第十九話 勇者と英雄
わりと大事なところです。
──かつて、魔王と呼ばれたたった一人の魔族によって、世界の大半が支配された。
同じ大陸に住んでいたエルフ族は真っ先に魔族の侵略対象とされ、圧倒的な力の下にエルフは為す術たく絶滅寸前まで追い詰められ、生き残った極少数が命からがら人族の大陸へ逃亡した。
瞬く間に大陸を掌握した魔王は、エルフを追って人族の大陸へと魔族を向かわせ、そこに住まうドワーフ族、人族にも侵略の手を伸ばした。
しかしそこで待ち受けていたのは、魔族に対抗するべく同盟を結んだエルフ族、人族、ドワーフ族、獣人族の四種族の連合軍。
一度魔族に敗れ逃げ延びたエルフが、人族に情報をもたらしていたのだ。
それでも魔族の侵攻は止まる事はなく、遂に人族の大陸で二つの勢力は激しく衝突した。
魔族と四種族との全面戦争と化したその戦いは激化の一途を辿り、日に何万という命が当然のように消えていった。
戦場となった場所は雑草の一つも生えることの出来ない荒野に荒れ果て、棲んでいた動物や魔物の生態系も根本から崩壊し、文字通り大地が死んだ。
何十倍という数の差により何とか均衡を保っていた連合軍でさえ、魔族の圧倒的な暴力によって次第に蹂躙されていき、遂に連合軍は一つの国に追い詰められた。
そこは、魔王が魔族に与えた暗黒の魔力を打ち消し、その一切を浄化する聖の魔素が大地から放たれる地域。
魔素があれば魔物が生まれる、それが当然の摂理。そして、その魔素が濃いほど発生する魔物の強さは上がっていく。
魔族を寄せ付けない特殊な魔力だからとはいえ、魔物は当然のように発生し、それを人族が相手にするにはあまりにそれは強大すぎた。
しかしそれでも、連合軍が最後の砦として選んだ、
魔族の魔力を弱める天然の対魔族領域──【聖域】として。
【聖域】の守護者である精霊王と契約を結び、その眷族であるグリフォン、ユニコーンの協力も得て、連合軍は魔族が容易に踏み入ることの出来ない地を手に入れた。
一時の平和を得た連合軍は魔族を打倒する力を求め、その時代で唯一、聖の魔力に適正のあった一人の人間族を生け贄とし、その魂の半分を捧げて異世界からより強く聖の魔力に適正のある者を召喚する儀式を行った。
後の時代に【勇者召喚】として語られる儀式により召喚された勇者は、精霊王の加護を受け、数多の精霊を犠牲に生み出した【聖剣エクスカリバー】を振るい、圧倒的な力によって瞬く間に魔族を撃退していった。
その過程で高い知能を有するドラゴンとの協力関係を確立し、一人の人間の手によって形勢はあっという間にひっくり返った。
そして、魔族に支配された大陸での決戦において、遂に魔王を討ち滅ぼすことに成功したのだ。
────そう、語られている。
◆◆◆
「──なあ、騎士団長様よ」
激しい戦闘を遮って、一度距離を取ったラディスがグラデュースに声を掛けた。
「何だ、話す気になったのか」
「ああそうだとも。もう十分時間は稼げたからな、俺の役目は終いだ」
ラディスがにやりと笑った。
──その瞬間、聖騎士の命を代価として展開された数々の魔方陣が、突如として独りでに移動を始めたではないか。
一つ一つは人の身の丈ほどの大きさしか持たない小規模な魔方陣であったが、その全てが一点に収束した直後、再び魔方陣が再構築され──。
「────!?」
グラデュースの目の前に、信じられない光景としてそれは映し出された。
それは、あまりにも大きすぎる魔方陣だった。
草原を覆い尽くし、グラデュースの足元までもがその魔方陣の内側だった。
これは到底、人間が成せていいモノではない。そうとまで感じてしまうほどに、魔法陣は禍々しい輝き放ち、数多の聖騎士の命を犠牲としてもたらされた魔力という恩恵は、凄まじかった。
「────────」
最早、言葉を発することすら儘ならない。
「ははっ、ははははははははっ! これはとんでもなくすげぇじゃねぇかッ! なあ、おい!? あんたもそうは思わないか?」
「────────」
「おいおい、無視はひでぇなぁ無視は。折角これが何なのか教えてやろうって言ってんのによォ」
「ッ!?」
ここで漸くグラデュースは正気を取り戻した。
