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第十七話 反撃

「っ!」


 ああ、俺は何をやっていたんだろう──とそんな事を考えながら、シグルスは刻一刻と迫る大地に手を伸ばす。


「──『グラビティリヴァーサル』」


 彼が唯一手にした魔法スキル──重力魔法の一つ。

 一定範囲の重力の法則を文字通りひっくり返してしまう、常識を遥かに逸脱した魔法。

 火や風などの属性魔法と呼ばれるものとは全く違った別物であり、現代に於いてマトモに使いこなせるのはほんの一握りしか存在しないと言われている。


 とはいえ、スキルを用いてさえ制御が非常に困難である重力魔法を、いとも容易く扱えてしまうような化物も広い世界の中にはいるようだが。

 その者から言わせると、この魔法は「魔力操作の延長」にあるらしい。

 魔法を使うより先に学ばせられる最も初歩的な行程である魔力操作、その延長でしかないと、さも当たり前かのように聞かされたシグルスの口許が引き攣ったのは言うまでもない。


「くっ!」


 流石に重力を逆転させただけでは加速しきった速度を相殺する事は出来ず、着地の瞬間に横に跳ぶことによって衝撃を往なす。

 咄嗟に魔力によって身体強化を行っていたお陰で見た目より怪我を負わずに済んだ。


「シグルス!」


 そこにシルクが追い付き、騎竜から飛び降りるとシグルスに駆け寄る。


「ごめんシルク、心配かけたね」

「本当です! あのまま死んでしまうかと思いました」

「ははは……恥ずかしながら俺もそう思ったよ。シルクが俺の名前を呼んでくれなかったらちょっと危なかったかも。ありがとね」


 そうシグルスが微笑むと、シルクは視線を逸らして下を向いてしまう。

 しかしそれも僅かの間だけで、直ぐに顔を上げるといつものように笑って。


「はい、どういたしまして」


 僅かに頬を朱に染めながら言った。


「早く後退しましょう、私たちの任務はしっかり遂行したのですから。此処は危険です」

「そうだね。落ちた衝撃で全身が痛いし、【魔眼】を使いすぎちゃったのか、目がほとんど見えないんだ」


 傍に待機していた騎竜にシルクが跨がり、その後ろにシグルスが乗る。


「振り落とされないよう、ちゃんと捕まっててくださいね」

「ああ、わかった」


 この時シグルスは、身体の自由が利かない上に、目が全く見えていなかった。

 それ故に身体の平衡感覚も上手く取れず、周囲の状況は魔力を探ることによって補完していた。


 その為、シルクの存在もなんとなくでしか捉えられておらず、シグルスは彼女に身を委ねるようにして抱き付いた。


「ひゃっ!?」

「? どうしたの、シルク」

「い、いえっ、何でもありません」


 平常を装って、騎竜を飛ばす。

 今度こそ彼女の顔は真っ赤だった。


 シグルスにとって彼女への配慮が回らなかったのは仕方無かった事であるが、シルクにとってはそうはいかなかったようだ。


◆◆◆


「上手く魔道具を破壊してくれたようだな」

「【魔眼】持ちの少年がやりましたか」

「ああ。──次は、俺達の番だ」


 グラデュースの口角は上がっていた。

 彼が根っからの戦闘狂だからというのも確かにある。しかし、それよりも、散々仲間を殺されたことへの礼を漸く返すことが出来る時が来たと、その喜びに震えていた。


 グラデュースが暴走しない為の抑止力であるアランも、今はこの場に居ない。

 つまり、鎖から外された猛獣を縛るものは存在せず、一歩でも動き始めてしまえば、もう誰にも止めることが出来ないという事。


 そして、その御膳立てを勤めるのはどんな時でもアランの役目だった。


「──さて、今の儂の実力で、一体どれだけ落とせるかのぅ?」


 長く伸びた自慢の髭を撫でながら、魔法師団長のアランは遥か眼下で行われる聖国軍と竜騎士との空中戦を眺めていた。


「アラン団長、作戦は成功したようです。結界が崩れていきます」

「その様じゃな。手筈通り、騎士達も撤退していく」


 後ろに控えた魔法師にそう返しながら、少しずつ魔法杖に魔力を込めていく。


 人一人が扱うにはあまりにも膨大すぎる魔力。

 それだけではない。周囲に存在する魔素までもを取り込んで、アランの周囲に視認できるほどの魔力の力場が形成される。


「……本当に御一人で良いのですか? 我々も既に魔法の準備を整え──」

「くどい、必要無いと言ったであろう。邪魔になるから離れておれ」

