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第一話 ある穏やかな日の下で。

新章突入です。

「ん⋯⋯」


 目を開くと、俺はベッドに寝かされていた。

 ログハウスの木の匂いがして、窓からは高く昇った太陽が眩しく覗いていた。陽の高さからして今は昼頃だろうか、小鳥の囀りが穏やかな風に誘われてカーテンを揺らしている。


「──御目覚めになられましたか、オルフェウス様」


 不意に声を掛けられてそちらに視線を向けると、笑顔を向けてくる優男がいた。

 俺の看病ついでに読書をしていたのかその手には本が握られていて、これ見よがしに犬の耳を動かしていることから彼が獣人ということは窺える。

 徐々に意識がはっきりとしていき、その優男に心覚えを感じた。


「久し振り、だな。ええと⋯⋯ドッグ?」

「ドルクです。オルフェウス様、その節は本当に有難う御座いました」


 彼──ドルクと会うのは、リーアスト王国の王都オルストで開かれた建国祭以来だ。

 何処かの貴族に違法奴隷として不当に扱われ、「王族の首を刎ねれば解放してやる」等と言われ王城に侵入した獣人の一人。彼と出会ったのはその時だった。

 あの後いろいろとあって解放された彼等を建国祭が終わってすぐ獣人大陸に送り出してしまったため、あまり話す機会は得られなかった。

 あれからどうしているだろうか──そう思いを巡らせる日も珍しくはなかったが、見たところ元気そうでなによりだ。


「無事に獣人大陸に着いていたんだな」

「はい。お陰さまで。あの時オルフェウス様に助けて頂かなければ全員死んでいたでしょう。感謝してもしきれません、貴方は我々の恩人です」

「別に大したことはしていない⋯⋯ってことはないんだろうけど、お前達が俺に恩を感じる必要はないよ。色々と便宜を図ってくれたのは王様だしな」

「いえ、その様な事は決して⋯⋯」

「そもそも、他人の奴隷を勝手に解放するなんて普通は許されない事だ。俺が罪人として牢屋送りにならなかったのも王様のお陰だ。⋯⋯そうだな、お前達が俺に恩を感じるとしたら獣人大陸までの路銀くらいか。お互い、王様に足を向けて寝られないな」


 元々、こいつ等は何か問題を起こして奴隷墜ちにされた訳ではない。聞いた話では突然村を襲撃され捕らえられ、違法に奴隷として売り払われたとか。

 残念ながら、何年も前の事とあって彼等の村を襲った者達の足取りは掴めていないそうだが。しかし一連の動きの裏で聖国が糸を引いていたのは間違いないだろう。


 何はともあれ、「罪無く自由を奪われていたのだから、彼等を解放するのは正義の行い」と、そう王様が言ってくれなければ今頃どうなっていたことか⋯⋯。


「方角的に、オルフェウス様が足を向けている方角に王都がありますすが」

「⋯⋯⋯⋯それで、あの後どうなったか聞いてもいいかな」

「露骨に話を逸らしましたね」


 違う、話を有意義な方向へ持っていっただけだ。

 それに自分からそうした訳ではないのだから、そう、これはノーカウントだ。


「あの後と言われましてもつい昨日のことですので、あまり進展は無いですよ。あれから聖国の侵略もありませんし、召喚された岩山の様なものも活動を再開していませんので。⋯⋯しいて言えば『蒼炎の剣士』の素性が発覚したことくらいでしょうか」

「大問題じゃねーかっ!!」

「後はそうですね、町の防壁がそれはもう酷く破壊されたくらいですね。あれさえ無ければ町への被害はゼロだったのですが」

「⋯⋯え、何、さっきから、俺に恨みでもあるの、恩を皮肉で返すの? 俺頑張ったのに」

「恩を感じる必要はないと先ほど仰られましたよね」


 ぐっ、何て奴だ。でも正論だから言い返せない⋯⋯っ。

 それにしても遂に『蒼炎の剣士』の正体が⋯⋯それは別にどうでもいいか。正体が明るみになったからといって何かが変わる訳でもないのだし。

 それにしても防壁か⋯⋯、後で時空魔法で元通りに直しておこう。いや、確かに俺が激突して崩壊したのは事実だけど、あれも元はと言えば俺も被害者なんだけどね?


