世界は平和になって、あたしと彼は愛し合う
あの後、あたしたち四人で――桜田もまもなく目を覚ました――で、『反食人鬼ウイルス』を世界に撒いて回った。
最初に作ったウイルスはあの時の爆発で全て使ってしまったが、瓦礫の中にウイルスの生成方法を記したメモが残っており、それを使って再び作り出したのである。
意外と『反食人鬼ウイルス』は材料的にも労力的にも作りやすいものだったのだ。その度に女性の血液が必要なのは困り物だが。
「どうして女の人の血が必要なのかな?」
「多分、女性ホルモン的な問題でしょうね。試してみたところ、確かに淳の血じゃきちんとした結果は出なかったし、茉麻のも微妙だったわ」
「そういうことか」とあたしは納得した。
道理で例の研究者は自分一人では作れなかったはずである。女性ホルモンと他の薬品が反応し、ウイルスを作り出すのかも知れない……と桜田が言ったが、そこまではよくわからない。
とにかくそうして作られた『反食人鬼ウイルス』は劇的な効果を示し、街を徘徊していた食人鬼が一瞬で全滅。代わりに全部まともな人間になったのだから都合が良すぎる話である。
そうして、食人鬼に侵された人々を救ったあたしたちは、つまり世界を救ったわけであり、後で多くの人々に崇められることになる。
でもあたしにとってはそんなことはどうでもいい。ただ、平穏な日々が戻って来てくれたのが嬉しくてたまらないのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
徐々にではあるが、経済活動も再開され、街を車が走るようになった。
食人鬼騒動の打撃は決して少なくなかったし、世界人口も四分の一に減ってしまった。だがまあ、これも静かで悪くないなと思う。
「この村はあんまり破壊されてないみたいだな。人口密度の低い地方だから食人鬼がそんなに溢れなかったのかも知れないな」
車を走らせながら、淳がそう呟く。
ここはとある田舎。名前も聞いたことのないようなひっそりした村だ。そこに、茉麻の祖母の家があるという。
「懐かしいです……。まさか本当に帰って来られるなんて」
「あら? そう思ってたの? 私は全員で来られると思ってたわ」
嬉しそうな茉麻の言葉に応えるのは桜田だ。
腹部に傷跡は残ってしまったものの、健康と呼べるくらいには回復した彼女は、平気な顔で笑う。
一瞬食人鬼になっていたのだが……まあ当人の記憶はないようだし、実感はないのだろうなと思った。
もし万が一『反食人鬼ウイルス』の生成に失敗していたら。
想像するだけで恐ろしいが、こんな平和な光景は見られなかっただろう。あの研究者の男には感謝しかない。
そうして田舎道を進むうち、いかにも古めかしい一軒家に辿り着いた。
待ち切れないという様子でぴょんと車から飛び降りた茉麻。彼女がドアを叩くと、出迎えたのは――。
食人鬼――――ではなく、普通の人間だった。
「いらっしゃい。茉麻、生きとったんか」
中から姿を見せた老婆はどうやら茉麻の祖母らしい。
二人の再会を遠目に見つつ、あたしは思わず笑顔になる。
「茉麻ちゃん、またね!」
「はい。ありがとうございました!」
しばらく彼女はこの田舎で滞在する予定。母親を亡くしたのだし、祖母が無事だった以上はその方が彼女にとって幸せだろう。
そんな茉麻を見送り、あたしたちの乗る車は再び発進する。今度は桜田の地元へ行くのだ――。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「これから淳はどうするの?」
桜田とのお別れも終わった。
彼女はとある町で降り、名残惜しそうにしながら去っていった。
思えば最初は銃弾戦を繰り広げた仲だったのに、すっかり姉妹みたいだ。また会えるといいな、とあたしは思う。
……ともかく。
あたしの質問に、淳は悩ましげに唸った。
彼の家族はもうどこにもいない。そしてそれはまた、あたしも同様なのだった。
「……あのさ」
「なあに?」
「俺のこと、ほんとに好きなのか?」
不意に訊かれ、あたしは慌ててしまった。
「う、うん。そうだよ」
でも思えば彼と口づけをしたのはあたしの方なのだから、今更か。
あたしはずっと、出会った時からずっと淳のことが好きだ。そしてこの平和に向かいつつある世界の中で……今度こそ、今こそ、想いを伝えようと決心した。
「あたしより年下なのに強くて、いつも頼りになって、かっこいい。そんなところにあたしは惚れたの。……突然キスしたのは悪いと思ってる。でも、えと、だから、」
とんでもなく顔が熱い。
「良かったら、その……、つ、付き合ってほしいなって思って!」
頭を下げ、勢いよく頼み込む。
そしてしばらくの沈黙。まるで時が止まったかのように思ったが――。
抱きしめられることでその答えは返って来た。
……同棲していた時期もあったわけだし、遅すぎるといえば遅すぎるのだが、二人が初めて想いを通わせた瞬間であった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――あの食人鬼騒動があった年から数年後。
あたしは今でも、淳と楽しく暮らしている。
もちろん、住んでいるのは元々あたしが家族と一緒にいたアパート。死体だらけだったがそれも今となっては綺麗に片付けられ、まるで新品のよう。
階段を降りていたり隣の部屋の前を通る度、懐かしい思い出が蘇って来る。今では食人鬼が蠢いていたあの恐怖の時代も「あんなこともあったね」と笑い話にできるほどである。
淳とは付き合い始めてから三ヶ月で結婚。今では二人の子供をもうけ、幸せに暮らしている。
遠くで暮らす茉麻も桜田もたまに手紙を送って来ては楽しそうな様子を見せていた。
……なんだか、あの日々が夢だったみたい。
世界から徐々に薄れていくあの終末世界での日々。
けれど、あたしは全部覚えている。きっと死ぬまで忘れないだろう。
悲しいことも嫌なこともたくさんあったけれど、そのおかげで愛する人と出会えたんだから――。
あたしはこれからもこの平和な世界で、彼と愛し合いながら生きていく。
〜完〜
これにて完結となります。
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