第九話 王都道中 ①
俺達は現在、右に森林、左に見渡す限りの草原があるその境に造られた道を馬に乗りながらひたすらに走っている。
ネルバを出発してから数時間が経つが、依然として特に魔物の姿は視界には映らず、順調に王都へ向けて進んでいる。
視界に入らない場所、森林には多くの魔物が棲息しているようだが、さほど警戒する必要も無いだろう。
「ちょっといいかな」
そんな時、横からアストさんが声を掛けてきた。
「はい、何ですか?」
「少し情報交換と思ってね。ほら、さっきは出来なかったから」
さっき、というのは、ギルドの前で集合した時の事を言っているのだろう。
俺が遅刻してしまった所為で時間が無くなってしまい、情報交換が出来なかったということだ。本当に申し訳無い。
「僕の職業は剣士だよ。君は?」
「俺は魔法剣士です。魔法は時空魔法が使えます」
「へぇ、時空魔法か、随分珍しいスキルを持っているんだね」
彼の職業は腰にさした長剣を見て何となく察しはついていたが、やはり剣士だった。
「僕のパーティーメンバーの職業だけど、ニグルが魔法使いで火と風の魔法が使えるんだ。で、アーラルは光の魔法を使える魔法使い、そしてパーティーで一番血の気が多いグランが武闘家だよ」
ふむふむ、アストさんとグランさんが前衛で、ニグルさんが後方から攻撃魔法で支援、そしてアーラルさんが回復要員ということか。
剣は殺傷能力が非常に高く、長剣ともなれば大剣の次に殺傷性に優れる、森林のような場所や狭い洞窟内ではその長さ故に使いにくい。
そんな時にはグランさんが先頭に立って戦えばいい。ニグルさんは二種類の属性魔法をその場で使い分ける事が出来るし、かなりバランスの取れた良いパーティーといえるだろう。
「なるほど、良いパーティーですね」
「ああ、自慢のパーティーだ」
褒められて得意顔のアストさんを横目で見ながらも、周囲の警戒を怠らないよう気を抜かずに馬を走らせる。
その後もいろいろと何でもない話に花を咲かせながら、退屈な旅の移動を楽しんだ。
短い会話が終了すると、馬車の車輪と馬の足音と、僅かな風切り音しか聞こえなくなった中、俺はある考え事をしていた。
といっても、そんなに大した事を考えている訳では無いのだが、それでも今後必ず必要となってくる事についてだ。
【魔界】から帰って来た俺に決定的に欠けているもの。
誰もが出来ているのに、俺は出来ていない事。
下手をすればそこらの子供でも出来る事が、俺には出来ない。
それは──文字の読み書きだ。
【魔界】から戻ってこれてからまだ2週間と少ししか経っていないが、それでも痛いほどこの身で実感してきた弊害。
俺の頭を悩ませている根源。それが、それこそが文字の読み書きだ。
俺はあらゆる所で文字が読めない事の不便さというものを味わってきた。
例えば、毎日欠かさずに行ってきた依頼の受注。
何時もは依頼ボードに貼り出されている依頼など、そもそも内容が読めないので全く見ることなく、確実に出来る常駐依頼の薬草採集やスライム討伐しかやっていなかった。
しかしある日、何とかして他の依頼を受けてみたいという衝動に駆られ、適当に依頼ボードから一枚の依頼用紙を剥がしそれを受付へと持っていった事が一度だけあった。
その時の事は、今でも鮮明に覚えている──。
「うーん⋯⋯⋯⋯これでいいや」
ある日、俺は常駐依頼とは違う依頼を受けてみたくなり、読めないのに少し考えるふりをして、適当に選んだそれを持って受付へと向かった。
「これ受けます」
「はい、依頼の受注ですね。内容⋯⋯は⋯⋯」
受付嬢が営業スマイルで剥がしてきた依頼用紙を受け取り、その内容を確認する。
だが受付嬢は依頼内容を半分と目を通すことなく、数刻までの笑みが一瞬の内に消え失せ、目の前に立っている俺をまるでゴミを見るかのような眼差しで見てきた。
⋯⋯ん? もしかしてランクが足らなかったかな。
それにしては明らかにリアクションが可笑しかったが、その時の俺はそれに気付くことは出来なかった。
「あの、ちゃんと依頼内容を読みましたか?」
と、受付嬢が聞いてきた事で、これは俺には受けられない依頼だということがその場の流れで理解することが出来た。
「⋯⋯いえ、読んでません」
ここで言い訳するのも自分なりに格好がつかないので、潔く白状する事を選択した。
勿論読めませんとは言わずに読んでませんと言ったのは、流石に少し恥ずかしくて言い出せなかったからだ。
良い歳して文字も読めないなんて事がばれてしまったら、その日の内にネルバを出ていくくらいには心に精神的なダメージを負ってしまうだろう。
「これ、冒険者からの仮パーティー募集の依頼で、募集ランクはE以上ですが」
やはり俺の予想通り、この依頼は受けることが出来ないようで、原因は単純に指定されているランクに俺の冒険者ランクが足りていない事のようだ。
俺の冒険者ランクは現在Gランク、新人の最底辺冒険者だ。後2つもランクを上げないとこの依頼は受けることが出来ない。
それならば仕方無い、諦めて何時も通りに薬草採集にでも行くかと考えている中、更に受付嬢が付け足すように言った。
完全に油断していた俺に、確実にとどめを刺しにきたそれは、寸分狂わず俺を射抜いた。
「そして、パーティー全員が女性により──〝女性限定〟と書いてありますが」
頭が真っ白になった。
女性限定、依頼を受注出来る条件にこれがあったからこそ、受付嬢は俺にあれほどまでに冷ややかな視線を送ってきたのだと、今頃になって理解した。
そして今も、何時の間にか笑顔を取り戻していた受付嬢だったが、目が全然笑っていない。どう思っているのかなど聞きたくないし、想像もしたくない。
それを境に、その日の記憶が俺の頭から抜け落ちている。
「⋯⋯⋯⋯」
あの時は本当に後悔した覚えがある。
周りに人は居なかったから良かったものの、もしその場に誰かが居合わせていたらと考えるとゾッとする。
他人事ならば迷わず「変態だな」と言うところだろうが、その当人に成り下がるとそうも言えなくなってくる。
⋯⋯⋯⋯ち、違うことを考えよう、
何時までも過去に囚われていてはいけない、この先の事を考える方がよっぽど有意義だ。
⋯⋯はい嘘ですごめんなさいもうこれ以上考えると本当に引きこもってしまいます許してください⋯⋯っ!
「どうしたんだいオルフェウス君? 顔色が悪いけど」
「へっ!? いやいや、全然大丈夫ですけどっ?!」
「そうかい? なら良いんだけど」
アストさんが俺の様子がおかしいことに気付いたようで、心配そうに横から話し掛けてきたが、無理やり笑顔を作って何ともない風を装う。
再び俺から離れていったアストさんを見ながら安堵のこもった溜め息を吐き出す。
決して人に話せるような事ではないし、心配されてあのままいろいろと何があったのかを追求されなくて良かった。
まだまだ旅は始まったばかりなんだし、あまり暗いことを考えていると気が滅入ってしまうので、こんなことは道中あまり考えないようにしよう。




