第二十話 本当の戦い
「──団長!」
「⋯⋯っ」
不意に背後から声を掛けられ、グラデュースは我に返った。
「此処は危険です、早く退避を!」
「あ、ああ。橋の守護をしていた騎士達にも通達しろ。急ぎ此方に帰還しろと」
「は」
騎士が一礼し、走り去っていく姿を眺めながら、グラデュースも漸くその足を進めた。
しかし、足取りは重い。
(最初は援軍を呼べなくする為だと思っていたが⋯⋯まさか、俺達が王都に戻るのを防ぐためだったとは)
あてが外れたどころの話ではない、敵の狙いは全くの逆だった。
今思えば、後続として聖国を出立した兵士の到着を待つことなく奇襲を仕掛けてきたことも、兵士がそもそも此方に向けて差し向けられたものではなかったと考えれば説明がつく。
目的が獣人大陸だけであると此方に思い込ませるための芝居。
まんまと踊らされていた所為で、聖国にかなりの余裕を与えてしまっていたと、今更気付いたところでもう遅い。
「⋯⋯全て、俺の判断ミス、か」
そう思わざるに、いられなかった。
あまりにも上手くいきすぎていたことに疑問を抱きながらも、見間違えることなく此方が優勢だと錯覚してしまっていたから、それを深く考えなかった、自分のミス。
今こうしている間にも、足元に展開された禍々しい魔法陣は召喚魔法の準備を進めており、そう長くない内に発動する。
ラディスの話を鵜呑みにするのなら、これから魔法陣から現れるのは、かの勇者ですら及ばなかったという正真正銘の化け物だ。
それを止めることすら出来ず、魔法陣が発動するのをただ待ち、化け物に殺され死んでいくのだろうか。
「⋯⋯英雄は己の命を代償に世界を救った。だが、俺にそんな力は、無い。俺の命だけでは、安すぎる。────俺では、英雄にはなれない」
自分の命一つで済むのなら、どれだけ良かった事だろうか。
先程から、考えることばかり。そして答えは出ない。
「──暗い顔じゃな、グラデュースよ」
「アラン、か」
「もう殆どの者達は町の付近まで撤退させた」
「そうか、済まない」
「それでグラデュースよ、これからどうする?」
「⋯⋯⋯⋯っ」
これから、どうするか。
そんなもの、何をしたところで結果は変わらない。
「お主らしくないな。普段は間抜けなお主でも、こんな時はいつも、的確に指示が飛ばせているだろうに」
「⋯⋯そう、だったか。だが、今回は⋯⋯間違えた」
いや、そもそも、間違った選択しか取れなかったのだ。
状況がどう転んでいたにせよ、救えないという一点に関してだけは揺るぎの無い事実であっただろうから。
もし聖騎士の奇襲で転移の魔道具を守りきれたとしても、そこで、獣人族を見捨てて国を守りに行けるだろうか。
グラデュースにその選択は、きっと出来ない。
「あの魔法陣から出てくる化け物に、勝てる手段はない」
「ふむ。ならば、どうするんじゃ?」
「っ! だからッ」
「──諦めるというのか? お主にはそれが、どういう事か理解できる筈じゃ」
即ち、全滅。
「勝てない化け物に挑むことなど、儂らは慣れっこじゃろう?」
「⋯⋯っ」
「儂と、最後まで悪足掻きせぬか? お主がそこまで言うのなら、その化け物とやらにはきっと勝てんのじゃろう。──じゃが、それは諦めていい理由には、ならんのぅ?」
そう言って、アランは笑った。
その瞬間、グラデュースは何かの鎖が弾けたように、感情という感情が込み上げてきた。
「⋯⋯ああ、ああ、そうだ。そうだったな」
いつだって、そうだった。
どんな強大な敵を前にしても、諦めたことなど一度たりとも無かった。
二人で、足掻いてきたではないか。
「方針は決まったかの」
「──愚問だな」
二人で年甲斐もなく笑い合う。
いつもと同じだ、これがいつものやり取り、これからも変わることのない挨拶。
死地へ行くにも拘わらずこんな事が出来るのは、決して彼等が狂っている訳ではない。人並みに死を恐れ、どうしようもなく恐怖している。