「そうだ、モナ⋯⋯悪魔はどうなった?」

「ああ、それでしたら──」


 ──オルフェウス様の隣に。


 その言葉を聞いて、俺の体は光よりも速く反応して石のように固まった。

 ⋯⋯い、いや、何となく、左右に感じる人肌にも似た温もりを感じていたことには気付いていたのだが──ってちょっと待て、左右だと?


「あのドルクさん、僕の左右には一体? ははは、気のせいかな? 腕に何か柔らかいモノが当たってる気がするんだ。ああ、やはり僕は少し疲れているのかもしれない」

「一人称が俺から僕になっていますよ。⋯⋯そうですね、より大きなクッションのある方がニアですね」

「なるほど~」


 チョット、ナニイッテルカ、ワカラナイ。


 いや、確かに左側には確かに右と比べると大きな感触が、腕が呑まれてしまいそうなくらいとても心地好いクッションがあるとは思っていた。思っていたが⋯⋯。

 いやいや、それ自体はいい。むしろ有難う⋯⋯じゃなくて! 論点はそれをドルクに見られているという事であって。


「⋯⋯これ何て罰ゲーム?」

「⋯⋯わんわん、私、ドッグ、犬だから、ワカラナイ」


 こ、こいつ⋯⋯! 名前忘れたこと根に持ってるのかそうなんだな!?


「そう言えば、オルフェウス様がお目覚めになったことを知らせに行かねば。そういう事で、ゆっくりと御休みください」

「お、おい待てっ、経緯を説明しろドルク! いやドルク様──ッ!!」


 俺の助けを求める声が部屋に響く。が、無情にもドルクは戻ってくることはなく、ガチャリと扉が閉められる音がした。

 そしてどんどん部屋から離れていくのが気配で分かる。本当に俺を見捨てて行ってしまったらしい。


 何と薄情な奴だろうか。

 断罪を覚悟で獣人達の隷属の首輪を解除したというのにこの仕打ち、口ではああ言っていたものの、俺に助けられたという自覚が些か足りていないのではなかろうか。

 言葉遣いはとても丁寧だったのになんて冷徹な──。


「「ねえ」」

「ひゃぃっ!?」


 ──ドルクより更に冷たい何かを含んだ声が、左右の耳元から聞こえてきた。


「何、罰ゲームって?」

「そんなに嫌なの⋯⋯?」


 急激に体温が冷めていくのを感じる。座右の腕がキリキリと締め付けられていって、元々近かった二人との距離が更に縮まる。

 ドルクが逃げたのはこういう事だったのか。と言うか二人とも起きてるなら言ってくれ⋯⋯!


「イエ、トンデモゴザイマセン」


 息遣いが分かるほど密着してくる二人に、声を震わせながら否定する。


「じゃあ本当はどうなの?」

「気になる。聞かせて」


 ⋯⋯一体、俺が何をしたと言うのだろうか。

 ここ最近、実によく人の役に立っていたと言うのに。⋯⋯だからこそのご褒美?

 いやいやいやいや、これにはきっと止むに止まれぬ訳がある筈だ。何か俺に頼みたいこととか、買って欲しいものとか、何かしらあるに違いない!


「⋯⋯そ、そもそもどうして二人はこんな事を⋯⋯なーんて、思ったりして⋯⋯。誰かに何か唆されたり⋯⋯?」

「「自分からした」」

「り、理由を聞こうか?」

「⋯⋯寂しかったから」

「な、成る程⋯⋯? モナは」

「勿論夜ば──」



 全てを聞くよりも早く、俺はその場から『転移』した。



「これだから悪魔は!」


 ニアは兎も角、モナはいつものことだった。

 【魔界】にいた頃は頻繁に俺の寝室に忍び込んでは添い寝をしていた。彼女は悪魔としては若く、しかし序列4位という【魔界】でも屈指の実力者だったので何かと疎まれることが多かった。それ故に知り合いは少なく、俺のような友人は貴重だったのだ。

 ふざけて話せる相手が一人減ったというのはきっと、彼女にとって大きな事だったのだろう。


 ニアは確かフィリアと同じ成人したての15歳だったはず。成人しているとは言えまだまだ子どもだ。年相応に甘えたい時期というところだろう。

 フィリア同様、年相応でない立派なものを持っているが。


「って、結局モナの経緯を聞けてないし⋯⋯!」


 ドルクの対応からして敵としては見られていないのだろうが、あのモナのことだ。真面目に話し合いの席に座ったとは思えない。というか有り得ない。

 きっと何かふざけたことを抜かしている筈、それは早急に聞き出さなければ⋯⋯!


