第85話:這い出たもの
騎士団の団長室で、ドラメキア・テモベンテは次から次へと湧いて出てくる問題への対応に追われていた。
ようやく街の復興作業が機能し始めたばかりだというのに、[盾]の壊滅は一夜にして起こったのだ。
そして、明日には此度の戦いのキッカケとなった[ルミナス連合]の氏族らが会談に訪れる。
となれば、[盾]が受け持っていた女王の身辺、来賓の警護の仕事はテモベンテ配下の[北鷹騎士団]が引き受けなければならないのだ。
正直な話、戦力として考えた場合は他の騎士団の殆どが当てにできない。
いや、当てにしてはいけない、と言ったほうが良いだろう。
国に十三ある正騎士団のうち主力の[蒼炎騎士団]は主に国境警備に人員を割いている。
だが他の多くは、長い年月を経て形骸化し、[竜槍騎士団]などは創始者が[暁の勇者]のゼータであること、そしてメスタ・ブラウンがリドル卿によって残されたゼータ本人だと教会側が認めてしまったこともあり、最近は彼女を騎士団長に迎えようと躍起になっている。
おかげで、本来の仕事である学校での護身術の授業や、[戦士ギルド]で基本的な戦術の訓練がおろそかになっているのは国民からも苦情が出ている。
ブランダークの[八天騎士団]は戦力としては当てにできそうだが、冒険者らを直接採用しているという都合上、要人警護を任せられるほどの信頼は無い。
平和な時代が長すぎたのだ。
良いことではあるが、それを本当に良いことだと言っていいのは常に警戒を怠らない場合に限るのだと思い知らされてしまった。
[聖杖騎士団]は、先日の襲撃で団長が戦死したため、新しい者がその役職についたと聞いた。
……[ボーン商会]の手のものらしい、とは聞いている。
なぜ『らしい』なのだとテモベンテは部下に聞くと、部下は『突如として現れた素性不明の男を、[ボーン商会]側の騎士らが文句も無しに受け入れたことからの推測でしかない』という答えを述べただけだった。
騎士団の長となった素性不明の男の調査結果がそれでは困る、とテモベンテは言いたかったが……。
――平和ボケはこちらも同じか。
テモベンテは深い溜め息をつき、革張りの椅子に深く腰をかけ、小綺麗な天井をぼうっと見上げる。
ふと、思う。
殺された人物に、偏りがあったように感じる。
やけに、ガジット派側の貴族が多く殺されたような――。
グランドリオ派の暗殺者か、という疑問もある。
だがそれにしては随分と乱暴な殺人なのだ。
グランドリオ派の重鎮も大勢殺されたし、グランドリオとガジットの仲を取り持とうとしていた貴族らも――。
ならば犯人は戦乱を望むものか?
だが、ガジット派とグランドリオ派の内紛を起こそうとしたのか、と思えばそうとも言い難い。
こうも権力を持った者が大勢――ガジット派、グランドリオ派の古くからいる重鎮がほとんど殺されてしまえば、内紛どころでは無いのだ。
急遽、女王の護衛はテモベンテ家で受け持っているが……。
女王は、顔には出さないが焦燥しているように思える。
剣聖の家系であるゲイルムンド家とガジット家は、長いグランドリオ時代において冷遇されていたのだ。
[ミュール王朝]が[ギネス王朝]に移り変わってから、千年。
主としてグランドリオ家が女王を務め、万が一の保険としてガジット家が機能してきたのだ。
何度かガジット家が女王となったことはあったが、ことが収まれば女王の座をグランドリオに返してきた。
それが、二つの家の歴史である。
家の役目だ、と言い聞かせて千年。
全ての者が、善人というわけではあるまい。
普通の人間ならば、どこかで妬み、疎ましく思うものだ。
――お前さえいなければ。
果たしてこの千年もの長い時の中、どれだけの普通の人がそのような感情を抱いただろうか。
ほんのかすかにでも――。
今の時代にも、そういう感情を抱くものは、いる。
かすかに、わずかでも良いのだ。
そういう者たちがいる環境に、現女王と、ティルフィングは置かれ、二人は無二の親友となったのだから、心の傷は計り知れないだろう。
ゲイルムンドが表舞台に立つと戦が起こるなどとメディアがまくし立てていたのは、そういう心の動きを恐れたグランドリオ派の流す残酷なプロパガンダでしかない。
いや、あるいはそれを喜ぶ普通の人々が自ら呼び寄せた闇か。
だが実態は違う。
逆だ。
戦が起こった結果、部門の家柄であるゲイルムンドが呼ばれるのだ。
……禁じ手のようなものだが、[盾]と剣聖は続けようと思えば続けられる。
それは、数年前のゲイルムンドとマリーエイジの決闘の全てを公式のものとすることだ。
即ち、剣聖の座はあの時ティルフィング・ゲイルムンドからドリオ・マリーエイジに受け継がれ、その直後にリディル・ゲイルムンドのものとなった。
そうすれば、かろうじてではあるが剣聖はそのまま存続していることにできる。
現剣聖は最初からリディルであり、母のティルフィングは娘の年を考えた代役であったと――。
しかし、とテモベンテは思う。
まだ十四才の娘、リディル・ゲイルムンドにそれをさせるのか……?
