車での旅
「西に行くならこのまま歩いて行くのは無理だよな。どうする?」
旅出の夜、とあるコンビニにて。
今夜の野宿先をここと定め、寝袋を広げていると、淳があたしたち全員を見回しながらそう言った。
今日は一日中歩いて、あの学校があった街を出て十キロくらい西に来た。
でもたかが十キロだ。確かに、目指す場所へ行くには一ヶ月以上かかるかも知れず、これを続けるのは無理だろうと思われる。
第一、茉麻はまだ十歳。歩き続ける体力など当然なく、今日も半分くらいはあたしがおぶっていたし。
「他の移動手段だけど……。自転車もいつ食人鬼に襲われるかわかんないから危ないよね」
「電車やバスもすっかり止まっちゃってますしね」暗い顔の茉麻も頷いた。が、すぐにハッとなって、「じゃあ車を使えばいいんじゃないですか? 私たちは無理でも、先生なら」
確かにそれは妙案だった。今まで未成年者であるあたしたち三人での旅だったから徒歩しかなかったが、今は車という手があるのだ。
だが――。
「ごめんなさい、私、車の運転ができないのよ」
桜田の一言によって、あたしたちの抱いた希望は一瞬で潰れた。
どうやら彼女、生まれてこの方一度も車を運転したことがないらしい。学校にはバイクで通勤していたそうだ。
しかしバイクでの移動はさすがに無理だ。現在メンバーは四人であり、無理をしてもバイクに乗れるのは二人までなのだから。
「手詰まり……だね」
結局、明日からも徒歩で行くしかないのか。
皆が一様に表情を曇らせたその時だった。
「じゃあ、俺が車を運転する」
淳がそう宣言したのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――翌朝。
ガソリンスタンドにやって来たあたしたちは、青い軽自動車を囲んでいた。
「これ、使えるの?」
「それを今からやるんでしょう。たまたまドアが開いていて、たまたまキーが刺さってて良かったわ」
「恐らく乗っていた奴らは襲われたかして逃げ出したんだろうな。車に傷跡がついてる」
「本当ですね……」
ガソリンスタンドに乗り捨てられていた車。これのエンジンさえつけば動いてくれるだろう。
桜田が前に出て、刺さっていたキーを回した。
その瞬間ぶるる、と激しい音がして、複数の機械音が鳴る。どうやらうまくエンジンがかかったようだった。
「よし、これで第一ミッションクリアね」
得意げに微笑む桜田だが、しかしこのガソリンスタンドを見つけたのはあたしだし、片隅に停められていたこの車を発見したのは淳である。彼女はエンジンをかけただけである。
まあ、別にどうでもいいことなのだが。
「ガソリン、持って来ます」
車の荷台に積まれていた灯油タンクを抱えた茉麻はそう言って、ガソリンの入ったドラム缶の方へ走っていった。
「気をつけてね」と言いながらあたしは、何か赤黒いもの――これが何かは考えたくない――でべったり汚れた窓を拭く。
淳が簡単に車の点検をし、桜田は「この車種はお高いって噂の……」などとぶつくさ呟いている。
そしてしばらく後、茉麻が戻って来るなり早速ガソリンを入れた。残り一割ほどだったガソリンが一気に満タンになる。
「これで良し。無料でガソリンが入れられる日が来るなんてあたし思ってもみなかったよ」
「最近はガソリンの価格が高騰してたものね。今の時代、お金には一銭の価値もないのだけど」
そういえば、最後に見たテレビニュースで世界中の富豪が金で色々買い集めようとしている、などと報じていたが、きっと誰も金になど興味を示さなかったのだろうなとぼんやり思った。
今は金や宝石より命や食糧が重宝される。世界が変わった以上、秩序も大きく変わったのだ。
いつか前のような世界がやって来ることはあるのだろうか。
「――さん。お姉さん。聞いてますか?」
茉麻の声がして、あたしは我に返った。しばらくぼうっとしていたらしい。
「ごめん。全然聞いてなかった」
「もう、困りますよ。……それで、お兄さんが車を動かしてみるみたいなので、見ていてあげてください」
彼女に言われて見てみれば、ガソリンスタンドから少し離れた場所で、先ほどの蒼依軽自動車が動き回っている。
もちろん運転しているのは淳で、その隣で何やら言っているのは桜田だった。
車は辿々しくはありながらまっすぐに走り、道路を旋回している。初めてにしては結構な腕前と言えた。
「淳なかなかうまいじゃん。頑張れー!」
「お兄さんってまだ中学生なのに、運転していいんですか?」不安そうに茉麻が首を傾げた。「警察に捕まったらどうしよう……」
「大丈夫だよ。警察が真っ先に壊滅したってラジオで言ってた。捕まることはないと思うし、もしも見つかっても事情を話せばわかってくれるよきっと」
食人鬼の集団と最前線で戦ったのは警察だ。銃弾で制圧を試み、しかし相手の数の多さに敗れた警察という組織は、すでに大方が壊滅していることだろう。
茉麻もそれを聞いて安心したような顔になった。
でも警察がいないということは、もちろんあらゆる危険からは自分で身を守らないといけないということ。
何か大変なことがこれ以上起きなければいいな……とあたしは思った。銃で狙われることはもちろん、食人鬼に追い立て回されるなど二度と御免だ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
まあ、そんなこんなあって、淳は一日で運転をマスターすることができた。
その日のうちに全員が乗り込んで西へと出発し、車はゆっくりと、でも徒歩よりは確実に早く進んでいく。
「今日には一個隣の県まで行けそうだな」
「夜の運転は危険じゃない?」
「大丈夫だ。のらくらしてたら、それこそ色々と問題が起きる」
彼の言う通りで、食糧だっていつまで確保できるかわからない。今までと違って消費するのは四人だ。一日に節約しても八食分以上は必要なのだから。
「でも、寝不足には気をつけてね」
「ああ。じゃあおやすみ」
もうすっかり暗くなり、他二人は眠ってしまった車の中で、あたしたちはおやすみの挨拶をする。
車での旅は心地いい。これなら快適に目的地まで辿り着けるだろう。車窓の外の月光に照らし出された夜の景色は何だか神秘的で胸を打つ。
ああ、こんな世界の中でも、まだ綺麗なものがあったんだ。
「淳、おやすみ」
いつの日か彼と二人でドライブできる日が来るといいなと思いながら、あたしは目を閉じた。




