彼に、もう何て言ってよいものか分からなくなってしまった。
何故なら彼が餌と呼んでいたものがあまりにも常識を逸脱していたから。
「⋯⋯それ、魔石ですよね」
「ん? 勿論」
「もしかして、今までそれで釣りを?」
「そうだけど」
何を当然のことを、とでも言いたげな顔で魔石を取り付けているオルフェウス様。
ずっとそれを使って釣りをされていたそう。何を思ってそんな馬鹿でも思い付かないような奇行をしているのか、予想の斜め上の現実にもはや開いた口が塞がらない。
それにどうやら、私の考えは間違っていた。あんなもので魚が掛かっていただけでも奇跡のようなもの、彼は途轍もない幸運の持ち主でした。
「今度はもっと大物を釣り上げてやる!」
一体、魔石で何を釣ろうとしておられるのか。
気合いは十分、しかし間違って魔物が釣れてしまったらどうするのか。そう思ったが、オルフェウス様ならもし実際に魔物が釣れたとしても難なく討伐されてしまうのだろう。
「オルフェウス様。釣りも宜しいですが、転移の魔道具を直して下さるというお話では」
「ああ、あれな? 無理」
「えっ」
何でもないように修理不可能と告げるオルフェウス様に、思わず間抜けな声が出てしまった。
昨日は「得意分野だ」等と豪語していたというのに、何という掌返し。
「あの魔道具は三つで一つの魔道具なんだよ。でも壊されたことで二つで一つの魔道具になってしまったって訳。同じ魔道具でも再びそれを一つに纏めるのは難しい」
「はあ」
よく分かりませんが、一度切り離してしまったものを再び繋げるのは容易ではない、ということだろうか。
「要するに、友達を見捨てて【魔界】から出ていった人と異世界召喚に巻き込まれた先で偶然再会したら、自分だけ楽しく暮らしていて、それを知った私の行き場のないモヤモヤした気持ちと似たようなもの」
「え、ええと⋯⋯?」
今までずっと黙ってオルフェウス様の隣で釣りをしていた少女が語る。
これは、私に説明している⋯⋯のではないと見える。それはそうと全く要されてなかったように感じたが、寧ろ更に頭が混乱するばかり。そもそも魔道具の話は何処へ?
「見捨ててないし、それは昨日話したじゃん」
「それでも傷付いた心の傷が癒される訳ではない」
「知ってるんだからな、【魔界】とこの世界じゃ時間の流れが違うって。俺はこっちに来て半年以上経つけど、モナ、お前の方はどうなんだ?」
「時間なんて関係ない。話を逸らさないで」
⋯⋯いや、そもそもこの話事態が本筋から逸らされたものなんですが。
と突っ込める筈もなく、私は一歩下がって静かに事の成り行きを見届けることにする。
「いや関係あるね。【魔界】に監禁されている間にこの世界がどれだけ進んだと思っている。文明レベルどころか文字すら別物になっていたんだぞ? 俺がどれだけ不便な思いをしたか、モナ、お前には分かるまい。つまりあの壊れた魔道具は【魔界】に囚われた俺で、直したとしても他の魔道具に溶け込むことが出来ないってのが、俺が戻ってきたこの世界に溶け込めないってことと同じなんだよ」
【魔界】? 時間の流れ? 先程から一体何の話をしているのやら。
二人とも魔道具のことではなく、それを利用した相手への苦情を例え話としてぶつけている様に思えるのですが⋯⋯。
「言い訳。友達作れないことを私達の所為にしないで」
「は、はあーーー? 居ますけど、友達くらい。寧ろボッチなのはお前の方だろ? ダンジョンなんかに引き籠って異世界召喚に巻き込まれたくせに。俺とギルゼルドの旅に着いてきたのも、話し相手が俺しかいなかったからだろ。そう考えると悪魔ってのはボッチしかいないボッチ種族ってことになるなぁ?」
「ち、違うしっ。ギルゼルド様にぼこぼこにされる度に私に泣き付いてきた癖にっ、私の母性溢れる胸に飛び込んできた癖にっ!」
「どんだけ昔の話してんだよ! モナこそ話を逸らして──ていうか泣いてないし飛び込んでもないだろ!? 事実をねじ曲げるんじゃねえ、それに自慢できる大きさでもな────ぶへぇあ!?」
海の彼方に殴り飛ばされて水切りの要領で海面を跳ねていき、やがて大きな水柱を上げながら海の藻屑と消えていく彼の姿を眺めながら、安らかにと心の中で手を合わせる。
今のはオルフェウス様が悪い、理解の及ばない会話の中でそれだけは理解できた。
そしてモナ様。昨日の私の発言を見逃してくださりありがとうございます。今後はオルフェウス様ではなくモナ様に恩義を尽くしていきたいと思います。
「はあ」
釣りに飽きたのか、それともオルフェウス様に付き合っていただけなのかは分からないが、モナ様はそのまま海に背を向けた。
「モナ様。どちらに行かれるので」
釣竿をその場に置いたまま立ち去ろうとするモナ様に訊ねると。
「お墓参り」
「──っ」
思わず息を詰まらせてしまった。




