第十一話 平和の揺らぎ
学院の教師となってから丁度二週間が経った日、俺は王城へと足を運んでいた。
王立学院の先生になったのは王様からの頼みなので、色々とどんな具合かを報告しに来た訳だ。
それが終わった後、俺はある事を切り出した。
「ダンジョンに行きたいだと? まったく、……彼等はまだ一年生なのだぞ? ダンジョン探索は二年になってからの課題だ。その時にいくらでも出来るというのに……」
玉座に座り、呆れながら額に手をあてて王様が溜め息を溢す。
指の隙間から覗かせている鋭い眼光に、言い訳するのは無理だと早々に悟った俺は、乾いた笑いを返すことしか出来なかった。
「因みに、何処のダンジョンへ行こうと思っているんだ?」
「……ロンフートっていう町の、Cランクダンジョンに」
怒られることは分かっていたので、顔を逸らしながら、小声で答える。
「Cランクダンジョンだとぉ!? ダンジョン探索の経験の無い生徒達を、攻略難易度Cのダンジョンへ行かせようと言うのか!?」
「ま、待て待て待てっ、落ち着け! あそこはトラップが比較的少ないって聞いたし、あいつ等の実力なら知ってる! 万が一の時は、俺が何とかするから!」
玉座から立ち上がり、今にも掴み掛かってきそうな勢いの王様に、苦し紛れの言い訳を並べる。
しかし、王様の言うことも一理ある。
何一つとして経験の無い初心者に、いきなり高難易度のダンジョンへ行かせるというのはどう考えても無謀というものだ。
しかし、あいつ等がどうしてもCランクのダンジョンがいいと聞かないから、渋々Cランクの中でも比較的安全なダンジョンを選んだという訳で、俺も賛成はしていない。
どうしてCランクダンジョンがいいかと訊いたところ、友達に自慢できるからということらしい。
……子供かっ!
「まあ、君がいれば、余程の事がない限りは大丈夫なのだろうが」
そうは言いつつも、フィリアの身を案じている事が伝わってくる。
フィリアは以前、ファフニールによって引き起こされた国を揺るがすスタンピードで一度、かなり危険な状況に陥ったことがある。だから、父親として心配なのは当然だろう。
「ついでに、あの二人の様子も見てこようかな、と思ってな」
「あの二人? ……ああ、そういえば、今はロンフートにいるのだったな」
あの二人というのは、以前に俺を訪ねてきた二人……二体? のドラゴンの事だ。
あれからというもの、あいつ等は国内のいろいろな場所を飛び回っているそうだ。
都市や町、果てには辺境の名もなき小さな村にも足を運んでいるらしい。
「あれからまだ二週間だが、彼等がかなり噂になっていると私の耳にも届いている。……竜をあのように使っていいものかと思う節はあるが」
「いや、自主的に行動してるんだから別に良いんじゃねーの?」
あれからというもの、彼等は各地を飛び回っては〝人助け〟とやらを行っているらしい。
頼んでもないのに自ら進んで慈善活動をするほど、スタンピードの一件に責任を感じている現れなのだろうが、問題を起こしていないか心配だ。
今のところ良い噂しか聞こえてこないが、上手くやっていけてるのか不安だな。
「ってかあいつら、冒険者としても活動しているらしいな。あのギルドカード、魔物の魔力にも対応してるとか……まじで勇者って何者だよ」
「災厄の魔王からこの世界を救った英雄に決まっているだろう。それと、彼等は最近Aランクに昇格したらしい」
「え、もう!? 早すぎじゃねっ!? ……まさかっ、卑怯な手を使って──」
「……確か、フィリアの護衛依頼を出したとき、私が無理やり君のランクを上げたような」
そうだっただろうか、覚えてないな。
というか、ギルドカードって本当に凄い魔道具だな。
他にも色々な立場を示すカードに使われているらしいし、それが貧民でさえもが持っているほど普及しているなんて、もう驚きを通り越して呆れてしまうぞ。
昔のカードなんて、わざわざ討伐証明部位を持ってこないといけなかったんだぞ。今は何と便利な時代になったことか……。
「兎に角、明後日には王都を出発するから、そのつもりでよろしく頼む」
「……まあ、分かった。アランにはもう話してあるのだろう?」
「ああ」
よし、王様の許可も取れた。
「じゃあ俺は帰るよ。時間取らせて悪かったな」
「なに、気にすることはない。だが最後に一つ」
「何だ?」
踵を返して謁見の間から立ち去ろうとする俺を王様が呼び止めた。
