第三話 夢
突然始まった宴は夜が深まっていくにつれて静けさを増していき、やがて殆どの者が酒に溺れて寝静まった頃。
「モナ」
広間から少し離れた所で夜風に当たっていた彼女に声を掛けた。
「どうしたの、オルフェウス。こっそり私に会いに来て」
「一つ、訊きたいことがあってな」
そう、今日一日ずっと聞きたいと思っていたことがある。
どうにも訊くタイミングが訪れず、気付けばこんな真夜中になってしまった。
「──モナ。お前は何を書き換えた?」
モナの隣に移動して、冷たく、そう問い掛けた。
疑問に思っていたこと、それは人々の彼女に対する反応だ。
帝国の冒険者も、王国の騎士団も魔法師団も、獣人も、誰もがまるで彼女の存在を歓迎するかの様に振る舞っていた。モナという悪魔の存在に一切の危機感すら覚えることなく、これが当然と言わんばかりに扱っていた。
それがどれだけ有り得ないことか少し考えてみれば分かる。もし此処に集まった者達が全員非日常という現実への適応に長けていたとしても、誰か一人は疑問に思っても不思議ではない筈なのだ。
──どうして悪魔であるモナを信じきっているのか、と。
答えは明白だ。モナ自身が、己に対する周囲の認識を書き換えたのだ。
彼女は人の精神に干渉することにとても長けている。おそらく周囲の者達の精神に干渉して、自分が敵ではないと認識させるように改編したのだ。
とは言えあれだけの数の認識を書き換えることは流石のモナでも容易ではないだろう、改編できたのは精々微々たるものでしかない筈。だが俺の目には誰もがモナを歓迎している様に映った。
「オルフェウスは勘違いをしている。私は何も書き換えていない。ただ、認識を強めただけ。私とオルフェウスが親しい間柄という認識を」
「それだけでああも歓迎されるものか?」
「ううん。だから、今日のは助かった、たくさんの人が見ていたから」
「⋯⋯成る程」
俺とモナが親しいという認識そのものを強めたとしても、信用するまでは達しない。
しかし実際にそうであるということを行動を以て見せ付けたならば、その認識はその者の中で確固たるものとなる。
それにはまず俺が信用に値する人物でなくてはならないが、そこは『蒼炎の剣士』という王国を救った者と同一人物だと明るみになったことで補われたということか。
ニアやドルクが最初から信じていたのは一度俺に助けてもらった経験があったからだろう。
「怒った?」
「いや、そんな事で怒るわけないだろ。俺の友達が邪険に扱われるのは御免だからな、それに比べたら安いものだ」
どうやら都合良く俺を利用したことに少し、罪悪感を覚えていたらしい。
気にしないでいいという思いを込めて、申し訳なさそうに項垂れるモナの頭を撫でてやる。
「あと殴ってごめん。寝起きだったから」
「それもいつものことだったから気にしてない、寧ろ懐かしく感じた」
「──ねえ、私も一つ訊いていい?」
「⋯⋯何だ」
そしてまた、静寂だけがその場を支配する。
モナが俺から何を聞きたいのかは理解している、モナが切り出さなければ俺が切り出していた。
モナの行ったことに対する確認をしたのはもののついでにしか過ぎなくて、本題はモナではなく──俺自身のこと。
モナがあの時俺を〝嘘つき〟と呼んだことに関係する。
「──どうして、何も言わずに【人界】に帰ったの?」
モナはいつもと変わらず落ち着いていて、澄ました様な表情をしている。
美しい深い青色の髪を心地好い夜の風に靡かせて、宝石を思わせる碧眼は空に浮かぶ月の光に照らされ幻想的な輝きを放っている。
思わず見惚れてしまいそうな美しさがそこにはあった。
だが、確かな怒りをその身に宿していることを俺は知っている。
「⋯⋯ごめん」
「ごめんじゃ、わからないよ」
「皆に話したら、帰れなくなると思ったから」
「だから、ギルゼルド様だけに?」
「ああ」
俺が【魔界】で過ごした最後の日。皆には何も言わずに姿を消した。
長い付き合いとなってしまった友人達と別れることに、情けない話だが躊躇いがあった。
「なら、ならずっと皆と一緒にいればいいじゃない。ずっと皆と【魔界】で暮らせば」
「──モナ」
その先は言わせない。
分かっているんだ、そのくらい。頭の悪い俺でも十分理解できる。でも、それでは駄目なのだ。
「俺も、何も知らないガキのままじゃないんだぞ」
「何を言って」
「──角はどうした」
「っ!」
この時、初めてモナの表情が困惑の色に染まる。
「やっとこっちを見てくれたな」
「⋯⋯私には元々、角は存在しない」
「純血の悪魔なのに?」
「そう。別に珍しいことでもない」
見え透いた嘘を。
モナの言う通り確かに角の有無には個人差がある。しかし悪魔の最上位に君臨する序列6位の大罪悪魔が、強者の象徴である角を持っていない筈がない。
そしてそれは他の友人達にも言えることで。
「俺が人間だから、だろ。翼仕舞って角もなければ人間と見分け付かないからな、お前等」
