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第十六話 シグルス=クローディア

 ──翌日、明朝。


 未だ薄暗い空の下、海から吹く湿った冷風が濃い霧のかかった一帯を駆け抜ける中、遂にその時は訪れた。

 遥か遠方に見えていた薄暗い空で輝く銀色の光の集合体のような何かが、時を経るに連れて次第にはっきりとした輪郭を形成していく。


「──敵影を確認、数およそ二万!」


 空一面を覆い尽くす勢いで散開していくそれらの数は凄まじく、騎士の発した言葉にそれを見上げていた者達がどよめく。

 諜報部隊から知らされていた情報では、聖騎士の大規模集団とそれと同数の兵士が獣人大陸に進行しているとのことだった。


「……まさか、分散させることなくそのまま突っ込んでくるとはな。それも、この早さだとまだ兵士は到着していない筈」


 普通、万全の状態で挑むのなら兵士が到着してから侵略を開始する筈。

 にも拘わらず、聖国は今ある兵力を余すことなく全て投入してきた。


(一体何を考えている? 此方が体制を立て直す前に決着を付けるつもりなのか? しかし、これだけ派手にお出ましとは、奇襲する優位性を必要としないほど自信があるようだな)


 これでは、今日この日、たった一日で獣人国を落とす気でいるようではないか──と、そうグラデュースに感じさせた。

 もしその推測が正しいのであれば聖国は、リーアスト王国、フレイド帝国、獣人国家バルジークの連合軍を一掃できると真に確信しているからこそ、行動に移したという事だ。

 そこにグラデュースは、静かに怒りを覚えた。


(だが、アランの予想通りだ)


