第87話:怨念の形
結局、一緒についていくと駄々を捏ねるソリチュードのお守りを他の隊に押し付け、ミラベルが幽閉されている[幽世の塔]にメリアドールがやってきたのは、日が落ちてからだった。
護衛として付き従うのは、アンジェリーナ一人だ。
メスタやリディルと比較してしまえば心もとないが、彼女だって[盾]の有力候補だったほどの実力者なのだ。
他にもまだ秘密があるようだが――。
ふと、塔の入り口でふてくされているカルベローナの様子を捉え、メリアドールは顔をしかめた。
――何だ?
珍しいことに彼女の隣にはケルヴィンもおり、更にその隣には不満げな態度を隠そうとせずに腕を組み塔の外壁に背を預ける赤毛の少女がいた。
資料では知っている。
確かミラベルの育ての親。[ヒューム種]夫妻の娘で有りながら隔世遺伝でエルフの寿命と外見を得てしまったジョット・スプリガンという女性だったか。
吸血症からは無事復活したようだ。
そんな淡々とした感想しか持たなかったのは、メリアドールにとって彼女は、興味の対象では無いからだ。
それでも、一応は騎士団の団長であるため、ジョットという女性がこちらに気づけば他所様用の顔を作り、
「やあみんな、珍しい組み合わせだね」
と述べてから、ジョットに対しても同じように微笑みかける。
「これはジョット・スプリガン殿。ミラベル姫のことでお礼を言いたいと思っていたのです」
心にも無いことを言っている自覚はある。
ミラベルのことは未だに好きにはなれない。
存在が、というより彼女の作る空気が不愉快なのだ。
ミラベルはどこか、人を感情的にさせるものを持っている。
対してメリアドールは、理性的であることこそが美徳だと考えているため、水と油なのだろうと自分で思っている。
……どうやらミラベルは勝手にこちらに憧れを持ち始めているようだが。
ジョットが慌てて居住まいを正し、ペコリと頭を下げた。
「ミラのこと、感謝しています。名前を覚えてくださっているとは思いませんでした」
「ミラベル姫はとても優秀です。我が隊に友人も大勢できました。であれば、彼女の育ての親のことは自然と覚えるものです」
適当に世辞を述べると、カルベローナが苛立たしげに割って入る。
「護衛はアンジェリーナさんお一人ですのね。不用心だとは思いませんこと?」
「メスタはリディについてる。……今は許して欲しい」
「それは……そうでしょうけど…………」
カルベローナはバツが悪そうに視線を反らす。
アンジェリーナはいつものように微笑を浮かべたままカルベローナの皮肉には耳を貸さず、護衛に努めているため口を挟んだりはしない。
……二人の相性が悪いだけなのかもしれないが。
ケルヴィンが不満げな顔で言う。
「別の騎士団が護衛を受け持つとのことで、我々は締め出されてしまいました。面会の途中だったというのに……」
その弱気な言い様に、メリアドールはわずかに苛立った。
ふと、彼らに目も向けようとしないアンジェリーナが珍しく口を挟む。
「それでむざむざお追いやられたと? 十三番隊と二番隊の隊長が、二人揃って?」
カルベローナの目元がぴくりと反応する。
……やはりただ相性が悪いだけか、とメリアドールは内心でため息を付く。彼女だって血の通った人間なのだ。[堕落派]などとレッテルを貼られて面白いはずが無いのだ。
