第二十話 本当の戦い ②
「⋯⋯何だよ、これ」
──誰かが、そう呟いた。
それは、その場にいる全ての者達の思いを代弁していた。
冗談だと思いたくなるほど夥しい数の、見上げるほど大きな、頸が三つ存在する異様な獣。
それを遥かに凌駕する体躯を持つ、二足で歩く巨大な化物が、ざっと数えるだけで百はいる。
どちらも並の者では相手にならないことは、誰もが等しく理解に至った。
しかし一部を除き、誰もが等しく、この絶望的な現実を受け入れることは出来なかった。
「俺達は、聖国と戦っていたんじゃなかったのか⋯⋯?」
戦場に放置されていた聖騎士の骸を踏み潰しながら雄叫びを上げる化物は、生き残っていた僅かな聖騎士をあっという間に喰い殺し、今度は連合軍へ狙いを定めていた。
ミスリルの鎧を容易に砕く顎でまともに噛み付かれたら、間違いなく即死だ。
魔力で身体強化を施していたとしても、助かる可能性は望み薄だろう。
「勝てねぇ、あんなの、勝てる訳────」
刻々と波のように押し寄せてくる絶望に、ただむざむざと殺されるだけなのだろうか──と、既に目前まで迫ってきていたその時。
「────え?」
まだもや誰かが、その場にそぐわない間抜けな声を上げた。
何故なら、すぐそこまで迫っていた化物達の前線が、突然吹き飛んだから。
そんな現象を引き起こしたのは、一人の騎士が放った渾身の一撃。
何処かの誰かが施した付与魔法によって飛ぶ斬撃となったそれが、前線を丸ごと吹き飛ばして見せたのだ。
と言っても、それを創った本人にとって、その大剣は頑丈さだけが取り柄という認識であり、飛刃の付与はおまけのようなものだったりするのだが。
直撃を受けた化物は体を両断され即死し、後ろの集団もその斬撃の餌食となり、何百という化物が冗談のように宙を舞っている。
「──やはり、良い剣だな。こんなものをオークションに出す奴の気持ちが知れない」
今、過去最高の窮地に立たされている者の得物が、唯のオークションで競り落とされたものというのも可笑しな話だ。
しかし、それに大いに助けられていることが事実なだけに、グラデュースは内心複雑な気持ちであったが、それでも口許には笑みが見られた。
「ほう、魔法も使うのか」
間を開けることなく新たに前線へと出てきた化物が、その三つの口から炎を吹いた。また別の化物は氷塊を生成し、グラデュースに向けて撃ち出してきた。
圧倒的な数を相手に単騎で挑むことは多勢に無勢、手数の差は歴然。
いくらグラデュースと言えど、それら全てを相殺するのは無謀というもの。
しかし彼は尚も笑みを浮かべたままで、まるで回避しようとする素振りを見せない。
その必要がないから。
「──『フォートレス』」
瞬間、グラデュースの周囲の地面が隆起し、彼を完全に包み込んでしまった。
僅かに遅れて化物の魔法が衝突すると、激しい爆発とともに砂塵が舞う。
化物達の魔法を人の魔法で推し量るならば、一つ一つが上級魔法と同等以上の威力を有したものだった。それが数百ともなると流石に防ぎきれないよでは──と、後方で窺っていた者達はグラデュースの安否を懸念する。
だが、それも一瞬のことで。
「──ォォォォォォオオオオッッッ!!」
立ち込める砂塵の中から、無傷のグラデュースが飛び出してきた。
「流石はリーアストの魔法師団団長、あれを魔法一つで防ぎますか」
衝突する直前、グラデュースを包んだ土魔法『フォートレス』は、アランによって作られたものだった。
あれだけの魔法を受けてグラデュースが無傷でいられたのも、アランの魔法だからという点が大きい。王国最高の魔法使いというのも伊達ではない。
他の魔法使いであれば、こうも上手くはいかないだろう。
(⋯⋯二人で注意を引き付けるつもりなのですか)
体格差を感じさせないグラデュースの戦いぶりを後方で窺っていたペルセウスは。
「ならば、私は私のやるべきことを果たしましょう」
最前線で圧倒的な力を振るって敵の注意を引いているとはいえ、それも完全ではない。
グラデュースの防衛を突破し本陣へと向かってくる数は少なくない。
今、己が出来る最良を。
「攻撃魔法が使える魔法使いは己の持つ最大の魔法を!」
「よ、宜しいのですか⋯⋯!?」
魔法師団の一人が、ペルセウスの言葉にめを見開きながら訊いてくる。
「回復魔法の使い手は温存しなくてはなりませんが、混戦になれば魔法使いは足手纏いです」
「わ、分かりました!」
後方に待機していた半数の魔法師と、帝国の冒険者の魔法使い達が一斉に魔法の発動準備を始める。
