意外な一手
ドスン。ドスン。
二発の銃声が響くと、狂信の眼差しを向けていた人々から悲鳴が上がる。
何故なら、中央に立っていた男が突然、血を流して倒れたからだ。
そして凶器である銃を手にするのは……他でもないあたしだった。
手がブルブル震えた。今まで食人鬼をこの手でやっつけたことは二度か三度ある。しかし、実際に人に手を下したのは初めてだ。
――あたしは生き残るために人殺しをした。
どうしてあたしの手が自由になったのかと言えば、淳のおかげである。
彼があたしのロープをこっそり噛み千切って解放してくれた。後は桜田の服の中に忍び込ませてあった拳銃を抜き取り、あたしが撃っただけ。
他の荷物はすっかり盗られてしまっていたが拳銃だけ手元にあって本当に助かった。
「あはは……やった、んだ」
思わず乾いた笑みが漏れた。
こんなあたしを見たら、両親はどんな顔をするだろう。
ぼんやりとそんなことを考えた。でもあたしは今の仲間が大事で、なんとしても守り抜かなければならなかったから。
元々銃を所持していた桜田がハッとこちらを見た。彼女としてはあたしが発砲したのが信じられなかったのだろう。
「何を」と唇の形だけで言っていた。しかしあたしはそれを無視し、叫ぶ。
「今すぐ投降して! あたし、あなたたちを撃ちたいわけじゃない!」
その時、仰向けに倒れ伏す男の目がこちらを睨んだ気がした。
彼は即死だったはずだ。腹部を弾丸で射抜かれて死なないわけがない。だから、それはきっとあたしの錯覚に違いないけれど、それでも恐ろしくて仕方なかった。
あたしは人殺しをした。
あのままじゃ殺されていた。だから、それに抗っただけのことだ。そのはずなのに胸はどうしようもなくドキドキして怖くて怖くて気が狂いそうになる。
「「「かかれ、かかれ!」」」
傍に控えていた武装集団があたしたちへ飛びかかってくる。
誰かが悲鳴を上げた。茉麻だ。それを桜田が必死で庇っているのが見えた。
彼女たちを殺させるわけにはいかないと思った瞬間、あたしはまた引き金を引こうとし――。
カチリ、と早速弾切れの音がして、形勢は再び一気に逆転した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「俺がここをなんとかしてる。だから、あんたたちは逃げろ」
「でもそれって死亡フラグじゃ」
「言ってる場合か! 後で合流するから心配するな」
あたしから銃を奪い取った淳が叫び、あたしたち女衆を逃がす。
いくら彼が男とはいえ、相手は五十人近く。到底一人で敵うはずがない。だが、銃以外の武器を持たぬが故、あたしがどうにかできるわけではなかった。
「あなた、行くわよ。早くっ」
桜田に手を引かれる。
ちらりと茉麻の方を見て、それから淳を振り返った。彼を援助したいが今はこの子と逃げる方がいい。それがわかって、あたしは目を強く瞑り、一目散に走り出した。
あいつら――名前は知らないがとにかく宗教団体と思われる彼らは、何がなんでもあたしたちの命を神に捧げようとしている。
だから身を守らなければならない。なのに、人殺しにまで手を染めたのに、人間のやってはいけないことまでして守ろうとしたというのに、無駄だった。
あたしに力がないせいで――。
「お姉さん、前っ」
茉麻が叫んだ。
慌てて目を開ければ、そこにはどこからやって来たのか、騒ぎを聞きつけてショッピングモールの入り口に群がってきた食人鬼たち。
窓を破って中へ入り込もうと必死で、その瞳は飢えた猛獣のようだった。
どうしよう。
背後へ戻れば武装集団に襲われることは間違いがない。だが、前に進んでも、所持しているナイフ一本だけで全員は倒せない。
無理だ。塞がれた、とあたしは思った。だが――。
「この食人鬼たち、使えるかも知れない! あなた、今すぐ手伝って!」
桜田が突然、そんなことを言い出したのである。
咄嗟に「はい!」と答えるあたし。彼女が何を思いついたのかはわからないが、とにかくそれに賭けてみるしかなかった。
後では淳が戦っているのだ。やはり、まだ諦めるわけにはいかなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
人々の悲鳴がする。
立ち向かい、武器を振りかざす男たち。小さな子供はどこかへ逃げていく。
先ほどまで生贄の儀式を行おうとしていた彼らは、食人鬼の群れに呑まれていた。数人がかりで抵抗するもあまりの数に押し負け、血飛沫が上がる。
あたしはその様子を静かに見ていた。
「先生の作戦すごい……!」
「残忍なことだとは思ったけど、これしかなかったのよ」
「いや、すごいです。私とお姉さんだけだったらきっと食われてたと思いますから」
「茉麻ちゃん、あたしが頼りないみたいな言い方しないで。ハートがグサっとなる」
トイレの脇で隠れるあたしたちは、そう囁き合っていた。
見つからないか不安でたまらないが、理性のない食人鬼ばかりで良かった。もしも理性があった上で人を喰らうことに躊躇いのない食人鬼がいたとすればすぐに発見されてしまっていただろうから。
食人鬼たちは身を隠すあたしたちではなく、堂々とショッピングモールの中央に集っていた人々に殺到。揉み合い殺し合いながら、獲物を捕食し始めた。
あの中に淳がいるのが不安要素だったが、どうやら大丈夫そうだ。
銃を鈍器にして人間たちと戦っていた彼は騒動の間に脱出し、こちらを見つけて駆け寄って来た。
「ああ、あんたら。こんなところにいたのか」
「淳!」あたしは飛びついた。「良かった無事で。今すぐ逃げよう」
「私たち……助かったんですね」
「わからない。最後まで油断はできないわ」
そのままあたしたちはショッピングモールを脱出。
できれば物資も持ち出したかったがそれどころではない。ひたすら逃げた。
そうして一キロほど走ってから振り返ってみれば――ショッピングモールのあった場所は火の海となっていた。誰かが火を放ったのだろう。もしかするともうあそこにいた人々は全滅したかも知れないが、もはやあたしたちとは関係のないことだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
こうしてぎりぎりで生き残ったわけだが。
こちら側が受けたダメージは小さくなかった。
まず、皆がますます人間不信になったこと。
元々からしてこの世界で誰かを信じるというのは難しいことだが、これからは同じ人間にも襲われるかも知れないというのを大前提として行動しなければならず、さらに厳重な注意が必要だ。
そしてその上、車がパンクしてしまったので新しい物を見つけなければならなかった。これはかなりの痛手で、「せっかく乗り慣れて来たところだったのに」と淳は大きく落胆している。でもまあ、代わりがなんとか手に入ったので問題ないだろう。
そして翌日、あたしたちの旅は再開された。
でもあたしの心は少しも晴れることはなかった。今も、発砲した瞬間の感触と、あの血の惨状を思い出して手が震えてしまう。
きっと平和になっても、自分は人殺しをした時のことは一生忘れられないのだろうなとぼんやり思った。