とはいえ、冷静とはいえない状況だった。足元の魔法陣が如何なるものか知れないまでも、それがやばいという事だけは理解できるからだ。
「⋯⋯⋯⋯これは、何なんだ。聖国は──教皇は、何を企んでいる」
その言葉が聞きたかったと言わんばかりに、ラディスの口角がニィと吊り上がった。
「──三百年前ッ! 聖女によって異世界から召喚された勇者が魔王を討ち滅ぼしッ、世界に平和がもたらされた!」
「何を⋯⋯」
言っている? そこまで言うことなく、遮るようにして声高らかにラディスが続けた。
「平和になった世界で勇者は、新しい文字、新しい知識、新しい技術、高度な魔法、そして魔道具! 実に様々なモノをこの世界にもたらし、その恩恵により死んだ大地は蘇り、大いなる豊穣を与え、人族は急速な発展を遂げたッ! その当時の人々にとって、彼はまさしく英雄、世界の救世主だった! そして今でも彼の功績は忘れられることなく、次の世代へと受け継がれている。何百、何千という時が過ぎようとも、それは相も変わらず語り継がれていくことだろう!」
「⋯⋯⋯⋯それが、どうしたと言うんだ」
話の意図が見えなかった。
彼が話したのは、貴族でも、平民でも、孤児であろうと、誰もが等しく知っている伝説。
勇者には様々な逸話が残されており、事実かどうかは兎も角として、それらの英雄譚は今でも子供に大人気のものとなっている。
そう、誰もが知っていて当然のこと。
しかし、それならば────。
「ならさァ、騎士団長様。あんたは、世界を救った英雄の、勇者の名前を知っているか?」
「──ッッッ!?」
何もかも見透かしているかのような笑みを浮かべるラディスに、今まで不思議とすら思ったことのない疑問に、グラデュースはまたもや言葉を見失う。
いや、一度くらいは不思議に思ったこともあっただろう。
しかし勇者は勇者だと周囲の人間が言えばそれで終いだ。いくら不思議に思おうとも、いくら疑問を抱こうとも、それを答えられる者がいなかった。
だから、いつしか誰も疑問に思わなくなってしまったのだろう。
例え世界を救った英雄だとしても、例え世界の発展に大いに貢献したとしても、過去の英雄の名前を知ったところで何かある訳でもない──と、切り捨ててしまっていた。
知ろうにも知りようがないと、誰もが心の中で諦め、考えないようにしていた。
「────────お前は、知っているのか」
世界を救った、名も無き英雄。
もしも知れるものなら、知りたい。
心の底からそう思った。疑問が確固たる疑問となった瞬間、知りたいという純然たる欲求は爆発的に増大する。
「いいや、残念ながら俺も知らねーよ」
「っ! そ、そうか⋯⋯」
まるで大事なおもちゃを織り上げられたかのように、グラデュースは落胆した。
それと同時に、別の疑問が生まれる。
──何故、彼はそんな話をしてきたのか、と。
「勇者の名前は知らねぇが、名前を遺さなかった理由は知っている」
「ッ! そ、れは⋯⋯?」
「勇者が、自分を英雄だなんて微塵も思っちゃいなかったからだよ」
「──!?」
三百年が経った今でも語り継がれる英雄が、己を英雄だと思っていない。
それは、あまりにも衝撃的すぎた。
「英雄が、英雄ではない、と⋯⋯⋯⋯?」
「ま、俺達にとっちゃ紛れもなく英雄だろうがな」
グラデュースには、ラディスの言っている意味が理解できなかった。
「聖国の聖書は知っているか?」
「⋯⋯ああ、そこに勇者の物語が載っているんだろう?」
「それを作ったのは、勇者本人だ」
「なっ──!?」
「あれは本来、勇者が己の寿命が長くないことを悟り、死ぬ間際に遺した遺言みたいなものなんだよ。それを元に生まれたのが、聖書だ。そして、勇者の遺言であるオリジナルが、代々教皇が受け継いでいる大聖典だ」
初めて知る情報の数々に圧倒されながらも、グラデュースは漸く落ち着きを取り戻しつつあった。
「そこには、本当の魔王と勇者の最終決戦も記されている」
静かに、ラディスの次なる言葉を待つ。
「劣化品である聖書には、勇者が多大なる犠牲を払いながらも勝利したとされているが、実際はそんな格好のいいモンじゃなかった。確かに勇者は、魔王を倒した。──だが、物語はそこで終わらねぇんだよ」