 先走りそうな感情を圧し殺しながら、グラデュースは昨夜の主要な人物を集めて行った作戦会議の一件を思い起こす。

 聖国軍の保有する兵器とも呼ぶべき武器を如何にして防ぐか、また相手の守りを如何にして突破するか、その会議においてアランは言ったのだ。


 ──奴等は兵士の到着を待たずに攻めてくる。我々は今可能な最善を尽くすのみだ、それが有効かどうかなど二の次、我々に選択肢などない──と。


 間違っていない、作戦が成功すれば希望が垣間見え、失敗すれば負ける。

 それだけ。至って単純なことなのだ。


「総員、警戒体制!」


 騎士が一斉に抜剣する。

 そして、一人の聖騎士が放ったあの槍によって、戦争は何の前触れもなく始まった。


「さてグオルツ君、準備はいいかな?」

「はっ、はい、ペルセウスさん。大丈夫です!」


 連合軍の最前線、そこにたった二人で立っている者がいる。

 まだ魔法師見習いでしかない学院生のグオルツと、還暦は過ぎているであろう老人。


 この二人はアランから、飛来する槍の対処をしろという、あまりにも無茶な命令をされていた。

 しかしそれが出来なければ、その先には聖騎士に為す術なく蹂躙される結末しか残されていない。

 そんな未来を迎えない為の第一歩を、アランは二人に託したのだ。


「私達の魔法杖には、魔法師達が夜通し込めてくれた膨大な魔力がある。これが作戦だからではない、私達を信じて、彼等が自らの力を託してくれたのだ」

「……はい」

「託された以上、私達はそれに応える義務がある」

「はい!」


 二人が持つ魔法杖、それにはめ込まれた魔石が放つ輝きは則ち、希望の光だ。


 この場にいる数少ない結界魔法の使い手の中でも特に秀でた使い手として、この場にいる全ての者の命運を背負っている。

 失敗は許されない。


「──では、ゆくぞ」


 ペルセウスの合図とともに、二人は全ての魔力を解放して魔法を行使する。


「「結界魔法────『メガプロテクション』──ッ!」」


 刹那、二人の持っていた魔法杖から解き放たれた魔力が爆ぜるように吹き荒れ、一帯を黄金の魔力の奔流が支配した。

 その光はあっという間に連合軍を覆い包んでいき、先日の結界とは比べ物にならないほど強大なものとなる。

 二人の結界魔法の使い手による合成魔法だからこそ、本来以上の魔法へと昇華したのだ。


「……凄い」


 魔法を発動したグオルツ本人でさえも驚きを隠せなかった。

 何故なら、数千の命を容易く屠れるような恐ろしい兵器が、結界に衝突した途端に呆気なく砕け散ったのだから。


 その際に生じた爆発も当然、結界を破るには至らない。

 まさに絶対防御、連合軍からは歓喜の声が上がった。


「まだ油断する時ではないぞ、少年。ここからが正念場だ」


 ペルセウスがそう言った直後、聖国軍が再び動きを見せた。

 今度は一度に数千という槍を投擲してきたのだ。

 先日にこれが行われたなら、連合軍は間違いなく壊滅しただろう──が、今はこれ以上ないほど心強い盾がある。


「──何度でも、防いで見せます」


 その言葉通り、結界は嵐のように降り注ぐ攻撃を全て防いで見せた。

 結界の向こうは一帯の景色を白く染め上げて、僅かに遅れて落雷すら生温い、耳をつんざくような爆発音が駆け巡る。

 立ち込めた土埃で視界は埋め尽くされ、それが晴れると無惨に荒れ果てた大地に爪跡が残されており、見る者にその凄まじさを物語っていた。


「どうにか被害を出さずに防げたか。……しかし、かなりギリギリだったようだ」


 ペルセウスの言う通り、今の攻撃で結界には幾つもの亀裂が入っていた。

 やがて結界は形を保つのさえ困難になり、光の粒子となって消えてしまった。


「今ので全て使い果たしていればよいが……。グオルツ君、大丈夫かい?」

「……っはい、なんとか」

「これだけの魔力を操作したのだ、無理もない」


 魔法杖を支えにしてどうにか立っている状況のグオルツの肩を担ぎ、ペルセウスは後方に下がる。


「二人ともよくやってくれた」


 グラデュースが二人を出迎え、労いの言葉を送る。


「グオルツ、お前は下がって休んでくれ」

「すみません……」

「謝ることはない、お前はよくやった。それはこの場にいる奴等全員が目にしているんだ。謝るのではなく、──誇れ」

「……っはい!」


 これで、一つの作戦が成功した。

 唯の一人も失うことなく切り抜けたのだから、上出来といって差し支えないだろう。


「マナポーションは殆ど使い果たしてしまったが、これで反撃できる」


 未だユニコーンに乗って動かない聖騎士達を見上げながら、グラデュースは言った。

 しかし、あれだけの攻撃を防いで見せたというにも拘わらず、一人として困惑する様子のない事に違和感を覚えた。


 まさか、完璧に防がれることを予測していたのか。いや、そんな筈はない。

 先日、たったの一撃で何千という命を奪ったのだ。その時連合軍は手も足も出なかったのだから。


「静かすぎますな」

「ああ、どういうつもりか知らないが、動かないでいてくれるのなら好都合だ。……そろそろか」


(お前達、頼んだぞ)


 瞬間、上空から地上を見下ろす聖騎士達の更に上空から、雲を突き破って黒い何かが急降下してきた。

 それは、雲の上で身を潜めていた五百余りの竜騎士達だ。


「「「「「────────ッッ!!」」」」」


 騎竜と騎士の雄叫びが響き、同時に騎竜が炎のブレスを放つ。

 寸分違わぬタイミングで放たれた五百のブレスはたった一つのブレスとなって収束し、聖騎士へと迫った。


 しかし、聖騎士にそれは届かない。


 二万もの聖騎士を包み込む結界がそれを阻止したのだ。

 結界に衝突したブレスは方向を変えて四方に散っていき、地を焦がす。


「見たところ、あの結界を展開した魔法使いはいないようですな。つまりあれは誰かが持つ魔道具によるもので間違いなさそうだ。そしてどうやら、魔法攻撃への耐性がかなり強い様子」