「っ、違っ──!」
慌てて否定しようとするモナの頭に手を置いた。
おそらく本当ならば角があったであろう所までその手を撫で下ろし、そのまま撫で続ける。
【魔界】で俺の周りに居た者達はギルゼルドを除いて全員角無しだった。しかし実力や能力、純血であることを考えてもそれはあまりにも有り得ないことだったのだ。
「元々角を持っていなかった。いつからか分からないが、そう俺の認識を書き換えていたんだろ? 人間である俺のために気を遣ってくれていたんだよな」
「⋯⋯一体、誰が情報を」
「レイオスが酔ってる時に」
モナが諦めの混じった溜め息を吐く。
レイオス。彼は秘密を守れない性格だ、何かを隠そうとしている時は直ぐに顔に出て、酒を飲ませればあっという間に吐露してしまう。モナや他の奴等が何かを隠している時はレイオスから聞き出すのが一番手っ取り早かった。
といっても、思ったことしか言えなくて嘘がつけない彼の性格は嫌いじゃない。秘密を共有するにはあまりにも適さない人物であることは否定しないが。
「でも嬉しかったよ。悪魔の癖にやけに繊細な気遣い」
「それが理由?」
「いや、これも違う」
黙って【魔界】からいなくなった理由が、その気遣いに心が痛んだから──なんてものではない。
「ゲートで俺をこっちの世界に帰してくれと頼んでも頑なにそうしてくれなかったのって、帰ったらもう会えないとか思っていたからだろ」
「っ」
俺が自分の力で元の世界に帰る方法を探さなければならなかったのは、彼等が悪魔の持つ能力であるゲートを使おうとしなかったから。
もし誰かがゲートを使ってくれたのなら、俺は20年も【魔界】を旅をすることなく元の世界に帰れていただろう。だが結局、誰もそれをしてくれる者はいなかった。
あまりにも親しくなりすぎたから。悪魔とて俺と何ら変わらない感情がある、別れを惜しむのは当然のことだ。
「だからそうやって人間に容姿を似せたりして、どうにか俺を帰さないようにしていた。【魔界】に俺の居場所を作ってくれた。悪魔の癖に優しくて、俺はいつもそれに甘えてばっかりだった」
生き抜く術も、友人も、生き甲斐も、居場所も、彼等は俺のために全てを与えてくれた。
自分がこんなに幸せになってしまって良いものなのかと思えてしまうほど【魔界】での日々は充実していて、今でも瞳を閉じれば瞼の裏に明瞭に映し出される。
だからだろう。俺が欲深くなってしまったのは。
「この世界で悪魔はあまりいい存在とされていない。どちらかと言えば悪と認識されていることが多い。悪魔にとってはさぞ住みにくい世界、とても気楽に遊びに来れる所とは思えない」
「⋯⋯だから私達はオルフェウスを引き留めて」
「うん。でもさ、無いなら作っちゃえばいいんだよ、この世界に悪魔達の居場所をさ。【魔界】に俺の居場所を作ってくれたように、今度は俺がお前達の居場所を作るんだ」
「────っ」
目を丸くして見上げてくるモナ。その目には僅かに涙が浮かんでいて、月光に輝くそれが零れ落ちてしまう前に優しく拭ってやる。
我ながら無茶なことを語っているのは理解している。でも、もしこの世界に帰って来たなら必ずやり遂げようと、そう強く心に決めていた俺のやりたいこと。
「まだモナにしか話していないんだから内緒にしといてくれよ」
「⋯⋯ん」
「本当はお前達が俺に会えなくなった寂しさに我慢できずこの世界に来るまでに、実現しようとしていたんだけどな」
「⋯⋯自惚れすぎ」
こつん、と胸に頭突きをしてくる。
ああ、そうだとも。一体何処の悪魔達にこんな傲慢な性格にさせられてしまったのやら。
「見放されたかと思った」
「そんな訳ないだろ。サプライズみたいなものだ」
「笑えない、涙と鼻水しか出ない。口からクリスタルドラゴン生まれそう」
「それは絶対に阻止してくれ」
ぶれない悪魔っ娘だこと。
本当は他の友人のことや世界の時間の流れなど他にも色々と訊きたいことがあるのだが、それはまたの機会に心置き無く語らえば良いだろう。
今は、俺の胸に顔を埋める小さな少女のお守りで手一杯だ。
勇者、魔王、魔族、獣人、聖剣、聖霊、天使、悪魔、教皇、──居場所。
伏線はもうほとんど設置完了しました。
実は、本来考えていた物語はここからなのです。今まではその為に必要な盤上を整えていた⋯⋯とまでは言いませんが。ずっとご都合主義できたのは話が長引くからです。
これまで長らく〝あらすじ〟の通り『自由気ままな旅』を続けてきたオルフェウスな訳ですが、遂に全ての歯車が揃って噛み合って、本当の意味で物語が動き出します。
今までどうして『自由気ままな旅をする⋯⋯?』と疑問系なのかと不思議に思った人も⋯⋯?
最初の最初、第1部分〝1章『第一話 プロローグ』〟でギルゼルドに話したオルフェウスの『やりたいこと』もようやく判ったのではないでしょうか。
それと『明日の生死も保証されていない日々』というのはモナの抱き枕にされていたからではありません。