我々大人が、実の母が殺されてすぐの子供に――?
……娘のカルベローナと同い年の、子供に?
それはできない。
できないが……。
答えが見つからずテモベンテはもう一度深いため息をついた。
※
不思議な感覚だった。
リディルは[帝都グランイット]であてがわれた[ハイドラ戦隊]宿舎の執務室で、ぼうっと天井を眺め、思う。
思っていたよりも、悲しくない。
寂しさはある。
――やっと死んでくれた、と思う自分がいる。
嫌いにならずに済んだ、と安堵する自分もいる。
驚いている。
戦慄している。
憎まずに済んだのだと、愛せたまま死んでくれたのだと、そう思ってしまっている自分に――。
最後に誕生日を祝ってくれたのは、十歳の時だった。
その前は、七歳だった。
少し前に、リディルは十五歳になっていた。
母は、リディルの十五歳の誕生日に死んだのだ。
遺品の中に、プレゼントは無かった。
用意してすら、いなかったのだ。
抉られそうになった心の隙間を、毎年無理やり祝ってくれるメリアドールとメスタのプレゼントが埋めてくれる。
それで良いとリディルは思っていた。
もう自分は、救われた人間なのだ、と。
だから――。
悲しくは、無いはずだ。
※
メリアドールらがリディルを囲い、半ば無理やり誕生日を祝ってやるのは毎年のことだった。
そして思う。
この子が頑なに人からのプレゼントを拒む理由を、知ってしまっている。
それは不幸なことだ、とメリアドールは思う。
同時に憎むべきことだ、とも。
リディルが母親からプレゼントを最後にもらったのは、七歳の頃だったと聞いている。
一応言葉だけとして、お祝いを述べたことならば、十歳が最後だったか。
――そんなものは、血の繋がった他人だ。
だから、メリアドールは彼女の母親のことが嫌いだし、母親からのプレゼントを待ちづづけているリディルの様子は見ているだけでつらかった。
ずっと一緒にいるのだ。
口に出さなくても、表情にでなくてもわかる。
メリアドールはリディルのことやメスタのことを、家族だと思っていた。
だから、ティルフィング・ゲイルムンドを始めとする盾の八割が一夜にして惨殺されたという情報が飛び込んできた時、メリアドールは一瞬迷ったのだ。
――悲しむべきなのか?
リディルの様子は、普段と変わらない。
ただ母が死んだという知らせに対して、深く静かに、
「そう」
と返しただけだった。
――一緒に住んでいても、わからないことだって、ある。
リディルは、母親のことをどう思っているのだろう。
まだ何かを、期待していたのだろうか。
あの子は――。
だがもうその日は永遠に訪れないのだ。
結局、二ヶ月近くも[帝都]に滞在してしまった。
もう十分なはずだ。
[帝都]王家の地、[花の宮殿]で腐っていたメリアドールは、傍らのリディルとメスタに向けて言う。
「祭りやるんだってさ」
「元々は慰霊祭だしね」
と、リディルがすぐに返す。
メリアドールは一瞬言葉につまる。
だが目を泳がさないようぎゅっと眼球に力を入れ、無表情のまま返した。
「明後日にはここを発って、家に帰ったらすぐに[グランリヴァル]で祭りの準備だ」
言葉に『僕たちの家はここでは無い』という意図を読み取れるのがリディルなのだ。
そういう信頼はある。
だが貴族たちの声は様々だった。
祭りを延期するか。いいや、やるべきだ。貴族にも、民にも、双方に同じくらいの声がある。
結果として祭りをそのまま行うことに決めた国側に批判もあり、賛成の声もある。
この祭りは、[ギネス家]の血統を継ぐ者を中心に行われるものなのだ。
元々[グランリヴァル]を担当していた[ギネス家]は、全員[帝都]にいる。
一年前も、二年前も、[グランリヴァル]で[ハイドラ戦隊]をやってから、ずっとメリアドールが担当してきたのだ。
ふと、メスタが言った。
「……そうだっけ?」
リディルも、そしてメリアドールもメスタに視線を向けた。
妙に、メスタの表情が大人びて見えた。
彼女がどこか呆けたような顔で言う。
「私が来た時から、あったと思うのだけど」
リディルの視線が鋭くなる。
「誰?」
「メスタ?」
同時にメリアドールが思わず言うと、メスタはびくんと肩を震わし、目をぱちくりとさせながらキョトンとした顔になって言った。
「……あれ。私が来た時って、何だ……?」
と。




