第二十二話 蒼炎
「⋯⋯オルフェウス、なのか」
辺りを見回しながら状況を確認していると、一人の冒険者が声を上げた。
どうして冒険者が此処に──とも思ったが、この男には見覚えがある。
「確か、古代遺跡の調査で一緒だった」
⋯⋯名前は何だっただろうか。
「覚えてるのか──いや、そんな事はどうでもいい。どうしてお前が此処に、そもそもどうやって──っておい、聞いてるのか?」
男が心配そうに顔を覗き込んできて、慌てて返答を返す。
「授業をサボった生徒の説教と、そのついでに聖国の侵攻の防衛に助力を、と思っていた」
しかし、いくら辺りを見回そうとも、倒れた聖騎士の姿はあっても生きている聖騎士は何処にも見当たらない。
誰かに此処で起きた事の顛末を説明してもらいたいところではあるが、視線の先に聳える巨大なソレと比べてみれば、それは非常に優先度が低く、どうでもいいことだった。
──どうして、こっちに【魔界】に存在するモノがある?
といっても、理由は一つしかない。
アレが己の意思で世界を渡ることなど有り得ない。となれば強制的に喚び寄せるしか方法はない。
つまりは──異世界召喚しか存在しない。
しかしこれはそう簡単に行える様な代物ではない筈だ。
身一つを彼方から此方に転移させるだけでも、付与魔法による魔法強化と、持ちうる魔力の殆どを以て漸く実現できたというのに──。
「まさか、あんなものをこっちで目にすることになるとはな」
果てしなく大きい黒い岩に、くすんだ赤い血管が走っているかの様な見た目、鼓動のように内部で魔力が脈動している物体
もう当分見ることはないだろうと思っていた。
【魔界】の魔物だけならまだしも、アレをこちらの世界に召喚してしまうとは、何処の誰が成し得たかは知らないが、愚かと吐き捨てる前に流石と言わざるを得ない。
まだ侵食はそこまで進んでいない様だが、状況は最悪に限りなく近いことには変わりない。
「おい──」
「悪いのだが、この人を預かっててもらえないだろうか」
「えっ⋯⋯うおっ!?」
何かを言おうと近寄ってきた冒険者に、肩に担いでいた人物を押し付けるようにして預ける。
「⋯⋯こいつ、何かあったのか? 今にも出すもの出しちまいそうな勢いなんだが」
「いや、何でもない。ただ此所までの案内を頼んだら途中で気分を悪くしただけだ」
「⋯⋯商人は⋯⋯道具では⋯⋯ない⋯⋯んですけど⋯⋯ね⋯⋯」
冒険者の肩を借りて何とか立っている案内人──商人のイルネスが、青ざめた顔で抗議の声を上げたる。
俺の転移魔法は転移先の位置を正確に把握していなければ使えない。
視認できる距離まで転移してそこからまた視認できる所まで──という方法も使えないことはないが、それでは魔力の消費が激しすぎる。
故にこうして獣人大陸に行ったことのある者を案内人として、全速で飛行してきたという訳だ。
⋯⋯その分、冒険者でもなければ鍛えている訳でもない商人にとっては、呼吸がかなり危なかったらしい。
「報酬次第ではどんな仕事でも請け負うものだと聞いた」
「それは冒険者の売り文句でしょう!」
「⋯⋯その様に修正しておく。とにかくその人を⋯⋯どうした?」
呆然と此方を見てくる冒険者の男に声を掛ける。
すると男は不思議そうなな顔をしながらも、
「いや、何というか、雰囲気が前と違う様な──」
「気のせいだ」
「いや、前はもう少し生意気そうな──」
「気のせいだ」
「⋯⋯そ、そうか?」
「ああ」
と、そんなやり取りをしていると。
「──オルフェウスッ!」
不意に冒険者が言葉を遮り俺の名前を叫んだ。
同時に、背後まで迫っていたケルベロスの群れが一斉に飛び掛かってきて──。
「話の邪魔をするな」
刀を振るって、その全てを吹き飛ばした。
