第一話 竜王襲来
気持ちの良い微風が吹く、雲の一つも見当たらないよく晴れたある日。
朝方とあって薄暗い空の下にあるリーアアスト王国の王都はまだ静けさが支配していて、時折、鳥の囀ずりが聞こえてくる長閑な時間帯。
──そんな時。
夜勤で王都の出入口である門を警備していた兵士が思わず欠伸をし、眠たそうに目を擦って瞼を持ち上げると、視界の奥にあるものが映った。
それは遥か遠方の空に現れた黒い点のようなもので、思わず見落としてしまいそうなほど小さなものだった。
そんな黒い点が数十は存在していた。
もし一つだったのなら、見落としていたかもしれないだろうが、これだけの数があるとなればいくら眠気に襲われている兵士でも気付くことが出来る。
「……?」
不思議に思った兵士は更に目を凝らし、よく観察しようと試みる。
すると何と、そんな兵士の手助けをするかのように黒い点は次第に大きさを増していくではないか。
此方に近付いてきているからだ──という答えに辿り着くのに、それほど時間は掛からなかった。
「まさか……あれは……!?」
恐ろしい速度で接近してくるその存在の輪郭がはっきりしていくと、兵士が震えた声を発した。
何故ならそれは、数多いる魔物の頂点に君臨している存在だと、誰もが認識している存在だったから。
「どうして、ドラゴンの群れが……!?」
そう、兵士の目に映ったのは、悠然と大空を舞う──竜だった。
兵士にとってこの時、竜を前にして純粋な恐怖の感情しか湧いてこなかった。
すっかり畏縮してしまった兵士はその場から動くことも出来ず、ただただ立っているだけで精一杯の状態。
しかし、それも仕方のない事だろう。
竜騎士の存在によりある程度ドラゴンに慣れてはいるとしても、これだけの数、それも明らかに普通のドラゴンではないものを前にしているのだから。
《──人の子よ、我々はそなたの王に会いに来た。町に入ることを許可してほしい》
いつの間にか目の前までやって来ていた竜の群れから、一際身体の大きい、鈍い銀色の竜が地上へ降りてきて、そんな事を口にした。
竜が言葉を介した時点で唯の竜ではないことが分かる。が、恐怖によって思考能力が極端に添加している兵士にはそれすら判断できなかった。
《王よ、人の子は我々の姿に恐れているようです。人化した方が宜しいのでは》
《……確かに、そのようだな》
隣に降りてきた一体の竜の言葉に〝王〟と呼ばれた竜は頷く。
そして次の瞬間、竜の身体から眩い光が発生したかと思うと、兵士の目の前には白髪の老人と若い男が立っていた。
立っている場所から、その者達が人化した竜だということが察せられる。
「人の地に訪れるのは久しい故に、細かい配慮が出来ず申し訳無かった。それに、人の子に姿を見せるのも勇者以来、我の存在を知っているのはそなたの王の一族くらいなものだろう」
白髪の老人が発した重厚な声はとても威厳があり、それでいて聞く者を落ち着かせるような優しいものだった。
それに影響されてか、兵士の身体の震えは次第に収まっていくと、表情にも僅かに余裕が見られるまでに回復する。
「では改めて、町に入ることを許可しておらいたい。中に入るのは我とこいつのみだ。我、竜王バハムートの名において危害を加えないことを誓おう」
「……………………」
この時、老人の口からは色々と聞き流せないような言葉が飛び出していたりしていたのだが、兵士の耳にとまることはなかった。
理由は単純で、他のものに意識を持っていかれていたから。
「おい人の子よ、何をぼさっとしている? 我々を早く町に入れないか」
「……あ、ええと、そのー……」
「何だ、まだ問題があるのか」
歯切れが悪くおどおどとした態度に痺れを切らした若い男が鋭く言い放つと、兵士は慌てて取り繕うようにして言った。
「は、はいっ。私では王都に入れることに対して判断のしようがない事……と……」
そこまで言って言葉を途切れさせてしまう兵士。
口振りからするに他にも何か問題があるのだろうが、その先を自分から言おうとしない。
しかし再び若い男に鋭い目付きで睨まれて、小さく悲鳴を上げながらも恐る恐る口にした。
「さ、流石に衣服を身に付けていただかないと、どうにも……」
その瞬間、まるで竜達の羽ばたきさえもが遠退き、場は水を打ったように静まり返った。
兵士が言葉を濁していた理由は、人化した竜が衣服を身に付けていなかった事にあったのだ。
自分からその事を口にしようとしなかったのは、当人達が自ら気付いてくれることを願っていたからだろう。
「……………………む」
「……………………あ」
しかしどうやら、全く気付いていなかったようだ。
「人化を使うのは久し振り故に、魔力で衣服を創り出すのをすっかり忘れてしまっていた」
「申し訳ありません王よ、私も全く気が付きませんでした」
今更のように言葉を発した二人は自身を見下ろし、ここに来て漸く、己が今まで何一つ羽織っていなかったことを理解する。
だが己が全裸であることを知って尚、まるで恥じらう様子が見られない点に関しては、流石は永きを生きる竜といった所だろうか。
この後、自らの魔力により衣服を創り出した二人の竜は兵士に連れられてきた兵士長によって、……ここまでに至る過程は兎も角として、漸く王都に足を踏み入れることとなった。
──そしてこれが、三百年前の勇者以来初めての、竜の王と人類が接触した瞬間である。
◆◆◆
王城にある謁見の間にて、三人の人物が向かい合っていた。
一人は、玉座に腰を下ろしたリーアスト王国の王、ジェクト=オルネア=リーアスト。
そしてジェクト王の前に立っている者が、竜王バハムートとその側近。
「……ふむ、そなたが今代の王であるか」
重々しい雰囲気を断ち切って先ず口を開いたのは竜王だった。
「如何にも、私が国王のジェクトだ」
「我はバハムート、竜王だ。三百年前に交わした盟約通り、我が眷族達を大切に扱ってくれているようで何よりだ」
──三百年前に交わした盟約。
それは、竜と人類の間で結ばれた盟約であり、リーアスト王国の紋章にも由来するもの。
「当然だ。そなたらと違い我々は短命であるが、しっかりと受け継がれている」
「ならば重畳。では、今回我が来た理由も分かるな?」
落ち着いた口調だが、先程とは漂う空気がまるで違う。
その変化に気付いた国王は、竜王から放たれた威圧に身体が僅かに反応するものの、それでも平然を装いながら、一呼吸開けて口を開く。
「勿論だ。そなたの目当ての人物にも使いを送ってある」
「ほう」
感心したように竜王が声を上げる。
「それならば話は早い。それで、その者はいつ来るのだ?」
「分からない……が、もうそろそろ──」
国王が話している途中、国王と竜王の目の前に突如として魔方陣が現れた。
「!?」
あまりにも突然の事で、思わず竜王は大きく目を見開く。
しかしそこには驚き以外の感情も含まれていたことを、国王は見抜けなかった。
「──と、どうやら来たようだ」
魔方陣の光が消えると、そこには身を包んだローブと同じ黒い瞳と黒い髪を持った一人の少年──オルフェウスが立っていた。
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