「は、はっ、失礼しました!」


 その歳で尚も実力を上げていくアランの姿に魔法師達は畏敬の念を抱くと同時に、例えようのない恐怖を感じた。

 しかし、アラン以上に頼もしい者など存在しないとも思った。


「────『ウィンドバースト』」


 五属性の魔法を自在に操るアランが最も得意とする風属性の上位魔法『ウィンドバースト』。

 圧縮された空気の塊が聖国軍に直撃し、巻き込まれた聖騎士は霊界なく大地に落ち、唯でさえ草原だったとは思えないほど荒れ果てた大地に巨大なクレーターを生み出した。


「ふむ、ざっと七割といったところかのぅ?」

「アラン団長、如何しますか」


 魔法師がアランに訊いた。

 それは、地に落とし損ねた残りの三割をどうするか、という事だろう。


「宜しければ我々が対処致しますが」

「……まあ、必要無いじゃろう」

「必要無い、ですか」

「ああ」


 聖騎士が逃げていった方向を見やり、アランはその様な判断を下した。


「橋に被害が出るようなら止めていた所じゃが、奴等の向かっていった方向は森林じゃからの」


 とは言うものの、この草原は大陸間で交易する為に森林を伐り開いた場所であるので、海に面した場所と連合軍が守っている細い街道を除けば残りは森林しか残らない。

 つまりこの場は森林にぽっかりと空いた空間であって、森林全体で見ればほんの小さな空洞でしかない。


「直ぐに国へ逃げ帰らなかった時点であやつ等は既に敗けているんじゃよ。それに気付けんとは馬鹿な奴等じゃな、──此処が一体誰の大陸だと思っている?」


 何処か愉しそうにアランは言う。


 そう、此処は獣人の大陸だ。

 彼等の許可なく土足で踏み込んで良い場所では無いことを、彼等はまだしっかりと認識できていないらしい。

 そして自ら彼等の領域へ足を踏み入れてしまうなど、控え目に言って、自分から死にに行っているようなものだ。


 ──とその時、先頭を駆けていた聖騎士の身体が吹き飛んだ。

 森林へ逃げていく彼等の背を眺めていた魔法師達の間を吹き飛ばされた聖騎士が突き抜けていき、あまりの異常さに驚きを隠せなかった。


 今、魔法師達がいる場所からかなりの距離があるにも拘わらず、吹き飛ばされた聖騎士は既に遥か後方に舞っている。

 これが異常と言わず何と言うのか。


「相変わらずの馬鹿力じゃのぅ」


 先程まで聖騎士が乗っていたユニコーンの上には、いつの間にか一人の獣人が立っていた。

 人とは違った獣の耳に尻尾を持った、この大陸の民であり管理者。

 遠くからでさえその迫力に圧倒され、身体が本能的に逆らってはいけないと警告してくる。


「あっちは大丈夫じゃろう」

「そっ、その様ですね……」

「ああ」


 哀れな者達が堪らなく面白くて、アランの口許はついつい緩んでしまう。

 その間にも高木から幾つもの影が飛び出し、その度に聖騎士が森林に落ちていく。


 あまりの速度に聖騎士達は反応すらまともに出来ず、魔法で迎撃しようとしても、既にそこに獣人の姿は無くなっている。

 そんな内に背後を取られ、また一人と宙に投げ出される。

 敵ながらに同情してしまいそうな程、あまりにも一方的な戦闘。いや、戦闘にすらなっていない。


「森林なら隠れるのも容易で、足場もそこら中にある。獣人族は魔法適性こそ致命的に低いが、身体強化に関しては他の追随を許さない。儂等が行ったら寧ろ邪魔になるじゃろうな」


 次々と木々の影から飛び出す獣人を眺めながらアランは言う。


「では、我々は何を?」

「そうじゃのぅ……」


 地上では既に、騎士団長グラデュースを筆頭に連合軍と聖国軍が衝突している。


「地に落ちたあ奴等もグラデュースに任せておけば良いじゃろう。マナポーションにも限りがある。儂等は一度、学院生の待機している後方まで下がるとするかの」

「分かりました」


 しかし、アランには気掛かりがあった。

 形勢は圧倒的に連合軍に傾いているだろう。結界の魔道具も破壊したし、ユニコーンにも逃げられている。


 にも関わらず、あまりにも聖国軍が静かすぎるのだ。

 まるで感情が制御されているかのような、何かに操られているような、そんな不気味ささえも感じられる。


(少し、上手くいきすぎかのぅ……?)


 どうにも引っ掛かる。


「どうされましたか?」

「……いや、何でもない」


 不安を拭い切れないまま、アランはその場を後にした。

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