第七話 最初の授業 ④
「……はぁ」
何をやっているのだろうか、俺は。
これでは見た目どころか、中身すらまだまだ子供だ。
あいつに俺の昔の事なんて全く関係ない。そのくらい考えなくても分かる筈なのに、感情に任せてとんでもない事をしでかしてしまった。
「アランに怒られるだろうなぁ」
アランだけでなく王様にも怒られるかもしれない。
最初の授業だというのに、教師である俺が早々に授業放棄してしまったのだから。そして、流れ着いた屋上で空を見上げて大の字に寝ている始末。
みっともない──そんな事を漠然と思いながら、頭上を悠然と流れてゆく雲を眺める。
そんな時ふと、ゆったりと流れる雲の隙間から太陽が覗き出て、その眩しさに思わず顔をしかめてしまう。
──と不意に、その陽光を遮る影が現れた。
「やーっと、見つけました」
空と同化してしまいそうな透き通った髪が風に揺れる。
それと同じ色をした瞳に真っ直ぐ見詰めてくる少女──フィリアは、俺に向けて優しく微笑みかけてきた。
いま、その笑顔はとても卑怯だ。
「……どうしてここが分かったんだ?」
「勘です」
つまり、当てずっぽうという訳か。
「みんな心配してましたよ。急にいなくなってしまうんですから」
俺の隣に腰を下ろしたフィリアがそう言った。
「悪かったよ。……あの後、どうなったのか聞いてもいいか?」
「様子を見に来たヒューズ先生によって授業はそのまま続けられました。まあ、私を含めてみんな上の空といった様子でしたけど」
「……そうか」
特にラジム君は──という言葉に、返す言葉が見付からなかった。
それと、俺が授業放棄した後でヒューズ先生があのクラスを見てくれていたのか。あれだけ気に掛けてくれたのに、本当に申し訳ない事をした。
ヒューズ先生にも後でしっかり謝っておかなければ。
「それにしても、オルフェウスがあそこまで怒ることろは初めて見ました」
「……ああ、俺も久し振りだ。……あいつには悪いことをした」
知った風な口を利くな──そう言い放ったが、それはあまりにも理不尽だった。
昔の事にあいつは全く関係ないし、ましてや知っている訳でもない、ただただ俺が苛立って八つ当たりをしたに過ぎない。
どちらがガキなのやら。
「オルフェウスの昔の事はすごく気になりますが、それより今は私たちの先生なんですから、しっかりしてください」
そう言って、俺の頭をそっと撫でてきた。
敢えて昔の事に触れないようにしてくれている優しさと温もりが、フィリアの手を通して伝わってくる。
とても心地良い気分だった。
フィリアといるといつも調子を狂わせられるけど、今日は違って、荒れた心が落ち着いていく。
◆◆◆
「どうしてお前は強くなりたいんだ?」
それは唐突に発せられた。
一心不乱に肉に食い付いていた俺は当然、すぐに答えることなど出来なかった。
焚き火の向こうにいる男はじっと答えを待っていて、頬張った肉を飲み込んでから俺は口を開いた。
「どうしてって……そりゃあ、この世界を生きていくには強くならないといけないからだろ」
「それは強くなりたい理由にはならんぞ」
「はあ?」
その頃の俺は、理解できなかった。
この世界──【魔界】を生き抜くために必要だから、昔の俺にとって、それ以外に他の答えは見付けられなかった。
いつ死ぬか分からない環境で、頼れる者は目の前にいる男──ギルゼルドたった一人。しかしその頃の俺は、ギルゼルドのことをあまり信用していなかった。
得体の知れない、油断ならない奴だと。
「なら、聞き方を変えようか。お前は手に入れた力を何の為に使うんだ?」
「お前を斬るため」
即答すると、ギルゼルドの目が丸くなる。
しかしすぐに可笑しそうに笑いだして。
「はっはっはっは! 我を斬るか、なかなか良い答えじゃないか、向上心があって」
何いってんだ、コイツ。
少なくとも笑える話じゃない事くらい俺でも理解できる。なのに、目の前の男は気にする様子もなく豪快に笑っている。
意味が分からない。殺すと言ってるも同然の言葉なのに。
「他にはないのか?」
「他……?」
腕を組み、うーんと唸る。強くなったら、俺はその力をどうしたいのだろう。
そんなこと訊かれるまで考えたこともなかったので、はっきりとしたものが浮かんでこない。
しかし何とか絞り出して、俺は答えた。
「元の世界に帰る」
「それは、我が手を貸せば今にも叶うことだぞ? 帰りたいのであれば──」
「それじゃあダメだ」
ギルゼルドの言葉を遮って、俺はそれを拒否した。
だって、それだと──。
「お前を斬れないだろう」
そう言うと、また笑われた。
今度はこっちに寄ってきて頭まで撫でてきて、いくら振り払っても止めようとしない。
「そうかそうか、とことん我を斬りたいようだな。では、我を斬った後はどうするのだ?」
「知るかよ、そんな先の事」
そう、先の事。いつ来るのか分からない、果てしなく遠い終わりの見えない道のり。
だけど、絶対にこいつを斬ってやる、越えてやるんだ。
俺の恩人で、いつも保護者面をする、最高で最強の師匠を。
「合格だ」
「はあ?」
またもや、俺は呆けてしまった。
「いいかオル、大事なのは力を何の為に使うかなんてどうでも良いんだ。理由なんて要らない」
急に何を言い出すんだ?