また俺に何か頼むつもりなのだろうか。
「我が国でも有数の大商会であるイルネス商会が先日、誰かからの請け負いでオークションに大量の魔道具が出品したらしい」
「!? ……へ、へえ、そうなのか」
「話によると、どれも大変素晴らしい魔道具ばかりで、多くの貴族達がこぞってそれらを買い占めたらしい」
「そっ、それはそれは……」
王様にギロリと睨まれる。
イルネスという商人に出品を請け負ってもらった者に心当たりがありすぎて、もはや乾いた笑いしか出来ない。
そんな様子の俺に、王様は溜め息を吐いた。
「止めろ、とは言わないが、そう大量に魔道具が貴族達に流出してしまうのは避けたい所だ。……あまりにも強力な魔道具を出品するのは、出来れば控えてもらえないだろうか?」
「……はい、すみませんでした」
王様は、俺が流出させた魔道具によって、貴族のパワーバランスが大きく変化してしまうのではないかと危険視しているのだ。
それだけでなく、様々な暴動などに使用されることを危惧しているのだろう。
国にとって少しでも危険と思われる因子は、出来るだけ取り除いておきたい──そう思うのは国王として当然の事だ。
──俺は、亜空間に降り積もった強力な魔道具を売り飛ばす事を断念すると同時に、選ばれなくとも誰でも使える聖剣や、代償の必要ない魔剣をオークションに出すのは止めようと決めた。
◆◆◆
「明後日……か」
オルフェウスが去った謁見の間にて、ジェクト王が呟いた。
彼には一つ、不安な事があった。
それは以前、先程まで此処にいた少年からもたらされた情報で、今、最も対処すべき事柄に当てはまるものだ。
──聖国の動きが怪しい、そう伝えられてから二ヶ月が経とうとしているというのに、未だ何も有益な進展が見られない。
オルフェウスが引き渡してきた聖国の司教から、嘘を見抜く『看破の魔水晶』という魔道具と闇魔法による洗脳によって、いろいろと得られた情報はあった。
しかし、それだけ。
情報を得られただけで、何かが進展したという事はなかった。
加えて、その情報というのもあまりにも曖昧なものだった為、聖国が何を企てているのか、確信を持てるようなものではなかった。
分かっていることは、教皇が獣人を根絶やしにしようとしているということ。
聖国はどの時代もそうだった。どの時代の教皇も獣人族を過剰に嫌い、確固として獣人の人権を認めていない。
リーアスト王国、フレイド帝国という三大国に数えられる二国が獣人族と友好な関係を築いている以上、表立って迫害するという事はしていないものの、影で何をしているか分かったものではない。
現に、聖国に入国した獣人が行方不明となったという事件は、今まで数知れないほど発生している。
何かをしているのは間違いない。しかし、その確たる証拠を掴めていない以上、いくらリーアスト王国とフレイド帝国が詮索を入れようと〝知らない〟の一点張りをされて終わり。
例え、此方に装備したものを洗脳するように細工された聖騎士の鎧と、聖国の司教の自供という有力な情報があっても、それは変わらなかった。
逆にリーアスト王国が聖国を陥れようとしていて、それに帝国が加担している等と反発され、緊張が走っている状況だ。
「さて、どうしたものか……」
このまま行けば、戦争も避けられないだろう──と、ジェクト王は近い未来を予測する。
実は、その為の準備はとっくの昔に始まっていた。
鍛冶師に武器、防具を作らせ、市場に然程影響が出ないようにポーションを買い占め、食料を貯蔵する。準備は水面下で行ってきた。
だから、国民は気付いていないだろう。
──戦争という足音が、すぐ傍まで近付いているという事に。
「これは、彼にだけには悟られてはいけない」
せめて、始まってしまうまでは──。
彼がこれを知ってしまえば、きっと戦争を止めようと動く筈だ。
恐らく、事を最も早く、かつ被害を出さずに鎮めるには一番手っ取り早いだろう。
しかし、それでは駄目だ。
彼に力を借りるのは避けねばならない。それだけは、絶対に──そうでなくてはいけないから。
彼は平民で、王というものは、民を守る為にあるのだから。
恐らく彼は、リーアスト王国の人間ではないだろう。
あのような常識外れな力を持った者がこの国にいたのならば、見逃す筈がない。そうでなくても、嫌でも彼の噂が耳に入ってきていた筈。
故に彼は、リーアスト王国の国民ではない。
