第86話:ガジット家の末娘
出発の日の前日になって、メリアドールは望まぬ来客への対応で頭を悩ませていた。
全く、と内心深くため息を付く。
何で今わざわざ、この忙しい時期に、さっさと帰りたいこのタイミングで、と苛立つ。
同時に、このタイミングだからこそ来るのだろう、という考えも併せ持っていた。
だが、その望まぬ来客の前に、別の客人の用事を済ませるのが先だ。
やがて訪れた騎士から、奇妙な杖のようなものを手渡される。
これは――。
「検査が終わったと聞いていたが、何故僕のところに?」
と、メリアドールは以前ミラベルが持ち帰り魔術師ギルドが調査していた[八星の杖]を改良した異物を見て問う。
形状自体は、杖の先端から魔力だけを集め、杖先から魔力の粒子を放出する、大昔の異物――ライフル、に似ていた。
だが今どき、使うようなものか?
服や鎧に施す[符呪]が発展したこともあり、わざわざ杖を別の武器に改良する必要性が薄れつつあるのがここニ、三百年の風潮なのだ。
特に、[弱属性]でもそれなりに魔法を使えるようになるほど[補助]の[符呪]は進化しているのだから、魔法を使えない者のための武器、[魔導ライフル]などは今となっては無用の長物だ。
だが問われた騎士もメリアドールの疑問への答えは持ち合わせていなかった。
「さあ……自分には。ただミラ――ミラベル姫は、相性の問題だとおっしゃっていました」
その杖を持ってきた新米の神殿騎士が、真面目な顔で答える。
「相性ね――。トランって言ったか、キミは」
「あ、はい。トラン・ドー――」
「一度会ったね? ミラベルのいたとこのリーダーで、あの時は[冒険者ギルド]だったか。翼の彼を連れて」
するとその神殿騎士トランは表情をわずかにほころばせた。
「覚えておいででしたか」
「そりゃね。……ダイン卿が引っ張ってきた期待の新米騎士という話もある」
「持ち上げ過ぎです。自分は……メスタ殿と、ミラベル姫のお力があればこそ――」
「そういう謙遜は好きじゃない」
メリアドールが言うと、
「すみません」
トランは頭を下げた。
メリアドールは一度強くまばたきをし、
(何を苛立っているんだ、僕は)
とすぐに先程口走ってしまった叱責を悔やんだ。
だから、そのミスを誤魔化す上でも、
「[帝都]の祭りの警備には参加するんだろう?」
と話題を変える。
トランは少しばかり寂しげな顔になって言う。
「はい。……ミラベル姫も出られれば良いのですが――」
「……昔の仲間だものな。――二番隊と十三番隊が彼女の護衛に残るという話は聞いているね?」
トランが頷くと、メリアドールは続けた。
「こちらでの全権をカルベローナに委ねる。彼女は賢いし、良い子だ。共にミラベルを守ってやってほしい」
「それは誓って」
トランが真面目な顔になって敬礼する。。
メリアドールはこれで嫌味を言ってしまったことを帳消しにできるか? などと考えながら、
「仲間思いなのだな」
と笑顔を作ってみせた。
しかし、
「我が隊が[グランリヴァル]に戻れば、僕は御神体の巫女役をやる仕事もある」
と述べてしまえば、
(僕はミラベルを置いていく言い訳をしたいだけなのか)
という事実にも気付かされ自己嫌悪に陥るのがメリアドールという少女でもあった。
トランはさして気にした様子もなく返す。
「それは、もちろん。王家が、英雄の御霊を鎮めるお祭りですので――」
「[ギネス]の血統だ。だから、ミラベルにも――マリーエイジ家の当主、アンジェリーナにもそれはある。そうして建国の母、グランイットの女神像にお返しするのだから、民から認められている必要がある。理屈はわかるね」
遠回しにミラベルは祭りに参加できないかもしれないと述べたつもりだが、トランには伝わらなかったようで、彼はどこか懐かしむ様子になって言った。
「はい。自分のいた田舎でも、神輿は担ぎました。それを[グランリヴァル]の姫様に――あ、昔巫女役をするメリアドール姫を見たことがあります」
「毎年だからね。――今は[グランリヴァル]に[ギネス家]はいないから、祭りは……僕は戻り次第執り行いたい」
「そうしていただけると、家族も……妻も喜びます」
「いや、遅れてしまってるから、十分迷惑をかけている。すまない」
トランが退室し、メリアドールはふっと肩の力を抜きつぶやいた。
「エルフの国にだって、御神体はあるのに――」
元は、同じだったのだ。
千年前に互いに手を取り合い、同じ敵と戦った。
故に、御霊を鎮める祭りはエルフの国にもあり、そのあり方も全く同じなのだ。
現在[ルミナス連合]の長は、国内では[急進派]とされる勢力の者だ。
あの時出会った[穏健派]のレリア・オーキッドは、今回多くの亡命者を出した責任を背負わされたと聞いている。
取り潰しにこそならなかったものの、発言権は大きく削がれたそうだ。
どこか陰謀めいたものを感じてしまうメリアドールだったが、確固たる証拠がなければそれはただの妄想でしか無いのだ。
答えを決めてから理屈を探してしまえば、そんなものはいくらでも見つかってしまうのだから。
外が慌ただしくなると、メリアドールはようやくかとばかりに今日で一番深いため息を付く。
外から、
「姫様困ります!」
「そんなやり方では!」
「姫様、お待ち下さい! 姫様!」
と侍女の苦労がわかる声が漏れ聞こえ、ややあってから
「ソリチュード・ガジットです! メリアドール姉さま、入ります!」