 見上げながら、ペルセウスが呑気に分析した結果を口にする。


「──ああ、()()()、そのようだな」


 彼等にとって、こうなることは予測済みであった。

 連合軍のように魔法使いが結界魔法を使っている可能性と、魔道具により発動した可能性。

 前者なら、結界を維持する魔力が切れるまで待つつもりだったが、後者であればその必要はない。


「魔法への耐性が高い魔道具ほど、物理への耐性は脆くなる。あれだけ魔法への耐性を強めていれば、物理への耐性は全くないだろう」


 つまり、魔法でなければ結界はその強みを発揮できないということ。

 推測通り、四方へ飛び散った炎の中から騎竜が飛び出してきて、結界を通過すると聖騎士へと喰らい付いた。

 その場は一瞬にして乱戦の場と化し、多くの聖騎士がユニコーンの背から投げ出され、そのまま地上へと落ちてくる。


 そんな中、聖騎士の追跡を掻い潜るようにして戦場を飛び回る一体の騎竜がいた。


「シグルス、まだ見付からないのですか!?」

「もうちょっと! あと少しだけ時間を稼いで!」


 その背に乗っているのは二人の少年少女。

 王立学院の生徒であるシグルスとシルクだ。


(必ず何処かに結界の核、魔道具がある筈……!)


 彼等が探すのは、魔法を無効化している結界の発動源である魔道具。

 それさえ破壊してしまえば遠距離からの魔法攻撃が可能となり、ドラゴンのブレスも有効な攻撃手段となる。

 そしてこの場にシグルスがいるのは、彼の眼が魔道具を発見するのに最も有効だとアランが判断したからだ。


 ──いいか、俺達に心臓があるように、魔道具や魔法にも核ってものが存在する。お前が()()()を上手く使いこなせれば、どれだけ強力な魔法でも何でも、確実に対処できるようになる。