聖国との戦闘によってポーションは殆ど底をついているので、彼等にとってこの一回が最後の魔法になるかもしれない。
だからこそ、出し惜しみすることなく己の有する全ての魔力を一つの魔法に注ぎ込む勢いで。
「魔法発動後は速やかに下がってください。────放てッッッ!!」
ペルセウスの合図に合わせ、何千という大魔法が一斉に目前に迫った化物達へと放たれた。
これだけの数の魔法を受ければ、間違いなく向かってくる半分近くの化物を屠ることが出来るだろう。
そう、誰もが確信してしまうほどの大魔法の数々。
──それが、宙に静止していた。
「⋯⋯何が、起こった」
可能性としては、魔法の発動者による魔法の操作という考えがペルセウスの脳裏を過る。
しかし、誰もが同じタイミング、しかもこの状況でそれをするメリットは皆無だ。
そして魔法使い達から困惑の声が上がっていることからも、これが予期せぬ異常時体だということが理解できた。
ならば一体、誰がこの様な有り得ない状況を引き起こしたというのか。
「⋯⋯バロールの支配だ」
「グオルツ君、何か知っているのですか!?」
「は、はい。僕の先生に一人、魔界の生態に詳しい先生がいまして⋯⋯」
取り乱しながら肩を揺さぶってくるペルセウスに、グオルツが応える。
「恐らく、あの奥にいる一つ目の魔物がこれの現象を起こしています。魔眼の本領は、魔力に干渉することです。それは、他者の魔力も例外ではありません」
「──完全に、私のミスですね、これは。つまり魔法はあの魔物には通用しないということですか⋯⋯いや、待て、だとすれば────!?」
急にペルセウスの表情が強張る。
グオルツの話が本当だとするならば、今、上空に停滞している魔法はバロールにより主導権を奪われたといえるのではないだろうか──と。
そして、ペルセウスの考えを肯定するかのように、悪夢は降り注いだ。
魔法使いが満を持して放った渾身の魔法の数々が、進行方向を百八十度方向を変え牙を剥いたのだ、
「くっ──『プロテクション』ッ!」
咄嗟にペルセウスは結界魔法を行使するが、何千という大魔法を、それも魔力が枯渇しかけた状態で防ぎきることなど不可能。
結界はいとも容易く破壊されると、その場に悪夢が襲った。
「ペルセウスさん!」
完全に魔力を使い果たしその場に膝を付くペルセウスに駆け寄ると、グオルツは周囲に二人を包むよう結界を展開しようとして──。
「──『フレイムバースト』」
背後から放たれた魔法が頭上を横切り、迫りくる魔法の数々の一角を爆発を以て呑み込んだ。
たった一つの魔法で幾つもの魔法を纏めて消し去るまではいかないものの、何者かが放った魔法に誘発されて、さらにその爆発の規模が増す。
結果的に、彼等に降り注ぐ魔法の大半を妨害することになった。
しかしそれでも、他の場所では甚大な被害が生まれたのも事実で、グオルツはそれを眺めることしか出来なかった。
「生きてるわよね、グオルツ」
「──ミロ。どうして、君が此所に。君はもっと後ろで⋯⋯」
「こんな状況なら、何処にいてもそう変わらないでしょ。それに、勝手な行動をしているのは私だけではないし」
そう言ったミロの背後から、今度はユリアとシルクが姿を見せた。
「いやー、無事でよかったよ。怪我とかしてない? してたら私の魔法で癒してあげるよ!」
「い、いや、僕は大丈夫だよ、ありがとう。それにしても、どうやって此所に」
「それはもちろん、シルクの空間転移に決まってるじゃん」
「⋯⋯私は行くのに反対したんですけどね。まあ、いまではその判断はよかったと思っていますけど。無事でよかったです。ペルセウス様も」
「助けられてしまいましたね。しかし、長話をしている余裕はありませんよ」
そう、魔物の波はすぐそこまで迫っているのだから。
魔法による先手が失敗した今、魔法使いの支援はほぼ受けることは不可能となってしまった。
加えて、そのまま返された魔法によって、多くの者が負傷している。
絶望的な状況が、更に酷くなってしまった。
「ケルベロスは見掛けは強そうですが、魔法さえ気を付ければ大丈夫です。危険度でいえばかろうじてAランクといったところです」
「⋯⋯それも、魔界に詳しいという先生から?」
「はい」
ペルセウスは、益々その先生なる人物に興味を抱いた。
彼が知りうる限り、魔界に関する文献は数少なく、悪魔の存在以外が記述されているものは無かった。
知識欲に飢えている賢者ですら知り得ない情報を知っている。それは、彼にある可能性を抱かせることになる。
(──まさか、魔界からの生還者⋯⋯?)