力を使うのに、理由は要らない? なら、さっきまでの話はどこいったんだ?
いつも思う。ギルゼルドの言っていることはいつも可笑しい。
「大事なのは、それを使う意思の強さだ」
いいか、気持ちが大事なんだ──と言いながら、俺を頭をぽんぽんと叩いてくる。
痛くはない。痛くはないけど、子供扱いされているのは分かる。
だから今度も、俺はギルゼルドの手を払い除ける。しかしいつもの如くいくら手を払ってもしつこくて、最後には俺が折れる。
なんてことのない、いつもの日常の一コマ。
結局、何を言いたいのか分からないで終わるのだ。そしていつも──。
「いずれお前にも分かる時が来るさ」
◆◆◆
どうして今、思い出したのだろうか。
いつもいつも俺を見透かしたように笑う、かけがえのない存在を。
「……分かってるよ、もう」
もう分かっているさ。お前の言葉の意味も、重みも。
俺がどうしようと、あいつは何も否定しない。そこにしっかりとした意志があれば、ギルゼルドはいつも決まって首を縦に振る。
しかし、今回はどうか。
俺の行動に真っ直ぐな意思はあったか? 否、断じて否だ。
こんな所をあいつに見られでもしたら、十回は殴られていたことだろう。
相手がどんな捉え方をしていようと、今の俺にそれを否定する資格はない。
ギルゼルドがしたように、俺も道を指し示してやらねばならない立場にいるんだ。
いま思えば、ギルゼルドはよくあんな生意気なガキを相手していたものだ。
それでもあいつは嫌な顔一つすることなく、俺を立派に育ててくれた。
非常に認めたくない事ではあるが。
「よし!」
取り敢えず、気持ちの整理はついた。
「いつものオルフェウスに戻ったようですね」
「ああ、何とかな。俺はいま先生だからな、しっかりしないと」
「ふふっ、その意気です」
教師としての初日は散々なものになってしまったが、これから挽回していけばいい。
「心配してくれてありがとなフィリア」
「どういたしまして」
……やっぱり、フィリアの笑顔は最高に可愛いな。
いや、今は全然関係ない話なのだが。
「それじゃあ、俺はやるべき事をしてくるか」
「やるべき事?」
そう、俺にはやらねばならない事がある。
少なくともそれを終えた後でなければ、俺の教師生活初日を終われない。
「──すまなかった!」
昼休みの教室で、俺は勢いよく頭を下げた。
その先には当然ラジムがいて、驚いたように此方を見下ろしている。
周りの生徒も俺の行動に驚きつつ、自然に俺とラジムから離れていった。
「あんな言い方をするつもりはなかったんだ、反省してる。ほんと、すまない!」
これでもかと頭を下げる。
その気持ちが伝わったのか。
「…………もういい。別に気にしてないし、先生が謝ることじゃない」
流石は貴族、俺の顔を潰さないようにしてくれている。
「そんな事より、武器創造の使い方、今度俺に教えてくれよ。あれだけ言ったんだから、知っているんだろ?」
「ラジム、それ人にものを頼む態度じゃないよー」
すかさずユリアから的確なツッコミが聞こえてくるが、俺が気にしないから大丈夫だ。
「ああ、勿論だ」
ラジムと打ち解けることができたた……とはお世辞でも言えたものではないけど、これで明日からはちゃんとした先生になることが出来る。
さて、ヒューズ先生にも迷惑をかけたし、これから謝りに行くか。