付与魔法で『飛刃』を付与し両断するつもりで振るわれたのだが、付与が甘かったのか、それとも想像以上にケルベロスの防御が固かったのか、飛刃の衝撃波で吹き飛ばす程度に留まる。
「⋯⋯やはり性能が同じでも、自力の差は大きいということか」
と言っても、刃は確実にその体躯へ少なくない傷を刻んでいる。
しかしそれでも怯むことなくケルベロスの群れは幾重にも押し寄せてくるところを見るに、やはり【魔界】の魔物はこちらの世界の魔物と比べて知能が低い。
「切りがない、か」
この世界の尺度で言うならば、ケルベロスの危険度はAになる。
しかし俺が【魔界】に行く前と比べると、その尺度も緩やかに低下している様に思える。
此処にいる騎士団や魔法師団、冒険者達が全員冒険者で言うところのAランクに相当するとしても、この数を相手に耐え凌ぐのは非常に難しいだろう。
「オルフェウス! とにかく此処は俺等に任せて一度戦線を離脱しろ! 森へ向かえば獣人の戦士達もいる、そこまで撤退して体勢を立て直せば──」
「残念だがそんな時間はない。それに」
「時間なら俺等が稼ぐ! お前が強いのは知ってる、さっきも助けられた。だが、いくらお前でもあれだけの魔物を相手に無謀だ! こっちにはもう攻撃魔法が使える者も残ってないんだぞ!」
言葉を遮った男にこれ見よがしに溜め息を吐くと、再び同じ言葉を繰り返す。
「残念ながら、そんな時間は残されていない」
「だから──」
「話を最後まで聞け、人間」
「──ッ!?」
貫く様な凍えた視線。
男も、その周囲にいた他の冒険者達も、一流と呼ばれる者達が思わず息を呑んでしまうほどの、殺気とは違う重圧。
黙るのを確認した後に、ゆっくりと口を開くと。
「既に十分な時間稼ぎは終了している」
「は? 何を──」
──言っている、そう言葉が続くことは無く、突如肌を撫でた冷気に男は──その場にいる全ての者達が目を見開いた。
全ての者達の視界が、押し寄せるケルベロスの軍勢という悪夢が、刹那よりも疾く異様な光景へと変換された。
誰も感じ取ることが出来なかった。その兆候すらも知覚できた者はおらず、何もかも全てが終わった後で漸くその異変に気付くことが出来た──否、許された。
「──何だ? 一体、何が起こって⋯⋯」
「そんな、有り得ないだろ⋯⋯!?」
「⋯⋯俺は夢でも見ているのか」
「意味が解んねぇ、こんなこと⋯⋯っ!」
「そもそも、一体誰が⋯⋯?」
彼等の目の前に広がるのは、先程までは正しく悪夢そのものだったもの。
しかし今は、その全ての驚異が例外無く凍てつく氷像となって静止している光景が果てしなく広がっているのみ。
大地も分厚い氷に覆われており、立ち込めた冷気が海から吹き付ける風に乗せられて彼等を抜けてゆく。
今の今まで聞こえてきていた魔物の吠える声も、近付いてくる地鳴りも聞こえない。
全てが氷結されて、そこに残るは静寂のみ。
まるで時が飛んだ様な光景の切り替わりに、誰もが理解が追い付かない。
驚きと動揺と不気味さと、溢れんばかりの希望が入り交じった彼等の反応を他所に、冷静さを欠いていない者がひとり。
(これで、この場での私の役目は終わか。後は──)
未だ収まらない混乱の中、目の前の光景に気を取られ上空からゆっくり降下してくる存在に気付かない者達の為に、すぅ、と大きく息を吸い込むと。
「な、なんだ、あれはーーーーっ!!」
その声に周囲の冒険者達の注目が集まり、伝染するように騎士団、魔法師団、後方部隊へとそれは広がっていく。
そして彼等は誘導されるように、指が差された場所へと視線を辿らせる。
棒読みも甚だしいところではあったが、それでも周囲の気を引くには充分だった様で。
──額を仮面で隠し、全身を黒いローブに包み、鞘から抜き放たれた剣には美しい蒼い炎を纏わせた剣士が、彼等の目に焼き付けられた。
遂に主人公登場です。