まあレッテルは確かアリス・マランビジーが自分から、『じゃあ別に良いですぅ! あたし今日からあれですぅ! [堕落派]とかそういうのですぅ! 自堕落に過ごすために全てを費やしますう!』となにかの売り言葉に買い言葉で勝手に自称したのが原因だったはずだが。
ともあれ、メリアドールは、
「その騎士団とやらはどこの者か」
と二人に問うた。
彼女たちはバツが悪そうに語りだす。
唐突にミラベル護衛の任を解かれたこと。
本国からの制式な命令であること。
新たにやってきた神殿騎士団のうちの一つ――[聖杖騎士団]に、黒騎士と名乗る見慣れぬ大柄な男がいたことを。
全てを聞き終えたメリアドールは、内心で評価を少しばかり下げたカルベローナとケルヴィンに冷ややかな目を向け、言った。
「堕落した[聖杖騎士団]ごときに、キミたちは尻尾を巻いて逃げてきたということか? ミラベルを置いて? 大事な客人と一緒に?」
[聖杖騎士団]とは、[グランイット帝国]の十三ある正規の騎士団の中で最も規律が緩い騎士団である。
それ故に、少し前までは堕落の象徴のような存在であったが、数年前から[ボーン商会]の手が入ったことで多少の規律を取り戻し、教会の中でも勢力を伸ばしつつある騎士団だ。
だがメリアドールからしてみれば、それは改善でなく悪化だ。
歴史ある由緒正しき騎士団が、[商会]によって金で買われたようなものなのだから。
「今日は僕がミラベルに用がある。カルベローナ隊長は護衛が一人で心もとないのだと思うのならキミも来い。……ケルヴィン隊長もだ」
と告げてから、ジョットに笑みを向ける。
「スプリガン嬢、いかがなさいますか?」
「……行かせてください。ミラの……ミラベル姫には、まだ話したいことがたくさんあります」
「もちろん。ケルヴィン隊長は彼女を。粗相の内容にな」
すると、ケルヴィンはやけに威勢よく敬礼したため、メリアドールは、
(何だこいつ気持ち悪い)
と妙な違和感を覚えつつも塔の門をくぐる。
護衛の騎士たちを口八丁で払い除け、悠々と塔の階段を登っていく。
しかし、メリアドールはそういう自分の性分を、嫌だな、と内心で感じていた。
やるな、駄目だと言われるとやりたくなるのだ。手を出してみたくなるのだ。
ソリチュードのことだって、リディルのことだって、今回の件だって全部同じ始まりだ。
周囲が触れるな、手を出すな、捨て置けと口を揃えて言うから、メリアドールはつい手を出してしまう。
前世は火の明かりに近づいて焼け死んだ羽虫かなにかか? と自嘲気味に鼻を鳴らし、最後の階段を登りきる。
すぐ後ろについてきているカルベローナに向け、メリアドールは振り向かずに問う。
「黒騎士とやらは?」
「たぶん、中。――怖いイメージを感じたけれど……」
「信じよう。キミの観察眼は頼りになる」
そう言ってからメリアドールは階段を登り切る。
[幽世の門]最後の扉をノックもせずに開けた。
まず最初に、意外と平気そうにしているミラベルの姿が視界に入り、メリアドールは少しばかり安堵する。
ミラベルと目が合うと、彼女は、
「あ、メリー団長……?」
と不思議そうに顔をかしげる。
ふと、妙な違和感を覚える。
――何だ?