「──見付けたッ!」


 気配は覚えていたので直ぐにドルクを発見することが出来た。


「おやオルフェウス様、生きて⋯⋯動き回られてお体は大丈夫なのですか?」

「もう何でもいいから一つだけ教えてくれ! モナから何か聞いたか?」

「何か、とは」

「ほら、モナは悪魔だろ、どうやって和解したんだ!」

「彼女はオルフェウス様の御友人とか。敵対しないのであれば争うこともありますまい」

「⋯⋯それだけか?」


 いや、そんな事はない。モナのことだ、もっと突拍子のないことを口にしている筈。

 俺の追求にドルクは少し考えてから、はっとした様に口を開いた。


「そう言えば、オルフェウス様のかつての旅仲間で、20年共に旅をしていたとか。まあ、オルフェウス様の年齢を考えれば有り得ないことではありますが」

「⋯⋯他には?」

「他、ですか。後は⋯⋯そうですね、『毎晩熱い夜を過ごした』くらいでしょうか」

「⋯⋯暑苦しい夜は過ごしたな、あいつ以外と体温高いし」


 おかしい、全て事実しか語られていないだと⋯⋯!?

 確かに20年近くギルゼルドとついでにモナとも一緒に旅はしていた。というより無理矢理に着いてきたという方が正しくはあるが、事実は間違っていない。

 添い寝されていたのも事実だし、というか最初の頃は寝起き全身骨折だったし、あいつ超力強くて寝るのも命懸けだったし。強くなった後でもその時の馴染みで添い寝を許容していたのだから、間違いではない。


「そ、それだけか?」

「先程からどうされたと言うのですか。詳しい事情はこの後ゆっくり」


 ────見ィツケタァ。


 ゾクリ、と悪寒が全身を走った。

 ドルクの背後、そこには悪魔的な笑みを浮かべた二人の少女が。一人は正真正銘の悪魔だが。


「済まないまた後でッ!」

「「待てぇぇぇぇぇぇぇぇえ!!」」


 ドルクに別れを告げて、俺は駆け出した。

 当然ニアとモナは俺を捕らえようと追い掛けてくる。モナは当然のことだがニアも相当な身体能力だ。あれからまた強くなったのだろう。


「捕まえ──た!?」

「ハハハハ、残念だったな。俺は生まれてこの方、鬼ごっこで負けたことがないのだよ!」


 ニアの手が俺に届く瞬間、離れた住宅の屋根に転移した俺は高笑いをあげる。


「ずるい、反則」

「負け犬の遠吠えだな」

「⋯⋯(イラッ)」


 絶対に捕まえてやる──そう口にしたニアの雰囲気が一変する。本気になったということだろう。


「まだ病み上がりも良いところ、見た感じ本来の半分も動けていない。それに魔力もそれほど回復してない筈、転移できる数は限られている」

「ちっ」


 モナめ、やたらと勘が良い。

 確かに昨日の戦闘で毒の塊とも言えるグラトニースライムに呑み込まれたり、氷付けにされた上で体に幾つもの風穴を開けられている。時空魔法やファフニールの武器のお陰で外傷は残っていないが、それでも着実にダメージは蓄積されている。

 極め付けはモナの全力パンチ。正直あれが一番きつかった。


「今のオルフェウスなら、私でも勝てる」

「ほう、連戦連敗の癖によく言う」

「昨日は私が勝った」

「あれカウントされるの!?」

「⋯⋯負け犬の遠吠え?」


 挑発的に見下してくるモナ。

 成る程、成る程、そういう態度を取っちゃうのか。


「──良いだろう、二人纏めて相手にしてやる。後で泣いても知らないからな」

「「上等」」




 そうして、獣人の町で熾烈な戦い──もとい鬼ごっこの火蓋が切って落とされた。




 結局二人は、遊び相手が欲しかったのだろう。鬼ごっこが進んでいくにつれてバラバラの行動をしていた二人は連携を取り始め、とても楽しそうに屋根から屋根へと飛び回っている。

 だからと言って勝ちを譲る気は毛頭ない、勝つのは勿論俺。

 ギルゼルドの行うあまりにも過酷すぎる地獄の修行から逃げ出すためだけに鍛え上げたと言ってもいい時空魔法が火を噴く時間だ。

あれ? と違和感を抱いた方も多いのではないでしょうか。その違和感は後々⋯⋯。

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