 オルフェウスがシグルスに言った言葉だ。


 彼がオルフェウスに出会い、その言葉を聞くまで、彼は制御の利かないその眼が嫌いだった。

 髪と同じ色をした藍い瞳が、ふとした時に真紅に染まって、今まで瞳に映っていた世界がガラリと音を立てて変貌する。


 前触れもなく発動するそれは、幼い頃は使用人達に気味悪がられ、初等学院に入学しても似たような扱いを周囲から受けた。

 彼が生を受けたクローディア家はそれなりに高い地位の貴族家であった為、直接何か言われるような事はなかったものの、友人と呼べるような存在は直ぐにはできなかった。

 周囲が彼を避け、教師までもが近寄ろうとせず、彼の周りはいつも静かで、常に孤独だった。


 王立学院に入学する頃には彼の意思でいくらか制御が出来るようになって、やっと友人と呼べる者達とも出会えた。

 気付けば、何も無かったシグルスの世界は幾つもの色で彩られていて、今ではもう彼だけの世界では無くなっている。


 それを護る為なら彼は手段を選ばない。

 今まで忌み嫌っていた、周りから【悪魔の眼】と呼ばれたその眼でさえも、やっと築いたかけがえのない世界を護る為ならば、どこまでも利用してやろうと決めたから。


「──見付けた」


 シグルスの瞳に一人の聖騎士が映る。

 周囲に護衛は居らず、しかし周囲の聖騎士と付かず離れずの距離を保っている。

 そして手には光り輝く宝玉が。

 さぞ大事そうに握られており、聖騎士の魔力遮断では隠しきれない程の膨大な魔力が感じられる。


「シルク、あいつだ!」

「分かりました!」


 直ぐ様シルクに指示を出し、その聖騎士の元へと騎竜を飛ばす。


「こんな使い方をするとオルフェウス先生に怒られそうだけど」


 騎竜の操作はシルクに任せ、シグルスは懐から小さな黒い宝石のようなものを取り出す。

 それは、オルフェウスから生徒達に配られた無作為に魔力を取り込む特殊な魔石。

 飽和状態となったそれは、衝撃を加えられた途端に内包した魔力が解き放たれ、見た目にそぐわぬ大爆発を引き起こす爆薬と化す。


「食らえッ!」


 投擲された魔石は真っ直ぐ聖騎士へと飛んでいき、何も知らない聖騎士はそれを剣で両断した。

 瞬間、魔石は爆発を生み、周囲に黒い爆煙が広がる。


「なっ!?」


 爆煙の中で聖騎士の驚く声が聞こえる。

 そして、視界を奪われた時に素早く行動を起こさなかった時点で、この聖騎士の敗北は決まっていた。


「がぁぁぁぁぁぁぁあああああッッ!?」


 煙の中から現れた騎竜が剣を持つ腕を鎧ごと咬み千切り、大量の鮮血が飛び散る。


「隙アリです」


 いつの間にか背後へと回っていたシグルスが、手に持ったミスリルの槍を思い切り聖騎士の背中に突き立てた。

 鎧が砕け、それとは違うパキンッという何かが砕けた音がして、聖騎士の胸からミスリルの槍が生える。


 実は、手に持った宝玉は結界を発動した魔道具ではなく、唯のフェイク。

 本物はこの者の身体の中に仕込まれ(かくされ)ていたのだ。


「……な……ぜ……っ?」

「俺の【魔眼】にそんな小細工など効きませんよ」


 魔道具が破壊されたことで結界は制御を失い、ガラスが割れるようにして砕けた。

 これで、聖国軍は魔法攻撃を防ぐ手段を失った。


「……そう、か。……よか……た。教皇……様、を……止め────」

「え?」


 何かを言い残そうとした所で、聖騎士は静かに息絶えた。

 仰向けに倒れ込むとミスリルの槍が聖騎士の身体からズルリと引き抜けて、ユニコーンの背からずり落ちた死体(それ)は重力に従って地面に落ちていく。


「…………」


 次第に小さくなっていく骸を見下ろしながら、シグルスは呆然とユニコーンの背に立ち尽くし、そこから動くことが出来なかった。


 聖騎士が最後に言いかけた言葉が頭から離れなくて。

 いや違う、そんな事で悩んでいるのではない。


「シグルス! 何してるんですか!? 早くこの場を離れないと!」


 叫ぶシルクの声は虚しくも届かず、彼はただ槍に付いた血を眺める。

 どうしてもこの手で殺めた聖騎士のことを考えてしまう。


 これは戦争、どちらか一方が降伏か全滅するまで終わらない。この場にいる以上、彼もまたその事を十分に理解していて、人を殺すことにもそれなりの覚悟を決めてきた。


 しかし、本当にこれで良かったのか、これが正しい選択だったのかと、今更ながらに彼は思ってしまったのだ。


「────ぁ」


 そんな時、ふとユニコーンが嘶いて、その場から飛び去った。

 その背に立っていたシグルスはいとも簡単に振り落とされ、足場を失った身体が浮遊感に包まれる。


 重力による自由落下が始まると、驚くほど時間の流れが遅く感じた。

 落下速度は速まっている筈なのに、感じる時間は更に遅くなり、感覚は何処までも引き伸ばされていく。


 そんな中でシグルスは、これで良いんじゃないか──と、そう思ってしまった。


 自分の中で覚悟(けじめ)を付けたつもりでも、人を殺したという事実が根強く蔓延って、罪悪感という鎖に囚われる。

 これで報われるなどという都合の良い考えなど持っていなくとも、罪の意識から逃れようとして身体が動かない──否、自ら動かそうとしなかった。


 このまま身を任せれば自由になれる、そんな気がしてならなかったから。


 けれど、その行いを許してくれる者など存在しない。




「──シグルス! シグルス=クローディアッ!」




 そんな声が降ってきて、彼の瞳に微かな光が灯った。

なるたけ早く更新できるよう、頑張ります。

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