と言う幼子の声と共に扉が開かれた。
ソリチュード・ガジットは、メリアドールの妹であり、ガジット家の末娘にして、王位継承権第ニ位を持つ特別な子だ。
すなわち、現女王である母に何かあれば、彼女が女王となるのだ。
身長も体格も小柄だが、意志の強さと気高さを感じさせる眼差しと幼い顔立ちが妙にアンバランスで、メリアドールはどこか不気味さを感じている。
本来ならば、[グランイット帝国]での継承権は女王の姉妹、その次に長女、次女という順番だが、二年前にアンジェリーナの父、故マリーエイジ卿が年功序列でなく意思と実力があるものをと提唱し、太古の儀式を復活させた結果、真っ先に突破してしまったのが当時五歳だったこの子なのだ。
何者かにそそのかされたのか、あるいは利用されているのかなどと噂が飛び交ったが、彼女の人となりを知るメリアドールからしてみれば、全てソリチュードの意思なのは明白だった。
彼女はそれほどまでに、聡明な子なのだ。
「や、やぁソラ。元気そうだね」
どぎまぎと言うが、ソリチュードは鼻息を荒くさせ憤慨した様子でだっと駆け出し、ぴょんと机の上に飛び身を乗り出した。
「お姉さまは! どうなさったのですか!」
「な、何が」
凛とした強い眼差しにさらされ、メリアドールはたじろいだ。
「どうもこうもです! お姉さまなら、幽閉されているミラベルさんを無理やり連れて[グランリヴァル]に戻ることくらいできたはずです!」
「無茶言わないでくれ。政治だよ」
「無茶なものですか! 貴女は、このわたしが世界で一番尊敬している方なのですよ!? 昔お姉さまがわたしに言ってくださったお言葉、忘れたとは言わせません!」
その言い様がメリアドールを苛立たせた。
「……三歳のことを、覚えているのかい?」
メリアドールが彼女の遊び相手になってあげていたのは、[帝都]にいた頃だ。
そんな幼い日のことなど――。
「もちろんです! あの時のお姉さまの台詞、一言一句違わずここで再現して見せましょうか! 『ソラ、キミの人生はキミのものだ。心の中心はキミなんだ。だから、キミは誰にも縛られず、自由に生きるんだ。きっとみんな善意でキミを着飾らせようとする。だけど、それを嫌だと言う自由はあるし、声を上げれば聞いてくれる人たちは必ずいる』です! でしょう!?」
「なんで覚えてんだよ……」
「それくらい衝撃的だったからです! お姉さまはわたしの人生を救ってくださった力のある御方です! 逃げることの誇らしさを教えてくださったのはお姉さまです! そうやってみんなを引き連れて[グランリヴァル]に遊びに行ったことは今でもかっこよく想います!」
「それは、どうも……」
「それなのにどうしてですか! ミラベルさんのこと! お姉さまなら、乱暴に腕を掴んで『行くぞ』の一言で済む話です!」
「済むわけないでしょ。どんだけ迷惑かかると思ってんの」
「いいえ済みます! お姉さまが政治に揉まれて消沈なさっているのは今のご様子でわかりました! だけど、わたしたちの我儘に筋が通っていれば、あとのことを任せられる者はお姉さまが思っているよりもずっと多いんです!」
「……どこが」
「またそうやって腐って! 怒りますよっ!」
と、ソリチュードは人差し指でメリアドールの鼻先を軽く小突く。
メリアドールは彼女の小さな指を優しく払い除ける。
「守るべきものができてしまえば、こうもなる」
「でしたら! それは本末転倒でしょう!? 守るべきもののために、お姉さまはそのまもるべきものを置き去りにしようとなさる!」
「……してないよ、してない」
「ではわたしが一緒に[グランリヴァル]に行っても、差し支えないということですか?」
「な、なんでそうなんの! 関係無いでしょ!」
「ありますよ! わたくしはメリアドール姉さまに守ってもらいに来たのです」
「――何から」
「[ビューティメモリー]からです! [ボーン商会]が冒険者を雇い始めてるのはご存知でしょう? 他国からの傭兵も募って、その御旗としてわたしを使おうとしたのです!」
思わず、メリアドールはソリチュードの幼い手をぎゅっと掴んだ。
「……使われる? どうしたの」
するとようやくソリチュードははちきれんばかりの笑みを浮かべ、そのままメリアドールの胸に飛びついた。
「やっぱり! お姉さまは助けてくださる!」
「……声を上げれば助けてくれると――」
「上げましたとも! 盛大に、はっきりと、嫌だと何度も声を上げました! でも駄目なんです。そういうことは、それが良いことだと本心から信じてしまっている人には伝わらないのです。みんな[ボーン商会]の人たちの甘言に惑わされてしまって、わたしが冒険者の皆様方を率いて[賢王の遺産]を探すことが素晴らしいことのように語るのです! ですから、メリアドール姉さまにはわたしと、ミラベルさんを連れ去ってほしかったのです。できますでしょう!?」
「そ、それは――」
メリアドールはその突拍子もない提案に迷った。
できるわけがないと思う自分と、やろうと思えばできるかもしれないと思う自分が頭の中で喧嘩を始めている。
ソリチュードは更にぐいと身を乗り出し、言った。
「迷ってくださったということは、できるということです! そうでしょう!?」
そのまま返事も待たずにソリチュードはがばっとメリアドールの胸に飛び込み、その幼い顔をぎゅーっとうずめた。