もしかしたら、何処かの国の間者かもしれない。
──それが何だというのか。
例えこの国の国民でないとしても、今、この国で生きているではないか。
例えこの国の民でなくても、この地に生きる民というのなら、王はそれを守るものだ。
彼に力があろうと無かろうと、敵か味方かなど関係ない。
彼は平民で、ジェクトは王なのだ。この関係は絶対に揺るがない。
それに、一度この国を救ってもらいながら、見合った対価を払えないでいる分際で、また助けてもらおう等と、甚だ図々しいにも程がある。
「私は王だ。何をするにも他力本願で、この椅子に座るだけの力など無い、無力な王だ」
自分は、宰相達が決めたように国の舵を取るだけ。
辺境の管理も貴族達に任せ、自分はその報告を玉座に座って耳を傾けるだけ。
魔法が使えようと、魔法師団の方がよっぽど魔法が使えるから、戦いにおいても無力に他ならない。
これなら、他の者にこの椅子を譲り渡した方がよっぽど良いのではないだろうか。
それこそ彼ならば、全てを圧倒的な力の下に解決してしまうだろう。
彼にはそれを成すだけの力があるから。
たった一人で国を相手取るだけの力を持っている彼には、造作も無い事だ。
──生まれながらの血筋で選ばれた自分とは違い、自分の力で高みに這い上がってきた彼なら。
しかし、ジェクトが王なのだ、他の誰でもない。
例えそれが、生まれる前から決定されていた事であったとしても。
「それでも、私はやり遂げねば」
無力な王として、国に住む全ての民を守る為に。
矛盾している、可笑しいのは自分でも分かっている。
結局、誰かの力を借りなければ民を守れやしないのだから。
──そんな時、謁見の間の扉が叩かれた。
といっても来客用の扉ではなく、騎士や魔法師が使用する扉だ。
「入れ」
「失礼します」
入室の許可を出すと、敬礼をしながら一人の青年が入ってきた。
確か、騎士団の服団長だったか──そんな事を考えながら、何かあったのか、とジェクト王はその青年に訊ねる。
「はっ、諜報部隊からの報告によると、たった今、聖国の騎士団、数およそ二万が聖都を発ったそうです」
「……そう、か」
ジェクト王に驚きは無かった。近い未来だと思っていた事が、少し前倒しになっただけだ。
尚も、青年は報告を続ける。
「追跡は断念したとの事ですが、向かった方角から恐らく、獣人族の大陸へ向かったのではないかと思われます」
「やはりそうか。出立したのは騎士団だけか?」
「いえ、兵士も騎士団に遅れて同数、聖都を発ったと報告されています。此方は諜報部隊が行動を監視しているようです」
これも、予測通りであった。
聖国……いや、教皇の狙いはあくまでも獣人を根絶やしにすること。
いくら此方との関係が悪化しようとも、教皇は獣人族とリーアスト王国ならば前者を選ぶ。
「獣人族とは友好関係を築いている、此方も援軍を出さなくてはなるまい」
(……しかし、数が多過ぎる。まさか、一度の戦争で獣人を根絶やしにするつもりなのか?)
騎士団ともなれば、一人一人が冒険者でいうところのBランク以上の実力があるだろう。
それが、二万。リーアスト王国の騎士団と魔法師団をあわせて漸く対等な数になる。
しかし、騎士団や魔法師団は常に各地へ赴いている為、現在王都にいるのは一万六千といった所か。
その中でも、今すぐ動かせる数は一万いれば良い方だ。
(帝国にも協力を要請するにしても、三日は掛かるだろう。我が国だけで三日間、凌げるだろうか)
兵士を加えれば数の差はそれなりに埋めることが出来るだろう。
しかしそれでも、数も戦力も向こうの方が上だ。
獣人の戦力も合わせれば分からないが、まだ最大の懸念が残っている。
(天使の存在を見過ごす訳にもいかない。さて、どうするべきか……)
とはいえ、送れる戦力も限られている。
兎に角、最善を尽くすだけだ──それが無力な王としての精一杯なのだから。
「騎士団、魔法師団の準備は」
「既に」
「貴族達を呼び集める。転移魔方陣を使う、用意せよ」
「はっ!」
駆け足に退室していった青年を見送った後で、ジェクト王は天を仰いだ。
この先に待っている、平和となった時代に訪れた大きな脅威。
三百年前、異界から召喚された勇者を中心として、あらゆる種族と、魔王の支配から逃れた高い知能を持つ魔物達とが一丸となった筈なのに──と嘆く。
「平和を保つというのは、やはり、難しいものだ」