ここからが、本番だ。
そう告げて彼は続ける。
「疑問に思わなかったか? 勇者は世界を救った後、何故、自分がもといた世界に帰らなかった? こっちは愚問だな。勇者は聖女の魂を削って召喚された。要するに、聖女そのものが魔方陣の役割を果たしていた訳だ。しかし言い伝えでは聖女は魔王との戦いで命を落としている。つまり、勇者は帰ろうにも帰れなかったと言った方が正しいだろう」
何となく、話が見えてきた。
「だが、聖女は本当に魔王によって殺されたのか? 俺達の祖先は魔王を倒す為に異世界から勇者を召喚した。──けどそれは、人に出来て魔族に出来ないモノなのか? はっ、馬鹿馬鹿しい。圧倒的な魔力量と魔法技術で他種族を圧倒した魔族に、魔力量も技術も劣る人族が出来たことが、出来ない筈がねぇだろう?」
「⋯⋯⋯⋯っ!! ──つまり、魔族も、異世界召喚を行ったということか⋯⋯!?」
ご明察、とラディスが満足そうに拍手した。
「そして、勇者に敗れた魔王が、残る全てを賭して化け物を召喚した。大聖典には、疲弊した自分では手も足も出なかったと記述されていた。恐らく万全の状態でも敵わないだろうとも書かれていたな。そして、最後の手段として、化け物を再び元の世界に戻すため、聖女は、勇者を元の世界に戻すために温存していた魔力と魂を代価に、その化け物を元の世界へと送り返した」
信じられない話ではあるが、グラデュースはそれが偽りではないかと疑う気にはなれなかった。
ラディスの目が、それが真実だと語っていたから。
「魔王は勇者が倒した。だが、世界を救った本当の英雄は、勇者じゃない。偽物の英雄の名を遺すのは、勇者自身が許せなかった。とは言え、この真実を人々に伝えるのは、要らぬ不安の種となる。だから、勇者は己の名前を明かさず、真の英雄の存在も伝えなかった。──これが、真実だ」
それは、語られることのない英雄譚。
きっとこれからも変わらず、その真実は明かされることはなく、ひっそりと大聖典として受け継がれていくのだろう。名も無き勇者と、真の英雄の物語は。
「──さて、少し話が逸れたな。つまりこれは⋯⋯って、もう分かるか」
「少なくとも、異世界から勇者を喚ぶ⋯⋯とは、到底思えないな。教皇は何故、そこまでして獣人族を根絶やしにしようとする?」
「教皇様は獣人を人とは思っていない。唯の都合のいい実験台程度にしか考えちゃういねぇのさ。勇者は獣人を大層気に入っていたようだがな」
やはり教皇というのは、理解できない。
そんな事を考えていると、不意にラディスが懐から魔道具を取り出した。
「んじゃ、俺は役目を終えたんで帰るとするわ。勇者ですら手も足も出ないような化け物を相手にするのは勘弁だからな。それにどうやら、オルフェウスの野郎も来てないようだし」
「逃がすと思うか?」
グラデュースが再び剣を構え直す。
「折角いい話してやったのに。用が済んだら直ぐこれか、酷いなぁ。⋯⋯なら、ついでにもう一つ、いいことを教えてやろう」
「⋯⋯何?」
ラディスは不敵に笑うと、先程懐から取り出した水晶のような見た目の魔道具をこれ見よがしに弄ぶ。
「この転移の魔道具。実は量産に成功していてな? 目的は、──もぬけの殻となった王都を強襲すること」
「んなっ!?!!?!!?」
グラデュースは思わず声を上げてしまった。
それが、彼の失態。
グラデュースが見せてしまった一瞬の隙。その時には既にラディス足元では魔道具の水晶が砕け散っており、地面には魔法陣が展開されていた。
「そんじゃ、頑張りようもないが頑張れよ~」
「貴様────ッ!」
反射的に飛び出し、一瞬で間合いを詰め剣を振るうが、時既に遅し。
その剣は空しくも空を斬るのみだった。
「⋯⋯くそっ!」
そんな言葉も、空しく空気に溶けていく。
ラディスとの会話で得たものはあった。ありすぎた。
故に咄嗟に動けなかった。それでラディスを逃がしてしまった。
そして今も、どうすればいいのか、自分に何が出来るのか、そんな事ばかりを考えて、グラデュースは一向にその場から動き出せずにいた。
これである程度、ちょくちょく話に出てきた勇者の説明ができたかと思います。