それでも、彼等が止まることは、無い。
「ああ、それとなんだが────」
グラデュースが、王都にも危機が迫っているとアランに伝えようとした時だった。
地面が、森林が──大陸が、揺れた。
「な、なんじゃ!?」
「⋯⋯⋯⋯おいおい、マジかよ」
その揺れは、災厄の始まりを告げる合図だった。
禍々しく輝いていた巨大な魔法陣がより強く光を帯び、膨大な魔力が放たれると、上空の雲をも貫いた。
そして遂に、ソレは姿を現した。
「でけぇ」
「⋯⋯確かに、デカい的じゃな。目を閉じていても当たりそうじゃ」
笑みを浮かべて皮肉を言うアランではあるが、内心では恐怖で支配されていた。
ファフニールなど比べ物にならないほどソレは想像を遥かに超越していて、その重量に大地が割れ、沈んでいく。
赤黒いソレの表面は脈打つように禍々しい光を放っている。しかし、岩盤のような見た目は、とても生物であるとは思えないものだった。
例えるならば、生きている岩山と言うべきか。
「あれは、魔物なのか⋯⋯?」
「そうでなければ、あの禍々しい魔力に説明がつかんが⋯⋯ゴーレムの類、よいう訳でもなさそうじゃの」
彼等の知りうる知識では、目の前に映るソレが一体何なのか、説明のしようが無かった。
そこに更なる追い打ちを掛けるように、信じられない光景が二人の視界に飛び込んできた。
「な!? 魔物が、発生しとるじゃと⋯⋯!? 魔素の濃い森ならば兎も角、草原にじゃと? あの数、百や二百ではまるで足りんぞ⋯⋯!! それに、あれは、あの魔物は、まさか────」
信じられない事ばかりだった。
この草原に漂う魔素では、いくら頑張ったところで下級の魔物が数体発生するのが関の山といったところだ。
にも拘らず、一度に、一瞬にして数千という魔物が発生したとなれば疑問を待たざるを得ないというもの。
こんな事態が起こるなど、不可能な筈なのだ。だというのに、非情にもその世界は見間違いなどする由もなく広がっている。
加えて、アランにはもう一つ信じられない事があった。
「そんな事が、有り得るのか? あれは────【魔界】の魔物ではないか」
この世界に存在しない筈の、異界の生物。
決してここにいてはならない存在。
「アラン、俺から少し話があるが、それは戦いながら話す。それと、騎士達の状態はどうなっている?」
「聖騎士との戦いでかなり消耗しとるな。魔法師団の半数は後方に待機させていたから、そやつらは十分戦力になるじゃろう。帝国の援軍もその護衛に殆どを回しておったから、そっちも戦力に数えて問題ないじゃろう」
「そうか」
単純計算、半分近くの戦力が残されていることになる。
もちろん疲弊しているとはいえ、騎士団も十分な戦力になるだろうが、それは敵が並みの相手であった場合の話だ。
「⋯⋯最悪、町を放棄するしかないか」
「そうじゃな。大陸を繋ぐ橋を守るのも、不可能と判断するべきじゃろう。こうなると、帰りは船かのぅ? 儂、結構酔うんじゃけど」
そんな軽口を吐きつつ、アランは魔法杖に魔力を込め始める。
グラデュースも剣を抜き放ち、静かに構える。
「アラン」
「何じゃ?」
「もし、今この時、王都が襲撃されているとしたら、どうする」
はっとグラデュースを見るアランは、その真剣な眼差しに暫く言葉を失う。
しかし、再び魔物の大群へと視線を戻すと。
「愚問じゃな。あそこには、──最強の剣士がいるではないか」
「くっ、はははっ! そうだ、そうだったな!」
吹き出したグラデュースにつられ、アランも口許をにやりと緩める。
そう、元より心配などする必要はなかった。
今自分達が頭を捻らなければならないのは、目の前のソレを如何にして撃退するか、ただそれだけだ。
「そろそろ良いかの?」
「──ああ、惨めに足掻いてやろうじゃねぇか」
そうして、意気揚々と、彼等の本当の戦いが始まった。