【ゲート】を潜った者は魔界に至る。
しかし、ゲートから戻ってきた者は過去に存在しておらず、それは一種の仮説としての定義でしかなかった。
それがもし机上の空論などではなく、紛れもない真実だとして、その先生とやらが【ゲート】を潜り、再びこの世界に帰って来たのだというのなら────?
そこでペルセウスは首を振った。
あまりにも仮説に仮説を重ねすぎている。
「──本当にそれが事実だってのなら、まだ俺達にも勝算はあるかもしれねぇな」
不意に声がしたと思うと、いつの間にか背後に回っていた複数の冒険者によってグオルツ達は意識を刈り取られた。
「貴方達⋯⋯一体、何のつもりですか」
「後方にいる分には何もするつもりは無かったんだが、こうも前に出られちゃな。魔眼のガキは後方で手当てを受けていると聞いたが⋯⋯もう一人がいないな」
人数を数えながらそう呟いた冒険者の男は、ペルセウスに向き直ると。
「ここでこいつ等に死なれちゃ色々と困るんだよ。そんな事になったら、俺達は恩人に顔向け出来ねぇ。それにここを逃したら、恩を返す機会は二度と訪れないかもしれない」
ペルセウスには彼の言っていることが理解できなかった。
それでも、真っ直ぐな瞳には固い決意が宿っていて。
「頼む」
「⋯⋯そんな顔をされては、否定など出来ませんよ。未来ある若者を死地に送るのは、私としても心が痛みます」
ペルセウスが言うと、冒険者達はグオルツ達を抱えて後方へと走っていった。
「さて、賢者様も下がっていいんだぞ。魔力を使い果たした賢者なんて、ただ知識のある老人とそう変わらない」
見届けも半ばで、冒険者がペルセウスに向かって言った。
「はっきり言ってくれますねえ」
「接近戦になれば完全に足手纏いにしかならないからな、荷物を背負いながら戦うのは御免だ。分かったら賢者様もさっさと下がってくれ、本当にもう時間がない」
冒険者の男の言う通り、もはや悩んでいる時間は残されていなかった。
既にケルベロスの魔法の射程圏内まで接近されており、──そして今、騎士団と冒険者達に向けられて火球と氷塊が放たれた。
「これは、絶望的ですね」
「言ってる場合か。魔法使い無しに魔法を防ぐだなんて、無謀にも程がある」
そう口にする冒険者は、構えていた剣を下ろす。
「なあ、賢者様。魔法も使えず剣しか持たない俺達が、どうしたらあの魔法の雨を食い止められると思う」
不意に冒険者が、そんな事を訊いてきた。
魔法を使わずに魔法を対処するというのは、とても常人には不可能な芸当だ。
物質として具現化されている氷塊だけであれば、無茶ではあるが回避できる可能性が無い訳ではないが、剣で斬り掛かっても大して意味を成さない火球はどうか。
もし、自分が助かりたいが為というのであれば、他者の事など放って回避に専念すればいい。
しかし彼は魔法を食い止めると、はっきりそう口にした。
「さあ、私には分かりませんね。此方に落ちてくる魔法の速度を考えると、バロールとやらの支配も万能ではないでしょう。⋯⋯まあ、そういうことを訊いているのではないのでしょうが」
「安心しろ、お前は世界に二人しかいない最高位ランク冒険者だ。あのガキ共のついでに守ってやるよ」
魔法を使えない状況で魔法を防ぐ。
それはつまり、犠牲を払うことによる身を呈しての──。
「⋯⋯本気で?」
「救う命の取捨選択くらい、冒険者なら心得ている」
だからお前は死なせない、そう続けた冒険者の男は──否、冒険者達は、弾幕となって降り注ぐ魔法の中へとその身を投じ──。
「────その役目は、俺が引き継ごう」
魔法より早く降ってきたその声と同時に、全ての魔法が両断されたかと思うと、その全てが例外なく掻き消えた。
制御を失った魔力の奔流が周囲に突風を生み出して、抉れた地面から粉塵を巻き起こす。
突然の事態にケルベロスの群れはその進行を止め、魔法を防ぐ盾になろうと飛び出した冒険者達や騎士達も、最前線で戦っていたアランのグラデュースも、まるで時が止まったかの様に等しく動きを停止した。
誰も言葉を発しなかった。
何千もの魔法を魔物に強奪されただけでも相当だというのに、今度はその全てが何者かによって消滅させられたとなれば、驚きのあまり声も出せなくなるというものだろう。
そうして静かに粉塵が晴れていくのを待つと──。
「聞いていた話とはまた随分と違った状況だな」
──全てを見下ろしながらそんな事を呟く少年が、粉塵を斬り裂いて現れた。