思わず顔をしかめるが、その違和感の正体がつかめない。
そして、ミラベルと向かい合う形でそこにいた身長二メートルほどの大男――黒騎士がメリアドールにフルフェイスの兜を向け、低くくぐもった声で言った。
『これはこれは、メリアドール姫様ではありませんか』
その声は、不思議と人を不安にさせる色をはらんでいた。
彼の着こなしている漆黒の鎧もそうだ。
金属か生物の鱗かの判別すらつかない奇妙なプレートがいくつも折り重ね作られたその鎧は、どこか[古き鎧]に似た雰囲気を感じさせるが――。
確か、リディルの母が着ていた[古き鎧]は遺体と共に回収され、厳重に保管されているはずだ。
そして、最近配備され始めた量産タイプにも見えない。
[古き鎧]とは、かけ離れた外見なのだ。
[古き鎧]は言ってしまえば体にピッタリと吸着し、行動の一切を阻害しない人工の鱗だ。
だがこの大男の着ている鎧は、まるで二ヶ月ほど前に戦った[魔人属]のような風貌をしている。
未知とは、恐怖につながる。
得体のしれない鎧を着た、得体のしれない男――。
八割の人員が殺害された[暁の盾]は現状機能していない。
リディルが団長に指名されなかったこともあり、今後どうなるのかも見当がついていないのだ。
テモベンテ家が持つ[北鷹騎士団]に吸収合併されるという話も上がっているが……。
ならば、今は悪事を働く者たちにとって都合の良い状態なのだろう。
国が混沌と化しつつある状況は、恐ろしいのだ。
今のうちにことを始め既成事実を作ろうとしている輩は大勢いるだろう。
あるいは、[暁の盾]そのものの復活を完全に止めてしまうか、乗っ取る形で復活させるか――。
だからこそ、こういう出自不明の男だって表舞台に出てくるのだ。
その無骨で奇妙な出で立ち、漆黒の衣で覆い隠す姿はまさに黒騎士と呼べるだろう。
もしや、[ヒューム種]では無いのか? と疑念に思うも、その男、黒騎士は続ける。
『ミラベル・グランドリオ姫の護衛は我が[聖杖騎士団]が受け持ったという話しは既に――』
「無礼であろう、黒い鎧の騎士殿」
が、メリアドールは彼の言葉を遮り、凛として言った。
黒騎士が短く、
『ほう』
と漏らす。
「貴公とは初対面である。だと言うのに、名を名乗らず、顔も見せず、あまつさえこの私をガジットと知って見下ろすか」
状況についていけてないミラベルだけが、しどもどしながら黒騎士とメリアドールの顔を交互に見る。
そのすきに、カルベローナがさっとミラベルの隣を陣取り、手の甲をミラベルの頬に触れさせた。
ミラベルはキョトンとした顔になり、小声で
「カル……?」
と首をかしげた。
ややあって、黒騎士が低く笑い、言った。
『これは失礼をいたしました、メリアドール・ガジット姫』
そのまま黒騎士はゆっくりとした動作で跪く。
『[聖杖騎士団]所属、名を黒騎士と申します』
「つまらない冗談は好きじゃない。名乗れ」
『記憶を失い彷徨っていたところ、教会に拾われたのです。故に、黒騎士以外の名を持ちません』
「我が前で顔を見せずに述べた言葉は嘘偽りと捉える」
すると、黒騎士は頭部全体を覆う漆黒の兜に指をかけた。
プシュ、とかすかに中の空気が抜ける音がし、メリアドールがその鎧が最新式の[魔導アーマー]だと理解する。
「――これで、よろしいでしょうか」
兜の中からは、病的なほど色白の、線の細い痩せこけた男の顔が現れた。
壁のように分厚く黒い髪、黒い瞳の青白い男――。
鎧からはもっとガッシリとした肉付きを想定していたため、メリアドールは思わず息を飲む。
天井につけられた[魔導灯]の光が男の白い肌を照らすと、男の肌はまるで塵芥が剥がれ落ちるように少しずつ焼けただれていく。
男は表情を変えずに言った。
「こういう体質であります故、兜の着用を許可いただきたい」
「……許可しよう」
「感謝いたします、姫様」
男が、まるで暗闇に飲み込まれるような形で兜を装着する。
思っていたよりも、[魔導アーマー]が大型らしい。
であれば本人の身長は見た目通りではなく――百九十センチか、更にもう一回り小柄なのか……?
そして漆黒の[魔導アーマー]も、異形さ、異質さよりも小型化に失敗した出来損ないかもしれないと思い立てば、先程まで感じていた恐怖は薄れていた。
黒騎士はひざまずいたまま、言った。
『姫様のご友人、ミラベル姫は我が[聖杖騎士団]が責任を持って御守りいたします』
「[ボーン商会]の手のものだな?」
またメリアドールが口を挟むと黒騎士が沈黙する。
「下の階にいた貴公の部下。既に顔も名も知れている。全員が[ボーン商会]と強い関わりのある家のものなのだから、それを使う貴公も同じと考えるのは自然であろう?」
黒騎士はなおも黙ったままだ。
ならばこれは好機かと考え、メリアドールは続ける。
「[ボーン商会]は[賢王の遺産]などという得体の知れないカルトのために王家の者を利用している。――そういう噂が、巷では囁かれているな?」
『噂は噂でありましょう』
「だが火のないところに煙は立たないとも言う」
『何もないところに火をつけて回る輩が大勢いることは、姫様も承知でありましょう?――嫌というほどに』
最後の言葉に妙な感情の熱を感じとったメリアドールは、記憶が無いと言うのは嘘かもしれないと考える。
「ならばその火をつけた輩の嘘が嘘であると、私に示してほしい」
『それは悪魔の証明でありましょう、姫様』
「はっきり言う。私は貴公を信用していない」
黒騎士がまた黙り込む。
その兜の中ではどんな表情をしているのか――。
流石にメリアドールでもそこまでの想像はできず、続けた。
「記憶喪失を自称する男よ。[聖杖騎士団]のことは信じよう。[アマルシア教会]も信じよう。だが[ボーン商会]配下の貴公の元に、我が友であるミラベルを預けるつもりは無い」
視線をカルベローナに送ると、彼女はまだキョトンとした顔をしていたミラベルの手を無理やり引き、立ち上がらせた。
メリアドールは言う。
「そして我が[ハイドラ戦隊]は十分な戦力を保持している。安心してミラベル姫を任せると良い。――リディル・ゲイルムンドは貴公より遥かに強いぞ?」
瞬間、黒騎士が勢いよく立ち上がった。
すぐ後ろに控えていたアンジェリーナが剣を抜きメリアドールの前に躍り出る。
だが、そこまでだった。
しばし黒騎士とメリアドールは互いににらみ合う形になるも、黒騎士がふと力を抜き、一歩後ろに下がり仰々しい仕草で頭を垂れる。
メリアドールは内心で心臓をばくんばくんと大きく鼓動させ冷や汗をびっしりかきながらも平静を装う。
そのままカルベローナに視線を送る。
カルベローナが連れてきたミラベルの肩にジョットの指先が触れる。
ジョットが[幽世の門]に手を触れた、その時だった。
バチン、と何かが弾けた。
何だ、と思う間も無く部屋の壁に魔力の輝きが満ち溢れ、メリアドールの視界を光で覆い隠した。
※
「な、なんの光!?」
東の空が輝きを放った。
目がくらみながらも咄嗟に傍らのリディルとメスタを翼でかばうようにできたことに、黒竜は自分をよく頑張ったと褒めてやりたかった。
同時に、リディルが小さくひとりごちる。
「[幽世の塔]だ――」
即座にリディルは、リドル卿が作った[古き鎧]――先日、卿の書庫の調査の結果[カーリー]と名付けられていたことが判明した――を衣のように身にまとい硬質化させ、太ももの裏側の推進装置を吹かせ跳躍した。
慌ててメスタが飛びつくと、空中で静止したリディルが苛立った。
「メスタちゃんは――!」
「お前が行くんなら、私も行くだろうが!」
一瞬リディルは言葉をつまらせたが、すぐにいつもの調子になって上空から街の様子を一瞥する。
「魔力が止まってる。予備施設も動いてない。――止まったんじゃなくて、全部無理やり使われてるんだ……」
そして彼女は、オロオロしてるだけの黒竜を見下ろし、言った。
「翼くんは[花の宮殿]に飛んで! たぶん、ザカールの封印も弱まってる!」
「だ、だが――」
今勝手に動いてしまえば、いらぬ疑惑を……。
そう言いかけた黒竜であったが、全てを飲み込み、言った。
「わかった、何とかする!」
黒竜は、リディルがメスタを連れて[幽世の塔]を目指す様子を見届けながら力強く羽ばたき、明かりの消えた街の空を飛んだ。




